第十一話 川の流れのように
エルシィさんとマクセルが、魔術でその辺の木を切り倒して削って、簡易の荷台を作り出し、馬車の後ろにくくりつけ、そこに騎士たちを寝かせた。
全員もう手当てはされているが強制的に魔術で眠らせている。縛られて猿轡なので寝苦しそうでもある。でも今起きてもらうわけにもいかないしね。
「とりあえずこいつらにかかってるのを解除するのは後回しだ、向こうについてからやるよ」
「……正直いって貴公の手並みは色々と私の想像を超えている……先ほどの敵も、一体なんなのだ」
ブーリエンがぼやく。
「どう報告するかが大変だね?」
「全くだ……できるなら、もう少し事情を説明していただけると助かるのだが」
「すいませんね、ブーリエン殿、ダリス殿。打ち明けられる範囲のことは、あとでファディオン伯も交えてお話いたしましょう。まずは急ぎましょうか、日もだいぶ傾いてまいりましたし」
「はい、姫様」
「アンセム、分かってるね?」
「ハイワカッテオリマス」
だから可哀想でしょマクセル
日が暮れる頃に、ファディオン伯の治める街、ダラスについた。ここは大河ファラモントを見下ろす小高い丘陵地に作られた街で、普段なら水上交通と街道との接続地であり、それなりに活気のあるはずのところだ。
でも今は人影もまばらで、下の川の方にも船の灯りはない。叛乱の影響があるのか、どうも活気がない感じだ。
別のところでは、叛乱で警備体制が低下し、早くも山賊などが跋扈しているという話も軍議ではでていた、そうなるとますます寂れてしまう。
やっぱり早めに叛乱を鎮圧しないとね……。そしていつの間にかイーシャ……さん? は消えていた。どうやらお義父様のほうにいったらしい。もし何かあったらお願いしますね。
「やあ、これは遠路はるばるまことにお久しゅうございます姫様!」
そして館の前につくなりいきなり響く声。私はこういうの苦手。よく表面上何でもないように取り繕えるよね姉上。
「アーロン殿もご壮健のようで何よりです」
年齢は20ちょい。先代が事故で早世し、若くしてアーロン殿がファディオン伯を継いだのが数年前だったかな。長身に、鍛錬を欠かしていないことがわかる見事な身体と、輝く金髪の美丈夫だが、中身はかなり変な人との噂だ。そして噂通り変らしい。
「なあに、この私のところに来られたからには空船に乗った気分で休まれるとよろしい!」
何ですか空船って。やはり頭のネジがどこかとんでいる。たぶん躁病の類ではないかと思うのだが、この人が一番変なのは、言葉はこうでも行動自体は問題ないことだとマクセルが言っていた。そうであれば演技なのかもしれないが、なんでそんな演技をするのかわからない。
「実は先ほど、敵の手のものに襲撃を受けたところなのです。それにつきましても後ほど詳しく……」
「事情は分かっておりますよ、実は密かに迎えこそ出さなかったものの斥候は出していたのです、ええ、敵の策も予測できておりましたなにしろ私は天才ですから!」
なぜそこで天才を主張するのか。
「いやまことに災難でこざいましたな! 姫様たちが天を焦がす炎の中に消えたと報告を受けたときには流石の私も血の気が引きましたぞ! よくぞご無事でございました!」
館にも入ってないところで大声でこんな事を言っていいのかと普通は思うわけだが、実は伯爵の後ろに控える執事が会話が始まる直前に遮音結界を張っていたのである。素晴らしい連携。なので問題はないのだ……ないか?
「…ありがとうございます。まず、敵に操られていた者がおり、彼らを捕らえております。敵の術を解いたのち、詳しく話を聞きたいと思っておりますので、それまでの間、どこかで彼らを眠らせておくための部屋を確保していただけますか」
「分かっておりますよ、聞くところによらば、かの奇怪な術をとくすべをお持ちだとか! 私としても現在の王城を内部から見た有り様に極めて興味が御座います、そして、そう。その術をもつそちらのご婦人にも興味が溢れて川になりそうなほどです!」
とエルシィさんを見る。うん、表現はおかしいが言いたいことはわかる。
「……とりあえず、それらについてもお話しさせていただき、情報を共有したく存じます。その後で、騎士たちの術を解除出来ればと思います」
「ええ、私も全く異存は御座いませんが、まずは食事をお取りくださいませ。腹が減っては戦はできぬといいますからな! ルドルフ、皆様を部屋へおつれし、食事をお運びするように」
食事のあと、伯爵も含めた皆で集まり、状況の報告やら説明の時間となった。念のため遮音結界も張っている。一息ついたところでエルシィさんが口を開く。
「さて何から話そうかね」
ダリスが答えた。
「貴殿自身と、敵について、話せるところでよいのでお話しいただけまいか」
「私が何者か、だが……私は西の果て、ファスファラスの、蒼鱗騎士団というところの団員だよ」
「やはりファスファラス……魔の国か」
「魔の国の住人と語らうのはダメだというなら、出て行ってもいいよ」
「いや。もう少し西の国ならともかく、このあたりは聖教本山からも遠いし、そこまで魔の国だろうと拒絶することはない。私自身もさほど敬虔な信者とは言えんしな。火急の時であるし、姫様がよしとするなら否やはない」
「皆も宜しいですか? ……それでは、ええ、よろしくお願いします」
アンセムが呻く。
「しかし、蒼鱗騎士団……ですか……」
「知っているのかい」
「私の一族は、数代前の先祖がファスファラスの出身なんです。そのため向こうの話はいくつか伝わっています」
「ご先祖はどの辺出身だい?」
「東のダイラム州です」
「そうか、それでかい。あの魔眼の娘もだね?」
「ご存知ですか」
「蒼鱗騎士団には亜魔の万象の魔眼の持ち主の記録もあるんだ、それは知っているかい?」
「はい。我が祖先が、蒼鱗騎士団にて、万象の魔眼を用いて幾多の大功を上げたことはまさに一族の誇りであると、父祖からは聞かされております」
「あの人の子孫がこっちにもいたなんてね、それは知らなかったよ」
「孫の代にあたる一人が、何人かと共に外に出てこちらの大陸に移住したのだそうです。そして私の親の代で、フェーデル侯にお仕えすることになりまして……」
「背景を知っているとエルシィさんの声色に微妙に棒読み臭があるのが分かりますね」
「うむ、まあ気にしてやるな、武士の情けじゃ」
……ブシってなに?
「ファスファラスの騎士団とはどういうものなんですか?」
「ファスファラスには、国土防衛を担当する五色の騎士団があります。それぞれ、東を守る蒼鱗、西の白牙、南の紅翼、北の黒甲、中央の黄角。この騎士団に入るだけでも、普通の人間には無理で、ほぼ純血の魔人か、混血でも相当に力の強い人しか入れません」
「求められる強さが、市井とは桁違いなんだそうで、平の騎士でも、他の国の騎士三人ぶんは力があると思え、という話が家中には伝わっています」
「そりゃあ、だいぶ前の話だね。今は騎士団はあまり人気がないからねえ、そういう普通の新人は開拓公団のほうに行ってて、騎士団や警邏はどこも新人募集に苦しんでる。だいぶ平の騎士の力は落ちてるよ、あんたたちと大差はないだろう」
「開拓公団?」
「最近のファスファラスは、本島よりさらに西の海のほうに領土開拓事業をやっててね。あっちのほうはだだっ広い海に、小さい島が何千とあるんだよ。大抵、魔物が住み着いてて討伐が必要だし、そもそもあの辺の海自体魔物の巣窟で暗礁ばかりの難所だし、その割に居住できるところが狭いってことで長年放置されてた」
「だが昨今、海を渡る技術が進歩して、暗礁を楽に避けれるようになったのさ。それで島ごと買って別荘にしたいっていう貴族や金持ちどもが増えて、そのために魔物を駆除したり、魔物から島を守る需要ができた」
「それらの武力需要を取りまとめているのが開拓公団だ。実戦の機会が多いし、給料もいいってことで、そっちに人が流れてる。一方各騎士団は、やれ伝統にうるさい、訓練はきつい、給料も高くないって文句が増えてて最近の軟弱な若者には人気がない。嘆かわしいね」
「「…………」」
なんというか世知辛い話を聞いてしまった気がする。しかし……他国の騎士三人分が、「普通の新人」扱いに聞こえたんですが……? そして隣でも謎の議論が始まった。
「開拓公団? あー、あのエストラーダとシャノンの連中が始めたやつか。最近はそっちが人気なのは聞いておったが、それでも平騎士がこの辺と大差ないじゃと? 本当ならなんでそんなに弱体化しておるのだ? 何があった、おい、ナヴァよ、ラヴィーネは何をやっているのだ」
『……余り下らないことで話しかけないでくれないかな』
「いくら陛下の手を離れたとはいえ、あそこの騎士団の弱体化はそちらとしても困るのではないのか? ラヴィーネには陛下の代行としての責任が…」
『単純に国内人的資源の配分の問題だ、騎士団の下層は弱体化しても、上層部の力は維持されているし、公団によって戦闘経験が増えることでファスファラス全体の総力はむしろ上がっていると見られる』
「数と質は両輪じゃぞ、質を上層部だけで補おうというのはまさに衰退しつつあるものの発想に他ならぬ。大殺界の巡りの魔獣大暴殖に対応できる戦力を持っておらねば、何のための騎士団か? 開拓公団のほうは、従軍義務もなかったであろ」
『それならあなたの主に稽古でもつけるように言ってやってくれ、騎士団総長が何百年不在にしていると思っている?』
「うむ。すまなかった、この話は忘れよ」
『それでは』
「まあ向こうの現状はあまり本題に関係ないからおいておこう。私は蒼鱗騎士団から2つほど任務を命じられてこちらに来ている」
あ、マクセルに目配せしてる。つまり少し話を変えるということね。
「一つは、200年前、ファスファラスからある王家に貸し出された魔導具があるんだが、これの契約上の貸し出し期間が過ぎた。それで、当該王家の者と今後の契約をどうするかを交渉しなきゃならん、ということになって、実際に交渉していたところ、まだ話が纏まっていないうちに叛乱を起こされて交渉相手の国王が殺害されるという事態になってね」
「本来王家の秘密に属することなので、あまり広めないでいただきたいところです。もし話すにしてもそれぞれの主にのみとしてください。王祖リオネル、そしてフリージア后は、かつてファスファラスの貴族と交友があったようなのです。王祖らが亡くなられた後は没交渉になったのですが、交渉があったこと、そしてある魔導具を借用したことは記録に残っております」
「ある魔導具とは…?」
「魔物除けの魔導具です。実際、王都近郊だけは魔物が出現しないでしょう?」
「そういえばそうですね……」
「そのような魔導具があるのですか? 王都の規模で可能なのであれば凄い話なのでは……」
魔物避けの道具自体はよくあるけど、効果範囲ってせいぜい普通に話し声が聞こえる範囲くらいまでだものね。
「ええ、実際凄いものかと。幾許かの財宝と引き換えに、それを借りることで、王祖リオネルは、魔物に邪魔をされずに都を作ることができたのだと聞いています。ただ当時の経緯は記録のみで、父や私もあまり把握していないのです」
「だがあの魔導具は、うちとしても貴重なものでね。可能なら返却してもらいたいというのが本来の持ち主の意向だ。人間にとっては200年なんて遥か昔のことだろうが、純血の魔人にとっては、せいぜい父親世代の話、当時の経緯を直接聞いたのもいるのさ。だから借用期間200年なんて設定も出てくる、時間感覚が違うということは分かってもらいたいね」
「今もその魔導具は使われているのですか?」
「城の奥に隠されているのです。効果が切れるたびにかけ直すのが、王や王太子の仕事でした。ここ数日は起動できておりませんので、あるいは魔物が現れる可能性もありますね……」
「これはどこまで本当なんですか?」
「魔物除けについては、魔導具でやっているのではなく契約によって陛下が維持させている結界によるもの、というのが本当のところじゃな。魔導具云々はエルシィの立場を作るための作り話であろう。実際にそういう都市規模に有効な道具があるかどうかでいうなら、ファスファラスにはあるが使っておらん」
「それはまたどうして」
「使えるやつが少なすぎる。純血の魔人でも起動できんやつがいるくらいじゃし、寄ってこなくなる魔物も弱いやつだけじゃ。あれで寄ってこぬ程度の魔物ならそこらの一般人でも倒せるということで要らんということになったはずじゃ」
さっきの普通のやつ発言といい、何となく一般人の定義が私達と違う気配を感じますが?
「魔人王陛下の結界のほうが強いんですね?」
「そうじゃな。まあ本人がやっておるわけではないがの、そういうのが得意な奴にやらせておる。その力をお膝元では使わせんあたりは陛下の考えがそうだというほかない」
「正直、叛乱の首魁とは交渉したくないし、できないだろうし、あいつには正当な権利もない。できればこちらの姫様と改めて話をしたいんだが、どうやら叛乱を鎮圧しないことには、落ち着いて話もできないみたいだからね、とりあえずそれまでの間、護衛を請け負うことにしたのさ」
「あなたは、魔人なのか?」
「私は向こうだと亜魔という分類だね。これは、魔人と人間の混血かその子孫で、魔人の割合が半分以下のことを指す。今のファスファラスは貴族以外は殆どが亜魔だ。そこのアンセムもほぼ人間になっているが、亜魔の子孫だろう」
「そして、平の騎士でもない、と」
「期間こそ短いが蒼鱗の団長だったこともあるからのう」
「思いっきりお偉いさんじゃないですか」
「はは。私はもういい年だし、今は名誉職でね。だからこそ交渉役になった。そも、現役の主力がこっちの大陸にくることは原則禁止、それが太古の勅命だ。万一若い魔人がこっちにいたらそいつは特命を受けているか、さもなければ脱走者だから、私らで処理するよ」
「勅命……そう、話だけ聞くと魔人の方々がその気になれば、余裕で大陸制覇できたのではと思うのですよ」
「それは陛下が決して認めぬ。北方大陸に魔人の国を作ってはならないとの勅命は二代目以降の太古からのもの。それを知らぬ元老はおらん」
「……なぜそのような命令を?」
「約束ゆえ。陛下は過去の祖先全ての記憶をもっておる。受け継ぎし霊威のゆえに、祖先の交わしたどんな約束であろうと、忘れることはない」
ずきっ……。
……約束ですよ。もうこちらには来ないようにしましょう? 私達は、少しばかり、彼らとは違い過ぎました。そう思いませんか、父さん……。
「…どうした?」
「あ、いえ……ちょっと、何か聞こえたような気がして」
「私の祖先のような外への移住希望者は、いろいろと制約や記憶の処置を受けてからでないと向こうを出ることは認められなかったそうですね」
「今もそうだよ。まあ純血やそれに準じる濃さの略魔はともかく、亜魔や人間ならそんなに厳しい条件じゃあない」
「しかし、あなたほどの者が現役ではないとは、さすがに魔の国だ」
「あんた達のところだって、あの将軍はなかなかのもんだった、うちの連中でも油断できない腕だったよ。流石に年のせいか持続力は無かったが」
「ニクラウス将軍は……まあ、あの方は例外としてください」
「まあ、私らについてはこのくらいにしとうこう、問題はあのガルザスとやらの力だね」
「人を操るとは、実に下品な力であるといわざるを得ませんな! しかも俄かに信じがたいことながら、凄まじい人数に対して使っているうえ、魔術では、守ることも解除もできないとの話。されどあなたは解除できるという、そこのところを詳しく教えてもらえませんか!」
「少し声を小さくしてくれ………ああいった、人を大勢操る力というのは私も自分では見たことはなかった。だが、通常の魔術では再現、対処できない異能というのは、魔人の間では稀にあることでね」
「大昔には似たような力のやつがいた記録がある。うちの騎士団にはそうしたものへ対処するための技もいくつか伝わっている。精神干渉型の異能ならこうすればだいたい防御できるはず、というくらいのものだがね。幸いそれで防げるようだ」
「対処法があるのか?」
「あるが、術式そのものは奥義に属する類、教えるわけにはいかんよ。考え方だけなら教えてもいいが、そこから術式化して呪文にまで落とし込むには正直相当な知識がいるし、そこからやってたら、魔導具無しには実用的な長さにもならんだろうね」
「実のところ、私も概念は教えて頂いたのですが……感情抑制、自意識強化、思考指向性検出他、十数の術の複合魔法になります。単純に試算すると、とても実用的なものになりません……唱える時間が長すぎるのに、維持できる時間が短すぎるものになってしまいそうです」
「学園のアビダル教授あたりが好きそうな方向性ですね、あの人が無事なら少しは簡略化して術式化できそうですが……」
「仮にあの方が無事でも一朝一夕には無理でしょう」
「あのガルザスの異能専用の術じゃないから、たぶん無駄も多いだろうと思うがね。そこを省けば短くなるだろうが、それには肝心の異能をじっくり解析しないとできないだろう。しかも解除のほうはそれだけじゃ足りない。とりあえずいくつかの要素を三重並列同時発動できるのが最低限だ」
アンセムが口をはさむ。
「は? 三重並列? ありえないでしょうそれは」
「すまんどういうことなんだ?」
「三つの魔術を同時に発動させるということです。……複合魔術って、同時には発動してないんです、複数の効果を持つ場合、各効果は順番に発動してるんですよ。その順番をどう配置するかが複合魔術理論の大事なところなんです」
「だからどういうことなのだ?」
うん。魔術を、単に決まった呪文唱えるだけ、それをいかに速く発動するかをひたすら訓練っていう感じの脳筋の人とか、こういう座学の理論には興味ない人多いよねえ。
順番や遅延時間をいじると効果が全然違ったりするから、魔術って凝り出すと大変なのだけど。
「つまり、同時発動は一人じゃ出来ないってことですよ、複数の術者が全く同時に魔術を発動させなきゃいけない。これは物凄い精度で一致しないといけなくて、武術で例えるなら、矢で矢を撃ち落とすくらいのことですよ。確かにそれができないと発動しない効果とかはあるんですが、周到に準備した実験室でも二重並列ですら至難なのに三重なんて」
「うちの騎士団じゃ、二重並列くらいは一人でできないと十人長から上には昇進できないよ」
「どうやって!?」
「こっちじゃやり方が広まってないだけさ。二重くらいあんただって練習すればできる、習得に時間はかかるだろうけどさ。ああ教えるのは無しだよ。一応は機密だ」
「これもあれですか、魔素を見る訓練とかと同じようなやつですか」
「そうじゃな、あれよりは高度なので誰もが使う基礎ではないがの。多重並列起動が出来ないと奪魄にやられたやつは回復しにくい。並列起動でない場合、奪魄を強制解除した時点で発狂や廃人になりかねんからの」
「廃人になるのは困りますね……」
「つまり、結局あなたのような一流の使い手でない限り解除できんのか?」
「解除するだけなら並列発動までは必要ないよ。やり方を教えれば魔導師免許持ち以上、そこの姫様くらいの腕ならすぐにも出来るだろうさ。ただその場合、元に戻らないだけでね」
「というと?」
「人間をあれだけ操る術が、心を壊さないわけがないだろ。操られている紐付きの状態から、そこを元に戻すためには、いくつかの構成は完全に同時にやらんといかんのさ、それが最低でも3つということだ。同時にできない場合、心が元に戻らず発狂する危険がある」
「それは困るな……結局、今は貴殿しか解除できぬということか」
「解除については、あといくつかはやり方があるだろうから、私としてはそっちをお勧めするよ」
「どういうやり方だ?」
「操る力とその経路が完全に途絶えれば、対策の術式たちを同時発動させなくても、発狂まではいかない。というか、その時点で昏倒するはずだ。そうなれば、そこらの魔導師でも回復できるだろうさ。まあ、多少やり方の知識はないと昏睡したままになりそうだがね」
「つまり、ガルザスが死ねばよいと?」
「それもありだ。もしくはガルザス本人が自ら解除すれば。これは正しい解除の仕方を本人がわかっていれば、だが」
「これは本当なんですか?」
「結論は正しい。複数術式同時発動が必要なのは、魂魄への干渉は魔術が苦手とする分野での、他の根源門の魔術より効果の発現がさらに遅いからじゃ」
「奪魄を本人以外が無理やり途切れさせると、その瞬間から異物に入れ替わっていた部分から魂魄が壊れ始める。ここで時間差があるとその分崩壊が進むんじゃが、これが速くてな、普通に魔術を順次発動させていると、その間に魂魄に回復不能の傷がついてしまい、精神にその傷が反映され、発狂に至ることもある」
「そのため本来は魔術でなく適切な霊威で何とかしたいが、そんな霊威を使えるやつの少なさは、並列起動の比ではない」
根源門ってなんだっけ……わからん。というか、私たちが習った魔術では、そもそも魂魄とやらを認識、操作する分野が全く知られていないのだ。そこの勉強からとなれば、そっちの意味でも時間かかりすぎるよねえ。
「自分で解除できないとか、ありえるんですか」
「困ったことにありえる。魔術だって、呪文ベタ読みで発動はできるが、中身を理解してない奴は多いだろう? 異能だってそれと同じさ、本人も能力の全貌を知らないことはよくある」
「仕方ない。そうなると、本人を殺すのが一番の近道か、まあ生かしておく必要がないのはある意味ありがたい」
「とりあえずエルシィ殿。解除については、後でルブラン達に実際にやって見せてください。よろしくお願いします」
「わかってるよ」
「でも並列起動が珍しくないなんて、ファスファラスの魔法理論は進んでますね」
「コツを掴めばそんなに難しいものではない。そも並列起動は前衛の戦士の技じゃ、後衛の魔術職の技ではない。エルシィとてそうじゃ」
「はい?」
「並列起動は主には高速化のための技で、しかも高速化の度合いは大きくはない。それでも少しでも速度を上げるために、近接戦闘役が習得する技能じゃ。八弦剣なども奥義習得のためにはこれが前提になるしの」
「……いや、エルシィさん、前衛型だったんですか?」
「いくらファスファラスの騎士団であろうと、後衛にあんな体術技能は要求せん。あやつは才能が魔術向けのくせに、非常識な夫についていくために戦士になってどっちもできるようになってしもうただけじゃ」
「旦那さんは何者なんですか……」
「武術の達人、ではある。人としての存命当時はそれなりに夫のほうも達人として有名人であったが、外国に響くほどの悪みょ……実績は残さなんだからのう」
「あとはアンセム、あのリディアという女について知っていることを教えてくれないかな」
「はい……リディアは、僕の再従姉妹にあたります。ファスファラスから移住したうちの一族は、その後ラグナディアや北のオストラントに分かれ、彼女はオストラントの親族のほうで生まれました」
「幼児の時から並々ならぬ魔術の力を見せていて……ご先祖様の再来と呼ばれていました。ご先祖様の名は、アリス・ディマリア・クロウヤード。かつて蒼鱗騎士団にいた亜魔の魔導師で、こちらでも……西海のセイレンという異名で知られているかと思います」
「かの大虐殺の魔女か……!」
「伝説の虐殺はあの魔眼によるものであったのか……なんということだ……」
………エルシィさんがプルプルしてる。
「くくくくくはははは、恨むなら命令とはいえやり過ぎた己を恨むしかないのう。あやつに龍一郎らのやらかしを他人ごとで咎める資格なぞないわくくくくく」
「結果としてそうなりましたが、なにぶん戦争ですから……彼女は向こうでは英雄なんです」
「……そうだね、まあ仕掛けられた戦には容赦しない、というのがファスファラスの立場だから、誰がやろうと結果はそうなっただろう」
はい微妙な自己弁護はいりましたー。
「まあそれはいい、それであの女は?」
「幼児の頃からあまりにも凄かったので、当時の一族で一番優れた魔導師だった、シェクタルという方、皆から先生と呼ばれていた方が彼女を産みの親から引き取り育てていました。僕とは、数年前に親戚の集まりがあり、その時に会ったのが最後でした。その頃の彼女は多少性格が荒くはありましたが、力をあんな風に見せつけることはなく、味方殺しなんてこともやらない、普通に見えました……」
「先生に幼い頃に力を抑える術を掛けられていたようで……幼い頃にかけたため、成長して彼女の力が先生を上回っても、先生には彼女を制御できたようなんです」
「昔のファスファラスで、強い素質持ちが従者になる場合によくやってた奴だね。裏切りを防ぐための保険として昔は多かったが、最近では余り聞かない。結局信頼関係がないとうまくいかんからね」
「僕の知る限り、リディアは先生を尊敬していたはずで、あんな邪魔者のように思っている感じではなかったんですが……先生はまだ40過ぎくらいで……半年前に死んだとしたら、何があったのでしょうか。ちょっと今はわかりません。後で親戚筋に尋ねてはみますが……」
「分かった。オストラントであれば、私にも伝手がある」
「シェクタル先生は、普段メルキスタンで生活されていたと思います」
「メルキスタンか……ガルザスはメルキスタンの使節として我が国に来たという。向こうで何かあったのか」
「ガルザスの力が効かないというのは」
「たぶんだけどね、効いていないんじゃなくて、魔眼のせいで効きが悪いだけだ。本人は正気のつもりだろうが、少しは影響があると見たほうがいい。ガルザスから離れるように説得できるとは思わないことだ」
「万象の魔眼とはそういう守りにも使えるものなのか? いや、そもそも他のも含め、魔眼自体、よく知らないが」
「万象は最高位の魔眼だから別格だ、普通じゃない。攻防どちらにも優れている。普通の魔眼自体は純血の魔人には珍しくないし、混血にも時々目覚める」
「基本的には、特定の魔術が、目が開いているという限定がかかる代わりに、呪文無しに高速低負担で発動する、というものと考えて構わない。だから魔眼によるものなら、精神操作の類も普通の防御魔法で何とかなるんだがね。ガルザスの力は魔眼とは別物ということさ」
「ふむ……それで、エルシィ殿、もう一つの任務とは?」
「ファスファラスから数十年前に持ち出された神器を探している。風を操る魔剣だ」
「神器だと?」
「まさか、先ほどあの女が仲間から奪って持ちさった剣か?」
「ああ。まさかここで見つかるとは思わなかった。あれは本来、蒼鱗騎士団にゆかりの魔人の貴族の家宝だったんだ、北方大陸に持って逃げ出したやつがいてね、行方不明になっていた」
アンセムが驚く。
「まさか、それではあれがダイラム家の颶風剣なのですか」
「そうだよ、最後の竜巻を見たかい? あの剣は風の神器、伝説のダイラムの魔剣さ。あれを使いこなせば、人間でも魔人を凌駕できるだろうね」
「あの魔眼に加え、神器だとは……するとあの女はとてつもない脅威だ」
「確かにあれはかなり面倒だ。だが、契約の話、あの剣、ちょうど同じところに揃ったのは私にとっては好都合だ。姫様に協力するのがどっちも解決の早道になりそうで助かる。できればさっさと終わらせて、早めに向こうに戻れることを願っているよ」
「何とかなるものなのですか」
「何とかするのさ、どうするかはこれから考える」
「楽天的ですね……」
「深刻に考え過ぎないのが長生きのコツだよ、魔眼だろうと魔剣だろうと、所詮は持ち主は人だ。完全無欠の神様じゃあない。ならどこかに付け入る隙はあるものさ」
「おお、全くその通り! 世の中はもっとこう皆楽天的になるべきだと私は信じるね!」
「アーロン様は少しお控えください」
「いやいや、私は今回の叛乱「だけ」を見れば楽観している次第だよ! …いえ、不幸にも亡くなられたベルトラン陛下やラファリア姫には哀悼の意を表しますが、このような叛乱が長続きする道理はございますまい!」
「何故そう思われますか?」
「あのガルザスという男の力は話に聞く限り極めて奇怪、極めて強力。なるほど一気に攻めるには恐ろしい力でありましょう。されど、その後の動きときたら! およそ、人の上に立つことを知るものの動きではありません。そうそう、私のところにも正統なる王に従えとの書簡が来ておりますが」
ひらひらと、手紙らしきものを降って、ぽいっと捨てる。
「これの内容はおぞましいほど傲慢かつ空虚! 何。姫様には申し訳ないですが、本来は、町にしろ国にしろ、上が挿げ替わっただけでは、すぐには大したことは起きないものですからして」
「……そういうものでしょうか」
「私はそう思いますな! 橋や船が変わろうと、川の流れは絶えることはなありますまい。3年前、私は思い知りました、父が突然あのようなことになり、私はろくに準備などできていなかった! いやはや、自分が継嗣であることを頭は知ってはいても心は理解してはいなかったのです、この天才としたことが何たる不覚」
うんうん。まさかこんなことに、というのは突然やってくるものね。幽霊になると実感します。
「だが私が動けないときもこの街は動いておました。部下たちも、民も然り、それはそこまでに連綿と築かれた流れがあるがゆえに、上が揺らいでも水は動くのです」
「例え突然であっても、理にかなったまっとうな交代であれば、そうなるでしょうね」
「然り然り! ここで今の王都の混乱をご存知でしょう。奇怪な異能にて人と財と武とをかき集め、されどそこに語る言葉は王なるものに非ず、ただ従え、金を出せ、敵を討てとの下品な喚き声。あたかも自らを龍だと思い込まされた蟾蜍の如し」
「人々の流れは途絶え、王都から笑い声は失われた。日々、汗と土をもって流れを従えんとする人の意志を軽んじ、涙と砂をもって流れを止めるのであれば、水は遠からず溢れるのは自明」
ファディオン伯領には、大河ファラモントが流れてるが、やたら水に例えるのはそのせいかな、水関連こそここの領主の主な仕事か。
「余りに杜撰、余りに無謀、余りに無思慮! 異能によって得た玉座など元より小船にも劣る脆弱さに関わらず、新たな船を作るでもなく、己の浮かぶ流れを埋めようなどと、砂上の絵画の如し。そんな者が王家の白龍紋を背負えるわけもなく。ああ、ならば、その絵が砂であることに意味があるのに違いない!」
なるほど。言いたいことの本題はそこなのね。なんて迂遠。分からないよそんなの。ほらアンセムが演説に耐えかねて声をあげちゃった。
「あのですね、ファディオン伯閣下、そろそろ本題に戻……」
「つまり、伯爵はこう仰りたいのですね。ガルザスは、叛乱の首魁ではあるが首謀者ではない、と」
「御明察です。わが王」
「……え?」
それまでの道化じみた弁舌から一転、突然、伯爵は姉上に対し真面目な声で完璧な礼をとった。あーもう、この人は捻れてるわ。そんな風に試すのは良くないよ?
真面目に誰も聞かないじゃない。姉上、翻訳してあげて。エルシィさん以外ついていけてないわ。アンセムなんか混乱しきってるし。
「え……ええ? 今のは一体どういうことなんです?」
「姫様?」
「ファディオン伯は、ガルザスを唆した黒幕がいると仰っているのですよ。彼を王とおだて、異能を濫用させて、それによって何かを為そうとしている者がいる。砂の如く脆い偽りの王を作り出した何者か。伯爵には心当たりがあるのですね?」
「はい。我が手のものの調べによれば、かのガルザスが異能に目覚めたのは、およそ4年ほど前になります。そして半年ほど前までは、こう言っては何ですが、自分のいた組織を牛耳り他人を働かせて豪遊する、そのような俗物な使い方しかしていなかった模様です」
「その頃に誰かに出会ったのですね?」
「はい。それまではヤーナルを名乗る剣士……これも偽名のようですが、その者しか腹心はいなかったところ、半年前に2人増えました。一人はリディアという恐るべき魔術師。これが先ほどのアンセム君の親戚ですな」
「もう一人は、ジェフティを名乗る男。問題なのは、おそらくこの男です。この男の勧めによって、ガルザスはラグナディアに凱旋せんとする野心に目覚め、まずメルキスタンに手を伸ばしたようなのです」
「お見事です、伯爵。他国のことをよくこの短期間で調べられました。お父上亡き後数年で掌握されたのですね」
「私には勿体ない流れを受け継がせていただきました。未だ未熟ではありますが、何しろ私は天才ですから」
「天才の仮面のないあなたのほうが話しやすくて私は助かるのですが。その、ジェフティなる男は今はどこに?」
「事が起こって以降、腹心の中でジェフティの姿は、初日にしか確認されておりません。この者だけは、その後の足取りも、意図も分からないのです。私はおそらくこれは、知られたくない何かをやっているものと……」
「一つには、死人が動き回るのは問題でしょうから、余り目立ちたくないのでしょうね」
「死人?」
「……我が王。それは……」
「確信はありませんでした。ですが、あなたが同じ結論に達したのであれば、おそらくはそうなのでしょう。地獄に落ちた偽の聖者が悪夢を呼び覚ましたのですね」
あちゃー………そうか、あの顔、どっかで見たことあるような気はしたんだ……陰気になってたからわからなかった……。あれは一年前に死んだはずの、グレオ聖教の……。確か汚職や背教行為を告発されて……あああそうかそういうことか、そこが始まりだったのね。
「仮に逆恨みであっても恨みは恨み、ましてそれが死を伴うものならば。今なら私にもよく分かります。あの方の罪を暴いたのは父でしたから、まずそこがここが選ばれた理由でしょうか……」
考えに沈む姉上に、マクセルが申し訳なさそうに軽く手を上げる。
「すいません、オルフィリア様。我々には何が何だか分からないので、説明していただけないでしょうか……」
姉上と伯爵が顔を見合わせ、伯爵が頷いて下がる。
「……ファディオン伯家は、代々優れた情報網をお持ちなのです。これについて語るのは割愛させていただきますが、信頼できるものと考えて差し支えありません」
「そして、ガルザスについては……彼の異能やリディアの力はそれ自体恐るべきものですが、王として君臨するには、いくら異能や力があったとしても、相応の準備や策、人脈が必要でしょう」
「しかし彼らのこれまでの動きを見るに、奇襲の準備はしていたのでしょうが、父を弑殺して以降の用意ができているようには見えません。性格的にも到底王たる器ではないと考えられ、統治者としてやるべきことができていません。そのように個人の異能に頼るだけであれば、先ほど伯爵が語られたように、限界は早めに来るでしょう。そこだけは楽観できると言ってもいい、しかしです。それだけでない可能性があります」
「ガルザスを、この暴挙に導いた何者かがいる、それがジェフティなる男ではないか、という推測ですか?」
「ええ。推測ではありますが、状況を考えますと、ジェフティは、ガルザスを王にする事が目的ではなく、王になろうとするために発生する結果のほうを求めている可能性が考えられます」
「ではそのジェフティという男が、ガルザスを誘導したとして……意図はなんなのですか、そして死人とは……」
「意図についてはまだ私にも分かりません。ですが、死人というのは……つまりジェフティというのは偽名だということです。報告にある彼の風貌から推測できる本当の名前は……おそらく、セシェル」
「………聖者、セシェル・ワレンスタインですか? ……死んだはずでは」
「そのはずですが、彼が生きているとすれば、この国に強い恨みを抱いているのは間違いなく、動機は充分にあります。何しろ彼の罪を告発したのは父だったのですから」
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