第一話 どうやら私は死んだみたいです
あ…?
きがつくと「わたし」がいた
……わたしって? なに?
なんだろう
わからない
…くらい? ない みえない ねむい
あれ? くらいって、みるって? なに?
ねむい? わからない
いつまでそうしていたのか
しばらくすると、だんだんに
すこしずつ、わたしが、たしかになってきた、気が、する。
うん、ああ、そうだ。
こんなばしょは、暗いというのだ。
そう。何も見えない。聞こえない。
徐々に眠気が薄れて、意識がはっきりしてくると、自分が何も無いところにいるのが分かってきた。
え。いやだ、怖い。どういうこと。どこなのここ。出して、ここから出して。
そう思ったとき、急に、光が見えた。
「!」
気がつくと、「私」は広大な花畑の前にいた。
色とりどりの花は雑多で、種類も高さもそろっていない。
ぱっと見える限りでは、ただ花があるということくらいしか共通点のない夥しい無数の草木。様々な花が見渡す限り広がっている。
空は晴天……だが、おかしい。雲もなく青く晴れ渡っているのに、太陽がどこにも無い。それなのに明るい。風も無く、音も無く、匂いさえも感じられず、まるで景色というより絵画のよう。
そんな花畑にポツンと「私」は…あれ?
私は…誰だっけ?
そう考えて、いろいろ「自分」が「おかしい」ことがわかった。
ものは見えている。前と思うほうに視界が動く。でも、無い。無いのだ。体が無い。
手足は無く、胴も無く、頭すら無い。「視点」だけがふよふよと、いつもの頭くらいの高さにあるような、変な感じ。
どういうこと? え? もしかして私、幽霊か何か? 体は? やだ、体が無いんだから当たり前かもしれないけど、私、息もしてない。心臓の鼓動もない。こ、これは……。
…と、思った次の瞬間、視界が一瞬消えて、ついで「重さ」を感じた。
そしてまた見えるようになって……あ、体ができている。息できる。心臓動いてる。見慣れた……そうだ、見慣れた「私」の体だ。薄い金色の長い髪の、人間の、女の体。
手足もあり、意図したように動くし、音や匂いも感じる。
風も吹いてきて、むせかえるような、濃密な花々の香りがした。そして天には太陽ができている。うん、それが正しい気がする。
それはわかるのに、まだ私は自分が誰なのか思い出せなかった。この体が今の自分の姿だということはわかる。そうだ、少なくともかつてのものではなく今の私だ。しかし名前を思い出せない。
服は、白い一つなぎの服のようなものを着ているが、私はこんな服をきたことがあっただろうか? そういえば、自分は誰だかわからないのに、花や服を理解する知識は思い出せたみたいだ。さっきまでは言葉さえ覚えていなかったよね。よくわからない。
顔をしかめ、他に何か思い出せないかと思ったら、強い風を感じて思わず目を閉じ……再び開けたときには、周囲の景色が変わっていた。
そこは、河原だった。
無数の大小様々の石が赤茶けた河原の上に転がっていて、側には奇妙な黒い水が流れる大きい川があった。河原の上空には紫色の変な雲がかかっている。対岸のほうは晴れていて、綺麗な草原か、あるいは花畑のようなものが広がっているようだった。
これを見て、ようやく少しずつわかってきた。
これはたぶん、「涙の川」だ。私も一応信仰していることになっていたグレオ聖教で、死者が死後に向かうところ。死者は絶望の河原にて現世の記憶を脱ぎ捨てて、昏い涙で出来た川を渡り、その先にある約束の楽園に向かうと教えられた。
ということは。さっきのはその楽園だろうか? そして私は、どうやら、死んだものであるということか?
「順番が逆なのでは…?」
どうでもいいような感想がでてきて、神官らの教えも当てにならないことね、と呆れそうになって、思わず声が出て……さらにだんだん思い出してきた。
そうだ、このあたりの死後がどうこうという知識は、毎月末の教会での祈りの日に、神官らが説法していたものの一つだった。祈りの日、それに私は家族共々参加していた。
私は………ラファリア・リザベル・ミルトン、ラグナディア王国はミルトン公爵家の長女、15歳。お義父様…現ミルトン公爵の……養女、だったはずだ。いずれは公爵家の跡取りとなるはずの婚約者もいて……。
ちょっとまだ曖昧だが、おおよそ自分が何者か思い出せてきた。それはいいのだが、まだなぜ自分が死んだのかが思い出せない。いや、まだ死んだとは限らないのだが……なんとなく、死んだ、で合っている気がする。
「確か………」
そう、少し前、ひどく慌ただしい朝があったような……。家族で朝の祈りのあと、朝食をとろうとしたところで、お義父様らに何かの知らせが届いて、それから屋敷中蜂の巣をつついたような騒ぎになって……。
……どうしたのだっけ? やはりまだ記憶は戻りきらないし、死んだ実感も湧かない。
ただ、そういう夢を見ているだけにしては、目の前の景色はやたら臨場感がある。試しに頬をつねってみるが痛い。夢だとすれば、律儀なことだ。
とりあえず歩き回ってみよう。
河原には大小様々な石が立っている。立っているというのは、つまりみんな、縦長なのだ。一番小さいもので、私の頭くらい、大きなもので、私の五割増しくらいか。……概ね、人の大きさといえそうだ。赤子から、大人の男まで。
ここが涙の川ならば、河原には脱ぎ捨てた記憶や未練が残されるのだったか。そしてそれらは悠久の時間、風化していくのを待つのである。これはそれだろうか? 私のものがあるなら、私と同じくらいの大きさか?
傍らには黒い川。対岸までは少なくとも500マール(約350m)はありそうだ。徒歩で渡るには幅が大きすぎる。試しに、不用意にも水のなかに足先を浸してみようとして……痛っ。
足先の痛みに飛び退いて蹲ったところ、また風が吹いて……景色が変わった。
今度は……無数の墓標の並ぶ野原だった。今度は花は一切なく、草原と、木や石でできた墓標だけ。
大きいものから小さいものまで、見渡す限りに墓標が並ぶ。見える範囲の墓標の全てが新しく、風雨に晒された形跡もない。
そして、目の前の一つ。
中くらいの大きさの墓石の表面に、私の名前があったのだった。それも今の私の名前だけでなかった。下にもう一つ名前がある。
……ラファリア・リザベル・エル・ラグナディア。かつて私が、ラグナディア王国第二王女であったころの名前。
なるほど。
それを見て私は、ようやく色々と思い出したのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――
「あー…」
気がつくと服も変わっていた。簡素だが上質の布地の藍色のドレスに、腕輪などの装身具。うん、これらは私が問題の日の昼間に来ていたものだ。
主観時間で昨日か一昨日だったか……その日の朝食前に飛び込んできた知らせ。それは王都で叛乱があり、王……つまり私の実父と、王太子である実姉が、叛乱勢力に捕まったというものだった。
なおうちの国は、貴族の当主や王になるのは基本は男であるものの、女でもなれないわけでない。姉上はそうした数少ない例の一つで、いずれ女王となって王配を迎えるはずの立場だった。
叛乱というが、どうも不可解な点が多く、さらには隣国の兵や傭兵のような武装集団も目撃されているので、もしかしたら侵略かもしれないとか。
とりあえず主謀者は数十年前に不祥事で廃嫡、国外追放ののち亡くなったらしい大伯父の子孫を自称しているらしく、曰わく簒奪者に奪われたものを取り返しにきた、という建前であるらしかった。
なぜ今になって、しかもこんな突然に? と思うが、裏では何かあったのかもしれない。もしその通りであるなら、私たちからは再従兄弟にあたることになるのか。
私自身は諸事情あって、数年前に臣籍に降りて公爵家の娘ということになってはいるが、別に実父や実姉らと疎遠になったわけでもなく、不仲でもない。
特に王太子である双子の姉上とは、一昨年の王立学園入学後、学園では毎日のように会っていたわけだし。
今は夏期休暇に入ったばかりだから私は公爵領のほうに戻っていたが、公爵領自体は距離的には王都の隣であり(山やいくらかの土地を挟んではいるものの)向こうも昨夏にはこちらを訪問してきたこともあった。
問題は諸事情の部分だろう。たぶんだが、それが私の死因(?)に関わっているはずだ。なぜなら……左の二の腕に嵌まった腕輪を見る。これ、だよねえ……。
そこを考えていると、また風が吹いてきて、景色が変化した。
今度の場所はは、図書館の中のように見えた。無数の本棚が整然と並んでいる。そのうちの一つに近寄ってみると、本棚の中身のほうは、背表紙の色と高さは揃っているものの、厚みはバラバラだった。
そして背表紙には、ひどく古い……確か数百年は前の文字で数字と文が書かれている。えーと、どれどれ。
『グレオ歴256-321 ユーリ・ベリオール』
『グレオ歴256-278 オルトラン・ベリオン』
『グレオ歴256-291 ルフィア・ベリオン』
『グレオ歴256-301 アーチフォン・ベリクル』
・
・
・
あー……これはもう間違いないだろう、これらの本は……。
今はグレオ歴778年。伝説の大聖者グレオが死……えー、帰天した年を0年として帰天後100年かそこらで決められた暦だという。その暦と、名前らしき文字。
『死者の書』……私達が馴染んでいるグレオ聖教の主流派の教えでは、死後の世界にはさっきのような花園や川があるとされる。ただもう少し西のほうでは、人は死ぬと神によってその生涯をつづった本になる、と伝える派閥もあると聞いた。これはまさにそれだろう。
……いや。それらしすぎる。さっきの河原や花園にしても、本当の死後の世界にしては、不自然な気がする。誰かの作為があるように感じられるけれど……。
誰かがここを作った? あるいはそういう光景を私に見せている? 何のために?
とりあえず、背表紙からすると、どうやら、だいたい生まれた年と名字ごとに分類されているようだ。ならば……見つけられるかもしれない。そう思って、私の生年…グレオ歴772年の本棚を探す。えーと、向こうの辺りが700年代以降っぽい?
『グレオ歴754-784 セシェル・ワレンスタイン』
『グレオ歴754-784 ぴーちゃん』
『グレオ歴754-785 デアデア・グリュリュラグガントス』
……なんか今、どうも人間でなさそうな名前も混じっていたような……。基準が分からない。
そうして、だんだん短くなってくる本棚を抜け、772年あたりについたところ。その本棚の前には少し開けたところがあり、机と二つの椅子があった。
そして片方の椅子に、落ち着いた感じの初老の男性が座って本を読んでいた。おお、この事態になってから初めて他者に遭ったぞ。さて何者だろうか……。
ついつい、じっと見つめてしまったところ、彼はこちらに気付き、本を置いて話しかけてきた。
「来たか。うん、まあ色々聞きたいこともあるだろうが、まずはそこに座ってほしい」
「……はい」
勧められるままに座ってみる。あら意外にいい椅子ね、これ。
「私はここの管理人をしている者だ。名前は……ナヴァとでも呼んでくれ。さて、君は自分が何者なのか、思い出せているかな?」
「……一応は、思い出せていると思います。…あの……」
「何かな?」
「……ここは……。死後の世界、なのですか?」
「そうだね。ある意味ではそうだが、違うと言うべきだろう。なぜなら我々は本当の死後の世界を見たことがないからね」
「え?」
「ここは死後の世界というより、我々が作った、生の記録を収める場所と言うべきところだ。君にはどう見える?」
「図書館…のように見えます」
「そうか。そうであるなら、君が見ている本の一つ一つが、死者の人生の記録を表すもの、即ち『死者の書』ということになる。すべての生命の記録とは到底言えないが、人間に限っていえば、過去数千年の大半の者の記録があるだろう」
「……私の本も、あるのですか?」
「ああ。これだね」
そういって彼は、先程まで読んでいた本を指し示した。
「…………」
やっぱり、私は死んだのか。記憶を思い出して分かってはいたが、改めて言われると胸が苦しくなるような気がする。
「だがこの本に限っていえば、まだ完成していない」
「どういうことですか?」
「君が完全にはまだ死んでいない、ということだ。そうであるからこそ私はこうして君と話ができる。本当の死後には我々の知覚は及ばず干渉もできないんだ、真には神でも天使でもない身の悲しささ」
こんなことができるのに?
「神や天使でない……」
「であれば、悪魔かもしれないね? ふふ……まあ、少なくとも魔人の仲間であるとはいえる。便宜上の分類で神や魔と扱われることはあるが、実態としては全能ではないしね」
魔人……。悪魔に魂を売った人間の末裔、とされる種族。実際にそうであるかは、正直なところ私には分からない。そもそも、ラグナディア王家にしてから、魔人と少なからぬ関わりがあったらしいし…。
「まあ私たちはそう思っていないが、そういう風に見る者もいるのは君も知っているだろう。実際今回の私達のやり口は、普通の宗教からすれば悪魔の所業だろうからね」
何をやったのか。私達に関わることだよねえ、どう考えても。
「私が干渉しなければ、君はそのまま安らかに天国にいったのかもしれない。もし天国というものがあるのなら、だけども」
悪魔の如き魔人だから天国を認識できないのか、それとも……天国なんて、無いのか。そもそも、仮にあったところで私ごときが行けるところとは思わないけどね。
「死によって霧散していく君の「魂」をつなぎ止めつつ、記憶を固定し、現状を認識しやすくくるために、君の中にある死後の世界の認識を使わせてもらった。ここに来るまでに記憶を取り戻しつつ、いくつかの景色を見ただろうと思うが」
「つまり、あれらが、私が考える死後の世界だと?」
「君から見てどういう風景に見えるかは私にも正確には分からない、そしておそらく君の想像そのものでもない」
「例えばここは、生を記録する場所、というものに対して君がうけた印象と、私自身の状態とが合わさったものが、君が今見ているものだ。それが図書館というわけだね。人によっては図書館と本でなく、屋外に立つ無数の石碑や、記録のための機械に見えることもあるようだ」
なるほど、何となく理解した。ような気がする。
「ええと、それでですね、私はこれからどうなるのでしょう?」
「こちらからは、いくつか選択肢を提案できる。あとで話すが、その前にここに来るまでの状況を説明しよう。そもそもの話、君の死については我々にも少なからず関わりがあってね。何故こうなったのか、君も知りたいだろう? 我々の立場からの説明でよければ、ある程度は教えることができる」
少し申し訳ないところではあるが、と彼は笑った。よく見ると灰の髪と緋色の瞳のなかなか格好いいおじさまなのに、言葉は見た目より若い感じに聞こえる。
もっとも、ここが図書館であるということも私からそう見えるに過ぎない幻であるならば、彼の姿も声も、私からしか見えないものなのだろうか。
まあ考えても仕方のないことだ。とりあえず悪魔かもしれない彼の話を聞いてみることにした。
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