~ 好きなものを語る人 ~
二人が飛び込んだ箇所から下流へ行った河川敷で青年を背負い、川から出てくるケイの姿があった。
水分を含んだ重い足を持ち上げながら河川敷の砂利の上までなんとか歩いたケイはそこで力尽き倒れこんでしまい、担がれていた青年はケイの背中から転がり落ちるように砂利の上で仰向けになる。
「はぁはぁ、本当に……死ぬかと思った」
人一人を抱えて森を全力で走ったことに加えて崖から飛び降り川を流されたことでケイの体力はもう限界だった。少し息を整えると担いできた青年にケイは視線を送った。川へ飛び込む際、青年はケイを下から抱きしめて川へと落ちていた。青年が先に水面に落ちていなければ水面と衝突した衝撃をケイはまともに受けることになり大怪我を負っていたのは間違いなかった。
「あなた、大丈夫!?」
ケイは重たい下半身を引きずりながら自分を庇ってくれた青年に近づいて声を掛けるが反応はなかった。
「ねぇ、大丈夫!?」
ケイは青年の体を揺すってみるが、それでも反応はなく青年の体は成すがままに揺らされるままだった。
「……嘘でしょ、呼吸してないの!?」
青年の口は動いておらず、呼吸をしていればわずかにでも動くはずの胸の部分には動きがまったくなかった。ケイは本当に呼吸をしていないか確かめるため耳を青年の口元に近づける。
「本当に……してない、呼吸」
ケイはこの場合にどうすればよいか、昔に教わったはずの応急手当の方法を必死に思い出し、思い出した端から行動に移した。
「とりあえず頭の下に服をクッション代わりにして……そして気道を確保して、それから人工呼吸……」
上着を青年の頭の下に敷き、青年の頭を動かして気道を広げた後、ケイの動きが止まる。
(キス……まだしたことないんだけど)
一瞬、躊躇ったケイだったが、両手で頬を叩いて覚悟を決めると大きく息を吸った後、人口呼吸をするため青年の唇に自身の唇を近づけていった。
「ごほぉっ!!」
「きゃぁぁぁぁっ!!」
唇が触れる寸前、青年の口から大量の水がケイの顔に吐き出された。水を吹きかけられたケイは叫び声を上げながら仰け反った。
「汚いぃぃ」
ケイは川まで這って移動すると川の水で顔を洗った。顔を洗ったケイが青年の方へ振り返ると青年が横になりながら顔をこちらに向けていた。目をしっかりと開いており意識を取り戻したようだった。
「……あ~、これは察するに人工呼吸の機会を逃してしまったか。もう少し気絶しておくべきだった」
「何言ってるの。あなた死んでたかもしれないのよ」
「そう……みたいだな」
青年は体中を走る痛みに顔を歪めながら上半身を起こした。
「まさか落ちた衝撃で気絶するとは計算外だった。想像以上に弱ってるな。引きこもりすぎたか」
「とりあえず無事で良かったわ。体は大丈夫?」
「ああ、背中が焼けるように痛い以外はなっ!?」
体の状態を確かめるように肩をまわした青年は思った以上の痛みを全身に感じてうずくまった。
「ちょ、大丈夫!? 骨とか折れちゃってる!?」
ケイは寄り添って倒れかかる青年の体を支えた。青年の体はケイの想像以上に冷たく人として体温が感じられないほどだった。太陽はまだ高く照ってはいるが、気温はそれほど高くないためこのままでは服が渇く前に体温がより低くなる可能性があった。
「体、冷えすぎでしょ。ちょっと待ってて、火をおこすから」
ケイは青年をゆっくりと寝かせると身近にあった小枝をかき集めて慣れた手つきで積み重ねていった。続けてケイは腰に着けていた小袋から火打ち石を取り出すと打ち付けて小枝に火を付けた。
「手慣れているな」
「まあね、山には昔から入っているし、迷って野宿することもあるから。最低限必要なことは教わってるの」
「それなのにあんな危険な植物がいる場所にいたのか?」
「あんな化物と出会ったのは今日が初めてよ。知らなかったわ、あんなのがいるなんて」
「肉食植物、しかもあのサイズは珍しいからな。教えるところに教えれば専門家が涎垂らして押しかけてくるだろう」
「そのまま専門家さんにどこかへ持っていってほしいわ。これじゃ山菜採りも安心してできないもの」
焚火の火が大きくなり、青年はゆっくりと体を起こして温まり始めた。青年の手先の方からゆっくりと肌に温かみが戻っていった。
「ふぅ、暖かいが……着ていると冷えるな」
青年はそう言うとマントを外して着ていた上着を脱ぎ始めた。突然の行動にケイは見慣れない若い異性の裸を見ないようにと視界を手で覆った。
「いきなりなんで脱ぐの!」
「服を乾かすためだ。着たままより脱いで干した方が渇きも早いだろ。君も濡れているだろ。脱いで干したらどうだ」
「お、男の人の前で脱げるわけないでしょ!」
「……それもそうだな」
納得した青年はケイが顔を赤くしているのを横目にマントを手に取って差し出した。
「これを身に纏ういい。耐水と耐火の保護魔法が付いているマントだ。濡れていない」
ケイがマントを触ると青年の言う通り、柔らかい布地であるのにも関わらず少しも濡れていなかった。
「本当だ。でもいいの? あなたが纏っていた方が暖まるでしょ」
「命の恩人に風邪を引かせるわけにはいかないからな」
青年はマントを押し付けるようにケイへ渡すと真っ赤に腫れ上がった背中を向けた。
「俺はこちらを向いている間に済ませるといい」
「あなた、背中は大丈夫? すごく重傷に見えるけど」
「怪我の治りは早いから気にするな」
「……分かったわよ」
ケイは青年の怪我を心配しつつも言われた通りにマントを身に纏ってその中で服を脱ぎ始めた。
「絶対にこっち見ないでよ」
「見ない見ない。今更、若い娘に興味はないさ」
「若い娘ってそんなに歳が違うようには見えないけど……」
「童顔なんだよ」
童顔だという青年の顔には子供ぽさはなく、むしろ顔立ちにしては老けている印象をケイは受けた。
ケイは恥ずかしさを我慢して一気に服を脱ぐと肌が見えないようにマントを身に付けた。
「もう……いいわよ」
ケイの了解を得て焚火の方へ振り返った青年はまた冷えてしまった手足を暖めようと焚火に近づけた。
「自己紹介をしてなかったな。俺はイーグ。イーグ・ハッシュベルだ」
「ケイ・グレイスよ」
「……」
青年はケイの名前を聞くと顔をじっと見つめてきた。
「な、なに?」
「あっ、すまない。知人に似ている気がしたもので……初対面の女性の顔をジロジロと見るのは失礼だった」
青年は軽く頭を下げて謝った。
「別に謝らなくていいわよ。ところでイーグさんは旅人さんよね。リャブリャハへ行く途中だったの?」
「ああ、その通りだよ。だけど、道に迷ってしまってね。命を助けてもらったばかりで申し訳ないが、道案内も頼めな
いか」
「構わないわ。それに命の恩人っていうなら私の方が先よ。イーグさんがいなかったら私はあの化け物植物に食べられてたわ」
「では互いに恩人ということにしておこう」
自己紹介と握手を終えるとケイが質問をしてきた。
「イーグさんはどうしてリャブリャハへ?」
「どうしてもなにもリャブリャハは温泉地として有名だからね」
「リャブリャハの温泉は確かに有名だけど、もう一つ忘れてはいけないことがあるわ」
「はて、何のことだい?」
イーグはケイが何かを言いたそうにしてることを察して笑みを浮かべながらに聞き返した。
聞き返されたケイは待ってましたとばかりに立ちあがり、両手を祈るように握り合い天を仰いだ。
「双王伝説始まりの地!!」
「あ、ああ……」
イーグはケイの語気の強さに圧されてしまう。
「【神滅の覇王アルナ・タイオン】と【七天八海の征服王イートグリフ・マインシタン】が出会い、そして二人の王の伝説が始まった場所なの!! もちろんご存知よね! ね!」
熱い視線を送ってくるケイに対してイーグは頷くしかできなかった。
(こ、この娘、自分の好きな話になると熱くなるタイプか……)
イーグにとっては苦手な方の人であったが、ケイが語る双王伝説について興味があったため、話を遮るようなことはせず黙って見守ることにした。
「アルナ様は元々リャブリャハに住んでいたの。そこにイートグリフ様が旅の途中で立ち寄られて二人は出会ったわ。二人はリャブリャハで修行したり、喧嘩したりして互いのことを語り合って友となったの。これが双王伝説の始まりの話。この話は絵本にも漫画にもなっていたりするけど、私は歴史研究家のカロゴさんが書いた小説双王物語が一番好きなの。二人の出会いから喧嘩をして仲直りをして一緒に<神>と戦う決意を決めるまでの過程が細かく書かれていてね」
「ケイさんは双王様のことが好きみたいだな」
「もちろんよ。この世界が平和なのはお二人のおかげなんだから。尊敬してるわ」
「双王。その名の通り、二人の王様がいるが、どちらが好みなんだい?」
イーグの質問にケイは体を固まらせた。そして頭を抱えてうめき声のような独り言を言い始めた。
「それは永遠の課題だわ。魔族でありながら人族のアルナ様と肩を並べて生涯の友として一緒に戦ったイートグリフ様の心の豊かさは素晴らしいし。でもやっぱりアルナ様かな。でも二人共、人柄を感じさせる逸話があるのよね。アルナ様は二国の争いを止めるために最前線で双方の兵士を説得したり、イートグリフ様は……」
「すまん、俺の質問が悪かった。君は二人の王様が同じくらい好きということだな」
「ええ、そうよ」
「……こんなに慕われるとはありがたいな」
ケイの熱意に感心しながらイーグは誰かに話しかけるように呟いた。
「?」
呟いたイーグの声が聞き取れなかったケイは首を傾げた。
「おや、どうやら服が渇く前に俺の従者が来たようだな」
イーグが向けた視線の方へケイも視線を向けるとこちら側に走ってくる二人組の姿が見えた。
二人組が若様と呼ぶとイーグ・ハッシュベル、本名イートグリフ・マインシタンこと【七天八海の征服王】は従者の二人、シャンテとハバリに自分が無事であると伝えるために大きく手を振った。