夢を見た日
家の親は仲が悪い。
俺が物心ついた頃には、もう仲が悪かった。
なんで結婚したの? 何度も思った。
俺がいるから、子どもがいるから、離婚出来ないでいる両親を哀れに思ったのは、いつからだろう。
親子三人で仲良くしたい、何度も何度も挑戦して、何度も何度も悔し涙を一人で飲んだ。
諦めたのは、二人の笑顔をみたいと願う、子どもの俺が俺の中からいなくなってだ。ろうか。
高校に受かって、都心の高校に通う俺は、三年間叔母の家へお世話になる事にした。
両親と過ごす最後の夜、夕食はやっぱり別々だった。
全員バラバラ。
俺の分が用意されていて、食べ終わった頃に家事を済ませた母が食べて、父は深夜に帰宅して食べるのだろう。
こんなもんだ。だって、暖かい家庭とか、幸せな家庭とか、フィクションだろ。理想のお話だから、ドラマに出てくるんだよ。現実には、そんなもん夢幻だからさ。
最後の夜も、いつも通り静かな家でベッドに入った。
目覚めると、公園のベンチだった。
え?
思わず飛び起きて、辺りを見回す。
朝は肌寒い三月の公園。幸い、普通に外出するような恰好でジャケットを着ていた。
なんだか見覚えがある気がして、ぶらぶら歩く。
そうだ、ここ、祖父ちゃん家の近所にあった公園だ。ちっちゃい頃に遊びにきた事がある。
ただ、思い出よりも心なしか綺麗な気がした。ペンキの剥げた遊具が、新品みたいだ。
懐かしい記憶を頼りに、祖父ちゃん家へ向かう。途中、通勤通学の人達をすれ違った。
「ゆーうーくーん! おはよ!」
「あーちゃん! おはよー!」
目の前の家から幼稚園の制服を着た男の子が飛び出して、待っていた女の子と嬉しそうにおしゃべりしている。慌てて追いかけて出る母親も、相手の子の親と親し気だ。
俺は、びっくりして親子が幼稚園へ向かうのを、ただただ見送っていた。
公園で、ベンチに戻って考える。
あれは俺の両親だ。新築みたいな祖父ちゃん家から出てきたし、アルバムの両親そっくりだった。名前もあだ名で合ってる。
なんだこれ。いやマジで。どうすんのこれ。
気付けば、もう昼過ぎだ。腹減った。
途方に暮れる俺の耳に、子どものはしゃぐ声が届く。
あの二人、俺の両親だ。何故か子どもだけど。
その子どもの親、俺の祖母ちゃん達は仲良く公園入口で立ち話。子ども二人は慣れた様子で遊びはじめた。
だんだん俺の方へ近付いてきた。いや、俺というより、隣のジャングルジムか。
幼稚園児が一人で遊ぶには、ちょっと危なくないか?
そう思った俺は、なんとなく二人を見ていた。
「ゆうくん、あぶないよ、やめようよ」
「だいじょーぶだって、いいからみててよ」
母さんに良いとこ見せたいのか、父さんは危なっかしい手付きでジャングルジムを登っていく。一段上がる高さは、自分の体と殆ど同じに見えた。
もう三段目も登って、母さんは祖母ちゃん達を呼びにいこうか迷ってるみたいだけど、父さんから目が離せないらしくオロオロしていた。
やばい、もう四段目登ってる。これで落ちたら大怪我じゃすまないって。
俺はそっとベンチから立ち上がって、驚かさないようにジャングルジムへ近付いていく。
四段目も登り切って、父さんが得意そうに下の母さんを振り返った。
その時。
ズルっ
ちっちゃな靴が滑って、体は宙を舞った。
「ぐっ、っは、ってぇ……」
出来るだけ衝撃を和らげようと、頭をぶつけないようにと、俺を下敷きにして父さんをなんとか受け止めた。
「ゆうくん! う、うわあああん!」
火が付いたように泣き始める母さんの声で、祖母ちゃん達が慌てて駆け寄ってきた。父さんを抱きとめてる俺と、靴が片っぽ脱げて呆けている父さんを見比べて、父さんを奪い取る。
いや、誘拐犯とかじゃないんだけど。
ちっちゃな子どもとはいえ、2メートル近く上から落ちたんだ。めちゃくちゃ痛かったし、衝撃に一瞬息が止まった。
俺を睨みつける祖母ちゃんに、やっと気が付いた父さんがしどろもどろで言い訳する。
良かった、不審者の疑いは晴れた。
慌てて頭を下げる祖母ちゃんに、俺は大丈夫と手を振った。ただ、見た目はなんともなさそうでも、父さんを病院へ連れて行く方がいいだろうと、父さん達は帰る事になった。
話している間中ずっと泣いていた母さんが、やっと泣き止んで、俺のところへ近付いてくる。
「あのね、ゆうくんを助けてくれて、ありがとう」
「ああ、もう危ない事しないように、しっかり見張っててな」
「うん、あーちゃんね、大人になったらゆうくんと結婚するんだ。だから、ちゃんとずっとみてるね」
「そっか、うん。がんばってね」
泣き顔が笑顔になって、無邪気に話す母さんに、この先の二人を思い出した俺は泣きたくなった。
こんな、無邪気にちっちゃい頃から仲良しで、結婚までした二人が、なんでああなっちゃうのかな。それだけ、結婚って、家庭を築くって、難しいんだろうか。
そんな事を考えて、表情が曇った俺に、母さんは幼稚園鞄から何かを出して俺に手渡す。
「あのね、ゆうくんを助けてくれたお礼。ゆうくんがあーちゃんにくれたの。あーちゃんの宝物」
俺の掌に置かれたのは、桜色の綺麗な貝殻。ちっちゃな貝殻。
「潮干狩りって、海に行った時に見つけたんだって」
「えっ、そんな大事なもの、あげちゃダメだよ」
「ううん。お兄ちゃんはゆうくんの命を助けてくれたんだもん。だから、ちゃんとお礼したいの」
掌の貝殻を見て、母さんを見て、祖母ちゃんを見た。祖母ちゃんも、良かったら貰って下さいねと言う。
「それじゃあ、ありがとう。大事にするよ」
そうしてバイバイすると、母さんも帰っていった。
公園に一人残った俺は、ベンチに座って、貝殻を見る。
綺麗だな。父さん、母さんの事大好きだったんだな。もしかしたら、今も好きなのかな。
そんな事を考えていたら、なんだか眠くなってきて、気付けば俺はベンチで寝てしまった。
いつもの天井、いつものベッド、自分の部屋で目を覚ました俺は、慌てて飛び起きた。
夢。
妙にリアルだったけど、変な夢だな。
思わず握っていた掌を開いてみる、何もない。当たり前だ。
何を期待していたのか、ため息をついて部屋を出た。
今日は叔母さん家へ出発する日だ。昼過ぎには出るつもりだけど、もう荷物も送っているので特に焦ってやる事は無い。
いつも通り身支度をして、なんとなく、アルバムを見たいと母さんに尋ねた。クローゼットに積まれた箱の、下の方に忘れられた思い出達。
箱を開けると、アルバムや俺の手形、母子手帳なんかも入っていた。母は昼ご飯の用意をするといって、俺は一人でそれを手にしていく。
箱の中身を殆ど見終わって、ふと、ちっちゃな菓子箱があるのを見つけた。赤い箱にマラソンのゴールテープを切る瞬間みたいな白い人。ハートのキャラメルは最高に美味しい。グリコの箱だ。
なんでこんなところにと、手に取ったら何か中で音がした。
……まさか、何十年も前のキャラメル?
恐る恐る開けてみると、俺の掌に出てきたのは、ちっちゃな桜色の貝殻。見覚えのあるそれに、息をのんだ。
「いってきます」
「気を付けてね。姉さんの言う事を聞いて、しっかりね」
玄関で見送る両親に、俺は一通の手紙を差し出した。
「二人で開けてみて。あ、先に言っとくけど、今までありがとうございました的な泣かせる手紙じゃないから」
「なんだ、残念だな。体には気を付けるんだぞ」
受け取りながら、父さんが少し寂しそうに目を細めた。
玄関で見送る二人。二人とも、俺を見て俺には話すけれど、互いには見向きもしない。
「二人で、開けて。絶対。暫く会えないんだし、このくらい聞いてくれてもいだろ。それじゃ」
重ねるように頼む俺に、二人は少し戸惑ったように黙り込んだ。そっと、隣の相手を伺うように視線を交わす。
そんな二人を後にして、俺は家を出た。
二人の間に何があったのか、今どう思ってるのか、これからどうするのか。
そんなの、俺には分からないしどうにもできない。
親子だからって、相手の人生を自分の思うように変える事なんか出来やしない。
ただ。
ただ、思い出す切っ掛けくらいには、なれたらいいなと思った。
また、二人で、ただ好きだと思ったあの頃を。