第二十一話 ご先祖様の熱血指導(物理)
『来なすったよ、一人だ』
「予測の中にはありましたが、まだ作りかけの砦にいるときに、単身とは……舐められていますね」
「だが、実際我々はこれまで奴に対してまともに戦えていない。それにあれほどの力があるなら、下手な味方はむしろ邪魔なのだろう」
『南西、距離700マール(約500m) 南の関の前で馬から下りたようだね』
「関の兵に退避指示を。それでは、私達が出ます。南の門外のほうに向かいますので、皆は手筈通りに」
姉上、エルシィさん、マクセル、アンセムに、ミルトン家からついてきた騎士のアモイ、この五人が主力となってリディアにあたり、他の人達は退避を始める。
門に向かっている途中、南の関のある辺りで大きな音がして、その上空にかつて関だったと思われる木片が盛大に飛んだ。隠す気ないのね。もう私達相手に示威なんてしても意味ないし、素でああなのだろう。
そうして街道を逃げてくる兵士たちを後ろから悠然と追いかけてきたリディアが、門の前にいる姉上たちに気がついた。
「 逃げずにお出迎えとはな」
「今度は砦が燃えるようでは困りますから」
「本人か……どうやってあれから逃げ延びた?」
「さて。どうでしょう? うまく痕跡を消して頂きありがとうございます」
「……そうだな、今回は死体を確認してからにするよ」
結局燃やすんですか、そういやミルトンの屋敷も燃えてましたね、放火魔ですか。
「そのつもりなら、ここであなたを止めねばなりませんね」
「はあ? 止める? 舐められたもんだな……これでもそんな口が叩けるか?」
見せつけるかのように魔剣を掲げると剣が赤熱し、突然枝のような曲がった突起がいくつか生えて。
『地神器・都牟刈大刀・定常駆動・構成『七支炎刀』』
そのまま剣を振るうと、風刃‥‥それも炎のような揺らめく緋色に光る風刃が、同時に七つ発生し、こちらの全員に向かって来る!
普通の風刃と違って目で見えるのはいいが、威力は明らかに大きそう。しかも複数が同時だ。防御魔術を唱える姉上たちだが、当然間に合わない。しかし、その前に立つエルシィさんが朱塗りの杖を振るうと……緋色の刃たちはかき消えた。
「…そうか、前に何かやったのはてめえかババア!」
「そうさ。来い、小娘。一つ戦い方というものを教授してやろう」
なおその間に姉上たちの防御魔術は周辺の門や木々などに向かって無事発動。火事になったら困るからね。元々自分でなく周りを守るためだったのだ。
「ちょっとできるからといって、偉そうにするんじゃねえーー死ねよ」
そうして前にでたエルシィさんに左手を翳し無詠唱魔術を連続発動させた。普通の魔術の常識では有り得ない速度で多数の魔法陣が現れ……全てが発動するまで、1セグ(1.5秒)あったかどうか。
見てわかったものだけでも……『閃光』『土壁』『沈黙』『硬化』『雷網』『剣山』『石槍』『脱水』『灼熱』『火葬』……。まだあるかも。
多数の魔術が次々に発動しエルシィさんを襲う。まず閃光で目を眩ませ、全方位を土壁で覆って逃げ場を無くし、壁の中の音を消して魔術を封じ、硬化にて土と壁を強化し、麻痺をもたらす雷網で空間を埋め、剣山で下から無数の杭を生やして全方位で逃走を封じる。
そして上から無数の石槍を打ち込みつつ、脱水にて体や衣類の水分を奪って燃えやすくして、灼熱で先ほどの石槍を加熱。焼ける槍に縫い止められた相手を高熱の炎にて火葬する……。
殺意に満ちてる。万象の魔眼持ちが無詠唱で使えるという第三段階以下の術を組み合わせ、それぞれ別の対処が必要な魔術を複数、それも私の常識からすると対応不可能な速さと強度で放っている。
しばらくして土壁が内部の熱に耐えかねて崩れ始めたところで、リディアは哄笑し始めた。
「はは、どうだ地獄の釜の味は? じっくり味わへあがっ!?」
突然リディアが回転しながら吹っ飛んでいった。剣を持ったままの人体が縦に回転して飛ぶ様はどこか喜劇のようで……いや剣を離さないのある意味凄いけどさ。
数回転で倒れて呻きながら身を起こした彼女が見たものは、崩れて赤熱した壁の向こうから、よっこらしょと出てくるエルシィさん。全然効いていない
「なん……だと……」
「何が地獄の釜だか。理論でも実戦でも経験の少ないやつが考えそうな構成だよ。その程度の研鑽でよくもまあ、魔女の再来などと嘯けるものだ」
「どうやって防ぎきったんでしょう。霊威ですか?」
「あの小娘は全く気づいておらんが、『読心』によってあやつの思考はダダ漏れじゃ。何が来るか分かっていれば対処はしやすい、さっき程度の威力と構成なら霊威までは要らん」
「読心って、あれ抵抗しやすい部類の術ですし、あの魔眼もちに効くんですか? それにほんと目前にいないと使えないのでは」
「魔力指数が桁違いだからの、小娘のほうがそれを警戒しない限り受動防御では守りきれん。距離のほうは、ここは既にエルシィが予め張った結界のうちじゃからな、まあ目的は本来別じゃが……それによって結界の範囲内ならどこだろうとあやつの思考が読める」
その結界の作り方だけでも学園の教授達とか目の色変えそうですね、うちの国にとっては未来技術過ぎる。
「それでも、分かっていてもあれだけ多くの術を繋げて効いていないというのも凄いですね」
「それは小娘が未熟なゆえよ。先程の術は、一見起こっている現象は違うため、それぞれ違う対処が必要と考えてしまうのかもしれんが…… 所詮はどれも物理量を弄くる物理干渉門内の術でしかない」
「魔術起動の原理から見ると、あれらは同門の術であり、対処法は比較的単純なもので済む。これがそこを理解している魔導師であれば、心理干渉、時空干渉、魂魄干渉、情報干渉など、根源門の異なる構成を混ぜて別個の対抗式を必要とするようにし、しかも罠もかける」
まず根源門とかいう概念を聞いたことが……奪魄の説明のときにちらっと出てきたっけ? 忘れた。うちの国を含めて北方大陸西方では、魔術はまず地、水、火、風、光、雷、それに物体、生体、精神、付与、召喚などだいたい16くらいの属性で分類されている。
さっきのリディアの術は、少なくとも地水火風光雷に付与の七属性。別々の対処が必要……のはずだ。しかし、実はこれら同じ分野であると? 大元では共通要素があって、一括で防御する手段があるということなんですか?
聞いたことないわ。うちの国が遅れてるのか、向こうの魔術が進み過ぎてるのか……。
「罠というと」
「例えば構成を隠蔽する術を混ぜ防御の優先順位を誤認させるようにする、防御術に対して逆干渉する反撃の構成を入れる、一見防ぎ易い構成を混ぜ、それを防いだことで却って別の引き金を引く、などじゃ。高位魔人はそれくらいは普通にやる」
「刻紋とか呪符とかの時間かけた魔術や固定魔法陣、魔法回路でなら分かります、むしろそういうものかと。しかし速度が必要な即興の戦闘での魔術でそんなのができないのは未熟と言われても、人間にはなかなか難しいですよ」
「普通の人間でなら仕方がないというのも一理あろう。だが、万象の魔眼持ちで既に成人しているなら、それは甘え。呪文も無しに大半の術を発動できる利点をろくに生かせないようでは……」
「高位魔人に当代の万象の魔眼の持ち主が斯様な未熟者とばれてみよ、相手によっては死ぬより悲惨なことになりかねんぞ」
「どういうことですか?」
「『魔眼』は移植できる。そしてもとの本人が生きてさえいれば起動できる。高位の魔眼を持って生まれたが、己の身を守る力を持たぬものが、誘拐され、目を抉られ、死なないように封印され、久遠の静闇に発狂してなお死ねず、という事件は稀ではあるが複数の例が世に知られる程度には発生しておる。おそらく公になっていない被害者もいるであろう」
ひえええええ……。
「くそが……ぶった切ってやるよおっ!」
『地神器・都牟刈大刀・励起駆動・構成『天叢雲剣』』
力押しに走ったか。振りかぶった剣が渦巻く暴風を纏い、そして振り下ろされる。微かに白煙のような雲を帯びてみえる衝撃波は幅だけでも10マール(約7m)、高さは砦の見張り塔より高く、見上げるほどに巨大で、しかも速く……。
本来ならば砦ごと粉砕する一撃であったのだろう。 姉上たちだけなら対抗する手段もない。例え魔導聖鎧でも避けることさえできず破壊されるだけ。だが、その目の前にいる老婆と朱杖は尋常のものではなかった。
『天王器・ナーガールジュナ・励起駆動・構成『一切無常』』
朱色の杖がぐるりと回ると、押し寄せていた暴威が消え去った。
「なに…!?」
「素直過ぎだ」
『天王器・ナーガールジュナ・定常駆動・構成『易行水道』』
杖がさらに回って、あっ、上に投げられてくるくる……と、それにリディアが気を取られた次の瞬間、エルシィさんの姿はリディアの横にあった。速っ。そのまま横っ腹に掌底がまともに入った。
「ごっ…」
しかも掌がバチっといって、リディアの髪が少し逆立つ……雷撃魔術『紫電掌』か。打撃と同時に相手に雷撃を撃ち込んで麻痺させる技だ。
しかし詠唱時間それなりのくせに、射程距離ゼロ、発動時間極小と非常に使い勝手が悪く、麻痺技なのに既に動きの止まったやつにしか当たらないハズレの術とされている、のだけど。達人なら実戦で使えるのね…。
普通などこれだけで昏倒する一撃のはずだけど……くらってリディアの体が少し浮きかけたところに、エルシィさんはさらに前進しつつ強烈な肘うちをリディアの鳩尾にいれ、動きの止まった足を刈りつつ背中から体当たり。
そしてリディアの体が下に吹っ飛び、地面に落ちかけた……ところに。
『天王器・ナーガールジュナ・定常駆動・構成『難行陸路』』
遠距離から魔杖によるものらしき追撃が入り、地面が盛り上がって石の杭が現れ、リディアの後頭部や背中を下から強打。ドガンッ! ……ひええ。
直後に身を翻したエルシィさんの裏拳が上からリディアの額に決まって、そのまま後頭部を杭にもう一度叩きつけ、杭がさらに一瞬下がってもう一度跳ね上がって……今度は後ろから首と背中を強打され、強制的に立ち上がらされたリディアの脳天に、
エルシィさんが一回転してのかかと落としが決まって、首が後ろに曲がってえぐい音をたてる。しかも今の一撃にも何か知らない魔術が乗ってたぞ、回転しながら唱えたのか。魔法陣がリディアの頭上に広がってたけど。
リディアはそのまま横に倒れて……死んだ。と思った。少なくとも常人なら死ぬ。しかし彼女はすぐに体を跳ね上げて身を起こして身構えた。えええ……!?
「不意をうたれようと、反射的に防御魔術が起動しておるのよ。これだから万象の魔眼持ち相手は面倒くさいのよな」
「呪文無しに適切な魔術が間に合ってるんですか、ほんとに反則ですね……」
「肉体的打撃に対しては万象の魔眼の受動防御は強固じゃ。だから最後は呪詛を撃ち込んでおる。今のだと効果は知覚、時間感覚の低下じゃが、あれだけやられた後じゃと、本人は打撃による影響と思ってしまい見破りにくいであろう」
「万象に限らず魔眼持ちの術の発動は魔術にしては速いからの。相手を圧倒できる力がないなら、まず相手の速さと精度を落とすことが重要になる」
魔人基準の戦いはえぐいわー……敵じゃなくて良かったわ……。 魔杖はくるくる回りながら、ちょうどエルシィさんのところまで戻ってきて……。
『告。変換飽和マデ残四割一分』
「分かっているよ。この間もそれで壊れたばかりだからね、繰り返さんさ」
魔杖の声が聞こえるが、ホノカさんと違って、人間らしさが薄い感じがする。
「天王器は妾たちほど人格形成に性能を割いておらんからの。しかし、変換するなら別のにして貰いたい、妾にとっては煩くてかなわん」
「どういうことですか?」
「先刻の暴風を消したように見える技は、対象のありようを別のものにするというものでな。本当に消しさったわけでなく、人間が認識できない形態にしただけじゃ。先刻は人間には分からずとも妾たちにはわかる形態に変換したゆえ、それを煩いと表現したのじゃ」
さすがに無傷とはいかず痛みもあるのか、リディアは鼻血を流し、顔をしかめながらも魔剣をふるって衝撃波を作りだしつつ、間合いを取ろうとする。だが、衝撃波はエルシィさんに触れる直前で霧散し、再び間合いが詰まる。
「これならっ」
『地神器・都牟刈大刀・励起駆動・構成『八俣大蛇』』
八つの竜巻が、エルシィさんでなく姉上の近くに発生……したのだが、エルシィさんは構わず。
「なっ、おまえ、見捨て……」
うん。だってそこにいる姉上たち、姉上が作った幻影だし。本物はとっくに、かなりズレた所に隠れてるんだよ。無駄に大地を削る竜巻たち……力がもったいないなあ……。
なお姉上視点からだと二人の戦いが少し遠いので、ホノカさんには別の視点も用意してもらっている。リディアは慌てて剣の風刃と、さらに石槍の魔術を乱射するが……。
「ツムガリの場合、衝撃波や暴風という形態の流体制御と、空気や水を一瞬だけ圧縮し固体として風に乗せることで破壊力を増す、という2つの操作が基本、そこを理解しておれば、対処しやすい。威力と速さはあってもその辺の柔軟性のなさが地器の限界じゃな」
「いや普通の人はそんな対処できませんってば、仮に分かっていてもあんなの間に合いませんよ」
『天王器・ナーガールジュナ・定常駆動・構成『乾闥婆城』』
風刃も魔術も無効化され、そうして距離を詰められる。石槍もあれだけ大量で、複数の方向から押し寄せてて、かつ風刃のために軌道が不安定になっているなど、避けるのなんて至難だと思うのだけど、まともに当たらないのよね……何かの防御魔術? どうやってるのやら。
「幻覚、幻像に確率操作を併用する防御術式じゃ。今回は杖の能力でやっておるが、本来のエルシィなら自力でできる。あれを使われると、魔人でも攻撃を当てるのに苦労する。普通の魔術は、何も指定しないと使い手が認識したものを優先して追尾するようになっておるから、使い手の認識をほんの僅かでもずらされると、的に向かうようで向かわぬようになる」
私たちの常識では、魔術とは、避けなければ当たるものであり、かけたいものに対して掛けられるものだ。つまり静止物には必中であり、動いているものでも、術者が視認している限りはだいたい当てられる。
その辺が静止物に当てるにも訓練が必要な弓矢や投槍、投石などに対する、攻撃魔術の優位性だ。そのかわり有効射程が短め。普通なら。
そして魔術から逃げるには、相手が見失う速さで避けるとか、遮蔽物を利用するなど視界を邪魔したり、そして魔術による障壁などが使われる。だけど、エルシィさんのそれは、より高度だ。速さは速いが見失うほどでなく、遮蔽物は特に見えないのに、当たらない。
「魔術の追尾の理屈を理解していないと状況は理解できまいし、分かっていてさえ対処できる者は限られる。それに確率操作まで加わると、傍目からは何故当たらないのかが理解できん状況が発生する。それが今のアレじゃ」
「かくりつそうさというのが何なのか分からないですが……とりあえず、障壁や暗幕、超加速とかと違って、一見では魔術での防御に見えないのが初見殺しですね」
位置を誤認させ、そしてほんの僅かだけ、当たらないように誘導し、体術を駆使して魔術で守ってるようには見せないやり方。
しかも杖が術を発動する瞬間の魔法陣の発生は、その時だけリディアの方向からは自分の体を影にして隠してたようだ。
まさに、先ほど宣言したように戦い方を教授してるんだけど、リディアの疑問と焦りが浮かぶ形相を見ると気づいてそうにない。
「まあ、この手の防御は高位魔人にとっては、巧拙は別として珍しくはない」
「魔人の皆さんって、肉体能力も魔術も強いのに、技術まで磨いてるんですね……」
「それが必要な戦いが、向こうでは時折発生するのじゃ。竜を含む上位魔獣や、相手の肉体や能力を複写して顕現する幻妖といった連中が時折大発生する、冥穴という穴があっての。技術を磨いておらんと自分の複製なだけに勝てんのじゃ」
「幻妖の中でも幻聖と呼ばれる個体になると、たんなる複写でなく強化して複写するから、元が強いやつが相手すると阿鼻叫喚じゃ。あれらも外つ神ほどではないが脅威じゃの。ま、こっちの大陸の人間にはほぼ関係ない」
……魔の国はやはり修羅の国だったようです。
エルシィさんが直前まで来ると、リディアは障壁を張りつつ石槍を爆炎に切り替えて燃やそうとしたが、杖が振られると炎と障壁が消えた。読心で完全に読まれて対策されてるのね。
あわてて剣で杖の突きを受け止めようとするが、リディアの武術はヤーナルよりも数段落ちるようだ。あるいはさっきの呪詛による自覚できない能力低下もあるのかも。
魔術で加速はしているようだが、それでも近接戦では相手にならない。受けきれず、今度は杖で足を強打され、なんとか耐えて後ろへ逃げようとしたが、途中で何故か動きが鈍る。
『天王器・ナーガールジュナ・励起駆動・構成『如実知見』』
杖が何かした…‥ああ、加速魔術を消したのかな? 体勢を崩したところに今度は拳が下から顎に綺麗に入って首がかくんと仰け反りつつ、体が上に跳び上がった……そこにエルシィさんの蹴りがまた顎に決まって吹っ飛ぶ。
しかも今のにも何か魔術が乗ってたぞ。くるくると錐揉み状に回転しながら飛んでいく様は、本人が白目剥いてることを除けばまるで舞踊のようだった。それも剣をもったままで………さっきも見たなこれ。
ああ、これ魔術か。手から離れない様にしてたのね。自分が盗んだ立場だからこそ、相手に奪われるのをそれだけ警戒してたのだろう。あっ、歯が折れて飛んでってたわ、痛そう……。
リディアはそのままぶっ倒れて、今度こそ昏倒かと思ったら、すぐに復活して剣を杖にして立ち上がる、治癒術? あの状態でできるのか、凄い。
そして膝がまだ笑ってるのにそれでもなお反撃しようと剣を構え……根性も凄い。さらに爆炎がリディアの周辺全体に巻き起こる。『炎嵐』、通常の爆炎よりさらに範囲の広い術だが……あれ、いない?
『天王器・ナーガールジュナ・定常駆動・構成『潜身隠行』』
「ちく、しょう……どこに……」
姿隠しの技か。どうやらエルシィさんの杖は攻撃より補助能力に秀でた珠宝具であるようだ。しかも意志をもち、本人の攻撃に合わせて補助を阿吽の呼吸で入れる、これは確かに鬱陶しい。
リディアは当てずっぽうで全方位に爆炎や石槍、衝波などを撒き散らすが、当たらない。姿が見えないままどこからかエルシィさんの呪文が響く。聞いたことのない呪言が大半のものだけど、なんだこれ。
「やるか、無闇に神器に頼る阿呆にはきついお灸じゃな」
「どういうことです?」
「まあ見ておれ」
「……端境の内にて万象観る龍巫の眼を継ぐ身が希う、在るべき姿を顕されよ『神威解放』」
そして、リディアの持っていた魔剣が突如白く発光した。
『要請承認……地神器・都牟刈大刀・超過駆動・構成『夜幣賀岐』』
発光して、周囲の爆炎や竜巻がかき消えて、そしてリディアの周りに暴風が渦を巻き。
「ああああああああああっかかががあああああ!」
リディアが絶叫する。剣を持っているリディアの腕が、凄い勢いで萎びていく。リディア自身も……皺ができ、目が落ちくぼみ……老いていってる?
慌てて剣を取り落とそうとするが手から離れない。自分の術のせいなので自業自得か。そして老化は止まらず進行していく。剣から白の光が天に向かって放たれ……天地が揺れて、晴天だったのにどこからか雲が渦を巻いて……嵐に変わる。うわ何これ……。
「ツムガリの超過駆動を強制発動させたのじゃ。正式な使い手であれば使い手の周囲に風と雲に覆われた多重結界が現れる。この結界は攻防一体の便利なものでの。戦場であれば無双の暴威となる。迂闊に結界に触れようもななら、人体なぞ粉々じゃ、結界を相手に投げつけるもよし、そのまま移動するだけでも万の軍勢を壊走させるに足る」
「怖っ」
「だがしかし、正式な使い手でないものが無理やり使うか、使い手であっても器が足りぬなら……使い手が真っ先に剣に喰われ、細切れになって風の一部となりはてる」
うわーひどい。というか。
「外部から強制発動ができるんですか? それおかしくないですか?」
「まずあの娘は正式な使い手ではなく、仮承認であったに過ぎぬ。そしてそうであれば、より高い適性がある者なら、神器に正式承認させることで使用権を奪うこともできる。エルシィがここに結界を張ったのは、本来は手間がかかるその承認作業を簡略化するため。読心はおまけよ」
「そして先程の呪言にエルシィのほうを正式承認させるためのものも入っておったでな。つまり今やあの娘はなんの資格もなき盗っ人でしかなく、そしてツムガリは当然正式な使い手の要請に従う」
「それもひどい話ですね、さっきまであれだけ力を使わせてたのに」
「神器や王器とはただの道具ではない。使い手を選ぶものよ。いくら才があろうと、無知蒙昧なる使い手に、妾たちがいつまでも仕えねばならぬ道理があろうか? むしろ力を濫用したがゆえに、見捨てられたというべきであろう。あの娘では、ツムガリが天器であれば、とうに自ら再封印していたであろう。地器なればこそ多少は力を使えたが、現状では未熟すぎる、才の持ち腐れじゃ」
人間が扱っていい力じゃないのかもしれないですね。
「まあツムガリに関していえば、正式な使い手であっても超過駆動を使った例は殆どない、寿命も縮みかねんからの」
やはり人間が使うべき力じゃなかった。
「リディアはどうなるんでしょう、死ぬんですか」
「万象の魔眼持ちであれば、助かる手段はあるが、さて、気づくかのう?」
「があああああああああっ、…うぐあああああ……」
リディアの目が銀色になり魔眼が発動して……
「ほう、正解じゃ」
突然、周辺の嵐が消え、剣も枯れ木のようになった腕から離れる。リディア本人は一気に50歳過ぎにまで老け込んだようにみえるが、辛うじて生きてはいるようだ。しかしそのまま膝をついて、崩れ落ちた。
「何をやったんですか?」
「万象の魔眼は魔術を統べる王の力。統べるということは、全てを停止させることもできるということよ。消し去る点では静謐の魔眼に近いが、万象の魔眼でやろうとすると、機能特化しているあれより微調整が効かず代償も大きい。自分も含め、周辺の魔法を全て止める代わりに、しばらくの間視力を失い、動くこともままならん」
エルシィさんがリディアの前に立った。
「その目と神器があったところで、過信すればそうなるものさ」
「く……そ……」
「しばらく大人しくしとくんだね、あんたの洗脳はといてやるから」
「せん……え…?」
拳がゴチンとリディアの顎を打ち抜き、彼女は今度こそ昏倒した。そして倒れたリディアをそのままに、エルシィさんが虚空を睨んで呟いた。
「見ているだけかい?」
どこからともなく、声が響く。
『あの娘を抑えるか。なかなかにやる。魔人王の狗よ』
ジェフティ、か。声は記憶にある聖者セシェルのものかな、と思うけど、響きが暗い。中の人の違いかな?
「その体の中身はどこにいった?」
『彼は偉大なる神の元に赴いたのだ。来る神の降臨の日には彼もまた同志として生まれ変わる。それまでの間、少々体を借りているにすぎん』
「なんとも勝手な言い草だね」
『魔人王に伝えるがいい。もはや時は満ち、神の降臨は成る。そして神は慈悲深くあらせられる。貴様等にも叡智と安息を授けて下さるであろう。救済の時だ。肌の色も人種も、種族さえも関係なく、神のもとには真の平等がある。進んでその魂を捧げるならば、無用な苦痛もなく天の扉が開き我らは同志となる。無駄な足掻きは、徒に苦痛をもたらすのみ。一刻も早く神に帰依するのだ』
……煩い。痛い。彼女の記憶が見える。
肌の色。人種。平等か。アレクサンドル・ジェーコフ。白い肌のナーシィアンの父親と、黒い肌のジーディアンの母親をもち、幼い頃から聖職を志したという彼にとってそれは人生を賭けて追うべき命題だったのだろう。
故郷の星を遠く離れた異郷にあっても神の元に人は平等だと、共に生きるべき努力を止めるならばそれは神の試練への敗北だと。魔人という新たな種族として人間と袂を分かとうとしたかつての仲間たちを、彼は激しく糾弾した。
向こうの陣営でも、彼ほどの理想主義は他にいなかったように思う。強いていえばグレイ・オニールやセルゲイ・イグナチェフあたりは、近しい感性だったか。
しかし現状に絶望したオニールが、コールドスリープ装置での悠久の眠りを選択し居なくなってから、同世代の話し相手を失ったジェーコフはどんどん先鋭化していった。実績も世代も違うイグナチェフではそういう意味では役者不足であったろう。
どのみち、同じルーツであっても宇宙環境適合のための遺伝子操作を受け入れたGenetically modified human……ジーディアンたる自分たちと、操作を受け入れなかったNatural earthian……ナーシィアンたちとの間の軋轢は、数世代を経て固定化しつつあった。
後に祝福や霊威と呼ばれるようになった異能の発現率がジーディアンのほうに多かったことも後押しとなっただろう。
方舟生活の後期では、遺伝子上はナーシィアンにも関わらず、霊威を持って生まれたがためにジーディアン扱いされ騒動となる事例も増えていた。
霊威については、宇宙で世代を重ねること、それ自体にも何らかの発現を促す特異性があったのかもしれない。
それに加え肌の色、先祖の属した国家や民族による遺恨や差別などの問題は未だに根強く残っていて、ジーディアン、ナーシィアン問わずコミュニティ内部でさらに細分化しての差別と偏見があったのだから、人類とはなかなかに度し難い生き物である。
そうした軋轢は惑星降下後の古代種との戦争を経てさらに酷くなり、戦いの後の戦勝式典でのナーシィアン側によるジーディアン代表たちへの騙し討ちと、その報復としての方舟すら崩壊させる大破壊に至った。
それを経てもなお憎しみの炎は燻って消えることがない。直接的な戦闘は見られなくなったが、それは異郷の地で文明を失いかけている現状ではそんな余裕はないだけで、いつでも再炎上する土台は残っている。
しかも私たちの世代では魔術という力も得て、個としての違いはさらに広がった。そうした私達が、どうして今更ナーシィアンと共存出来るというのか? もはやルーツが同じだけの別種と見なすべきではないのか?
共にいたところで、ジーディアンがただの貴族階級になるだけではないか? 方舟での数百年はもとより、そのさらに前、伝説にいう母なる星……地球だけにまだ人類がいたころ、能力差が遥かに小さい社会ですらうまくいかなかったらしいことが、格差の拡大した今どうしてかなうと思うのか?
そういって彼の理想を一顧だにしない小娘たちも、言葉では彼の言葉に賛同しつつ、貴族として人の上に立ち新時代の支配者たらんとした者たちも、彼にとっては唾棄すべき者であったのかもしれない。
そして我が父、初代魔人王アーサー・ナイトフォールは、ジェーコフとは一応は上司と部下ではあったが、性格は噛み合わなかった。父は神仏をどうでもいいと思っている人間だった。
神仏の存在を否定しているのではないが、必要としていない。嫌悪や憎悪すらなく、無関心。誰に対しても平等に、ただ能力のみを基準として対する。
そんな人間が、絶対なる神の使徒を自認するものと話があうはずもない。両者が共通していたのは、せいぜい、古代種や、銀河連邦に属する能力的な超越者たちを、神や仏であるとは認めなかったくらいか。少なくとも、生前は。
ジェーコフ自身は、彼が彼であるうちは、対話を止めようとはしなかった。努力を止めれば現状維持すら不可能であることを彼は知っていた。
そうした彼に流れる血の矜持には敬意を表すにしても、それに意味がどれほどあったことか。しかし父が亡くなり、ジーディアンが内部で割れる苦悩の戦いの中で彼が異界の神に出会ってしまったことで、全ては崩れ落ちて……。
……彼女の記憶。ところどころは、ラファリアである私には分からない単語や概念があったが、何となくはわかった気がする。セシェルを乗っ取った彼も、大昔の聖職者であったらしい。彼の中にはまだ太古の理想の残滓があるのだろうか。
魂を啜られても、仕える神が変わっても、まだ残っている想いがあるのだろうか。それが「全員神様に魂を捧げ(て食べられ)たらみんな平等。神様は凄く偉大だから肌や種族なんていう(餌や下僕の)些細な違いなんて気にされない」という方向に歪んでしまったのだろうか。
……関係ない、か。どのみち、今の『私達』はあなたを許さない。
「そんなつまらん平等など願い下げだね」
『これは運命。至るのが遅いか早いか、そこまでが楽か苦か、それだけのこと、神のご意志は絶対なり。ようやくこの世界にもその時が来るのだ。前回は愚かな時間稼ぎに阻まれたが、これこそ万民を救済する祝福であり……』
「邪神の救済などこの地上には不要です、聖者の屍を弄ぶ者よ。あなたこそ終わりを受け入れなさい。この世より疾く消え去るべきです」
『……ラグナディアの姫か。そも貴様の父姉が邪魔をしなければ、この地の民の苦しみはもっと少なく済んで……』
「黙れ外道」
空気が変わったのが、画面ごしにも分かった。姉上……。
『祝福の気配…そうか貴様もガルザスと……だが、今更蟷螂の斧に過ぎぬ。まあ、よい。その日が来るのを待つがいい、神のご意志は変わらぬ』
そして男の声は途絶えた。
「ああいう感じさ。そして当人にとってあれは真理であり善意なんだよ。それが魔神に命を食われ、下僕になるということだ」
「善意か悪意か、正気か狂気か、関係ありません。ガルザスも、ジェフティも、必ず行いの報いを受けさせます。それが私の誓いです」
姉上の感情が伝わってくる。怒り、そして、罪悪感。今の言葉が自分にもか跳ね返ると思っているのね。……大丈夫よオルフィ。例え元は自分のものでない体を使っているのが同じだとしても、あなたはあいつとは違う。 これはもう、あなたの体。
『……ラファ……』
さて、問題は気絶しているリディアである。今は衰弱しているとしても、起きたら大変なことになりかねない。沈黙も魔封銀も効かないなら、魔眼を封じるしかないのだが……。
「この娘だが、私が預からせてもらうよ」
「……本来ならば、操られたという立場であるとしても、簡単に解放したくはないが。こやつによる被害は多く、聞きたいことも多い」
「ですが、我々では拘束し続けることもできません」
「尋問はあとでやってもらっていいよ。まずこれで目を覆う」
黒い、表面にびっしり魔術回路が刻んである鉢巻のようなものを取り出す。
「これで一時的に魔眼を封じ、私が契約の呪詛を撃ち込む。それでガルザスの異能を解除する。それからなら、尋問とかもできるだろう。それが終わったら、身柄を預からせてもらう。いいね?」
「私達に拒否権はないでしょう、まあ、別に構いません。尋問ののち死んだことにしてもよいでしょう」
「皆もそれで? よし、それじゃあ、さっさと始めようか」
4/20 レイアウト等修正




