「お姉ちゃんを返せ!!」
短いです。
――その日、騎士団本部の正門前に現れたのは、怒った子どもだった。
「お姉ちゃんを返せ!!」
突然そんなことを言われて、たまたま門番の代わりをしていた騎士見習いのケヴィンは、呆然とせざるを得なかった。
「は……? え、お姉ちゃん?」
「証拠はあるんだから!」
「えっ、ちょっと待って!」
目の前にいるのはケヴィンの腰くらいの背丈の小さな女の子だが、まだ騎士見習いになったばかりで少年のケヴィンには、この事態をどうすれば良いのか分からず慌てた。
そもそも、本来の門番が手洗いに行きたいということで代わりに立っているだけで、まさかその短時間にこんな来客があるなんて予想もしていなかった。
いや、目の前の怒った表情の子どもは来客ではないだろうが。
「おーい、ケヴィン、見張りありがとうなー。もう良いぞー……って、スコットさんとこの妹じゃん」
そこへ、本来の門番が手洗いから戻ってきて、ケヴィンと対峙する子どもに気づいた。
「お姉ちゃんを返せ!!」
先ほどと同じことを繰り返す子どもに、ケヴィンは顔色を青くさせた。
曲がりなりにも王国騎士に対して、子どもと言えどこんな口の利き方は許されるものではない。
しかし、平和でのどかなこの国では王国騎士と言えど垣根は低く、先輩騎士は大きな手で子どもの頭を撫でて笑った。
「ははは、姉ちゃんのお迎えに来たのか。ケヴィン、連れてってやれ」
「えっ、騎士団の中に入れて良いんですか?」
「ああ、おまえ最近入ったから知らないんだな……。スコットさんは今の時間なら団長室で給仕しているはずだ」
先輩騎士に指示をされたら、見習いとしては断ることなどできない。
ケヴィンは側にいる鼻息荒い子どもを横目で見ながら、疑問は色々と残るものの諦めた。
「ミシェル・スコット。七歳」
団長室へ向かう道すがら、その子どもは自分から自己紹介をしてきた。
「俺はケヴィン。それで、君は何でお姉さんを返せなんて言いに来たんだ? お姉さんは働きに来てるだけじゃないか」
スコットという苗字の、おそらくミシェルの姉であろう人物のことはケヴィンも知っている。
この騎士団本部のメイドをしている女性で、年は二十歳くらいなのでミシェルとは大分年齢が離れた姉妹のようだ。
「私、知ってるもん! 騎士団の一番偉い人が、お姉ちゃんをさらおうとしていること!」
「はぁっ?」
思わず行儀のよくない言葉が出た。
先輩騎士たちに聞かれたら叱られるが、ミシェルが突拍子もないことを言ったからだ。
騎士団の一番偉い人というのは、もちろん騎士団長のことだ。
「団長がさらうなんて、そんな犯罪みたいな真似……」
「本当だもん! しょっちゅう、うちの前にいるし!」
「えっ、押しかけっ?」
まさかあの団長が、とケヴィンは青くなる。
ケヴィンの知る騎士団長は強くて尊敬のできる人物だ。
ミシェルの言うような、女性の家に押しかける無作法な真似をするなんて信じられない。
「この前なんて、お姉ちゃんをどっかに連れていったし!」
「んん?」
しかし、ここまで聞けばさすがにケヴィンも勘付いた。
ケヴィンもまだ若いが、ミシェルほど子どもではない。
もしや、ミシェルの姉と騎士団長は、いわゆる恋仲というものではないのだろうか。
騎士団長は独身で、年は二十九歳。
誰と恋仲になっても何の問題もない。
ミシェルの姉は、元々は家で育てていた野菜を市場で売り歩いていた下町娘で、しかし父親が怪我をして野菜を育てられなくなったため、たまたま募集のあった騎士団のメイドの職についたという話をケヴィンも聞いたことがある。
慣れない職場で、それも男だらけのなかなかむさ苦しい騎士団で、一生懸命に働くミシェルの姉は評判もいい。
そんなひたむきな姿を騎士団長が見染めた――というのは、むしろ良い話ではないかと、ケヴィンは思った。
騎士団長は自身こそ爵位を持たないものの、生まれは貴族の出身で、さらに今の地位についたのは紛れもない実力で、国王の覚えめでたい立場である。
うまくいけば玉の輿だ。
それなのに、ミシェルはなぜ怒っているのだろうかと、ケヴィンは隣に視線を向けた。
「あの人、怖い顔してるもん!」
あの人とは騎士団長のことだろう。
確かに騎士団長は冷静沈着で口数も少なく、はたから見れば怖い顔をしているが、それが騎士団の長というものだと、ケヴィンは考える。
怖いけれど男から見たら密かに憧れでもある。
「それに、この間、お姉ちゃんが困るって言ってたの聞いたもん! お姉ちゃんをいじめてるんだ!」
「うーん……?」
騎士団長は厳しいが、口数が少ないながらも、部下が落ち込んでいるときは励ましたり褒めてくれたりする、間違ってもいじめをするような人物ではないはずだ。
その後もミシェルは騎士団長のダメ出しをして、いまいち話がかみ合わないまま二人は団長室へとたどり着いた。
ケヴィンがノックをして中へ声をかけたとき、返事も待たずにミシェルが扉を開けた。
「お姉ちゃんを返せ!!」
「あっ、こら!」
三度目のセリフを言いながら扉を開けたミシェルに、ケヴィンが止めようと慌てて手を伸ばす。
しかし、団長室には誰もいなかった。
部屋の中を見渡して見ると、いつも騎士団長が座っている場所の机上には空のカップが置かれているので、つい先ほどまでお茶を飲んでいただろうと知れた。
ではどこに行ったのだろう――と思って見回したとき、庭に続くガラス戸が開いていることに気づいた。
ケヴィンは戸に近づいて庭の方を見ると、少し離れた場所に二つの人影があった。
騎士服を着た騎士団長と、メイド服のミシェルの姉だ。
二人は花垣の側で向かい合っており、その話し声が微かに聞こえてきた。
「例の話、考えてくれたか?」
「団長様……。困ります……」
囁く騎士団長の声はとても優しく甘い。
そして、ミシェルの姉は困りますと言っているが、嫌がっている感じはない。
二人の間には、ミシェルの言っていたいじめられているという空気は一切なかった。
思わず耳を澄ませるケヴィンの元に、二人の話し声が微かに流れてくる。
「私は本気だ。君しかいない」
「……けれど、私と団長様とは身分が違いすぎます。きっと、団長様の評判に傷がつきます……」
「身分など関係ない。勝手なことをいうものなど気にすることはない、私が君を守る」
うん、これは間違いなく恋人だ。
それも身分の違いに悩む二人だ。
ケヴィンは初めて聞く騎士団長の甘い声に、これは盗み聞きして良いものではないと判断して撤退を決めたそのとき、後ろからミシェルが近づいてきた。
「ナンシー・スコット嬢、どうか私と結婚して欲しい」
「団長様……」
「お姉ちゃんを返せー!!」
甘い恋人の会話に、ミシェルの何度目か分からないセリフが響いた。
驚き慌てるケヴィンの側から飛び出して庭へと走っていく。
「ミシェルっ? どうしてここに……?」
「お姉ちゃんをいじめるな! 返せー!!」
自称お姉ちゃんを奪還に来た妹は庭を駆け抜け、目を丸くしている姉の腕に飛び込んでいく。
突然の妹の登場に驚きながらも、優しい姉のナンシーは妹を抱き留めた。
ケヴィンは完全に出遅れて、固まったまま二人を見つめるしかなかった。
二人の背後にいる騎士団長と、何とも言えない気まずい空気が流れる。
騎士見習いの少年には、あまりにも荷が重い場となった――。
その後、どうにかミシェルの誤解を解き、なんやかんやあったが騎士団長と姉のナンシーは無事に結婚することができた。
二人の結婚式では、誤解は解けたけれど今度は姉が嫁ぐ寂しさでミシェルが大泣きしたものだから、ケヴィンはなぜか側に座らされた。
あのとき門の前に立っていなければ……と、思わずにいられない。
恋愛事は何て厄介なものだろう、自分は剣一筋に生きようと、華やかな結婚式を眺めながら、騎士見習いの少年は心の中で誓った。
しかし、ミシェルがなぜか懐き、その後の人生を長く一緒に過ごすことになることを、このときのケヴィンはまだ知らなかった――。
少年とちびっこのいつか恋愛になる話。と、姉と騎士団長の身分差恋愛話。
お読み頂きありがとうございました!
その後の番外編を短編置き場に置いています。下部のリンクからも飛べますので、もしご興味があれば^^