~ 宿屋ノーズノー ~
宿屋ノーズノーは宿としては決して大きくはなく部屋数は十ほどの民宿といってよい宿であった。歴史は古く双王伝説が始まった頃には既に開業しており、【神滅の覇王アルナ・タイオン】が育った場所としてリャブリャハでも人気の宿になっていた。
「ボロい」
周辺の木造建築と比べても古い風貌のノーズノーを見てシャンテが思わず口を滑らせた。すぐに失礼なことを言ったと気付き、シャンテは口を塞ぐが言ってしまった言葉が消えるわけはなくケイとダレンは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「あはは、やっぱり古いですよね。二百年前に建て替えをしたらしいんですけど」
「老朽化が不安なので建て替えたいと思っているのですが、嬉しいことにお客様が大勢来て下さるので中々タイミングが、それに予算も……ああ、すいません。また内輪の話を」
若干顔が暗くなったケイ達親子を見て、困っているシャンテの脇をイーグが肘でつついた。
「シャンテ、お前のせいだぞ。なんとかしろ」
「そんなぁ若様、助けてくださいよ」
「拙者が常日頃から言っているだろう。お主の口は禍の元だと」
「うっさいわよ、ハバリ」
「シャンテ。ハバリに怒鳴る前にすることがあるだろう」
「分かってますよ。でもどうしたら……」
シャンテがケイ達にどうやって謝ろうか迷った。サキュバスの種族柄、困ったことがあってもだいたいは色気で押し通してきた。だが、この場合は色気では解決できそうになかった。
「すいません、お客様に気を遣わせてしまったみたいで。本当にこっちの話なのでお客様に気にしてもらうことじゃないのに」
シャンテが対応を迷っている内にケイが謝ってしまった。
「いや、私こそ素直に言い過ぎたというか、言い方あったわよね。趣があるとか歴史を感じるとか」
「結局古いってことに変わりませんよ?」
「自分で言っちゃう? それ」
「だって事実ですし、ささ、早く中に入ってください。見た目は古くても中はそこそこ綺麗なんですよ」
ケイがイーグ達を中へと案内したが、イーグがジッと古めかしい看板へと目を向けて足を止めていた。飾り気がなく、一枚板の木材にノーズノーと書かれた古い看板をイーグは懐かしむ目で見つけていた。シャンテとハバリも主であるイーグの先を行くわけにはいかず足を止めた。
「若様、どうしたんですか? 早く入りましょうよ」
「いや、あの看板なんだが……ケイさん、あの看板も作り直していたりするのか」
「看板ですか? いいえ、看板だけは創業以来一度も作り直していません。文字が掠れたりしたら補修くらいはしてますけど。あの看板はこのノーズノーの歴史そのものですから」
「そうか、そうだろうな。見覚えがある」
「イーグさん、以前にも泊まりに来たことがあるんですよね。いつ頃ですか? 私、お客様の顔は割と覚えている方なんですけど、イーグさんのことはどうしても思い出せなくて。前に来た時期がいつか聞けば思い出すかもしれません」
「とても昔さ。細かい時期までは思い出せないんだ。すまない」
「いえ、謝られることでは」
「足を止めてすまない。それでは宿に入ろうか」
「あ、はい、どうぞ」
改めてケイに案内されてイーグ達はノーズノーへと足を踏み入れた。
ノーズノーに入ったイーグ達がまず感じたのは活気だった。ノーズノーの一階フロアは受付兼食堂になっているようで、狭い店内は大勢の客で賑わっていた。
「大盛況だな」
「ええ、ありがたいことに。歴史が長いだけに常連のお客様や地元の方々がよく来て下さるんですよ」
ダレンは照れ隠しのように頭をかいた。
イーグが食堂を一通り見渡すと人族、獣人やドワーフがテーブルを囲んで酒を飲み交わし、食事を楽しんでいた。
「お嬢、おかえりなさい」
「ただいま、ロマンダさん」
宿の店員らしきエルフ族の女性が帰ってきたケイを見つけて声をかけてきた。
「夕食時は忙しいから早く帰ってきてくださいとお願いしてましたのに。全然帰ってこないから旦那様まで探しに行ってしまって。もう人手が足りなくてしょうがないですよ」
「ごめんなさい。こちらのお客様をご案内したらすぐに手伝いに入ります」
「すまなかった。ロマンダさん、私は今から裏に入ろう」
「お願いします。でも本当に何もなくて良かったです」
ケイが無事帰ってきたことにホッとした表情を見せたロマンダは客から呼ばれるとテーブルの方へ行ってしまった。ダレンもイーグ達に軽く一礼した後、食堂の奥の方へと手伝いに向かった。
「では、イーグさん達はこちらへ」
ケイに案内され受付まで移動したイーグは宿帳に必要事項を記述するとそれぞれの部屋の鍵を受け取った。
「部屋は二階になります。宿泊の方の夕食もこの食堂でお出ししますのでよろしくお願いします」
ケイはイーグ達に一礼をした後、先程話していたロマンダというエルフの手伝いへ向かった。
「それじゃ、私と若様が同じ部屋でハバリは別の部屋ね」
ハバリはシャンテから受け取った鍵をそのままイーグに手渡した。
「若様、こちらをどうぞ。シャンテは私が抑えておきますのでその隙にお部屋まで」
「すまんな」
「え、あ、若様!? 私と一緒のお部屋!」
イーグは背中から聞こえるシャンテの懇願を無視して二階の部屋へと向かった。
「シャンテ、お前は我と同じ部屋だ。主と従者が同じ部屋で寝泊まりできるわけがないであろう」
「寝泊まりが駄目なら寝るだけならいいわけ?」
「駄目に決まっておろうが!」
受付で始まった従者二人のいつもの口喧嘩を止める体力がなかったイーグは部屋に入るなり、視界に入ったベッドへと倒れこんだ。
「疲れた……」
イーグの体力は既に限界を迎えていた。馬車で移動している間に森の中を走って使い切った体力を多少は回復できていたが、宿までの歩きだけで回復した分以上の疲労を溜め込んでいた。このまま眠ってしまうことも考えたが、ここで寝てしまえば朝まで起きられないことは予想できた。
(それでは夕食を食べ損ねてしまうな。旅の醍醐味だというのに。それに……)
イーグには夕食を食べ損ねてしまう懸念以外に今すぐ寝られない理由が視線の先にあった。
「シャンテ、なんで俺の部屋にいる?」
ハバリと口論していたはずのシャンテがいつの間にかベッドに入り込み、イーグの顔を覗き込んでいた。
「若様の夜のお相手をしようと」
「サキュバスのお前を相手にしたら死ぬだろうが。体力ないんだぞ、俺」
イーグは眠りたい欲求から逃げるように体をベッドから無理やり起こした。
「で、なんで俺の部屋にいるんだ。本音を答えろ」
「夜のお相手したいのも本音なんですけど、あえて言うなら……若様がまた一人で勝手にどこかへ行ってしまわれないか心配なので」
「それなら心配するな。もうそんな元気はない。できるなら明日も一日中寝ていたいくらいだ」
「疲れてるならマッサージをいたしましょうか。エロいの抜きのヤツ」
シャンテがエロい手つきで近づいてくるのをイーグは手で静止した。
「いらん。お前のマッサージは力任せでまったく効かんだろう」
「そんな~」
「というわけで俺の心配はいらんから、お前は自分の部屋に戻れ。というかハバリはどうした?」
「ハバリならここにいますよ」
シャンテは背中に隠していたハバリが被っていた兜を取り出した。
「シャンテ、お前な……」
イーグはシャンテがここに居てハバリが来れない理由を察した。シャンテはハバリが部屋に入った途端、ハバリの兜を奪い去ってそのまま部屋を飛び出してきたのだろう。ハバリは兜が無い状態では人族ではないとバレてしまうため人前には出れない。きっと今頃部屋の中で無い頭を抱えているに違いなかった。
「後で喧嘩になるだろうが、宿や他の客に迷惑はかけるなよ」
「ハバリ次第ですね」
「……俺が仲裁するしかないか」
このままでは宿や他の客に迷惑が及ぶ喧嘩が始まるのは確実だったのでイーグは重い腰を持ち上げた。
「若様、どこに行くんですか?」
「お前とハバリの部屋だ。一緒に謝ってやるから行くぞ」
「若様、その必要はありません」
不意に聞こえてきたハバリの声にイーグは部屋中を見渡した。だが、どこにもハバリの姿はなかった。
「若様、こちらです」
再び聞こえたハバリの声の方向にイーグとシャンテが視線を向けると壁の隙間から粘着性のある液体が染み出てきており、床へと垂れていた。
スライム状態のハバリだった。
「あら、ハバリ。よく通り抜けて来れたわね」
「木造建築のおかげでな。隙間があったので移動には苦労はしなかったわ」
「ハバリ、怒る気持ちは分かるが宿や他の客の迷惑にもなる。今回は勘弁してやってくれないか」
「ご心配なく若様。シャンテに悪戯されることなど日常茶飯事。その度に怒ってはいられません」
「いや、結構怒るじゃない。あんた」
「シャンテ、蒸し返すな」
「……私がここに来たのはシャンテから若様の身を守るためでしたが、さすが若様。余計なお世話だったようですな」
「いや、来てくれて助かった。このままシャンテを連れて帰ってくれ」
「了解しました。シャンテに張り付きます」
ハバリが地面をズリズリとワザとらしく音を立てながらシャンテに近づいていく。シャンテはハバリから離れるために扉の前まで逃げ出した。
「嫌よ。あんたベトベトするじゃない!」
「なら、自分の意志で部屋まで戻ることだな」
「わ、分かったわよ。それじゃ、若様。人肌が寂しくなったらいつでもお呼びくださいね」
投げキッスをしたシャンテが出ていった後、ハバリもスライム上の自身の体を上へと縦長に伸ばして一礼するように曲げると現れた時と同じように壁の隙間から部屋を出ていった。
二人が出ていき、静かになった部屋の中で深く息を吐いたイーグは再びベッドへと倒れこみそのまま眠りについた。