第十話 千年すら人間には長すぎます
「まあ霊威といい神器といい魔眼といい、なかなか珍しいものが集まっておる、妾としては面白い状況じゃが、そなた達にとっては大変じゃな」
「全くです……どうしてこうなったんでしょう」
「異端は異端を呼ぶのかもしれんのう」
とか言っていたら、
コンコン
この部屋の扉から、音がした。え? この部屋って便宜上の幻のはずよね?
「……なんですか?」
「あやつか、わざわざ仮想領域の縁でまでやるあたり無駄に律儀な……」
「誰かがここに入りたがっている、と?」
「おう。ノックより声に出せ、それではわからんぞ」
『……それでは。エルシィと申します。ラファリア殿、少しお邪魔させて頂き、そこにおられる聖霊と話をさせていただきたいのですが、宜しいでしょうか?』
声は確かにエルシィさんだけど、口調が全然違ってて凄い違和感が。
「えー、あー、いいんでしょうか?」
「危険はない。入れてよいかどうかはそなたが決めればよい、妾は構わぬ」
「分かりました。それでは、入っていただいて構いません」
扉が開いて……扉の向こうがぐねぐね虹色が蠢く謎空間だったのは見なかったことにしよう……エルシィさんが入ってきた。でもエルシィさん、今姉上の視界にいるんだけど。会話もしてるんですけど。
「分身で失礼いたしますね。ホノカ様とお話させて頂きたいと思いまして」
「はい」
「このたびは、ご家族そして貴国の国民共々大変な災難に見まわれましたこと、ご愁傷様で御座います。さらにラファリア殿におかれましては、私どもの都合により死の安寧をもお邪魔することになりまして、まこと申し訳御座いません。姉君におかれましては契約に基づき責任を持ってお守りいたしますので、どうかご寛恕のほど、宜しくお願い申し上げます」
「えっ、あっ、はい。こちらこそよろしくお願いいたします」
さっきまで高度な魔術戦闘を繰り広げてアンセムを引きずっていた女傑でなく、丁寧で品のある老婦人がそこにいた。
「外の姿となんだか全然違いますね……」
「騎士だった頃の現場はあちらに近い姿が日常でしたが、官僚と話すときや、引退してからはこちらの方が普段の姿ですね。今は、仕事によって使い分けているところです」
人は第一印象だけで見るべきにあらずですね。
「それでは、ホノカ様、しばしお付き合いくださいませ」
「万象の魔眼とはの。貴様もこうなるとは思っておらなんだか?」
「陛下からはここまでは伺っておりません。しかし、ことあの眼について陛下がご存知ないはずもなく、それで私が派遣されたということは、私が相手をせよということなのでしょうね」
「そうであろうな。アリス、貴様が血を残した時点で、この事態に至る可能性はあった。それは貴様もリュースも分かっておったであろう」
「今はエルシィです、ホノカ様。……予測はしておりましたが、いざ目の当たりにしますと至らなさに心が萎えます。私は結局、自分の視点でしか見えておりませんでしたか」
「普通はあれほどの才があれば貴様のように隠そうとはせんものよ。才を使い思いのままに成り上がらんとし、才を縛る者には憎悪を向けるものであろう」
「隠しきれずに表舞台に引きずり出されたあげく、後世にてあのような娘に再来と自称されるなど極めて不本意です……マシバとクロウヤードの家のほうは折りに触れ様子を見てはおりましたが、まさか島を出た孫の血筋に発現するとは。あの子は孫の中で最も私にもリュースにも似ておらぬ子であったのに……分からぬものです」
「子孫のことまではどうなるか分からんものよ。そんな事を言ったら、プラナスはどうなる。あのガルザスとかいう下衆があやつの子孫であって生まれ変わりでもあるんじゃぞ」
プラ ナス? ……あ れ? なん だろう、何か、聞き覚えが ある ような……
「ラナちゃんについては……私は余り存じません。あの頃の私は、あの娘がまだ幼子のうちに死んだもので。龍一郎……リュースなら覚えているのでしょうが」
「ああ。明日香、貴様が大統領の手先に殺されたほうが先であったな。というか、元を辿れば貴様の死が大空白時代の原因ではないか」
「だから今はエルシィです。あれを私のせいにされても困ります……どうしてあそこまでやったのやら」
「だから死んだのが貴様だったせいよ。普段は止めるほうに回っていた龍一郎が率先して暴走したからであろうなあ」
「……ラナちゃんはアーサー様と桜佳様が育てられた以上、立派に育ったのは想像に難くありませんし、記録でもそうであるようですね。最期も立派なものです。あのガルザスとかいう男とはだいぶ違います」
少し、また、頭痛が……うーん……というか、さっきから何か凄い会話が成されてる気がする。これは部外者が聞いていいものなのだろうか。部外者? ……うーん……。
「他に、陛下やナヴァ様から本件について何か伺っておりませんか」
「具体的には貴様と大差ないと思うがの。ラグナディアのことと、向こうのガルザスという男のことと……。ツムガリについても聞いておらなんだ。ただ……」
「ただ?」
「陛下は、必要とあらば、妾を鞘から抜くことになってもおかしくはないとおっしゃった」
「それは穏やかではありませんね……陛下は【全視】の霊威は封じておられるのですよね?」
「そう聞いてはおるが、【全視】がなくとも地上で起こることで、陛下の予測を超えることはまずあるまい」
「……地上のことであれば、ですね、それは」
「貴様こそ何か他に言われておらんのか?」
「頃合いを見て愚者様のところに顔を出せ、との指示を受けております。オルフィリア殿も引き合わせよと」
「あやつは謹慎中であろう、体の修復にもまだ当分かかるはずじゃが」
「シューニャ様であれば、私の限定を一時的に外すことはできますから、それではないかと考えていたのですが、どうもそれだけでは無さそうに思います」
「何かあるか?」
「まだ確証は御座いません。ですが、霊威に神器に万象の魔眼ときて、これだけで終わるようには思いません。ホノカ様の力を開放する可能性がある、とおっしゃったのであれば、考えられることは……この世ならざるものが、来ているのかもしれません」
「となると……妖主か、幻聖か、神霊か」
「あるいはかの外つ神の可能性もありましょう」
「くく。されば、斬り甲斐がありそうじゃな」
「陛下だけでなく、朱洛様も那祇様も現在地上にはおられませんゆえ、もし彼の者たちが来るのであれば、斬るのはホノカ様になることもありえましょう」
「他の手段では神の星幽面に打撃を通そうとすると物理的被害の範囲が大きくなり過ぎます。ホノカ様であれば、論理的被害や世界への影響はともかく、見た目の被害は少なくなりましょうし……幻聖ないし外つ神であれば、霊格が高い方ほど被害が無視できません。そうであれば、亜神の皆様方が前面に出られぬのも納得がいきます」
「妾はそのために妾になったゆえな。我が主もナギも今は陛下のところか。他の護法騎士は……物理の出番はあまりないが相手次第か。アミタは最後の手段として、バーリ、ルミナス、エグザ……あるいは貴様かリュースなら相手できるのではないか?」
「夫はともかく、私では遅さが問題になりかねません。先ほどの『神焦炎』からの離脱ですら、もしあの使い手があの娘でなく、魔人であったなら危ないところで御座いました。妖主や神霊であれば、魔人より遅くはありませんし」
「本来の貴様ならあのような事態にそもそもならんであろ。万象の魔眼とはいえ、最終覚醒に至っていない代物では……そういえば貴様の杖はどうした? 今使っておるのは控えのほうであろう」
「修理中です」
「……ああ、シューニャのおいたに巻き込まれたか」
「そろそろ直っていると思いますが、受けとりにいくためにも、シューニャ様の所に行かねばなりません。この杖のままでは、あの娘に対するには少し不利です」
「仕方ないのう。あとは、遅いのは仮想演算対象の霊威を切り替えておるせいもあろう。その自由度は貴様の長所だが、速度が落ちるなら【化身】からの並列か、仮想霊威を再起動せずにどれかを常駐させれば良い」
「並列には私の命数が足りませんし、平時の使用は禁じられております。他人の力を常駐させるには封印状態では器のほうが耐えかねます。仮にできたとしても、どなたかの劣化物ができるだけで御座いましょう」
「確かにそうか、ではリュースを呼べばよいのではないか。ホノコもおるなら、およそ奴に切れぬものはあるまい」
「夫も何か別件で指示を受けているようなので、不在なのです。それに仮に外つ神なら、夫でも足りないでしょう」
「ふーむ。まあ、分かった。可能性については考慮する。必要となれば妾の本体を顕現させるゆえ、貴様かこの宿主か、いずれかが振るえ。陛下の許可があるゆえ、我が主でない仮の主でも使えよう」
「了解いたしました」
ここでエルシィさんがこちらを向いた。
「それでは、話も終わりましたので、そろそろ失礼させていただければと思います。込み入った話をして申し訳ありませんでした」
「正直、よく分からないお話が多かったのですが、つまるところ、今以上に何か厄介事が起こる可能性があるということですか?」
「はい、その可能性が否定できないと考えております。ただしそれが何であるかはまだ分かりかねます。我らの上司たる魔人王陛下であればご存じであろうと思うのですが……」
溜め息一つ。
「……率直に申し上げまして、我々配下に対しても秘密が多い方なのです。これも修行の一種と考えて何とかするのが、今の日常なのですよ」
哀愁が漂っている。
「あと……」
「なんでしょう?」
「何か、普通に前世の記憶みたいなものがあるようなお話をされていましたが」
「はい、私にはありますね」
「こやつはそういう点でも例外じゃからな。普通は、万が一前世の記憶が蘇ることがあるにしても、せいぜい断片。魂と記憶とは本来別物、縁を紡ぎ直さねば蘇ることはないうえ、普通は魂は輪廻の坩堝の中で種を問わず混じり合い元の形を失う」
「ゆえに何か思い出すとしても、まとまった意味のあるものにはならぬ。だがこやつと、こやつに縁を持つ2人は普通でなくてな」
「これは、数千年前の最初の私が、生前に目覚めていた霊威のせいなのです。それに魂や記憶にも関わる特性がありまして。その結果、ナヴァ様の管理する「死者の書」に繋がりやすい特性があり、同じ魂を持つ記録が無意識にも読めてしまうのですね。そのためか、生まれ変わっても心身ともに共通点が多く。ときに前世を思い出すことがありました。ことに前回の転生では全部思い出してしまいまして」
「貴様がまた奴の前で殺されかけたことが引き金になったのであったか?」
「殺されかけたといいますか、殺されました、後で息を吹き返しただけで。……その節は、陛下にもホノカ様にもご迷惑をおかけしました」
「問題だったのは貴様でなくリュースのほうよ。そういえばその点も最初と同じか。そういう縁が貴様らの魂に刻まれておるとしか言いようがないの」
「そうですねえ……」
遠い目をしながら呟くエルシィさん。なるほど、それで。新参だけども、大昔の記憶もあるので古参でもある、と。
「でも、生まれ変わって同じ人とまた夫婦になるとか、少し憧れるところがありますね。ただ、同じ悲劇をも繰り返すとしたら、ある意味で呪いでもあるのでしょうか?」
「そうかもしれないですね。ただ、夫と夫婦になったのは前回が初めてですから単純な繰り返しでもありません」
「はい?」
「覚えているなかで最初は姉弟でしたし、叔母甥や父娘、兄妹であったことも。前回が従兄妹で、ここで初めて夫婦になりました。まあなったときにはお互いまだ前世を思い出していなくて、思い出してから悶絶したのですが……」
「そ……それはまた………」
「あとは一人、友人もこの縁に巻き込まれていますね」
「えー、その人は、今は?」
「今も友人ですよ。普段は人の体ではないですが」
「あれは、どうせ護法騎士にするなら縁の絡みついた三人をまとめておかないと何が起こるかわからんと言い出した陛下のせいじゃな」
「いえ元を辿れば私の霊威のせいですし……イーシャにも迷惑をかけます」
「イーシャって、あの……使い魔の猫、ですか?」
「はい、本来は猫でなく魔人なのですが、彼女には変化の力があるのですよ」
なんと……。
「イーシャには、オルフィリア殿に常に張り付いてもらうことにしておりました。彼女はあの状態でも私の力を共有して使えるのです。先ほども何回か魔術をこっそり使っておりました。例えば影縫を解除したのもイーシャです」
気づかなかった。
「猫でも呪文を唱えられるんですか……」
「可能ですよ。人間のそれとは異なりますが。そのような次第でして、私がおらずとも、イーシャがいれば護衛には問題ありませんが……あの魔眼の娘が敵方にいるならば、イーシャには、ミルトン公らの護衛に回ってもらったほうがいいかもしれません。もし今狙われたら被害も大きいでしょうし」
確かに。あんなの普通の軍では準備なしに相手できない。どうやら厄介事が山積しているようだけども、心強い護り手が複数いるなら、何とか大丈夫かな……。
「他に何かありますでしょうか?」
「いえ、いろいろありがとうございます。姉上の事、宜しくお願いいたします」
「はい。それでは、失礼いたします。どうか、あなたの魂に良き旅路があらんことを。ホノカ様、後はお願いいたします」
「うむ」
そうしてエルシィさんは再び扉を開けて、出て行った。
「当代のエリザベスの転生、イーシャは元は魔大公がひとつ、マシバ家の当主であったからな。あの状態でも知識も能力もそこらの魔人より上ゆえ、見かけよりも手ごわいぞ。必要とあれば人化もできるしな」
元魔人の貴族だった猫……考えるだけ無駄な気がしてきた。
「人間が普段猫として生活するって、大変でしょうね」
「かもしれんが、妾には分かりかねるところじゃな」
「友人といってましたけど」
「あの2人はずっと小姑か母娘といった関係の転生を繰り返してきて、前回記憶を取り戻してからは同じ男を夫とする仲なのじゃから、他に言いようもあるまい」
ああ、やっぱり……なんとなくそんな気がしたんですよ……そりゃ3人まとめて考えるべきという魔人王の判断は正しいです。
「護法騎士や護法官どもは妾よりも人間らしくない者も多い。その中ではエルシィは普通に会話できるからまだやりやすかろう」
「そうなんですか?」
「だいたい、大半の人間の精神は脆弱じゃ。たかだか数百年で磨滅するやつのほうが多い。護法騎士になるようなものでさえ、やがて再度の死を願うようになる者が少なくない。そこを選別するようになってから一向に増えん」
そりゃ人間は普通千年すら生きるような生き物じゃないですもの。ホノカさんをみる限り、最初からそのように作られた存在のほうが、適任のように思います。
Intellect = Laplace's demon
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