#41 「私も最初は嫌いだったわよ」
「――はっ……!」
飛び起きたのは、暗くなった自室。いつの間にか机で突っ伏して寝ていたようだ。
もうすぐで記憶の奪い方が見られたというのに、ツイてないタイミングで目を覚ましてしまった。
カーテンの隙間からは朝陽が漏れている。勉強会中に寝落ちて、翌朝までぐっすりというわけか。数学の範囲は割とこなした覚えがあるけど、伊沼には悪いことをしたな。
下敷きにされていた問題集を確認すると、昨夜の進行は記憶とそうズレはなかった。
「あら、起きてたのね」
ガチャリと音を立てて、伊沼が部屋を訪ねてきた。
「たった今な。教えてもらってたのにすまなかった」
「いいのよ。さすがに夜遅くまでやってたし」
「そう言ってもらえると助かる」
心なしか伊沼の表情が和らいで見える。いや、というよりもさっきまで見ていた彼女の顔が陰っていたのだ。母親と対面した伊沼の、消極的な姿が印象に残る。
優れた母親と未熟な自分。あの態度は、自信のなさの表れだったのかもしれない。前に母親がかけた魔法を破るという話をした時も、端から無理だと決めつけたようだった。
伊沼にも今回の夢を話した方がいいだろう。記憶に関して進展があったと知れば、それが彼女の自信にも繋がる気がする。
「伊沼、聞いてくれるか?」
「どうしたの?」
「さっき夢を見てたんだ。あの日の……俺が忘れた伊沼と会った日のことを」
「本当……?」
伊沼は目を丸くする。
「伊沼と話した時のことはまだ思い出せてないんだけど、伊沼の母親のことは思い出したよ。……人間を信用してないってこととか」
「そう……」
記憶が戻ったことは嬉しい。でも、自分との会話じゃないことが喜びづらい。伊沼の反応から、そんな複雑な感情が伝わってきた。
神楽先輩の推測ではあるが、記憶を呼び覚ますには恋をする必要があるということだった。こうして記憶を夢に見たということは、俺の中でどちらかに対する気持ちの揺れ動きがあったということなのだろうか。自覚はまだできない。それができた時にこそ、全ての記憶を取り戻せるはずだ。
「伊沼もさ、人間は信用するなって教わってたんだろ?」
「そうね。悪魔にとって人間は利用するもの。決して入れ込んだり、言葉に耳を傾けてはいけないって。それに、うちの場合は……」
伊沼は躊躇いを覚えたのか、言葉尻をすぼませる。
「言いづらいことなら、無理しなくてもいいぞ」
「ううん、言わせてちょうだい。うちのおばあちゃん、ママのママは昔人間のせいで酷い目に遭ったんだって。その人間は口が上手かったから、当時経験の浅かったおばあちゃんはすっかり騙されちゃって。関係のない人間に催眠魔法をかけたり、魅了魔法をかけて言いなりにしたり。おばあちゃんは人間に逆に利用されちゃったの」
「悪魔利用するとか、とんでもないやつだな……」
その意気は見上げたものだが、自分のために誰かを利用するという姿勢には賛同できない。それが悪魔であっても同じことだ。たとえあっちが利用するつもりだったからといって、同じことをしていい理由にはならない。
ともあれ、伊沼の母親が人間に強い不信感を抱いている理由は理解できた。自分の親を篭絡した人間に対してというのであれば、不信感というより恐怖という方が適切にも思える。
そうなると気になるのは、伊沼の振る舞いだ。かつて人間に利用された一家の生まれであれば、伊沼も人間を忌避していてもおかしくない。にも関わらず、伊沼は俺を含めた学校の人間とも友好的に接している。
「どうして伊沼は、人間を嫌がらないんだ?」
「私も最初は嫌いだったわよ。おばあちゃんの話を聞いて、人間の方がよっぽど悪魔だと思ったくらいだもの」
「それはちょっと主語がでかくないですか……。ろくでもないのはそいつだけだって」
「そうかもしれないけど、私だってそれくらい嫌だったってこと。……でもね、あの日勇に助けてもらって、私は人間って素敵だなって思ったの。今までは催眠にかかった人間しか見てこなかったから、こんなに感情に富んだ生き物なんだって知って感動したわ。けど、ママはまだ素の人間と話したことはないから……」
今も人間の幻影に怯え続けている。伊沼は母親をそう評した。
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