第十九話 私が理解できるぶんだけでも酷すぎなのですが
その日の夜になって、姉上のところに密かに来客。人払いののちに姉上とエルシィさん、とイーシャさん(猫)だけで面会となった。
来客はフードを被った二人。人払いができたところで、来客がフードを外す。まず長身のほうの一人は黒髪、黒肌の男性だ。これだけ黒い肌の人は初めて見た。
南海の向こうの大きな島に住むヴァンドールの民が浅褐色の肌をしてて少し近いけど、この人のは褐色ではなくもっと黒い。少なくとも北方大陸にはいない色彩だろう。
そして目。白い。瞳の部分がなくて白一色! 魔眼を発動していたリディアも変な目になってたが、この人も魔眼もちなのだろうか……。
もう一人は、茶髪に無精髭のどこか軽そうな30前くらいの男。こちらのほうは風貌には特に変に感じるようなところはない。むしろそのほうが不気味かもしれない。
まず黒い男のほう、ついで茶髪の男が名乗る。
「……俺はバーリ・ウォンガという。魔人王陛下の命によりまかり越した」
「俺はエグザ・エストラーダっす。よろしくー」
うわ、真面目そうなバーリさんに対して、エグザさんは完全に不良青年風。しかもやる気がみられない、というか眠そう。
「ラグナディア王女、オルフィリア・リザベルと申します。ウォンガ殿、エグザ殿ようこそいらっしゃいました」
「……昨今の貴人との礼法を俺は知らぬ。無礼はご容赦いただきたい」
「特に問題はないと思うよバーリ殿」
「久しぶりだ、エルシィよ。しかし今回は、久々に叩き起こされたと思えば、人を守りつつ外つ神の相手をしろなど、陛下たちも無体を言う……」
「ほんとほんと。俺も聞いたなり二度寝したくなったっすよ、めんどすぎじゃん?」
「貴殿らがいれば、一方的にやられることはないだろうさ」
「俺の技では本体にはろくに通らんだろう、エグザのもそう簡単には打てん。大元への攻撃は貴様とリュースに任せるぞ」
「守りを頼めるだけでだいぶ違う。普通の守りじゃ貫通されかねないからね」
「あまり期待されても困る。……さて、とりあえず引き渡しておくべきものを渡しておこう」
バーリさんのが右手を突き出すと、その手の下に一抱えほどの白い枠の真っ黒い穴が現れた。
そこから、何か拳くらいのものが詰め込まれている感じの白い布袋が10個ほど、ボトボトと落ちてくる。召喚じゃないな、これ……霊威だろうか。
「【界門】の霊威。以前エルシィが使っておったものの本家じゃな。こことは異なる別の空間への門を開き、その空間を使って移動したり、物を保存したり、門自体を攻撃や防御に使うこともできる」
「エルシィさんがリディアの魔術から逃げたときのですね。……本家というのは?」
「エルシィは他人の霊威を、条件が揃えば複写することができるのじゃ。真似でしかないため、本物には劣るがの」
そんなのもできるのか、ほんと反則な人だなあ……。
「ジェフティもバーリに近い能力を持っているはずじゃ。奴の場合は【双界】と呼ばれる、異界と此界をより大規模に繋ぐ力よ」
「バーリのものよりやれることも多いが、代わりに手間がかかり戦闘に使うには適さぬ。あやつが神に魅入られたのも、その力のせいであろうかの。深淵を見る者は、深淵からも見られ、異界を見る者は異界からも見られる」
「……これが、魔晶石だ。その袋からは今は出さないほうがいい、敵がすぐに気付く」
「気づかれるような何かを発しているのですか?」
「そうだ。これは異界産のもの、異界の神の力が封じられたものだ。かつて異界を旅したものがもたらし、さらにかの神の召喚の際にこの世界に残された残滓もいくらかはこうした形で残った。再度の召喚となれば、これがあれば成功率を大幅に高めることになろう。異界と通じる技を持つ者であれば、この石に眠る力は無視できず、近くにあれば気がつく……そして」
バーリさんが右手を捻ると、空中に何かが浮かび上がった。これは……うちの国の地図……かな?
「この石は魔神にとっては己の一部、本能的に取り戻そうとするはずとのことだ。ゆえに召喚陣の内部にあれば、顕現時にまずはそこに引き寄せることができるだろう。その誘引ぶんは俺のほうで別途用意してある。貴公が戦場としたい所があれば教えて貰いたい。可能な限りその近辺でこちらの都合のよいところに設置する」
「わかりました。それへの回答は、明日までお待ちいただけますか?」
「了解した。明日夜に再び伺おう」
「これは貴重なものなのですか?」
「今は貴重というよりも希少だ。かつてこの石は高価なものの、金を出せば入手できる程度にはあった。今の珠宝具のようなものだ。だがこれは異界との関わり以外に、単純にこの世界においても魔術の効果を高め、維持時間を伸ばす作用がある。その用途のために昔にかなりの量が使われ、現代では殆ど残っていない」
「そうでしたか……」
「この石があれば、使い捨てにはなるが万象の魔眼に対抗する手段になりえる。そのためにかき集めたとすれば、不自然ではあるまいよ」
「……ありがとうございます」
「バーリ殿、リュースと那祇様については知らないかい」
「二人とも、俺は本件が始まった後には会っていないが、何をやっているかは聞いている」
「というと?」
「事前偵察っすよー、リュースが乗り込んでるっす。那祇さんがバックアップしてるそうで」
「マハー・プレータを? 向こうの世界に行ってるのかい? 道理で念話も通じないわけだよ。また無茶なことを」
「だが現状の能力を把握しないで挑むのは愚策だ。屍者どもも減らしておいてもらわねばならん。屍者はホノコにとっては鴨であろうしな」
「あの子は……仕方ないね。しかし、あの神が寝床にしてる世界って、どこもかしこも食われ尽くして朽ち果ててるんだろう? 長居はしたくないところだね」
「打ち倒さねば次はここがそうなるやもしれぬ」
「【暴食】か……枢要持ちは面倒だよ本当に」
「それ、あんたが言う?」
「なんですか枢要って」
「この場合は霊威の分類の一つじゃ。枢要の分類に入るものは特に規模や範囲に優れる。妾が知る限りでは30種ほどになるが、各世界で主神だの世界守護者だのを名乗るなら最低一つはこれに類する霊威をもっておると考えてよい」
「今回はそれが暴食とかいうやつですか」
「マハープレータの場合は数千年前の顕現の時点で【暴食】【強欲】【慈悲】の3種の枢要霊威があったかの。他にも【不死】や【強靭】【時遡】【神威】【万華】など第四や第五階梯の厄介なのが確認されておったか」
効果聞く前に名称だけで既にヤバそうなのですが。
「【暴食】は、簡単にいえば何かを食べると力が増したり、傷が回復するというだけなんじゃが……食べられる対象がそれこそ万物になるのじゃな」
「いや……食べるという言い方がいかんかもな。そこらへんの空気や光、目に見えぬ魔素や魂まで、なんでも己の血肉や魂に高効率に変換でき、力の増強や回復に利用できる、というものじゃ。上位の使い手となれば、呼吸したり光を浴びるだけでも傷を回復し、飛び道具の攻撃なども、目で追えるような遅いものなら食べて無効に……いやそれどころか回復するのじゃ」
「はあああ!?」
「特に命あるものや魂そのものは、美味に感じ、回復量も大きいらしく、生き物を生きたまま食べたり、魂を吸うことに拘る傾向がある。しかも厄介なことに、高い命数……優れた生命力、強い魂を持っているほど、この魂の吸引に対しては不利でな、何も対策せんと一気に大量に吸われて詰む」
「飛び道具がろくに効かんくせに、近づいて攻撃しようとしたら魂が吸われて長時間は戦えぬうえ、相手はいっそう元気になっていくという、馬鹿げた力なのじゃ」
「……思っていた以上にとんでもなさげですね」
「そして【強欲】、これは条件はあるが単純に生命として優れた力を得るほか、相手の生命力や記憶、魂などを奪って自分のものにできる。暴食と並立するなら霊威すら奪えるし、魂を奪ったあとの抜け殻を忠実な奴隷にすることもできるの」
「【慈悲】はその逆、他人に己の力を使わせたり、傷を癒やしたりできる。そして枢要たるこれらは、影響を及ぼせる最大数や範囲がでかい。もっとも、普通なら、強い霊威で範囲まで広げるとそのぶん相応に疲れるのじゃが……暴食かつ強欲もちだと使った側から回復するからのう……」
「…………」
「そしてこれに【不死】【時遡】【強靭】が組み合わさると……食べたものの命と記憶、能力を奪って我が物とし、傷を負ってもみるみる治り、致命傷も時を戻してなかったことにでき、一度食らった攻撃に耐性をもち……。自分の力の一部を分け与えた忠実な不死の奴隷軍団を従え……さらに【神威】により大抵の者は威圧され眼前で立つこともできず、【万華】によりその存在は複数次元に同時に存在する、即ち目の前の体を殺すだけでは滅ぼせぬ」
「私が理解できるぶんだけでも酷すぎなのですが」
「仮にも神じゃからな。だが要素だけなら、そなたもいくらか目にしたはず。ガルザスの【奪魄】なども、下位とはいえ、暴食や強欲が複合したものといえよう。そうした各要素の霊威を複数持ち、使いこなせる者は、各世界の上層部なら珍しくはない」
「その中で特に外つ神が強大なのは、やはり能力の規模がでかいことによること、そして心が壊れているがゆえに、能力の行使に遠慮がないのが大きい」
「そんなのにどうやったら勝てるのかわかりません。下僕ですら、神の力を与えられてる可能性があって、それが沢山いるんですよね? ジェフティとか、双界…でしたか? それ以外の力も得ていたりするのでは?」
「得ているかもしれん。じゃが、霊威というものは本来持たぬ素質を与えられたとしても、実際に起動できるかどうかは、元の魂の性質や器の大きさに縛られる。せっかく強奪しても定着せんことも多い」
「まして奴の下僕は魂を啜られた残骸に偽の魂を埋め込まれている存在。成長を忘れた生ける屍者故、元が人間であるなら自ずと限界がある。また、奪魄が霊威持ちにろくに効かず、使いすぎに問題があるように、枢要やそれに準ずる上位霊威も、妨害する手段や問題点はある」
「今回の相手のような神を古代種は外つ神、魔神、あるいは理外神と称したが、それは基本的には霊威の悪影響で狂っていたりして、対話が成立しにくい奴のことをそう呼ぶのじゃ。古代種たちは滅びに抗う手段を探しておったが、外つ神のような、存在は強固でも心が壊れたものは、その望みへの回答にはなりえなんだ」
「……ちなみに今回の相手はどういう感じで?」
「少なくとも過去の時点では、話はできる、知性も高い、だがろくに対話にならぬ、という感じかのう。他者の都合や悲痛など全く意に介さぬ、悪食の独善の塊じゃ。まあそういう傾向だけなら、神の域までいくと珍しくもないが」
やはり神と人は住むところを分かつべきですよね。
「仕方ない部分はある。例えば暴食の霊威は極めると、途方もない飢えに苦しむ。そしてこの飢えは生き物やその魂でしか満たせず他の物では駄目らしい。ゆえにこれの使い手は狂気に陥りやすく、命の誘惑に耐え難く、周辺の命を食べ尽くすまで止まらず、そうなると休眠してしまう」
「召喚にあたって生け贄が必要な理由の一つじゃな、休眠から叩き起こすためにそれなりの命が必要なのじゃ。そして下僕たちがその間に動き回って主の食事を探すという寸法じゃ」
「うーん……見るもの全てが獲物でしかないなら話も通じないでしょうし、ここまでの経緯を見ると、魔人王陛下はそんな怪物と下僕たちに少人数で勝てると言っているように見えるんですけど……前のときは……」
まただ、痛い。いたい……。
「……あの、時は……凄い被害を、出して、追い返すだけ……で、大変だった……のに……?」
「……前の時は突然であった。今度は準備ができるだけマシよ。人数については、仕上げのために前面で戦うのがあやつらというだけ。実際には戦いとはそれだけにとどまらぬ。もう始まっておるよ」
痛い、まだ……足りない。姉上と繋がってもまだ……思い出すには……いや、違うのか。……そう、か、これ、思い出してるんじゃ、ないんだ、本来……魂には記憶の記録なんて……ほぼない、あっても断片、だから、思い出すなんてできない。
この程度でも状況が、分かるほどに、まとまった記憶が、あるとしたら、それは私の中じゃない。
エルシィさんは何と言っていた? ……そう、思い出すのでなく、つながって、読んでいる、死者の書を。そして、通じて、読めるのは……彼女がそうであるように、霊威のせい。彼女とは原理が違うけれども。
この痛みは、不完全な霊威が、魂の力を、使ってしまうから……。私と姉上に僅かに残っている、霊威の一つ、全てを記録する【史記】、今はナヴァさんが管理する、あの本を作り出す力、その残滓……。
それがゆえに、本来向こうが一方的に記録するだけのものを、私はわずかながらも、読むことができているのか。
自覚すると、少し、楽になった。なるほど……。無理やり読み出そうとするのは今の私には厳しい、のだろう。残滓でしかない霊威は、使うために魂の力を余計に必要とするのかな。
私には足りない、下手すると姉上にも負担をかけてしまうかもしれないし、読んだ記憶も定着しない恐れがある。
……そうか、姉上。姉上の記憶力が異様にいいのは、これか。【史記】の残滓が私より姉上のほうに多いからか。姉上自身が能力を自覚したら、話は変わってくるのかもしれない。
そして【奪魄】がガルザスのほうにあるのなら、では、残りの霊威は、確か、まだあといくつかもっていたはず……。なら、魔人王が欲しているのは……ああ、なんとなく、分かってきたぞ……。
その後、ウォンガさんたちはいったんその場を辞して、こちらが用意した宿に宿泊していただくことになった。
いくらローブで身を包みフードを深めにかぶってもあの容姿は目立つ……と思ったら魔術? かなにかで変装して、目や肌を一見このあたりによくいる感じっぽく偽装してた。そりゃそうか。
さてと、この石をどうにかして敵方に渡さないといかんのだよねえ………どうしたものやら。とりあえず姉上は、ヨーゼル殿に命令してリディアをおびき寄せるために囮輸送部隊を出す手筈を進めている。
これの荷物に石を混ぜてジェフティも釣る……うまくいけば一石二鳥だけど、どうかなあ。
まあそれはともかく、姉上が面会しなきゃならんのはウォンガさんたちだけではないのだ。マクセルとアンセムを呼び、さらにサーマック公とスタウフェン公のところから、今度は騎士ではなく書記官が1人ずつやってきた。行政指示は文官のほうがやりやすい。
そして、次々にやってくる貴族や騎士たちと会談や指示をし始めることになった。指示の内容を書記官たちが記録したり、魔導伝文で送ったり。あるいは会談中にも送られてくる魔導伝文を読んで姉上に伝えたり。
そうして、何人かめ。中央と南方との中間くらいに領地を持つレブロン伯爵が、物資輸送の手筈を整えるためにやってきたところで、それは起こった。
「お久しぶりでございます、姫様」
「ええ、ダリウス殿もお元気な、ようで……?」
「どうかなさいましたか」
「いえ……大丈夫です」
「お体にはお気をつけください」
「ええ……それでは、早速ですがお願いしていた輸送の状況をお話願えますか」
姉上がなんか違和感を覚えている……そんな感覚が伝わってきた。それで、姉上の視線の先、レブロン伯をよーく見てみると。
なんだろう。この人。
頭の後ろから、紐が生えてる?
「紐?」
「ええ、なんかこう……半透明の白い紐が、頭の後ろ、うなじか首か、そのへんから生えてて、向こうのほうに伸びて……」
「ふむ? …ふむ。妾には見えぬ」
「見えない? これが……?」
そこにあると言われれば見落とすような感じではないけれど……いや。待て。痛い。ということは、私は……彼女は、どこかで、これを見たことがあるはず。読み出して……ああ、そういうことか、これは。
「……【奪魄】の接続糸……」
「ほう?」
「でも、どうして……ルブランやライナーたちのときは見えませんでしたけれど……」
「……妾が見えぬということは、お主等のどちらかがそれが見える力に目覚めてきておるんじゃろうな。少なくともこの画面では妾には分からぬ。外で直接霊気を読めば分かるであろうが」
「ということは……」
そういやこの人の領地、ガルザスに操られてたというエレクトン子爵と近かったわ、やはりあの辺まで手が伸びていた。
しかし、少しずつ自覚が出てきてはいたが、姉上か、私か、思っていた以上に、霊威に目覚めててそれの力で魂の異常を認識できるようになってきてる、と……と、とりあえず、それはいいや、姉上に警告しないと!
『姉上!』
『ラファ?』
『レブロン伯の頭から紐が生えてるのが見えますか?』
『紐……というか、糸、ですか? 先程から気にはなっているのですが、意味が分からず…』
『その糸、普通の人には見えないみたいです。そして、たぶんガルザスに繋がってます』
『! ……操られている、ということですか。でもどうしてそれが見えるように……』
『確証はないですが……姉上と私が話せるようになってから、何かが強まったのかもしれないです。そんな気がします』
『……原因はともかく、一目見て分かるのなら好都合です。ありがとう、ラファ』
「……ですので、糧食の調達に手間取っており、今しばらくお待ちいただく必要が……姫様、どうかされましたか?」
「……いえ、ダリウス殿。ここしばらくの間に、何かありませんでしたか?」
「何か……と仰いますと」
「そう、例えば……真の王を名乗る者と会ったりはしなかったでしょうか?」
「…………」
「オルフィリア様?」
あ、伯爵の目つきがライナーたちのようにおかしくなった。やっぱり。
「いえ私はそのような方にお目にかかってはおりません」
だから棒読みになってるってばレブロン伯爵。それに言い回しも変よ。
「これは……」
マクセルも気づいたよね。
「ダリウス殿。本来のあなたであれば、そのような言い方をされることはないはずですよ。もしや、糧食輸送が遅れているのは……」
「………」
マクセルとアンセムが身構えたところで、レブロン伯は身を翻し脱兎の如く逃げ出した! その直後に、マクセルから魔法が飛んだ。
最小限の詠唱での『風拳』 詠唱が短めの代わりに攻撃魔法としては最弱のものの一つで、せいぜい子供が殴る程度の打撃力しかない。でも不意をうったり、逃げていく相手なら……。
圧縮された空気の拳は、走る伯爵の背中に直撃したようだ。そして伯爵は見事に転んで勢い余って顔面で床を掃除した。
「☆!っ■◇っ」
びくんびくん。がくっ……。
「伯爵……?」
アンセムが抱き起こして確認しているが、肥満体が顔面を擦りむき白目剥いて鼻血を垂れ流し、前歯が折れてる様はちょっと哀れすぎる。
とりあえず縛りあげてから治療、さらにエルシィさんにガルザスの影響を解いてもらうことになったが……気になるよねこの紐。姉上がおそるおそる触ろうとしたところでエルシィさんが呟く。
「……見えるのかい?」
「何か……糸……のようなものが」
「ふーむ。それは、見えるのなら触らんほうがいいね、見えるなら干渉もできるかもしれないが、もし干渉できたとして、迂闊に切ると発狂するからね」
「では、やはりこれがそうなのですね。どうして見えるのでしょうか」
「オルフィリア様、何が見えるのでしょうか?」
「ダリウス殿から、糸のようなものがでているように見えます。どうやら、ガルザスにあやつられている証拠のようなのですが…見えるようになった原因は……わかりませんね」
「……うちの上司がこの間やったことが関係しているんだろうと思うよ。ただ、その辺は付け焼き刃で使うには問題も多い分野だ。見えるのなら、後で少し魔術面からのやり方を教授しよう」
「ありがとうございます」
「とりあえずこいつを元に戻して、治してからだね」
エルシィさんが例の呪文を唱える。しばらくすると、紐の先に何か拳くらいの白っぽい塊がついていて、それが飛んできて、すぽっとレブロン伯の頭にはいっていった。
同時にちょっと灰色の小さい塊が頭から飛び出して、向こうに消えていった……。あれが入れ替わってたガルザスの?
「……うう……」
「大丈夫ですか? ダリウス殿」
「……お、おおお……。戻った、戻ったぞ……。体が動く、おおお……。失礼……姫様、見苦しいところをお見せいたしました。お手を煩わせること、誠に申し訳ございません……」
「いつそのようになったのか、分かりますか」
「確か、5日ほど前のことになります…私がこのラグナクロウに馳せ参じるべく屋敷の前にて準備をしていたところ、突然、背後から男……だと思うのですが、声をかけられ、振り向いた瞬間……何故かそこから意識を失い……気がつくと、いつの間にか王城にいて、かのガルザスの前に引き立てられていたのです」
「そして奴は私に何かの術をかけ……私に、ジェフティなる男に従え、と命令しました。私は、私の体はそれに抵抗もできず、そのままジェフティに命じられるままに……まず王都に食糧などの物質を送ることを約束させられました。そしてこのラグナクロウにて姫様もしくはサーマック公と接触し、次の命令あるまで待機しろ、と……」
「何かジェフティから持たされてないかい」
「……この方は?」
「こちらは、さる国から使者として来られた魔導師のエルシィ殿。現在ある事情から、私の護衛を務めていただいております。極めて優れた魔術の使い手であり、あなたにかけられたガルザスの術を解いたのもエルシィ殿です。彼女の質問に答えていただくと私としても助かります」
「おお、それは失礼いたしました。……そうでした、確かに渡されている物がございます、これです」
レブロン伯は懐から小さな首飾りのようなものを取り出した。黒い変な形の結晶で赤い線が絡みついた宝石のような何かが、丸い金属板にはめ込まれて、それに紐が付けられている。
「やはり冥輝のデルトヘドロンか。良かったね、これをもったままだと遅くとも今月末にはあんた自殺する羽目になってたよ」
「なんと……」
「……ジェフティが進めているという儀式の一環ですか、しかし……」
「……心配しなくても代わりは何とかするさ、それがあればね」
結果的にジェフティの儀式の邪魔をしちゃったわけか、それは今となっては困るってことね。 シューニャさんとの約束にも反するし。エルシィさんお願いしますね。
「それはいったい何なのでしょうか……」
「ガルザス達は、このラグナディアの地で、何らかの邪悪な儀式魔法を発動させようとしていると予測されているのです。ラグナディア各地で、そのための犠牲となっている者たちがいるらしく……この石は、儀式に意味があるものか、あるいは目印なのかもしれませんね」
「両方だろうね」
「危ないところでございました……しかし、なんと恐ろしい力か。東方の方々がたやすく奴らの手に落ちたこと、今なら納得できまする。抵抗などできませなんだ」
「しかし、あなたがここで正気に戻ったのは良かった。実はですね……」
ちら。書記官たちのほうを見る……あれ? なんか二人ともぼけっとしてるな、おかしいぞ?
「エルシィがさっきから干渉して、記憶を残さないように処置をしておる」
「ええ……いつの間にですか」
「何かありませんでしたか…という話題になったときにじゃな」
「姉上も承知のうえですか、それこそいつの間に……」
ともかく姉上はそれを確認して頷くとレブロン伯に言った。
「……現在やっていることを、そのままある程度続けて貰いたいのです。向こうに渡してもらいたいものがあるのですよ」
そっか、襲撃で奪われるという設定よりは、操られてる(と向こうが認識している)人なら、ここに運べと指示されたものを向こうに横流ししても、不自然さは軽減される。
「向こうに渡す、ですか」
「ガルザスたちは別として、今王都で苦しんでいる者たちの大半は、罪なきラグナディアの民であることに代わりはありません。市井に向けて最低限の食料などは、むしろ融通させたいところなのですが、うまい手段が見つかっておりません」
「そのため、数量は調整しますが、向こうに食料品を横流しするのは、そのまま継続していただいてもよい、と考えます。何かあれば私が責任をとりましょう。そして、それに紛れ混ませたいものがあるのです」
「どのようなものでしょうか」
「探知魔術の目印となる道具があります。物資の流れを調べ、決戦の際の情報に役立つでしょう。これを紛れ混ませたいと思います。表向きは、私が、魔法を増幅することができる貴重な宝石を集めている、ということにしてください。そちらの意味でも使えないことはないというものなので」
「……何らかの策であれば、それはかまいません、が……しかし、もし私が不覚にも再び操られるようなことがありますと、この事を話してしまう恐れが」
「大丈夫だとは思いますが、これをお渡ししましょう。敵の異能を効きにくくするものです」
そういや、姉上のぶんの指輪が余ってるんだっけ。
「これは……非常に貴重なものなのでは?」
「目下増産中で、先日少し増えたところです。効果は期待できるかと思います。横流しが終わったならば、あなたも決戦の日に備えてください。詳細は後で魔導伝文にてお伝えします」
「了解いたしました」
「しばらくの間、操られて心身ともに疲れておられるはず。今夜はしっかり英気を養ってくださいね」
レブロン伯は恐縮しつつ辞していった。
次の来客を一時止めて、マクセルたちと状況を整理する。マクセルが尋ねてくる。
「探知魔術の目印になるようなものがあるのですか?」
「ああ。私の領分だよ、すまないね」
「ファスファラスの方々も色々と動いておられるのですね」
「相手が魔神だからね。最強の人達に声がかかってるよ。文字通り一騎当千の戦士たちだが……気難しいのも多い。こっちに来たとして、余り近づかないほうがいい」
「わかりました。あとは、レブロン伯を拉致した手際が気になりますね」
「心当たりはある。王城まで連れて行ったのはジェフティの異能だろう。もう一つ、彼の背後に出現したという男は、おそらくは傭兵のヤーンという男のほうだろうね」
「ヤーン……黒蟻団のレナルド・ヤーンでしょうか? ラベンドラ王国の元将軍であった……団員でなく、団長の彼本人が動いているというのですか」
「さっきの伯爵に残ってた痕跡からするとね、そいつが異能もちの可能性が高い」
「ガルザスだけでなく、ジェフティやヤーンまで、魔術ならぬ異能があると? ヤーンは元々優れた戦士にして魔導師でもあると聞きますが……他にも異能もちはいるのでしょうか?」
「今のところは、私のほうでも分かるのはその3人くらいだね」
「いやはや。ガルザスの異能にはこの指輪などがあるとして、他の2人についてはどのようなものなのでしょう?」
「ジェフティの異能は、これも古い記録にある力だが、界渡りの類だろう。私が以前、リディアの魔術を避けるために使ったやつに近いが、より高度な異能に昇華したものだ。ヤーンのほうは、おそらくだが影に潜む力だね。こいつは現在のファスファラスにもできるやつがいる」
「影に潜む?」
「敢えて言うなら、自分の体や身につけているもの、さらには触ってる他人も含めて、ペラペラの厚みのない黒い影にできる、という感じかねえ……。しかもその状態で移動したり、物事を見聞きでき、いつでも元に戻れる。ただし影になってると直射日光を受けると苦痛があるそうだし、言葉も喋れないから魔術も使えんがね」
「つまり、どちらもやり方は違えど、普通には見えないところを移動なり、有り得ないところに潜んだりできるということですか……奇襲や逃亡にはもってこいの力ですね。どうすれば看破したり抵抗したりできるのでしょうか?」
「正直なところ、魔術で看破するのはあんたたちに教えても付け焼き刃じゃ無理だね。抵抗は……引きずり込むこと自体は単純な魔術ないし暴力だろうが、いったん引き込まれたあとはどうなるかわからん、ああいう異能の性質は作るやつの知識と素質、訓練次第だからね」
「……対策は独りきりにならない、くらいしかないわけですか」
「寝込みを襲われたら厳しいですね。影になれるとしたら、扉の隙間などがあってもダメなのですよね?」
「そうだねえ……影潜みは、影になってる間は打たれ弱いのがまだマシかね。ちょっと剣で刺したり踏んだりしただけで重傷だ」
「それはそれで、人質をとられたらどうしようもなくなりますね」
「複数の照明や、強い光系や炎系の魔術で他の影を消せば死なない程度に嫌がらせになるはず、あんたらならそれが対策だろうさ。界渡りのほうは……まあお姫様のほうは私が守るさ」
一息ついたところで書記官たちを正気に戻し、違和感に困惑する彼らを誤魔化して次の仕事へ。だいたいの方針は固まってきた。
4/18 レイアウト等修正




