第二十三話 神よいい人ほど早く側に呼んでいませんか
R15 ややグロい描写等もあります
そうしてついに明日王都解放戦が始まる……という準備で忙しい午後に、姉上のところにグレオ聖教の聖騎士様ご一行がやってきたのだった。
「お初にお目にかかります、オルフィリア姫。それがしは、ジュリオ・カウフマンと申します。アナトの聖王より聖騎士を拝命した身にございます」
年の頃は30過ぎくらいか、やや小柄だが、全体的に角張った体はよく鍛えているのが服からもわかる。そして10人ほどの従者。全員、武術の心得がありそうな感じの規律のとれた集団だ。
「ラグナディア王女オルフィリア・リザベルです。ジュリオ殿、遠路はるばるようこそお越しくださいました。見てのとおり、戦を控え、満足なもて成しもかなわぬところ、ご容赦ください」
「いえ、我々こそこのようにお忙しいところにて殿下にお時間をいただくことになり、申し訳ございません。しかしながら、急ぎお話すべき事柄がございまして」
「聖騎士殿がお越しになるとは、僭王ガルザスに何か聖教に関わる事柄がございましたか」
「神託がくだったのです。」
「神託……」
「いま再び、我らが聖者の躯を弄ぶ魔物あり。而して、其れは魔物の王を呼ばんとするものなり。速やかにかの魔物を討伐せよ、と」
おお? 事情もしかして漏れてます?
「神託ってどういうものなんでしょう……神様からの言葉って、あるものなんですか?」
「さて、妾は聖教の神については知らん。ただあそこで神託といえば、だいたいはハーミーズあたりの囀りよ」
「聞いたことあるような……誰でしたっけ?」
「教会にある天神器、聖杖ハーミーズじゃ」
「神器聖霊ですか、なるほど。……でも神器なら、こんな事態なのにこっちの面倒を増やさなくても……」
「あやつがこちらの事情をどこまで知っているかは知らんが、仮に知っていても忖度することはあるまいよ。我らは意志あるとはいえ道具。使い手がいるなら優先すべきはそちらじゃ、作り手の都合ではない」
「今の奴は教会の聖王の神器としてやるべきと考えたことを助言するに過ぎん。オストラントの聖盾アシーナや、煌星帝国の光剣イルダーナハとて、ファスファラスや陛下より現在の使い手を優先しよう、当然じゃ」
「……ごもっともです。……というか、今更ですが、なんで意志というか、明確な心があるんですか?」
自己判断で柔軟な対応、というなら、人格があまり演算されていないという、エルシィさんの杖あたりでもそれは出来ていた。
わざわざこれだけの心を持たせる意味が、正直分かりかねる。出力も地神器より落ちるのよね?
「そうじゃなあ……強いていえば、あれよ。必殺技のためじゃ」
「はあ?」
「まあ、そういうものだと思っておけ。……昔、そう評したやつがおったのじゃ。……そんな感覚で王器、神器を作り替えられても回答しかねたのじゃがな。人は面白いものよ、演算では辿り着けぬ結論に至れる」
「……再び……? まさか、かの聖者セシェルが?」
「おそらくは。神託を受け、セシェル師の遺骨を納めた墓所を確認しましたところ、そこには何もなかったと……」
「なんと……遺骨すらも辱められておられるというのですか」
「マハー・プレータの下僕になり果てているのであれば、再生能力が桁違いになっておると見てよい。灰や骨にしても正しく処置しないと時間をかければ蘇るであろうな」
「ええ……蘇るって、その状態からも? 本来の体でもないのに?」
「本来の体のほうは正しく処置されてしまったからじゃろうな。つまりの、奴の下僕になってしまうと、普通にやっては殺すのが大変なのじゃ」
「啜られた魂の代わりに与えられる偽魂というか、そちらが本体になってしまうようでの。ジェフティなどは、それを魔神ごと送り返したはずが、どうしてかこちらに残っておったようじゃ」
「そうした折に、この僭王による叛乱。これは、関係があると見てよいと思い、調べさせたところ、かの僭王の近くには、セシェル師に風貌の似たる者がいるといいます」
「それではそやつがセシェル師を辱める魔物であると……僭王に従っているとは、まさか、僭王の奇怪な能力とは、魔物の力でありましたか。まさか魔物の王とは……?」
「それはまだ分かりません。我々は、僭王の側にいるジェフティなるものが、神託の魔物であろうと考え、そ奴を我が手にて浄化し、セシェル師の亡骸を解放するために参ったのです」
「ジェフティ! その名は聞き及んでおります。ここ半年ほど、メルキスタンにて決起前の僭王ガルザスと共にかの国にあり、側近と見られる者が、そう呼ばれていた、と、先日調べがついたところなのです」
「半年ですか……なるほど、それは初めて伺いました。思ったよりも以前から魔の者が暗躍していたようですね。神の剣なるものとして恥いるばかりにございます」
「いえ、今は過去を振り返るより、一刻も早くかの魔物たちを討ち果たすが先決。僭王を討ち果たすおり、ジェフティを見つけたならば、速やかにジュリオ殿にお伝えいたしましょう」
「ありがとうございます。できますれば、我らも皆様の戦に同行させていただき、ジェフティなるものの討伐を試みさせてはいただきたく」
「……同行されると言われましても、どのように?」
「明日、戦場となる地の入り口までは、殿下とご一緒させてください。そこから先は、我らは独自に進み、ジェフティを討伐いたします」
「こちらにも、僭王ガルザスを倒すための策があり、状況次第では、あるいは我らの攻撃にジュリオ様らを巻き込みかねない場合も考えられますが、宜しいのですか? もちろん兵にはジュリオ様らのこと周知させますが、当日の戦場では、大規模魔術や魔導聖鎧も動員する見込みなれば、万一敵方の近くにおられては、確たることは言えませぬ」
「我らのことはお構いなく。仮に巻き込まれることになろうとも、それは我らが不明に御座りますれば」
「……承知いたしました。それでは、明朝、私の元にお越しください」
「ありがとうございます。それから……この件に、かの暗黒の島の魔人が暗躍しているという噂も聞きます。ご注意なされませ」
「なんと……魔人ですか!? 僭王だけでも容易ならざるというのに……心いたします、ご忠告感謝いたします」
「ええ。皆様に神の加護があらんことを」
「ジュリオ殿のご使命が恙なく達せられること、非才の身なれど、私も祈らせていただきます」
「王女殿下の祈りなれば、きっと神も嘉したまわれましょう……それでは」
「これは分かってて言ってるやつっぽいですね……」
「分かってて釘を刺したようじゃな。それでも暗黙に見逃すあたり、頭が比較的柔らかいほうで良かったのう」
聖騎士かー、ジェフティを見逃す計画にあたり、少し問題かなあ。どうなることやら。
魔人王の騎士たちについては、バーリさんとエグザさんは、今のところ明日からの戦には参加しないようだ。
エルシィさんとイーシャさんが、姉上の護衛として近くにいることになるが、聖騎士の存在を鑑みて、とりあえずはイーシャさん(猫)だけが近くにいることになる。
エルシィさんには異能の奇襲の気配の探知に集中してもらい、それをイーシャさんや姉上と共有する、という方針になった。この町をでると、守りの結界からも外れちゃうようだしね。
出陣当日。その日は早朝から軍が動き始める。先方も既に、王都の西と北につながる街道筋に布陣をはじめており、こちらは兵力は2万以上、向こうは推定4万以上との報告。単純な人数なら負けているとのことだ。
ただし、こちらは徴用兵は少なく、ほぼ専業兵や騎士主体。実戦経験者多数で練度も高め。
向こうは、どうやら一般人にありあわせの武器を持たせた徴用兵が主体で、専業兵は1万程度。しかもその何割かは工兵や兵站担当のうえ、実戦経験ない。
そんなわけでこの兵力差で仮に正面衝突になっても勝てるとサーマック公らは豪語しているが、できるだけ正面衝突は避ける予定だ。
これでも、過去にない規模の動員なのだけどね……
うちの国は小さいあ、と思うところだ。国土全体を統合しても専業兵は5万か6万のはずだ。これが東の煌星帝国なら、五つつある方面軍の一つ一つで専業兵が10万近く、それに各地域の兵があり、集めると100万に届くのではという。
非専業まで最大動員すればさらに一桁違うかもしれない。多少盛ってるとしても多い。中央山脈なかったら、うちの国なんてあっさり属国であろう。
今回の目標は、ずばりガルザスの捕縛ないし殺害。ついでジェフティ。としているが、ジェフティについては表向きで、実際には彼はあと十日ほど見逃さねばならない。
ただ異能のことを思えば、うちの軍だとそれを分かってるエルシィさんでないとどのみち捉えきれないだろうけど、聖騎士たちがどうするかが問題よね。
敵もまたラグナディア兵が殆どであることから、軍隊での戦いはできるだけ避けたいという姉上の意向もあり、基本的には、突撃を避けゆっくりと防御を固めつつ少しずつ圧をかけていく。
殺傷力より無力化を優先して、刃物よりも鈍器や網、非殺傷型の魔術を主体に使っていく方針。捕虜は片っ端から眠らせる。操られている騎士階級を狙いうちすれば、その下の一般兵は降るはずとも期待している。
そして西方諸侯の部隊が敵本隊と交戦、時期を見て北方諸侯の部隊が側面から合流。敵本体を抑え込んでいる間に、少数部隊を遊撃に使って敵後方の退却を妨害。
ガルザスが出てくれば、あの指輪をつけた一隊……ヨーゼル殿らの率いるフェーデルの精鋭を送り込む。出てこないなら後日王宮に乗り込む、という感じだ。
問題は操られているであろう数千人。彼らは死兵になりえるうえに、元々強い人、偉い人が優先的に操られているはずだから……その人らが自爆的な、損害を省みない特攻、奇襲などを仕掛けてくると厄介だ。
その場合は無力化を諦めることも視野にいれた。全てを救うのは難しい。
そして何より敵の切り札は、ジェフティとヤーンの異能だ。それを使ってこちらの要人へ奇襲を狙うのはほぼ間違いないと考えられていた。
それをどうするかが、最後のほうまで議論になった。姉上はイーシャさんがいるにしても、他の人らはね……対策はいくつかしたが、うまくいくかは分からない。
そうこうしているうちに、軍の前方のほうで接敵が始まったようだ。
「……我らは正当なるラグナディア王国の軍にして、王都を逆賊から解放せんとするものなり。投降せよ! 逆賊、僭王ガルザスに大義はなく、しかもかの者は、邪悪な異能のもと人々の尊厳を奪い、漁色に溺れ、王都を荒廃させるばかり。正気を取り戻すのだ! 義も器も無きものに従っていてはお前たちに明日はない!」
「…………」
魔術で拡声された声がこちらにも少し聞こえてくる。前線の各所で、先方に対する説得が始まった。しかし、様子がおかしい。
ガルザスに直線操られているらしき隊長級、騎士級の兵に効かないのは仕方ないとして、一般の兵の様子もおかしかった。投降の呼びかけに無反応で、臨戦態勢を解こうとしないのだ。
しかたなく、近づくと、向こうから投石や矢の雨が放たれ始め、前線はなし崩しに戦闘へと移行した。こちらは、まずは様子をみるための小競り合いのつもりでも、向こうは最初からぶっ飛んでいた。
弓矢を一通り撃ったあとは、命とは投げ捨てるもの、とでも言わんばかりに突撃してくるのだ。無力化を狙ったやり方では出先を挫かれ、このままでは犠牲が増えるとみた解放軍は、少しいったん引いて陣形を立て直す。
突撃してきたいくらかの兵を捕まえ、確認したところ、どうやら、複数の手段が併用されているらしいことが見えてきた。
例えば、操られた宮廷魔術師や学園の教師をはじめ魔術に優れた者たちが、大規模に精神に関わる魔術をかけて回っているようだ。
恐怖と不安を取り除き、洗脳、依存させる術。あるいは、精神の動きを鈍らせる薬や、痛覚を奪う薬を投与された者もいるようだ。さらには、ライナー殿が持っていたような、精神を操る機械を使われた者なども。
そういったものを、ガルザスの手が回っていない兵に対して用いることで、軍の大勢を異常な兵に仕立て上げていた。
もちろん勢いがあるとはいえ、技量は拙い。そんな精神への操作など、永続するわけでもないだろう。しかし、相対した解放軍の兵は、言い知れぬ不気味さに浮き足立っていた。
そのうえで、向こうの工兵らが本来の仕事をしてたのか、街道ぞいの平地には、落とし穴や壕、罠などが多数仕掛けられているようだ。……いや味方まで巻き込んでるんだけど?
周知してないの? してないんだろうなあ……ひどいわ。軍とは言えない烏合の衆。言えないけど命を惜しまないのは手強い。
そうして足踏みせざるを得ない前線の前に、さらなる混乱の種が捲かれる。
「飛竜偵察隊より連絡! 中央のザインツ様の部隊から01時方向、アンゼルモス公の陣地にガルザスらしき者と旗が現れました!」
「きたかっ、よし、手筈通り…………」
「右翼、イシュハーン侯陣地にガルザスが現れました!」
「!?」
「左翼、中央軍陣地にガルザスがっ!」
「?」
「あちらにもガルザスらしき者がっ」
「……」
……………もちろん、それらは変装や幻術によるものだ。本物は出てきてないようだし、異能は再現できていない。
しかし、精神干渉の魔術を併用すること、そして、こちらの部隊にいくらか、いつの間にかサクラを送り込んでいたらしく、兵士たちを混乱させ、進軍を止める効果は出ているようだ。
なんという悪足掻き。こんなことやっても一時凌ぎなの分かってるだろうに、何をやってるんだ……。時間を稼いでいる? 今更何のために?
「小賢しい真似をする……」
「このような小細工を弄する時点で、相手は追い詰められています、それに……そうした予想も、あったではありませんか」
「まさかやってくるとは、思いませんなんだな。奴らには本当に誇りというものがないらしい」
「いっそ、私も分裂すればよろしいでしょうか?」
「それこそご冗談を」
「麗しい姫様が増えられるならばいざしらず、あのような威厳のかけらもない俗物の贋者など、鬱陶しいだけですな。まず真ん中から潰して参りましょうか、ついでにアンゼルモス公にもご挨拶申し上げよう」
槍をもってよっこらしょと立ち上がるニクラウス将軍。
「もういかれますか」
「最初にガツンときついのをお見舞いしておくべきでしょう。小細工など、我らに通じないことを示ささねば」
「それは相手が正気の場合ですな」
「狂っていては効き目が悪いと?」
「ならば、私が少し正気に戻しましょう」
「姫様?」
「オルドデウスを前に出します。例のものを」
「危のうございます、今目立たれては的に……」
「今目立たずしていつ目立ちますか? それとも、皆様はこの状況で、女一人守れないほど迂闊ですか?」
「ははは、いやあこれは手厳しい。しかし面白い、フェーデルの牝虎も、この場におられなんだこと、悔しがりましょうな」
「母に代わり我々が姫をお支えいたします、存分に」
「マーカス殿、魔術兵をお借りしますね。他の聖鎧も準備願います」
「仕方ないですな……くれぐれもお気をつけて」
オルドデウスをはじめ、魔導聖鎧たちが前にでていく。
『ラグナディアの民たちよ』
オルドデウスの右の掌に乗って、姉上が、高所から語り始める。拡声魔術にのって、それは戦場に響きわたった
『私は、王女オルフィリア・リザベルてす。あなた達は言いたいでしょう、今更何をしにきた、余りにも遅い、遅すぎると。父を無様に討たれ、妹を身替わりに災難を逃れた、何もできない小娘が、どの面を下げて帰ってきたのかと』
自らを責める怨嗟の声がそこで聞こえるかのように、言葉を紡ぐ。
『まこと、私が不甲斐ないばかりに、王を僭称する邪悪なるものたちに都の蹂躙を許し、皆に塗炭の苦しみを味あわせることになりました。かくも長く暴虐を許すことになり、本当に申し訳ありません』
目立つところに出てきた姉上めがけて、魔術で強化された矢がいくつも飛んでくる。それらを、周辺にいた魔導聖鎧の盾や、魔導師の障壁が弾く。
『しかし、それも終わります。この国には、かの異能を前にしても心折れぬ諸侯が多くあり、勇敢なる数多の戦士たちがあり、邪悪を許さぬ意志と力が残っています。彼らの助けを得て、ここに我々は反撃の用意を整え帰ってきました』
『かの暴虐の僭王に体を操られている者たちよ、聞こえますか。まもなく我らはかの僭王を討伐し、あなた達は己を取り戻すことができるでしょう。今しばらくの辛抱です。そして、かの邪悪の手によって、一時の間、心を乱されている者たちよ、今よりあなた達を救います。まず手始めに……その身を苦しめる技を消し去りましょう』
姉上が手を振ると、展印魔術の光が生じ、姉上を包んだ。
『我らはこれより邪悪に勝利します。願わくば、あなたたちにもまた、その勝利に加わらんことを!』
そして姉上はオルドデウスから飛び降りながら、呪文を唱え始める。展印の浮遊魔術の効果でゆっくりと降りてきながら、姉上はオルドデウスを起動。魔導聖鎧用の巨大な弓を構えさせた。
そこに番えられるは、これもまた巨大な矢。そして、このために姉上が先日から用意していた特注品である。法珠を複数内蔵するその矢は、当てるためでなく、貫くためでなく、ただ宝珠を遠くまで運ぶためのものだった。
……弓矢を魔術で強化する場合、矢そのものを強化したり、弓のほうを強化したりで、飛距離や貫通力を高めるのは比較的簡単だ。戦の最初はだいたいそうした矢が飛び交うものだ。今回もそうだった。
しかし、矢が飛びながら魔術効果を周辺に及ぼしたり、あるいは当たったらそこで込められた魔術が発動する、というようなものは、かなりの高等技術になる。
マクセルはそれが得意で、その中でも特に発動させるのにコツがいる『破魔矢』をよく使っている。
姉上がこの前マクセルに見てもらっていたのが、この矢を使った魔術の遠距離発動だ。しかも姉上は、自分自身でなく、オルドデウスでそれをやろうとしたのだった。
魔導聖鎧のひく弓は、およそ戦場まで持ってこれる投射武器としては最大級の射程を持つ。だが人間ほど微調整が効かないし、人形遣いが弓の名手を兼ねることもほぼないので、だいたい命中率はかなり悪い。
そのためどちらかというと、投石器の仲間扱いである。そういったものに魔術を込める意味は、普通はない。
魔術はその発動が遠距離になるほど、難易度も消費も激しい。魔導聖鎧の放つ矢の射程で術を発動できる魔導師など希少だ。
仮にそれができたとしても、矢に連動などさせずに直接打つほうが楽である。矢に発動補助の宝珠などがついていれば別だが、そんなのは、金銀で矢を作るくらいの浪費だ。
マクセルのような戦い方は、良くも悪くも人間の放てる射程だからこそだ。それだって、大人数で役割分担できる戦場では効率悪い。普通の人間はやれないし、やれてもやらないのだ。
だけどここに、普通じゃなくなってる人がいる。法外に高価な宝珠を使い捨てという馬鹿げたことをして、弓の力を、飛行魔術の代わりに遠くまで宝珠を飛ばす手段として使い、その射程でも強力な魔術を使う制御ができ、莫大な消費に耐えられる人物が。
私との融合が進んだせいか、だいたい二人分、四桁近くまで魔力指数上がっちゃった人が。それにさらに十数人の魔導師が、消費の一部を肩代わりする構成を編み上げる。
オルドデウスのつがえた矢が眩いほど発光していく。そうして、一拍の間をおいて。矢は真ん中あたりの敵軍の頭上へと放たれた。
高速で飛翔し、輝きながら、矢は強大な魔術を発動させていく。精神に関わる魔術を破却し、毒物への抵抗力を高め、心を落ち着かせ、活力を与える、『抗魔』『耐毒』『鎮静』『賦活』などの術式を、有り得ないほど広範囲にばらまきながら。
「「「…………?…………!?…………あ……ああっ……!」」」
そうして光輝く流れ星が頭上を通り抜けたそばから、敵軍がざわめき、混乱し始める。今の一撃だけで、一気に何千という兵たちが、正気に戻りかけているのだ。
「効果ありです、姫様!」
「なかなか、疲れますね、これは……。やはり矢でよかった、飛行魔術では無理だったでしょう」
「……姫様。普通なら、あんな広範囲にあれだけの魔術使ったら、疲れるどころか、発動しきれず昏倒しますよ……。いったい、どれほどの力をお持ちなのですか……? いつの間にそれほどの」
周辺の魔導師たちが、感嘆と通り越して慄いてる。さっきのような一部肩代わりの場合、主術者は最低でも半分は消費を受けもたねばならない。
その消費を体感した専門家だからこそ非常識さもわかるのだ。エルシィさんやリディアのそれと違って、理解できる範囲の非常識さなのがミソだ。
「素晴らしい……我が聖王でも、戦場にてこれほどの癒やしの力を引き出すのは難しいでしょう。今のものだけでも、何千もの人々が正気にかえられたやもしれません」
「ジュリオ殿」
「よいものを見せていただきました。それでは、我々はジェフティを探しに参ります」
「そうですか、御身に神の御加護があらんことを」
「ええ、あなた様にも神の御加護のあらんことを」
そして聖騎士の一団は本陣を離れていった。大丈夫なのかねえ……。
「見事。姫様はしばらく休まれなされませ、次はこの老体どもの仕事なれば。……さて、アルバノ殿(アンゼルモス公)にご挨拶申し上げるとしましょう。死なない程度に眠らせて参ります」
ニクラウス将軍が、200人ほどの西方警備隊の精鋭を引き連れて、槍を掲げる。警備隊としての正式装備、矢避けの力を持つ軽装鎧に兜、超跳躍の力を与える戦靴など、使い慣れた魔導具の武装に身を包んだ彼等はわが国最強の恐るべき戦士たちだ。
しかしさあ、将軍、あなた自ら出るの? 立場考えてよ、年寄りの冷水じゃない? 大丈夫?
「いくぞ!」
「「「応!」」」
落とし穴などが多いために、馬は使えない。そのため彼らは徒歩で、跳躍の力を発動させて進撃……えっ……速いわ、もう豆粒に。馬なんて最初から要らんかったのでは……。
これを皮きりに、戦が動いた。正気にかえるまでに回復した何百かの兵たちは投降し、正気に返りきらないまでも動きが鈍くなった者たちは次々に昏倒させられていく。
骨折くらいは許容しろとの勢いで殴られ実際そうなって、そこで正気に戻る者も多かった。
向こうもやられたままでなく、ガルザスに操られている傀儡たちは、混乱する徴用兵をもはや人質、肉壁扱いにしつつ、複数の魔導聖鎧などを出してきたり、宮廷魔術師たちを動員して、大規模魔術を使用しはじめた。
そう、これが懸念材料の一つだった。奪魄の傀儡たちは、通常より複数人による大規模魔術を成功させやすくなっているのだ。
元々がシューニャさんが言っていたように、皆の力を束ねるための異能であるからか、操られることで余計な感情の揺らぎがなくなるからか。
とにかく、普通なら困難な人数分の力を束ねて、通常より遥かに長い射程から、落雷を呼び起こす『雷霆招来』や、巨大な地割れを作り出して人を飲み込む『大地噛顎』など、上位の強力な攻撃魔術が放たれてくる。
予想していたとはいえ、これらによる被害はかなりのものになった。これでリディアがまだ向こうにいたら、こちらは逆に潰走していたかもしれない。
だがそれでも、アンゼルモス公と中央の偽ガルザスをやっていた魔導師がニクラウス将軍に半殺しにされて捕縛されたあたりで、だんだん解放軍側が優勢になった。
ついで、姉上が先ほどの矢を右翼、そして左翼にも放ち、さすがに力を使い果たして頭痛を覚え座り込んだあたりで、敵の右側面を北方諸侯の軍が急襲する。
その頃には向こうの宮廷魔術師たちも力が尽きかけていて、プロスター公率いる軍勢は防衛線をやすやすと突破し、相手を包囲する陣形を成立させる。
戦える人数が逆転し、そうして、その日の午後、太陽が夕日の色合いになりかけた頃に、戦自体の趨勢は決したかに見えた。
そうした、皆が勝利を意識し始めたころ。サーマック公とスタウフェン侯も、本陣から出て少し前で仕上げの指揮をし始めた頃。本陣の天幕の中で椅子に座り込んで疲労と頭痛に苦しむ姉上の、少し後方にて。
影が、そっと、動いた。
よく注意して見れば、天幕の作る影の中、ごくわずかに色の濃い部分があり、それが動いているのが見えただろう。しかし、音もなく、気配もなく動くそれに、気付いた人間はいなかった。人間は。
そして、影が音もなく、立ち上がり。鉄の筒……即ち、拳銃を構え。姉上を、撃った。
パンッ
乾いた小さな、しかし人間を殺すには十分な威力で、至近距離から放たれた弾丸は。
カンッ
やはり乾いた音をたてて方向を変えて、天幕を突き破るにとどまった。……金髪の女性が、突然影と姉上の間に割って入って、その弾丸を手甲で弾いたのだ。
「!?」
「姫様!?」
影が少し色を取り戻し……黒衣の男がはっきりと見えるようになる。音で襲撃に気がついたマクセルやアンセム、アモイらは一瞬で駆けつけた。
「姫様、大丈夫ですか!」
「ええ」
男は後ろに飛び退りつつ銃を構え、金髪の女性と相対する。
「貴様は……」
「【潜影】のことは分かっております。ファスファラスにも使い手はおりますのよ」
「なぜそれを」
「リディアさんから伺いました。影に潜む異能をお持ちだと」
「リディアだと、あいつには自白できないように……」
「記憶破壊の暗示と脳への施術なら解きましたわ、あなた方は嫌らしいことをなされますね」
そんなもんもされてたんだ!? リディア……エルシィさんが相手で良かったね、ほんと。そうして、金髪の女性は場違いに優雅に一礼する。
「わたくしは、イーシャ・マシバ・クロウヤードと申します。お見知りおきくださいませ、ヤーン殿」
「マシバ……! あいつの一族かっ、時を経てなお俺たちに祟りやがって……!」
「さて、時を経てとはどういうことですの? 詳しくお聞かせ願えますか?」
「……くそがっ」
ヤーンの姿がかき消える。再び影に潜ったか。
女性が片手を軽く振ると、何かの術が起動したのか、どこかで小さく苦悶の声がしたが、仕留めるには至らず、逃げおおせたようだ。
「消えた…」
「話に聞いた影に消える力……速いな、これは恐ろしい……」
ほんとにもう。敵の攻撃を誘うために敢えて警備を少なめにしていたんでしよま? 分かってる襲撃に出遅れるのはどうなのさ。
マクセルたちには、影から出てくるのも消えるのも予想以上の速さだったようだ。しっかりしなさい、エルシィさん達頼りはよくないよ。
「申し訳ありません、我々は遅れました……」
「それなりに痛めつけましたので、しばらくは襲ってこないでしょう。オルフィリア王、大丈夫ですか?」
「私は大丈夫です。ありがとうございます」
「ええと、今あなたは、どこから………?」
「そ、それより、さ、さきほど、マシバ、クロウヤードと、言われました?」
「はい」
「……………まさか、本家の? し、しかも、マシバのほうも?」
「はい」
「……………」
口からなんか出てる気がする。また漏らしたりしないでよアンセム。声にならずあわあわしているアンセムを放って話は進む。
「あなたはエルシィさんの呼んだ増援なのですか? いつの間に、ここに来られたのですか」
「ここしばらくは普段から王の側におりましたのよ?」
「は?」
どろんっ
『このように』
猫の姿に戻る。
「「「……!?……!?……」」」
あわあわしてる人数が増えた。
「お、オルフィリア様は、このことは……」
「はい。了解しておりました。先ほどの場合のような時のための護衛として、お守りいただいていたのです」
「……そういうことだったのですね……」
『この姿のほうが、力の消費が少ないものですから』
「どういう意味なんてすか?」
「今のあやつは、本来の意味での肉体をもっておらん。人身にしろ猫にしろ、エルシィの力で再現された魔術生物状態なのよ。だから生前と逆で変化した猫の姿のほうが消費が少ないという状態になっておる。まあ僅かな差でしかないが」
「よくわからないですが、ややこしい状態だったんですね」
「さきほどの、マシバ、というのは?」
『マシバ家はファスファラス魔大公八家の一つ。無駄に歴史だけはある一族ですわ。先ほどの男も、我が先祖と何か因縁があったのやもしれませんわね。そこのアンセム様の家も、大元を辿ればマシバの一門ですの。ファスファラスを出た時点で、相当薄まった血にはなっていたのですが……それでもそこからリディアのようなものが生まれる。血とは油断ならないものですわ』
「……純血の魔人、ですか?」
『そうなりますね』
「……猫に変じる一族なのですか?」
『これは一族でなく私個人の能力ですの、お気になさらないでくださいまし』
「は、はい……」
「遅かったね、もう少し早く来ると思ったものだが」
離れたところにいたエルシィさんが、天幕に戻ってきていた。
『エルシィ、見えましたの?』
「あら、正体までばらしたのかい?」
『ええ、もう黙っているのも退屈でしたの。それで、見えましたの?』
「ああ。本人と、経路は見えた。ある程度は邪魔してきたが、閉ざすのは無理だった。よく用意してある。あいつも一応は円卓、さすがに力の使い方はうまいうえに、外つ神の力の一部に加え、聖者の神聖術まで使えるのは、正直面倒だ」
エルシィさんが、少し忌々しいという感じで答える。珍しいかも。
「経路が見えたとは?」
「ジェフティは、この地に術式と本人の異能による陣を前もって構築していた。その陣によって開かれた、異界の魔神に繋がる経路だよ」
「!!」
「あいつはどうやら、戦いが始まってから時間を稼いでるうちに陣を完成させて、ここの敵味方を巻き込んで、戦死者を魔神への生け贄にしようとしていたのさ。午前中、ジェフティとヤーンはその陣を閉じる作業をやってたんだ」
「ここで魔神を召喚するつもりだと!?」
「いや。召喚自体はまだできないだろう。ただ、召喚のためには、その前に魔神を向こうの世界で起こすための贄がそれなりにあると望ましい。それがあると、召喚時に……そうだね、強いていえば魔神がいきなり起こされて不機嫌なまま出てくる、ということがなくなる、といったところか……」
魔神でもいきなり起こされるのは嫌か。……そりゃそうか。
「ただあんたたちが比較的うまくやったものだから、今の所犠牲者は少ない。こっちを今狙ったのは、もう少し混乱と犠牲が欲しかったんだろう。これがうまくいかなかったからには、他の要人を狙うか、残る傀儡たちに命じてお互いに殺し合いさせるか、あるいは自ら何かやるか……なんだが、問題は」
「問題は?」
「……さっきから、向こうで、ジェフティと聖騎士がやりあってるんだよ。……見てみるかい?」
――――――――――――――――――――――――――――
また画面の板の中から画面の板に映された映像を見る状態になった。
戦場になっているところから、少し外れた森の近く。そこで、ジェフティに対し、聖騎士たちが対峙していた。
ジェフティの周りには、奇妙な複数の、幽霊のような、半透明の白い靄のようなものがいくつか浮いている。
そしてそれらを取り囲む聖騎士の部下の聖戦士たちのうち、半分は既に倒れていた。一見血は見えず、息があるのかどうかは分からない。
「ジェフティを見つけていたのか…どうやって」
「神聖術だろうね。教会には、高位聖職者の身体に施された祝福を目印にする術があるんだ。近くまできたから精度が上がったんだろう」
「……魔物め、奇妙な術を……!」
「魔物か。何が魔か、何が聖か……かつては私も君たちに近い理解をしていた気がする。もう遠い昔のことだ」
「心を魔に食らわれた者が、囀るな」
「だが、これだけは言える。我が神はおられる。今も私に力を貸してくださる。そして君たちの神は、仮に天にいたとしても……此界にはいない」
「神は常に我らを見守り下さる。魔の使徒め……我が友の亡骸を辱める貴様も、貴様が仕えるような者にも、大義などありはしない」
「人に分かる大義など、真理の前では儚いものだ……世界は幼き人類にとって絶望に満ちている。貴様らの神は、その絶望を欺瞞で覆い隠すもの。人類には真の神による真の救済が必要なのだ。ゆけ、我が同志たちよ」
半透明の靄が広がり辺り一面を覆う。
「ぐああっ」
「わ、我が身に届く…がっ」
靄を剣や盾で切り払う、あるいは神聖術で耐えようとした戦士たちが、靄を一瞬でも吸い込んでしまうと駄目だったようだ。次々に倒れていく。
それを察し、口を抑えながら盾で靄を払って飛び退いたジュリオだけが無事だった。
「皆よ…! ここまでとは……。だが…!」
一人残った聖騎士は、それでも闘志を失わない。まさに聖なる騎士とはかくあれかしという姿をもって、魔神の使徒に立ち向かう。
「我が神のほかに神なし『聖誓』」
「我が身に届く魔無し『聖纏』」
神聖術の発動のための呪文、宣誓が呟かれる。
「我が剣に切れぬ魔無し『聖斬』」
ジュリオの体と剣が、輝く光を纏う。
「魔よ、滅せよ。地上に貴様等の在るべき所無し!」
対するジェフティも呪文……あ、これも神聖術だ。
「……我が神に阻めぬ力無し『聖壁』」
しかし障壁が完成する直前に、ジュリオの振るう剣から、光輝く斬撃が飛ぶ。それらは半透明の靄に触れたとたん、靄はまさに霧散した。
「むうっ…!」
「我が足を阻む障り無し『聖脚』」
おおっ、速い、速度だけならうちの西方警備隊以上かも。
「我が技に破れぬ悪無し『聖破』」
「……我が身に届く剣無し『聖鎧』」
「我が令に抗う身無し『聖縛』」
「……我が心に届く呪無し『聖兜』」
お互いに神聖術を用いた、魔戦技……いや聖戦技かもしれないが、攻撃と防御を繰り返す。
神聖術の効果ではジェフティが優位のようだが、基礎的な体術、そして術の発動速度で、ジュリオが上回っていた。そのため、しばらくするとジュリオのほうが優勢になり……。
……やがて、ジュリオの剣が、ジェフティを袈裟斬りに切り捨てた! ええっ!?
「がっ…はっ」
「友よ、本来の貴様なら私の剣は届かなかった……やはり魔物では人の研鑽を奪うことなどできない」
明らかに致命傷を負い、血塗れになって倒れたジェフティが呻く。
「おお……ありが、とう、とも、よ…」
「セシェル!」
ジェフティを抱きかかえるジュリオ。その彼に向かって、ジェフティ(?)が語りかける。
「すま、ない……じゅ……り」
「いい、いいのだ、セシェル。全ては邪悪な魔のため。せめて安らかに……」
「神の御元へいきたまえ」
「! ……なっ!?」
ばたり、と今度はジュリオのほうが倒れ、動かなくなる。そしてジェフティが立ち上がり、凄い勢いで、傷が再生していく。
その一方で、聖騎士の体は急速に老いていくように見えた。あの時のリディアのように。
「なんと卑劣な……!」
『【強欲】の……『Steal physical sensation』…さらに『Drain touch』…やっぱり、生来の【双界】だけでなく、魔神の力も付与されていますのね』
「ガルザスの奪魄を見続けてきただろうから、あれに近い力は使い方を学んだ可能性があるね」
「……ガルザスの力とは違うのですか?」
「近いが違う。ガルザスと違って操ることはできないし、見たところ、触っていないとできないようだが……他にも力を隠しているだろう」
全員倒れ付した聖騎士たちを眺めながら、ジェフティが言う。
「仕上げのために解放軍とやらから良さそうな者を何人か調達するつもりだったが、ある意味手間が省けたな……」
「……う……」
「ガルザスの力にやられていては、よい素体にならぬ。健全な魄と肉がなくてはならん。その点、貴様たちならちょうどいい」
「………そ………」
「受肉せよ、我が同志、神の僕たちよ」
一度は斬られ、かき消えていた半透明のなにかたちが、再び現れる。そしてそれぞれ聖騎士や戦士たちに覆い被さって……。
「……ごがああはああっ!?」
「やめっやめらああああああ!」
「かみよ! なぜっかみよおおおおおたす……」
「セシェるおああああああああっ!!」
気絶していたものも目覚めて絶叫しその場で激しく痙攣する…………完全に半透明のものが入りこんだところで、悲鳴と痙攣が途絶えた。
そして。ああ。私には見える。見えてしまう、彼らの体から、彼ら本来の魂が、抜けていって……ジェフティの持っていた杖の宝石に吸い込まれていったのを。
……あの宝石は、レブロン伯がもっていたものに似ている。生け贄の魂を……向こうに送るためのものか……。
しばらくして、彼らの肉体は、ぐにゃぐにゃとうごめき、膨張し、変容していって……やがて。
例えば、直立する魚に手足が生えたような人型の怪物…
例えば、頭部が鮹のような触手を持ったものに変容した怪物…
例えば、見るも悍ましい、歯を剥いた縦型の口を備えた緑色の肌の怪物…
聖騎士たちの体だったものは、見たこともない悪夢の産物のような何者かに変容していった……。
「よくぞ来られた、同志たちよ。今は仮初めの一時の現界に過ぎないが、多少の時間はある。この地の生命が我が神の目覚めの一助となるよう、できるだけ多くを神の御元に送ってやって欲しい」
怪物たちは、返事と思わしき奇怪な音をたて、そして、散っていった。
「……今の彼ら程度なら人でも退けうるだろう。だが無意味だ。受けいれよ……そのほうが苦痛なく、幸福なのだ。所詮人では我が神そのものには決して勝てはしないのだから」
――――――――――――――――――――――――――――
「「「…………」」」
沈黙が重い。しかし沈黙している場合ではなかった。
『面倒なことになりましたわね……』
「……あれは……魔神の僕なのですか……」
「……そうなんだろうね、作り出した経路を通して、向こうの霊を呼んで、生け贄に受肉させたんだ」
「……かの怪物どもの行方を速く探さねば……仮初めの一時とは言いましたが、それがどの程度かわかりません」
エルシィさんが呟いた。
「……私らは、あんたの護衛が優先だ」
「……ええ」
そうでしょうね。むしろ生け贄が必要な立場だもの。腹立たしいが、仕方がない。姉上は、奥歯を噛み締めてから、命を下す。
「……マクセル殿、諸侯に連絡を。聖騎士殿たちより連絡があったとしてください、これよりジェフティを発見し交戦する、なお奇怪な魔物を何体か奴は呼び出しているようだ、と。……そして連絡は、途絶えたと」
「……了解しました」
「対応のため武装の換装も指示してください、殺傷能力ある武装を、早く!」
しばらくして。
黄昏色の夕日のさす戦場で、奇怪な怪物が複数確認された。
それらは例外なく誰も見たことのない異形であり、人間と大差ない大きさにも関わらず、凄まじい膂力と、刃のほぼ通らぬ体を持ち……敵味方を問わず人間を見つけては襲いかかってきた。
後からの見積もりでは、一体一体が小型の竜に匹敵する強さがあったという結論になった。小型であっても竜は、本来十数人以上で対応装備を整えてから挑み、それでもなお犠牲者が出るような魔物だ。即ち、今回の魔物たちは常人が1対1で勝てる相手ではなかった。
そうして、ある者たちは、枯れ木のように怪物に命を刈り取られた。ある者たちは、決死の戦いで、何十もの犠牲を経て、打ち倒した。中には、魔導聖鎧にて相対し、ほぼ相打ちとなった例もあった。
……魔物の数は確認された限りでは11。その数は、その夜のうちに、多大な犠牲を出したものの、倒すことができたが、他にいるのかどうかは分からず。
倒した魔物の身体はしばらくすると灰となって消えてしまい、何も残らなかった。
その日の晩は、生き残った皆は、魔の恐怖に怯えながら、眠れぬ警戒の夜を過ごした。全容が明らかになったのは明朝になってから。
戦そのものは、解放軍が勝利した。僭王軍のうち、徴用兵の生き残りは殆ど投降した。傀儡となっているものたちも、戦場に来ていた主要貴族、宮廷魔術師など、生き残っていたものは捕縛され。
僭王軍は、たった一度の戦いで、事実上軍としての機能を喪失した。
戦による戦死者はおよそ1500弱程度、負傷者はその数倍。その多くは、大規模魔術に巻き込まれた者と、肉壁にされた徴用兵だ。
そして……黄昏の魔物による死者が、それとほぼ同数に及んだ。たかだか11体の魔物が、その100倍以上の人数を殺したのだ。また、魔導聖鎧アルマランスが大破し、戦闘に使用できなくなった。
魔物による死者には、聖騎士たちはもとより……多数の正規兵、騎士も含まれていた。その中には、先日共に旅をした騎士のダリスや、そして………ニクラウス将軍らの名もあった……。
「……我が隊は、同時に二体の魔物と戦うことになり、我々が魚の如き魔物に手間取っている間に、将軍は……奇怪な、口が縦に割けた魔物と、相打ちになられ……」
「…………」
特にニクラウス将軍の死は痛い。痛すぎる。
単純な技量などでは、将軍に伍する、あるいは上回る力を持つ戦士も、少ないながらまだいる。
フェーデル家のウェイシンやガリバルディなどもそうだし、今も西方国境に残っている警備隊の副隊長も、同等の力があったはずだ。
しかし、戦士としてよりも、経験と戦場を指揮する将としては、替えが効かない……。それに、今後の戦後処理で、物凄い火種になるぞこれ。やっぱり最初から、せめて戦そのものの趨勢が決まった時点から、前線に出ないで欲しかった……。
「……英雄たちに、敬礼を。彼らの魂の安らかならんことを」
生き残った全員が、頭を垂れ、死者たちの魂の平穏を祈る。
……例え、彼らの魂が向こうに連れ去られてしまっていたとしても。それを知っているものでも、祈りを捧げずにはいられない。
「………姫様。将軍を始め、この戦と、魔物によって倒れた命に、報いねばなりません。もはや、王都まで我らを遮るものなく。一刻も早く、ガルザスめを打ち倒し、そしてこの、魔物を操ったものの目論見を止めなくては」
「左様。今は留まる時ではございませぬ」
「分かっています、マーカス殿、バーランド殿……。急ぎ、諸侯を召集してください。軍を分け、片方は王都に急行しましょう。片方は捕虜たちの管理と、そして犠牲者の弔いを」
「了解しました」
「ガルザスは、やはり王宮から動いていませんか」
「そのようです」
「……ガルザスは、自身こそが魔物の傀儡なのでしょう。王などでなく、魔物どもが、生け贄を得るためにその異能を利用していたのでしょうね」
「あのような悍ましい魔物など、初めてみました。将軍や、聖騎士すら犠牲になるとは……。ジェフティなるものは、一体何者なのか……」
「ともかく、急ぎましょう、アルバノ殿らもいつまでも傀儡となって呆けているべきでない、さっさと正気に戻し、この国難に全力を尽くしてもらわねば」
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