無人駅の駅員
俺は霊の類いは信じない。
未確認飛行物体やら「見えるんだよね」等とほざく奴は総じて胡散臭いと思っている。
催眠術なんかもよくテレビでやっているが、ガチで頭を心配する程にバカバカしい。
こんなことを言うと、じゃあ一度体験してみたらなんて言われるが、芸能人じゃなし、そんなことに金など払えるかって話で。
まぁそれはいいとして、俺は彼女に対しても現在進行形で胡散臭さを感じていた。
「本当よっ?おじさんがいて、切符受け取ってくれたんだから」
「あのなぁ。あの駅には駅員なんかいたことないんだよ。超ローカルで無人駅なんだから」
「でもいたんだもん」
都内の大学に進学したために上京した俺だが、正月はゆっくり田舎の実家に帰省した。
一週間以上地元でのんびりグダグダする予定だったのだが、大学で出来た彼女が一緒に年末年始を過ごしたいというので快く歓迎した。
しかし、その前に用事があるとのことで、最寄り駅を教えて、後から電車でやって来たのだ。
そして数十分前に連絡があり、駅まで迎えにきて、今はその帰りである。
「わかった。そんなに言うなら引き返して確認する。いいよな?」
「いいよ。絶対にいたから」
彼女が頑なにこう言うので、来た道を引き返し駅の中を覗く。
……やはり、そこは無人であった。
「ほらっ!これでも駅員がいたって言うのか?」
「あれ?いなくなってる……」
「……嘘じゃないのか?」
「いたって言ってるじゃん。ここで、にっこり笑いながら『お嬢さん、切符を』って言われたんだから」
「葉月。家に帰ってゆっくりしよう」
「確かに、遠くて少し疲れたけど、さすがにそんな幻覚見ないよ。もしかしたら、定時だから帰ったのかも」
「そんなサラリーマンみたいな……」
結局、俺はモヤモヤしながら彼女──葉月を連れて家に帰った。
それから、俺の両親とすっかり打ち解けた葉月は、夕飯の席でも駅でのことを話した。
俺と同じように「それはない」と切って捨てるかと思いきや、親父までとんでもないことを言い出した。
「そういやぁ、今朝もいたなぁ。でも、おじさんじゃあなかったぞ。若くて、葉月ちゃんみたく、えらいべっぴんさんだったわ」
「い、いえっ。私なんてそんなっ」
葉月よ。照れながら謙遜してる場合じゃないぞ。
若くて美女の駅員なんて、こんな田舎の中の田舎じゃ地球滅亡説より有り得ない。
あの駅は、小さい頃から利用したり遊び場にしたりしていたが、駅員なんていたことはない。
完全な無人駅で、販売機で切符を購入し、下車時には箱に入れるだけだ。
自動改札機なんて代物はなく、ましてやおじさんだかお姉さんだかが切符を回収している光景など見たことも聞いたことも無い……今日までは。
「若い女……そういえば昔、あの駅で人が亡くなったことがあったわねぇ」
「あぁ、あったなぁ。葉月ちゃんたちが産まれる前ぐらいに人身事故でなぁ」
それはなんか聞いたことがあるな。
だが、何故このタイミングで話す、お袋よ。
親父が今言った女が、その亡くなった女だとでも言いたいのか……。
はっきり言おう。
この世に、幽霊など存在しない。
「お父さん、違うわよっ。あれはたしか、自殺だったわよ」
「そうだったかなぁ。じゃあ、人身自殺だ」
なんだ人身自殺って。
自殺の場合でも、人身事故って言うだろ。
「その自殺って、どんな理由だったんですか?」
「イジメだったと思うわ。たしか、新聞にも少し載ったのよ。まだ高校生で可哀想と思った記憶があるもの」
「そうなんですか……」
まぁ、親父が見た女ってのは、どうせどっかの娘だろうよ。
田舎で若い衆が都心の方に出ていくと言っても、今は年末だ。
帰省してるやつは結構いる(俺の情報網)。
葉月が出くわしたという、駅員ごっこしている男とは別だろうな。
……さすがに駅員ごっこはないか。じゃあ、やっぱり葉月のストレスが見せた幻か。
うん、霊なんかよりよっぽど信憑性がある。
◇◆◇
翌日。
俺は朝っぱらから葉月に叩き起された。
彼女は俺とは違い、色々しっかりしている。
今時の女子大生にしては変わっていて、健康に気を使い早寝早起きが習慣だ。
……んで予想通り、俺の束の間のぐーたら生活は、彼女によってぶち壊された。
「早くご飯食べて。今から見に行ってみるんだから」
「え?何をだ?」
「もちろん駅よ。朝は担当が女性なのか気になるし」
「えー。もうどうでもよくないか、それ」
「やだ。帰りも使うから」
「帰りは俺の車で一緒に帰るんだろ?」
「用事できたから、2日には戻らないといけなくなったの。なに?一緒のタイミングで帰ってくれるの?」
「いや。じゃあ、確認しとくか」
面倒だ。
しかし、彼女をひとりで行かせるのは心配だ。
まぁ、ただの勘違いだと思うけどな。
こうして朝の散歩がてら、俺たちはまた駅にやって来た。
葉月は実に興味深そうに、駅の待合所に入っていく。
俺も後に続き、昨日と同様に中を覗くが──。
「あっ、おじさん……」
「ありゃ客だろ」
駅の小さな待合所に、ひとりの男が座っている。
しかし、どう見ても駅員ではない。
「葉月から切符受け取ったってのは、あの人じゃねんだろ?」
「……へぇ、何だかんだ信じてくれてるんだ」
「いや、まぁ、よくよく考えたら、葉月が嘘ついたことなんてないしな」
「ふふ」
「……幻覚の可能性はあるけど」
「おいっ!」
そんなふうに入口で話していると、座っていた中年の男が突然立ち上がりこっちに顔を向けた。
そして、柔和な笑顔を浮かべて話しかけてきた。
「君たち、仲良いねぇ。カップルかい?」
「もちろん。自慢の」
「おじさん。ちょっと聞きたいことがあるんですけどいいですか?」
俺がせっかく彼女を自慢しようとしたのに、葉月が割って入り質問を投げかけていた。
半眼で睨むが、彼女は素知らぬ顔だ。
「うん、構わないよ」
「ここに駅員さんいなかったですか?」
「駅員?あぁ、ここは無人駅だから人を置いてないんだよ。ほら、何かあったとき用に直通の電話機だけ置いてあるのさ」
「あ、いえ。昨日見たんです私。ここで駅員さんを」
「本当かい?それはおかしいねぇ。見間違いとかではなく?」
「はい、たしかに見て」
俺はそこで彼女の手を取り、男の人には軽く「すいません」と言ってその場を離れた。
俺たちがおかしな人になりそうで、俺が今まで見てきた風に、逆に胡乱気な眼差しで見られることが耐え難かった。
それがたとえ見ず知らずの人だとしても。
「ちょっと、まだ話してたのに」
「あのおっさんは俺と同じで駅員なんていないって言ってんだ。これ以上、何を聞くことがあるんだよ」
「でも………」
「葉月のことを信じてないわけじゃない。でもな」
「あっ!さっきの電話で聞いてみればいいんだっ」
「え?って、おい!」
俺には理解不能な好奇心を発揮して、葉月は電話機で鉄道会社へ確認まで取り始めた。
まぁ、確かに葉月の言ってることが本当なら、それは不審人物ってことになるけどさ……。
「やっぱり、駅員は置いてないって。じゃあ、私が見たあのおじさんは……やばい、今になって凄い鳥肌立ってきた」
「………」
俺は無言で彼女を抱き締めた。
いつもしっかりしている優等生な葉月だが、時折弱みを見せて少し震えているときがある。
今回は鳥肌が立って顔を少し青くしていたので、俺は「大丈夫」の意味を込めて、強く彼女の小さな身体を包んだ。
「謎だけどこれ以上考えても仕方ない。帰りは、駅まで見送りにくるからさ。せっかく来たんだし、この年末年始楽しもうぜ。穴場の、星が綺麗に見える丘に連れてってやるからさ」
「………うん」
俺の肩の上で、小さくコクリと頷いた彼女の頭をそっと撫でた。
しかし、俺はやはり軽く考えていた。
俺の休日など優先せずに、しっかり彼女を東京まで車で送り届けていれば、あんなことにはならなかったかもしれない。
◇◆◇
葉月との初めての年末年始は充実した日々だった。
当初目論んでいたグダグダは出来なかったが、これはこれで良い。
というか、めっちゃ楽しかった。
初詣に行ったり、空一面の星々を眺めたり。
地元の友達に彼女を紹介したときには、お決まりの恨み言を言われたり。(でもすぐに祝福してくれた)
頗る楽しくて、初日の駅云々はすっかり頭から抜け落ちていた。
だから2日の夕方、今まで実に楽しそうにしていた葉月の顔が途端に曇ったのが、俺は寂しさからだと思った。
「別れるのが寂しい?」
「ううん。いや、それもあるけど。電車に乗るのが憂鬱で」
「電車?……あっ」
「なに?もう忘れてたの?消えた駅員さん事件」
「勝手に事件にするな。あれは、菜月のストレスから来た幻視だった。それでいいだろ」
「よくないっ……けど、そう思うことにする。駅までよろしくねっ」
笑顔が若干引きつっている。
俺はそっと彼女の両頬に手を当てて、その小顔を覗き込む。
「……そんなに怖いなら、A駅まで一緒に乗ってこうか?あそこなら、ここよりは都会で人も結構いるから不安にならないでしょ」
「ううん、平気」
「そうか?無理してないか?」
「……キスしてくれたら大丈夫、かも」
上目遣いでこう言われては、欲望のままに襲いたくなるが、ここは我慢して軽い口付けをするに留めた。
いや、留めるつもりだったのだが───。
(なっ、、、長い…………)
余程怖かったのか、それはもう深くて深くて──ベリーディープキスになってしまった。
少し涎が垂れて目がトロンとしているが、これから無事に帰れるのだろうか。
「──はふぅ。ねぇ、玲くんのお部屋いこ」
「あ、やっぱり?」
葉月に誘われ、夜の終電に間に合うギリギリまで、俺らは交合っていた。
まったく。不安やらストレスを全部俺に叩きつけてきやがって、超クタクタだ。
まぁ、良い笑顔になったからいっか。
ちなみに、今更だが俺の名前は玲樹という。
まぁ、よろしく。
◇◆◇
「やっぱり怖い。もし、またあのおじさんがいたら」
「だから、A駅まで付いていくかって」
「電車に乗れたらたぶん大丈夫だから」
「わかった。ホームまで付いてくから、そんな顔すんな」
街灯なんてほとんど無い闇に支配された夜の細道を、月明かりを頼りに手を繋いで歩いていく。
葉月はここに来て本当に怖いようで、さっきから会話が途切れることがない。
暗い所がダメなわけではないから、やはり無事に駅を通らないとこのビビりモードは解消されないようだ。
「ねぇ。急に黙んないでよ」
「……悪い。いつもより激しかったから、疲れて」
「何言ってんの。私はまだこれから電車に夜行バスと、6時間ぐらいかけて帰るんだからね」
「だよな。……やっぱり車で送ろうか?」
「平気だってば。ホームまで来てくれるんだもんね」
「あぁ」
一度言い出したら中々曲げないのは凄いと思うが、こういう場合ではむしろ欠点のように思う。
ベッドの上みたいに、もう少し甘えてもいいのに。
「……駅、見えたね」
「あぁ。んじゃ、駅員探しと行くか」
「も、もうっ!せっかく考えないようにしてたのにっ!」
俺は、態とらしく頬を膨らませている──実は余裕があるんじゃないか──葉月を連れて、おんぼろ蛍光灯が照らす駅の待合所へ足を踏み入れた。
子供の頃から何度も出入りした場所だが、こんなに緊張して入ったのはこれが初めてだ。
なんだかんだで俺も葉月に影響されているらしい。
「おやおや。いつかのお嬢さんですね」
「「───っ!!」」
俺と葉月は同時に息を呑んだ。
改札の隣に設置されている切符回収箱、その隣に紺色の制服を着た男が立っていたのだから。
しかも、穏やかな笑顔を浮かべて普通に話しかけてきた。
流石の俺でも、一瞬幽霊を疑った。
「あ、あんたそこで何やってるんだ?」
「見てわかりませんか?駅長として、当駅を守っているのです」
「駅長!?」
やばい、訳分からん。
この男の戯言を真に受けるほど純粋ではないが、億が一の確率で本当に駅長という可能性もある。
「はい。この路線は実に素晴らしいのです。田舎チックなローカル線は日本全国に数多ありますが、この路線を走る電車からは星が本当に綺麗に見え、運が良いと蛍が乗客を歓迎してくれますっ!これほど神秘に溢れた鉄道が他にあるでしょうか。いや、ない!ここまでの───」
なるほど。鉄道マニアの駅長ごっこか。
………やべー奴だな。
「──だから私は、夜だけ駅長になりきろうと。こう思った次第で」
「普通にホラーだわっ!こちとら葉月がビビって大変だったんだからなぁ、くそジジィ」
俺はイライラが限界突破し、駅長(笑)の首を締め上げる。
この、はた迷惑な鉄道マニアめっ。
「玲くん。いこ」
「おっと」
突然服の裾を引かれて、掴んでいたマニア男を放し、改札を通り抜ける。
いつの間にか切符を購入していた葉月に連れられ、ホームの端にまでやって来た。
「これで、私の幻覚でも嘘でもなかったって証明されたね」
「あー、そうだな」
まさか、予想通り駅員ごっこだとは思わなかったが。
世の中、奇妙な人種が多いなぁ。
さっきまでの不安顔が嘘のように楽しそうに話す葉月を見て、俺も笑みを浮かべる。
無人駅にいる駅員……ふっ、なんてことはない。
ただの変態マニアが、コスプレして遊んでいただけだった。
「まったく人騒がせな」
「ふふ。よかったよかったっ。これで心置き無く車中で寝れる」
「ハハ、寝過ごさないようにな」
「うん」
そんなこんなで、二両編成のローカル電車がやって来た。
軋むような鈍い音を立てて、ドアが開く。
「じゃあ、先に東京帰ってるね」
「ああ。俺も明明後日ぐらいには帰るよ」
「うん。……じゃあ、A駅付いたらLINEするからっ」
俺の頬に軽くキスをして、葉月は閉まる寸前の電車に飛び乗った。
イタズラが成功した子供のように、無邪気に笑いながら手を振ってくる彼女に、俺も笑いながら振り返した。
どんどん遠ざかっていく電車に手を振り続けていた俺だが、すぐにおかしいことに気付いた。
ぐんぐんぐんぐん有り得ないほど列車の速度が増していくのだ。
俺が呆気に取られてるうちに、列車は地を離れ空を飛んだ。
否───カーブを曲がりきれずに線路を突き破り、暗い暗い奈落の底へ真っ逆さまに落下していったのだ。
数秒後、何かが勢い良く叩き付けられたような衝撃と爆発音を俺の耳は拾った。
間近で起こった出来事をしっかり視認していたのに、脳の処理が追いつかず、ただ呆然としていた。
やがて、己の理解を超えすぎていて、現実を避けるように乾いた笑いが出た。
今、目の前で何が起こったのか………。
笑顔が可愛い彼女は何処に………。
俺は今何をしているのか………。
………………………………。
現実を直視したとき、気付いたら理性が飛んで、喉が引きちぎれる程の声量で雄叫びを上げていた。
〈 アイツノヨウニカワイイオンナナンテ、ワタシヨリムザンニシネバイイノヨ〉
酷い虚無感に囚われた俺の耳に辛うじて届いたのは、そんな若い女の声だった。