#9 「お義母さんの味、って感じかしらね」
伊沼に教わり課題を片付け、昼には手作りの弁当が待っている。
その高揚感に包まれ、今朝の俺は浮き足立っていた。伊沼と同じ玄関を抜け、一緒に登校することになんの疑問も抱かないくらいに。
――そう、俺は油断していたのだ。
「勇、お前伊沼さんと暮らしてるのか……?」
玄関から一歩踏み出したところで、呆然とした拓斗と対面する。
『そんなわけないだろ、寝ぼけてるのか?』
いつもだったら、そう白を切ったかもしれない。だが、今回に限ってはそれは不可能だった。なぜなら、俺の後ろには伊沼が立っていて、拓斗にはちょうど玄関から出るところを見られてしまっているのだから。
「さ、さあな……お前はどう思うんだ?」
「俺の目には、二人がこの家の玄関から出てきたようにしか見えなかったぜ。さぁ、何があったのか説明してもらおうか?」
探偵気取りで、顎に手を当て近づいてくる拓斗。
こういう時、こいつは自分が納得する情報を手に入るまで引き下がらない性格だ。拓斗が情報通として名を轟かせられたのは、このがめつさがあったからだといってもいい。
観念した方がいいのだろうか。幸い、目撃者は拓斗一人。他のクラスメイトと違って、下手に言いふらすようなやつじゃない。(金を積まれたら漏らしそう、というのが唯一の懸念だ)
俺は意を決して、拓斗に事実を話そうと口を開いた。
「これは――」
「そうよ、私は勇の家で暮らしてるの」
俺の声を遮り、伊沼が前に出る。
伊沼がさも当然かのように言うので、拓斗の方もツッコミを入れず耳を傾けていた。
「私、日本に来てからはずっとホテル生活だったんだけど、ご飯の味が合わなくてね。どうしようかと思ってた時に、先生にホームステイを紹介してもらったの」
「あー、なるほどな。それで勇の家に?」
伊沼の語りに、拓斗はすっかり流されている。
事実を知りたいあまり、拓斗は自分で納得できる筋書きを作っていることに気付いていない。
「ええ。勇が受け入れてくれたおかげで、私はこうして一緒に暮らしてるの」
「勇……」
「……なんだよ」
拓斗は口の端を持ち上げ、俺にニタニタとした眼差しを向けてくる。
こいつ、ひょっとして面白がってるな?
「お前も隅に置けないじゃねぇか! このこの!」
軽い口調で、肘で俺を小突いてくる。
表情を見るに、この件に関して拓斗がこれ以上追及してくることはなさそうだ。
「それで伊沼さん、肝心の遊佐家のご飯はお口に合ったのか?」
「とても美味しかったわ。お義母さんの味、って感じかしらね」
「おい伊沼、変な言い方をするな」
確信はないが、今の口振りにはおかしなニュアンスが含まれていた気がしてならなかった。
「何言ってんだよ、お母さんの味ってのは安心する味ってことだろ?」
「――そうね」
「……!」
拓斗に応じる傍ら、伊沼は俺を横目で見てほくそ笑む。
やはりさっきのは、俺の気のせいじゃなかったらしい。伊沼のやつ、俺をからかってどうするつもりだ?
「俺も負けてられないな! よし決めた! 俺も彼女作って、お前たちとカップル登校してみせるからな!」
そう言うが早いか、拓斗は全力疾走で駅に向かってしまう。
嵐の前の静けさという言葉があるが、今回は嵐の方が先にやってきたようだった。
拓斗の背中を見送ると、先に踏み出した伊沼がこっちを振り返って言った。
「それじゃあ行きましょうか。――旦那様?」
「……結んだのは婚姻じゃなくて、契約だったはずだぞ」
「あら、乗ってくれてもいいのに」
ふいと前を向いた伊沼の耳元が、赤みを帯びているのが目に入る。
伊沼が先に折れてくれて助かった。あの挑発的な視線をもう少し向けられていたら、きっと俺の耳も熱くなっていただろうから。
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