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#14 「だから、ここで密会をしようと思ったの」

 始めは踏みしめるように歩いていた階段を、いつからか駆け上がっていた。

 足音は心音と重なる。どうしてだか分からないけど、俺は早くそこに行かなければいけないと感じたのだ。


 そして、目的地に繋がる唯一の扉を開け放つと、彼女――伊沼は俺へと振り返った。


「……良かった、来てくれて」


 その声に含まれていたのは、純粋な安堵。伊沼は、俺があの誘いを無視すると本気で思っていたのだろうか。

 ……考えてみれば、俺たちは互いのことを知らなさすぎるのだ。それこそ、こんな誤解が生まれてしまうくらいに。


 忘れ物を取りに帰ったあの日から、まだ一週間も経っていない。

 伊沼がどんなやつなのかを、もっと知るべきなのかもしれない。契約を結んだ人間として、同じ家で暮らす者として。


「話なら、家でも良かったんじゃないか?」


 あえて核心に触れる質問を投げかける。

 伊沼が今、何を考えているのか。それを言葉を通して拾い上げたかった。


「そうね……。でも、家じゃダメなの。……この前、ここを密会に持ってこいだって言ってたでしょ?」


「ああ、言ったような気がする」


 あの時は、自分の貞操が危ういと勘違いした伊沼を説得するのに、相当苦労した覚えがある。

 その話を持ってくるってことは、まさか伊沼のやつ俺の貞操を……?


 って、馬鹿なことを考えるな。その気になった伊沼に敵わないことは、夢で証明されている。

 俺がこうして無事でいるということは、少なくとも襲う気がないということだ。


「だから、ここで密会をしようと思ったの」


「他の人に聞かれちゃマズい話ってことか?」


「ええ……絶対に聞かれたくないわね」


「それなら早めに話してくれ。放課後は先生も廊下をうろつく。ここにいることがバレたら、俺も伊沼も大変だ」


 鍵が補修されて屋上に入れなくなってはたまらない。


「……分かったわ」


 若干腑に落ちないようではあったが、話す決心はしてくれたらしい。

 伊沼が大きく深呼吸をすると、俺たちの間を突風が吹き抜ける。遅すぎる春一番は、俺に何をもたらしてくれるのだろうか。


「私ね、勇のことが好きなの」


「……え?」


「驚いたわよね。どうして? それともいつから? って聞きたいかしら」


 どちらも、というのが俺の本音だった。

 伊沼が俺のことを好き? その疑問が湧いた瞬間、席をくっつけた授業での一幕が頭を過る。


『あ、あんたのこと……は、好き――』


『悪い、俺の勘違いだ。今のは忘れてくれ』


 俺が遮った言葉――伊沼が伝えたかったのは、これだったのか。

 思いもよらぬ告白に、頭を雑然とした考えばかりが巡る。


「……どうしてだ?」


 かろうじて絞り出せたのは、漠然とした問いだけだった。


「私、勇に助けてもらったことがあるの。それも……ここに転入する前にね」


「俺が、伊沼を……?」


 開いた口が塞がらなかった。なぜなら伊沼の言っていることは、俺には全く心当たりがなかったからだ。

 誰がどう見ても、伊沼の容姿は人目を惹く。そんな彼女と接点があったのなら、覚えていないはずがない。


「……もちろん忘れてるわよね。その時の記憶は、私のママに消されちゃったんだもの」


「記憶を消すって、冗談だろ?」


「ううん。じゃあ、あんたが気絶した時に見た夢が、実際にあったことだって言われて信じられる?」


「気絶した時……泣いてる伊沼のことか?」


「そうよ。勇と初めて会った日、私はこの学校の中庭で泣いてたの」


「その時に、その……俺のことが好きになったと?」


 確認するためとはいえ、自分で口に出すのは中々に恥ずかしい。自惚れているんじゃないか、自分の冷静な部分がそう言っていた。


「……ええ。あの頃の私にとって、勇は救世主。まるで白馬の王子様ね。好きになるのに、これ以上の理由が必要?」


 伊沼は、ふふんと鼻を鳴らして自分の恋を語る。


 記憶の外で、俺は伊沼に何をしたのだろう。励ました? 慰めた? 涙の元凶を懲らしめた? いくら考えても、それだけで恋心が芽生えるとは思えなかった。

 おそらくはもっと大きい、影響力のあることをしたに違いない。当の俺に、それが出来る保証はないとしても。


「あんたに思い出せって言ってるわけじゃないの」


「それじゃあ、なんで今日この話をしたんだ?」


「私がワガママだから、かしら。あんたは失った記憶を夢に見た。だから、出会った時のことを話せば、もしかしたら記憶が戻るかもしれないって期待しちゃったの。……無理強いはしたくないけど、やっぱりいつかは思い出してほしかったから」


 伊沼の強い表情に陰が差す。それだけじゃない、声も立ち姿も小さくなっていくようだった。


「ただ、知ってほしかった。……私の、好きって気持ちを」


 最後の一言は、悲痛な訴えにも聞こえた。

 返事のない俺に力なく微笑み、伊沼は屋上から立ち去る。すれ違った影と影が、今の状況を象徴していた。


 ……同じ色の空だ。俺が覚えている、伊沼との出会いの日――放課後の教室に射し込んでいた光。今日の夕日は、憎らしいくらいに赤かった。

お読みいただき、ありがとうがとうございます。

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