#31 「俺に恋をさせてくれ」
「それで、大事な話って? あの時のこと何か思い出したの?」
俺は首を横に振る。すると、伊沼は「そう」と短く返して、寂しそうな目を浮かべた。
……違う。俺は伊沼にそんな顔をさせるために話をしたかったわけじゃない。早く、本題に入らないと。
「まだ思い出せてはいない。でも、思い出せるかもしれないんだ」
「……本当?」
伊沼はまだ疑心暗鬼な様子だ。正直なところ、俺も半信半疑ではある。けど、やると決めたんだ。
「さっき、神楽先輩に聞いてみたんだ。記憶を消す魔法があるのかって」
「そう。たしかに先輩、吸血鬼にしては魔法に聡かったものね。……先輩はなんて?」
「記憶に干渉できる魔法はないらしい。でも、魔法の組み合わせ次第ではできるかもしれないって」
「組み合わせ……それってもしかして……!」
人間の俺と違って、伊沼は魔法に触れている分勘がいいようだ。
早々に結論に至ったようだが、顔に刻まれた影が未だ信じられないと言っているみたいだった。
しばらくして、深く息を吐いた伊沼は「さすがママね」と一言だけ呟いた。
「大体分かったわ。魅了魔法と催眠魔法にそんな使い道があったとはね。でも、一つ気になることがあるわ」
「なんだ?」
「何も思い出せてないってことは、今もあんたには魔法がかかってるってことよね。その状態で、どうやって記憶を取り戻すの?」
この質問の意図は、どこにあるんだ? 伊沼自身に本当に心当たりがないのか、それとも母親には敵わないと思い込んでいるのか?
ここまで事態の把握が早かった伊沼の思考が歩み止める。まるで母親という存在が、彼女の枷になっているようだ。
「かけられた魅了魔法を打ち破る、それしか記憶を取り戻す方法はない」
「そんなのできっこないわ! だって、あんたに魔法をかけたのは……」
「お前の母親だ」
「……そうよ。ママがかけた魔法を破るなんて、できるはずがないわ……」
消え入りそうな声で、伊沼は訴える。身を抱く彼女は、体ごと小さくなってしまったように見える。その吹けば飛びそうな姿に、俺は夢で見た伊沼――奥底に封じ込められた記憶の彼女を重ねた。
あの時も、自分を世界から消してしまうくらい、小さく、小さく体を縮めていた。声を押し殺した泣き声、忘れたはずの嗚咽が頭で鳴った。
夢で伸ばせなかった手、かけられなかった声。それをここで届けるんだ。
「俺に恋をさせてくれ」
震える伊沼の肩に手を置き、俺は真っ直ぐに言う。
憂いを帯びた伊沼の瞳が、俺の視線と重なる。
「何、言ってるの……?」
「伊沼は、俺のこと好きなんだよな?」
「ええ……」
「なら、俺のことも魅了してくれ」
ハッと伊沼の目が丸くなる。恋で魅了魔法を打ち破るという、俺たちの目指すゴールに気付いたようだ。
「魅了魔法なんて屁でもないくらい、俺を夢中にさせてくれ。それで、俺の記憶を取り戻してほしいんだ」
「勇に恋を……」
「ああ、できれば俺も両想いがいいからさ……伊沼と神楽先輩だけが頼りだというか……」
「ふっ、ふふっ……あんたそれ、結構ひどいこと言ってるわよ?」
伊沼の口元に笑みが戻る。……良かった。やっぱり彼女には、笑顔が似合っている。
「それは……そうなんだけど……」
「いいわ。目標は最初から何も変わってないってことね。勇を私のものにすればいい、分かりやすい答えじゃない」
「一応言っておくけど、このことは神楽先輩も――」
「分かってるわよ。……やってやるわ、魔法なんかに頼らなくても人を魅了できるってことを見せてやるわ!」
伊沼は不敵に笑って、天井を見上げる。ここにはいない、誰かに対する宣戦布告だ。
瞳には光が灯り、声音にも自信が満ちている。泣き声は、もう聞こえなかった。
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