#46 「先輩、俺はハンバーグが好きです」
あとはこれも報告しておこう。伊沼の母親が出てきた夢のことは、先輩にはまだ話していなかった。
「そうだ神楽先輩、俺また夢を見たんですよ」
「夢、ですか?」
「件の記憶に関する夢です。昨日の夜に少しだけ思い出したんですよ」
今回の方が長い時間夢にいたこと、伊沼との出会いをスキップして彼女の母親と対峙する場面に至ったこと、その時に聞いた人間不信について俺は神楽先輩に説明をした。
「そうですか……」
返事は、今朝にこれを聞いた伊沼と似通ったものだった。だが、その声音と表情は伊沼のそれと比べても落ち込んだものに感じられた。
俯いて、伸びた自分の影に溶けていくように、神楽先輩は静かに口を閉ざした。
だからどうにか場を活気づけようと、語気を明るくして話をした。進展があったと、この先に希望が待っていると伝えようとした。
「肝心の記憶の奪い方までは見られなかったんですけど、この調子なら近いうちに全部思い出せるかもしれません!」
おちゃらけた口調も使った。ツッコんでくれなくても、馬鹿みたいだと笑ってくれれば良かった。
「記憶が戻り始めたってことは、神楽先輩の言う通り誰かに恋してるんですかね? いやぁ、それにしても全く自覚なくて――」
ふと、神楽先輩が顔を上げた。瞳を潤ませ、なぜか悲しそうに笑って。それを見て、喉から声が押し込められる。
辛うじて出せたのは、戸惑いながら相手を呼ぶ声。
「先輩……?」
「そうですね……遊佐君はきっと恋をしてるんでしょうね……」
先輩は、ぽつりぽつりと言葉を零す。
どうしてそんな顔をしているのかも、先輩の胸中でどんな感情が渦巻いているのかも、俺には分からなかった。先輩が傷ついている、それだけが俺の中で明白なものだった。
「やっぱり、伊沼か神楽先輩になんですかね。俺、他の女子との接点はほとんどないんで」
「私……だったら良かったんですけどね」
「そんなこと、まだ分からないじゃないですか」
そうだ、まだ分からない。なぜかって、俺自身が分かっていないんだ。伊沼か神楽先輩か、はたまた他の誰かなのか、決めつけられる状況じゃない。
それにも関わらず、神楽先輩は俺の言葉に首を振った。
「それくらい分かりますよ。だって私、遊佐君のこと好きですから。あなたの目がどこに向いてて、何に吸い寄せられてるのかなんて、見てれば分かります」
神楽先輩は俺を置いていって、勝手に諦めようとしていた。俺が自分じゃない誰かに恋をしていると、先輩はそう思っているらしい。
『それくらい分かります』だって? 適当なこと言わないでほしい。もう一度言うぞ、俺はまだ何も決まってないんだ。俺が出してない結論を、勝手に理解しないでもらいたい。
俺は多分、少しイラついていたんだと思う。大して言葉を交わさず、俺を分かった気になった神楽先輩に。
それなら言ってやろうじゃないか。まだ諦めるなって、最後までアタックしてくれって。現在進行形でその好意を保留にし続けている俺が言っても腹が立つかもしれない。でも身を引くなら、分かったつもりじゃなくて分かってからにしてほしかった。
「先輩、俺はハンバーグが好きです」
「……はい?」
「俺は授業で寝る時はうつ伏せ派です。水泳が苦手です。雨の日が嫌いです」
「ちょ、ちょっと待ってください……! いきなりなんですか?」
「今言ったこと、神楽先輩はどれくらい知ってましたか?」
「一つも知らなかったです……」
そう答えながら、先輩は首を傾げたままだ。
「ってことは、神楽先輩は俺のことを全然知らないんです。それなのに、俺も気付いてない恋心を勝手に察して身を引いていいんですか? 俺はまだ、誰に転ぶかを決めたつもりはありません」
「けど、外から見てれば分かることだってたくさんあります! 遊佐君が――」
「だから俺は分かってないって言ってるんです! 先輩が言ってる恋の矢印がどこに向いてるか、俺は自覚してない。それなら、俺が気付く前に上書きすればいいんです。俺が結論を出すまで勝負は終わりません。それでも先輩は、もう身を引くんですか?」
言い返そうと開けた先輩の口から、反論が出ることはなかった。その代わり、口元は弧を描く。
「……ずるいですよ。そこまで言って、私がフラれるかもしれないっていうのに。本当に遊佐君は、悪魔たらしです」
いつぞや伊沼に言われた不名誉な称号を、今度は神楽先輩からかけられる。
俺の恋物語に悪魔しか出てこないのなら、悪魔たらしでもいいと思えた。
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