第十三話 隣で咲きたかっただけなのにね
解散と休息を告げて、一息ついた姉上は、ふと窓の外に目を向けた。もう夜になって、外には…………あ。あれは、もしかして。
「今日は……新月でしたか」
「そうでございますな! だが闇夜であろうと今の私の心は感動に煌々と燃えております!」
いつものノリに戻った伯爵が合いの手をいれるが、マクセルから白眼が飛ぶ。単純に演技というわけではないというか、この伯爵、やっぱりこっちが素ではあるのだろう。
短時間はそれを抑えられるようだ。ああ、なるほど。さっきは精神の歪みを魔術で抑えたのか。私も生前は少し似たことをやっていたから分かる。
「以前ですが、この近くまで来たことがあったのです。2人だけで」
「2人……オルフィリア様が? どなたと」
「あの子が言ったのです。自分の名をもつあの花を見たいのだと。このあたりには……」
「ああ……」
おお、久しぶりに見た。窓の外に見える、白色に見える小さな花。新月花。新月の闇夜だけに咲く奇妙なその花は、このあたりでは、ラファリアという名で知られている。つまり、私の名前の由来である。
姉上も含め、私達姉妹は、みんなこの国に咲く花の名を名付けられた。我が国の固有種や、他にあっても呼び名が独自、というものもあって他では通じないことも多いけれど、うちの王家の女は、花に由来する名をつける伝統なのだ。
王祖后のフリージア様の名前も元はかつてあった花の名前なのだとか。なおどんな花かは知らない。
新月花は、夏の闇夜に咲く花で、灯りを近づけるとすぐに萎んでしまう。松明や月明かりでも厳しいので、一瞬だけ見るか、弱い灯りで結構遠くから見るしかない。
そのため夏の新月か曇りの夜にしか花を見ることがない。姉上や妹たちが割と一般的な、花壇に並んでもいい花の名なのに、何故か私はそんな花の名を与えられたのであった。
どちらかというと新月花は、綺麗ではあるが鑑賞花でなく薬草扱い。球根を砕いて煎じて飲むと精神安定の効果があるというが、別にこの花でなくとも同様の効果でもっと一般的で育てやすい草がある。
つまりこの花を敢えて植える人もおらず、一部の地域で自生しているだけ。なんでそんな花を娘の名前にしましたかお父様。
そう、ある夏の日のこと、姉上の花であるオルフィリアを見てぷっつんきたのだった。オルフィリアは、別名を陽日花といい、夏の日差しを思わせる黄色系統の濃淡入り混じった、スイセンに似た美しい花で、その夏から王城の中庭にも植えるようになったのだ。スイセンと違って毒もないし、育てて問題はない。しかして私の花は、城どころか王都で見かけることもない。
宜しい、ならば見に行くまでのこと! 確か近場ではファディオン伯領のあたりにはそこそこあるとか。しかし父の許可が下りない。おのれこの男、可愛い娘に旅をさせる気はないのか!
……まあ母上が病で亡くなったあと、父上が母上そっくりに育ちつつあった私達姉妹に対して些か過保護になっていたのは致し方なかったのであろうが、例え護衛を付けていても、夜に11歳の小娘を外に出すなどとんでもないとのたまう。
だったら、なんでそんなことをしなければ見ることもできない花の名前をつけましたか? え? 見るのは難しいがとても綺麗な花だから? 母上の印象に似てると思った? 陽日花も同様で、よく似ている? そんな事言ったらますます見たくなるではないですか? でも駄目ですか? ならばせめて王城に植えてくれませんか? それも駄目? 夜な夜なお前が部屋をぬけだしたら困る?
この過保護野郎め、よかろうならば脱走だ、私だけでも見に行ってやる!
というわけで脱出計画を練り、いざ実行に移さんとしたときに、オルフィにバレたのである。他の人相手なら誤魔化せても、オルフィには私の不自然な様子はすぐ分かるらしい、伊達に双子をやっていないということか。
そしてオルフィは、ラファだけに行かせるなんてとんでもない! と言い出し、しかし大人たちに話が漏れれば、連れ戻されるのは明白であった。
でも私はともかく、オルフィを危険にさらすなんてそれこそできな……あれこれ父上の言い分と一緒か。仕方ない、何かあれば命に代えてもオルフィだけは守るとして。
こうして姉妹の一夜の冒険が始まったのである。魔術で作り上げた身代わり人形が侍従たちにバレるまでの数時間の余裕、このために宝物庫からこっそり拝借していた飛行の魔導具を使って、2人の高い魔術の素質にものを言わせて飛竜に匹敵する超高速移動を実現、姉妹だけの深夜の花見を敢行したのであった。
いや言葉でいうと簡単だが、準備と実行には結構苦労したのよ、我ながら。
……うん、最終的には、その超高速移動のせいで早々に目撃されてしまい、思っていたより早めに足がつき、先代のファディオン伯に父から魔導伝文がとんで、こちらについてすぐ私たちの身柄は確保されてしまった。
そのため実際に新月花を見ることができたのは、ほんの僅かの時間だったのだけど。あれは、うん楽しかった。あれだけオルフィと笑いあえて、いけない秘密を共有する楽しみに浸れたのは、あの時の他にない。周りの大人たちや従者たちにはまことにご迷惑をおかけいたしました。
「……そのようなことがありまして」
「私がまだ王都の学園にいたころですな、そうですか、そんなことが……」
「ラファリア殿ならわかります、その気になったときの集中力と行動力は凄まじかった。普段と違って」
……何が言いたいのかなマクセル? 普段私が集中していなかったとでも? うんその通りだよ悪かったな! というかあなたは知ってたよね、私は魔術の助けを借りないと集中が持続せず、じっともしていられない体質なんだってことを。
……あれ? そういえば死んでからあのムズムズイライラを感じないな。もしかして体質だから幽霊には影響ないということか。おお、肉体の軛とはかくも厄介なものだったのね……。
はっ、そうであるならまさか姉上に悪影響が? 今のところそういうことはなさげだけど、大丈夫かしら。
「先代にはご迷惑をおかけしました。それで後日、ラファには私が王になったらあの花を城の庭に植えると約束したのです。……せめて、その約束だけでも。守らねばなりません」
姉上……いや私自身は、今となってはそれほどは執着してなかったですよ。一度は見られましたし、ミルトン家に来てからは忘れることにしましたし。父上が、お義父様にくれぐれも屋敷に植えたりするなよと命じたのは関係ないですよ? ないからね? ええ。
でも、それでオルフィの、姉上の心が安らぐなら。……できれば姉上の花の隣で、綺麗に咲かせてください。……昼間は一見ただの雑草なうえに、夜には閉じる陽日花と同時に咲くことはないのだけどね……。
「……一刻も早く、王城に巣くった不届きものを退治しましょう」
「ええ。本当に……。それでは、本日はもう、休ませていただきます。明日はよろしくお願いいたしますね」
まあこんな幽霊みたいな形でも、オルフィの隣で咲けるなら、私はそれでも構わないのに。いつまでも、とはいかないのだろう。ままならないものだ。
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各自に割り当てられた部屋に案内され、護衛となる伯爵の手のものが廊下を巡回している足音を聞きながら、マクセルは寝台に身を投げ出した。
疲れた。今日は色々なことが、ありすぎた。本来なら兄に対して、報告の魔導伝文を送るはずが、その気力が湧いてこない。
魔導伝文は、予め一対となる筆状の魔導具を使い、決められた暗証呪文を鍵として、短い文章を送るものだ。魔導具を起動して効果時間内に文や絵を書くと、対となる魔導具が光る。ここで暗証呪文を唱えると、魔導具が自分の片割れと同じ動きを再現し、文や絵を描き出す。
距離や一度に送れる量には制限があるが、高速な伝達手段として貴族の間では重宝される。高価ながら、貴族の恋人同士での贈り物としては定番でもある。そう、彼女にももうすぐ贈るつもりで作らせていたのに。
……彼女に最初に会ったのは、11才の時だった。その頃に、子宝に恵まれていないミルトン公が、自分を次の跡取り候補としていることを知らされた。兄ではなく自分が候補となったのは、兄のほうがやりたくないと難色を示したからだ。
当時すでに18才になり、西方の武門の流儀に染まっていた兄にとって、今更文官系の高位貴族になるのはそれが例え主筋で出世になるとしても願い下げであったらしい。
そうしてミルトン家を継ぐ候補になる可能性と同時に、婚約者ができる可能性についても知らされた。なんとそれは、双子の王女姉妹のどちらかになると思われる、という、それもまた驚愕の話であった。
ただ、王妃が王都を襲った流行り病に倒れ、治療法が見つかった時には既に手遅れ、手当ての甲斐もなく亡くなってからまだ日がたっておらず、王は悲嘆に暮れておられた。そのためどちらの王女がミルトン家に降りて来るかが確定するにはもう少しの時がかかりそうだ、ということも言われた。
それでも、自分の婚約者となる可能性があるということで、夜会にて王女姉妹を観察する機会があった折りに、改めて観察してみた。
彼女らへの第一印象は、綺麗、その一言だった。まだ10歳であるにも関わらず、可愛いでなく、綺麗だったのだ。亡くなった王妃も美貌で知られた人であったが、姉妹はまさにその容貌を受け継いでいるようで、長じれば間違いなく同じような美人になるであろうと言われていた。
自身の知る同年代の少女たちとは、容姿だけでなく雰囲気も違う生き物に見えた。これが気品というものか、と、少し腰が引けたのを覚えている。
自分にこの娘たちの相手なんてできるだろうか……と、あくまで自分がどうするかを、考えていた。綺麗な花には棘があるというし、王族の娘なんて、子供でも一筋縄でいかない性格に決まっている。
そういう相手とどう接したらいいのか、父も兄も教えてはくれない。知らないものは教えられないと開き直られても困るのだけど。
だから迂闊にも、自分も観察されていて、向こうから話しかけてくるなどとは思わなかったのだ。
「あなたが、フェーデル家のマクセル殿ですか?」
姉妹は遠目からは一見同じ容姿に見えたが、近くでよく見ると、受ける印象が全然違っていた。思慮深そうで落ち着いたほうと、よく笑いよく動く、輝くような瞳のほうと。そして話し掛けてきたのは後者の姫だった。
「は、はい」
「私はラファリア・リザベルです。長いお付き合いになりそうに思いますので、これから宜しくお願いしますね!」
笑顔の君は、あの頃からとても綺麗だった。その後公爵令嬢になって学園に通い出したあと、その笑顔に何人の男が勘違いしたか、君は知っていただろうか。
そして、どれだけの奴が君が本当の笑顔を向けるのは姉に対してだけだと知っていただろうか。私は残念ながらそういう笑顔を向けてもらったことはない。
君にとって、私はおそらくただの婚約者の域を出なかったのだろう。本当に、こちらの気持ちも知らないで……。
ラグナディアの双花と呼ばれた姉妹。オルフィリアの方が落ち着いた聡明な優等生で、高嶺の花を体現していたのに対し、同じ顔なのに気さくで朗らか、色んなことに首を突っ込み親しみやすさを醸し出すラファリアは、学年や身分を問わず男子に人気があったと思う。
女子には、その態度を煙たがる人や、王族、貴族らしからぬと陰口を叩く人もいたようだが、本人は意に介さず、仲のよい何人かとつるんでいつも笑顔だった。
中身のほうは割と皮肉屋だけど、その皮肉も堂々としていて陰湿さもなかったし、所作には気品もあった。そんな君の婚約者であった私のほうにどれほどの男どもの嫉妬が向かってきていたか、知っていただろうか。
そして……ラファリアは間違いなく、天才だった。姉姫も魔術や勉学については天才といってよい人だが、遥かにできることが多かったのは妹のほうだ。
ただなまじそうだったせいか、一つのことに集中しない性質だった。魔術も学問も、美術や料理や遊戯、武術でさえ、少しかじっただけでそれなりの域にまで行ってしまい、そこで他のものにいってしまう。
そしてそんな自分より、魔術や勉学に集中した姉のほうが優れていると、ラファリアは本気で思っていたようだ。おそらく彼女には、その姉を超えられる才があったのに、無意識に姉を越えたくないと思っていたような気配があった。
それが、彼女が王太子に選ばれなかった理由なのだろうと思う。婚約成立のあとの宴の場で、来賓であったベルトラン陛下が、二人きりになったときにぽろっと零したのを覚えている。
「君が、ラファリアにとって大切なものを増やせることを願っている。才ならばあの娘のほうが王には向いていたが、性格がな……。一見そう見えないだろうが、今のあの娘には大切なものが殆どないのだ、それこそ、ただ一人くらいしか……。それでは危ない。ゆえに、あの娘のほうをミルトン公に預けることにした。双子は国外には出せないきまりゆえにな」
今思えば最後のは、命を交換するという術式のせいもあったのだろう。その前の言葉については、あのときは陛下が何を言っているのか分からなかったが、その後の4年ほどの付き合いで、その認識が正確なことを理解した。
誰に対しても気さくで優しいことは、別に演技ではなかった。だけれども、姉に対して抱いている感情とは、重さが全く違っていたのだ。しかもその違いを本人が自覚していなかった。だから、今日シエラが馬車の中で言ったことには全くもって同意だった。
今朝、一縷の望みを失礼にも言ってしまったが……その後、さらに衝撃的なことを明かされたが……。中身は、間違いなく、オルフィリアのほうだった。
だがもし本当にラファリアの演技だったとしても、きっと君は本気で姉になりきっただろうし、なりきりでなく自分が後を継ごうとした場合でも、今までのようにはいかなかっただろう。
どちらにしろ、この叛乱が起こった時点で、君を失うのは避けられなかったということだ。
今更になって喪失感が湧いてくる。そうとも、私は君が好きだった、君にとっては私はまだそんな対象でなかったのは知っていたけれど。時間はあると思っていたのに。
しかも君達を殺した叛乱の首魁が、自身もまた唆された馬鹿の可能性まで出てきたのだ。ああ畜生。どうしてそんな奴に、そんな力が。手を下したやつも、それを唆したやつも、どちらも、許してなどおけるものか。力が欲しい、あの魔人の血を引く老婆のような、力か、せめて知恵が欲しい。
自らの歯軋りを聞きながら、マクセルはいつしか眠りについた。
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