第十六話 誰かに覚えていてもらえるのなら
その後しばらく尋問が続くが、せいぜい他の貴族子女の数日前の状況がわかったくらい。ジェフティやリディアの情報はそれ以上なかった。ベルニヒのほうも、警備体制については分かってることと大差なかった。
二人はしばらくは監視付きで謹慎させ、プロスター公は自ら出て孫娘を取り戻す、と意気込んだが……実のところ実際に出兵していなかったのは、アイゼル達の安否以外にもいくつか問題が発生しているからなのだそうだ。
特に問題なのは、北方地域の民や兵に原因不明の流行り病が広がっているというものだった。
「病、ですか」
「左様…お恥ずかしいところですが、我が領をはじめ、北方の各所にて、病が流行っておりましてな。冬場であればさして珍しくもないのですが、今年は夏に流行っておりまして、しかも魔素歪みもののようなのです」
「魔素歪みもの……」
「民だけでやく、兵のほうにもそれなりにおりましてな。これに悩んでいたところ、さらにラベンドラの連中がこちらの鉱山にちょっかいをかけてくるようになり……」
普通の病なら、一般に魔術治療できると回復は早い。病によっては効果のほどは違うが、簡単な庶民が使える熱冷まし程度の魔術でもやらないよりは有用だ。
問題は、魔素歪みと呼ばれる魔力に関わる性質を持った病。これは魔力の性質を解析して適切な術式や薬で施療しないと、逆効果になる場合が多いのだ。
風邪と思って治癒術をかけたら一気に末期の肺病まで行って手後れに、みたいなことが起こるし、そうでなくても普通の病より重かったり長引いたりする。
なので、怪我はともかく病に対して素人判断で魔術を使ってはならないとされている。……それでもやっちゃう人は後を絶たず、魔素歪み病の流行りはじめは重症者が突然増えることで判明するのが常らしい。
母上が亡くなったのも、そんな魔素歪みものの流行り病によるものだった。高熱が続くそれの魔力性質が解析できたころには既に症状が進行していて間に合わなかったのだ。
私達姉妹は隔離されていて死に目にも会えなかった。あの夏は王都でも庶民から貴族まで、数千人がその病で亡くなった……。
「魔素歪みの病は侮れませんからね、本当に……母上も」
「ナーキシィア妃は確かそれで亡くなられたのでしたな」
「まだ性質解析できていないのですね?」
「もうしばらくかかるとの報告を受けております」
ちらり。
「何故そこで私を見るんだい」
「あれほどの治癒術を使われるのだから、病にも詳しいのでは?」
「……怪我と病は分野が別さ。それに姫様、これは契約とはさすがに関係薄すぎると思うんだよ?」
それでも頼むなら、出すもの出せよーの仕草。まあ、確かに。エルシィさん自身は万能で金に困らない人であろうが、そういう人が無料で仕事しすぎるのは色々と周りが困る。契約外のことに対価を要求するのは必要だろう。
「金は難しいですが、色々と領内で便宜を図ることは」
公爵、そこ吝嗇るところじゃないと思うよ?
「いらないよ」
「……こちらからの出世払いではいけませんか」
「仕方ない、乗りかかった船だしねえ」
そうして解析担当の治療師が呼び出された。彼の仏頂面には「またこのくそ忙しい時にくそじじいが余計なことを」と書いてある。もっと隠そうよ、主の前でしょ?
でも研究畑の人ってこういう人多いよね。私も色々王宮やミルトンの人達には迷惑をかけたものだ…。彼は極めて胡乱な目つきでエルシィさんを見て言った。
「分かりました、それではこの方にも見ていただきますね」
と、あからさまに期待していない声音でエルシィさんと一緒に戻っていった。
……しばらくして、さっきの治療師に黒衣の老婆が追い回されて、走り去っていく光景が見られた。
「お待ちください! あの鮮やかな分析と解析、まさに私の理想とするところ! 是非とも弟子にしていただけませんか!」
仏頂面が一変して頬が紅潮して目がキラキラてる。殆ど別人である。
「弟子はとってないよ、元のところにお戻り!」
「……あれも異能による魅了ですかな?」
「……ある意味ではそうなのかもしれないですね」
「手の抜き方や無視が中途半端なのがあやつの欠点じゃ、そんなだから各地で変な異名を付けられる」
「長く生きているわりにはその辺お人好しな感じですよね」
「やり始めるとついつい真面目にやってしまうからの、根が善人すぎる。何度生まれ変わっても変わらんから筋金入りじゃ」
「……エルシィさんがいれば、母は助かったでしょうか」
「母御は病で?」
「……はい」
「そうか。ままならぬものよな」
恐らくは、エルシィさんには、その場にいれば母を助けられただけの技術がある。それはうちの国どころか、教会や東の帝国にもないものだろう。
だけれども、その恩恵に預かるには……「運」が必要ということか。ファスファラスの魔人たちがこちらの民との関わりを避けているのには、それなりに理由があるのだろうから。
一緒にずっと生きるには、技術や知識、力の桁が違っているということは何となくわかる。そういう人達が共に暮らすのはなかなかに難しい。ああもう、ままならない。
「……おかげで早期治療の目処がつきそうとのこと、まことにありがとうございます。よもやこの病が、昨年から東の山に住み着いた竜の仕業であったとは……」
「症状が竜の魔素を吸い込んだことによる変調に近かったからね。霧氷竜の呼気はそれだけで魔素の変質を引き起こし、かつ大気の下の方に漂う性質がある。調べたらもろにそれだったよ」
「普通は相当近づかないと影響もないんだが、仔竜の数が少し多いのと、あの山の側は丁度春から夏にかけて、季節風の通り道になるようだ。討伐するには面倒な相手だが、それでもやるか、放っておいて病に対処するかはあんた達で考えな」
「……さてバーランド殿、出兵とは別にお願いしたい儀が」
「何事でしょうか」
「130年ほど前に我が王家より、チェリア姫が貴家に降嫁された折りに持参したという、オルドデウスの起動鍵。これをこのたび、返却願えないでしょうか」
「ほう……あれを動かすおつもりか?」
「ええ」
「当時の祖先からの言い伝えは、確か、あれは王家に真の危機が迫る時にのみ動かすべきもの、しかるに王家にないほうが望ましい為に、当家にて預かることになった、というものでありました」
「まるで王家が機能しない事態が来ることを分かっていたかのような話ですね……なぜ貴家にそれをお預けするようになったのかは、私のほうには伝わっておりませんが、何かご存知でしょうか」
「別に当家だけではないでしょう。東西南北の公家にはそれぞれ、王家の秘宝が預けられ伝えられたと聞きますぞ」
「そうですね。南方のぶんについては当時のイスウォード公家が絶えて以後、ミルトン侯家が代わりに公家となり、引き継いでおられますが」
え? そんなのあったの? 私もまだ聞いてないよ?
「とはいえ、他の三家に伝えられているものは、軍事力に直結するものではなく、どちらかと言いますと儀礼的、歴史的な価値があるもの。建国に功を上げた各公家を王家は尊重し歴史を共有する、という意志を表すためのものです。文字通り、戦力の鍵をお預けしたのは貴家のみですが、その経緯は存じておりませんのです」
「元々は当家の保管物も歴史遺物であったと聞きますぞ。チェリア様が鍵を強く持ってくることを望まれた結果、それまで預かっていたシュタインダールの玉璽と交換する形になった、と父からは伝えられましたな。なぜそう望まれたのかは私も存じ上げませぬ」
「なるほど、それも私は聞いておりませんでした。どこかで経緯が失伝しましたかね……」
「どちらにせよ、王家の危機というのであれば、今はまさにそうであることは私も同意いたします。ゆえにご返却すること自体に否やはありませぬ。しかしながら……」
……長い間守ってきたんだから保管料くれよ、あと代わりも。という目をしている気がする。先入観からの錯覚だろうか。
「……事が一段落つきましたら、必ずや、貴家のこれまでの御労苦に見合うものを用意いたしましょう」
「ありがとうございます」
錯覚じゃなかった。そんなんだからアイゼルが学園で家の愚痴を垂れ流す羽目になってたんだよ公爵! そうして、公爵が鍵を取りに席を外した間に、ひそひそ声が交わされることに。
「聞いていたのと少しご趣味の方向が違う気がします」
「私のほうは、アイゼルからは色々愚……話を聞いておりましたから……。項目や費用そのものでなく、他人から言わせるようにされる事が共通しているのですよ」
「ああ、額よりもそこが大事なのですね」
よくわからん。金を溜め込むのは前提で、その金にいかなる色がついているかを楽しむということか? 金庫の前でにんまりするという噂は、それを回顧してのもの? うーん、まあいいや、分かりたくない。
「どちらにせよ、これがうまくいけば後はいかに帰るかですね。帰途の案内もお任せくださいませ」
「ファビオ殿も御苦労様です」
「いえいえ、姫様のほうがお疲れでございましょう。我が主も若いですが、姫様はそれ以上にお若い。その年でこれだけの重責を背負われて動いておられることに感服いたします」
「私にはまだ支えてくださる皆様がおられます。今は立ち止まるときではありませんから」
でも流石に目の下に隈ができていましてよ姉上。化粧で隠すのもそろそろ限界ですよお……。頑張れ元私の身体。
「それなんだが、少し帰りに寄り道してもらっていいかね」
「どこに向かわれるのですか?」
「私の上役の筋の方の所に通じる道が、この近くにあるんだ。ちょっと、ジェフティとリディアへの件について情報もあるそうだし」
「どれくらいの寄り道になりますか」
「時間的には伸びるのは2アウテル(3時間程度)くらいだと思う」
「その程度であれば私は差し支えありません」
「姫様がよしとされるなら否やはありません」
「皆も? はい、ではそういうことで」
「済まないね、そちらへの分岐になったら声をかけるよ」
そして公爵が、小さな宝箱をもって帰ってくる。
「こちらが起動鍵と伝わる物です、ご確認くだされ」
「はい、これは……」
魔導聖鎧の起動鍵は特に形状が定まっているものではない。それぞれ個体ごとに違うものだ。オルドデウスのものだというそれは、基本には奇妙な巻き貝のように見える。
表面に蓮の花のような刻印があり、貝の中には拳ほどの大きな蒼い宝珠が輝いてる、やっぱり召喚のために鍵自体に上位宝珠使ってるっぽい……ん?
「ほあああああ!? なんじゃあこりゃああ!? おおい陛下、リオネルとやらに肩入れしすぎじゃろ!」
「どうしました」
「どうしたもなにも」
画面の中でも、鍵をみたエルシィさんが目を押さえながら天を仰いでる。これもしかしてヤバいブツだったの?
「おいナヴァ!」
『なんだ、念圧が大きい。下げてくれ』
「アレと、アレに合わせた魔導聖鎧をただの人間に渡しおったのか!? いやアレがあるなら既に魔導聖鎧などという次元のものでは」
『鎧ではあるだろう? アレのだが』
「いや待て、さすがにアレが何かまでは伝えてはおらんかったであろうが、それでも」
『リオネル殿はアレが何であるかを知っていて、そして最後まで使うことはなく封印した』
「なに?」
『そういう人物だったからこそ陛下は彼に肩入れしたんだよ』
「……自制心ある人物というか、されど宝の持ち腐れというか……相当じゃの」
『大体、ただでさえ吝嗇で物臭で秘密主義の陛下が、本人じゃない子孫でも守るなんて契約交わした時点で、相当に……がっ!?』
突然声が途絶えた。
「……迂闊な事は言わないほうがいいみたいですね」
「口は災いの元じゃな……妾も気をつけるとしよう」
「それで、結局あれはなんなんですか?」
「見ての通り宝珠じゃ」
「どういう宝珠なんですか」
「口は災いのもとじゃ、今は言いとうない」
「……もしかして、神器なんですか」
「……………………………………(こくん)」
ご先祖さまああああ、一体何をもらったとですか! しかもこのホノカさんの慌てようからして、相当上位のですよね?
「無知とは恐ろしいものじゃ。というか、起動鍵とか言っておるが逆じゃろ、アレが本体で、躯体のほうはアレを隠すための箱では……」
「はうっ」
「これ迂闊に起動したらあかんやつだと思うんじゃがのう……」
『よりによって貴様がそれを言うのか?』
「……起きておったか」
『既にシアから話は聞いた。我はただ必要な時のみ我になる。人の世にて無駄な力は振るわぬ』
「妾とて必要な時にしか力は振るわぬよ」
『それを理解できていれば言うことはない。いや、強いて言うなら貴様の念は五月蠅い。近くに存るときはいま少し静かにせよ』
「善処しよう」
『そこの娘よ、邪魔したな。そなたも数奇な運命であろうが、せめて残りの時は楽しむがよい』
「あ、はい。ありがとうございます」
『人と話すなど、チェリア以来か……さらばだ。我はまた暫し眠る』
「……今のは、あの起動鍵の中の聖霊ですか?」
「そうじゃな、あやつは苦手じゃ……そも今のここに話しかけること自体、妾が奴の立場であればできぬ。妾の如き特化型には、時折あのような万能型が羨ましくなるわい」
「上には上の悩みがあるんですねえ……ああ、でも」
「どうした」
「なんで、人形遣いだった当時の姫が、これを持ってくることを望んだのか、わかりました。今の私と近いのかなと。きっと、話相手が欲しくて、近くにいて欲しかったんですよ」
多分そういうことなのだ。あれが神器で、聖霊持ちだという知識は、おそらく王祖以降には伝えられなかった。
敢えて伝えなかったどころか、封印さえした。そしてチェリア姫は、何かあってそれに気がついて、あれを話相手としたのだ。
殆ど永遠に近い時を存在し続ける聖霊にとって、人との語らいなんて、一時の遊びでしかないかもしれない。でも人間のほうにとっては、自分のことをずっと、死んでも覚えていてくれる話相手は、きっと貴重なものだから。
4/16 レイアウト等修正




