第八話
ゆっくりと呼吸を整えながら、俺とみずきは平原を駆け抜ける柔らかな風を堪能しながら海を目指す。
風に煽られた髪がどれだけ乱れようとも、彼女は「ん〜っいい風っ!」と笑顔が絶えない。気に入ってもらえたようで何よりだ。『この世界』が俺の成果物というわけではないが、どこか誇らしく思えてならない。
彼女の笑顔を横目に眺めながら、「そうだ」と前置きして「一回スマホ出して」と自身のスマートフォンを見せる。すると彼女は「ほ?こっちにあるんだ」と浮かれた表情をそのままにポケットに手を入れる。
浮かれる気持ちはよくよく分かるのだが、少しは『この世界』を説明しなければならない。努めて気を締めていると、彼女はパーカーのポケットの中にスマートフォンを見つけたようだ。
「なんか変な感じだね」
言って、彼女はスマートフォンを点灯させると「ん?」と画面を注視する。
きっと《『Over Land』の世界へようこそ。ただいまより、『百二十時間』の間は、こちらから接触しない限り『モンスター』に認識されない期間となります。『世界地図』を確認して『町』を目指しましょう。》という文言が画面に張り付いていることだろう。何のことか分からないといった風に「………、五日間?」などと呑気な言葉を口にする。
「そう、今のみぃは『この世界』の『モンスター』に認知されないんだ。その五日間は昨日の俺のように怪我することはない。次は画面に『世界地図』ってアイコンがあるから、そこをタップしてみて」
「?……うん」
この世界に入り込むとスマートフォンの画面は『現実世界』のものとは大きく変化し、よくあるロールプレイングゲームのユーザーインターフェースが映し出される。「へぇ〜」と感心しながら、俺の言葉通りに彼女は画面をタップする。すると、一つの大陸を半分に割ったような地図が表示されているはずだ。
「それが『Over Land』の地図な。それで赤印が現在地」
俺の方でも『世界地図』をタップして解説する。「……ぅん」と彼女の反応が薄いのは、《『Over Land』に存在する『モンスター』たちはとても危険な存在です。彼らは野生的で、人間を嫌っています。『町』は結界が張られており、『モンスター』の侵入を阻んでくれます。まずは、『町』を目指し、自身の拠点としましょう》という文章が現れているからだろう。この世界地図には現在地以外にも左側の大陸に四つ、右側の大陸に四つ吹き出しのような文字が出ている。それこそが『町』であり、『町』の場所である。
ちなみに俺たちの現在地は右側の大陸の南西部にある『グランヤード』という『町』のちょい東の平原地帯。さらに因むが、西の方角を見ても『グランヤード』と呼ばれる『町』の姿は見えない。
同じことを考えたのか、みずきも『町』の方角へ目を向けていた。
『世界地図』では、ちょい、という距離ではあるものの、その方角には地平線が広がっているのみ。その事実が、『この世界』の広大さを物語っている。
「今まで歩いた感覚だと、一日か二日は歩かないと『町』には着かないだろうね」
「?……うん?」
俺の言葉に彼女は、きょとん、とした顔を見せる。理解できなかったのか、それとも、俺の言った距離が妥当でないと思ったのかもう一度「俺の経験では二日くらい歩かないと『町』に着かないと思うよ」と伝える。しかし、今度は不審げな表情を向けながら「ねぇ、蓮ちゃん」と顔を覗き込んでくる。
「どうして標準語なの?」
「へ?」
彼女の言葉に気の抜けた声が漏れる。
「あれ?ウチも?」
「なんか話してみてよ——っっ!」
自分の口から出てきた言葉に途轍もない違和感を感じる。それが顔に出ていたのだろう、彼女は「ぷっ」と吹き出すと大きな声で笑い始めた。いわゆる、ツボに入ったというやつだ。
「どうして……」(なんでや……)
思わず口に手を当てて考え込んでしまう。確かに、今まで一人旅だったが故にこの世界で会話をしたのは今が初めてだ。それにしても、どうしてこんなことになっているのだろうか。ダメだ、思考さえも標準語に引っ張られてしまう。
視界の端では、ひぃひぃ、と軽度の呼吸困難を引き起こしているみずきが膝に手をついて呼吸を整えようと試みていた。
「どうしてだろう、『この世界』のシステムなのか?」(なんでやろ、『この世界』のシステムなんか?)
「ぶぐっ」
汚い音が彼女の方から鳴ったが、ここは気にせずに思考を続けよう。間違いなく、答えはここにはるはずだ。スマートフォンの画面から『設定』のアイコンをタップする。すると、答えはすぐに見つかった。
『自動翻訳機能』:この機能をオンにしていると、『Over Land』内で出会う様々な国籍、言語を使用する人たちと会話することができる。口の動きは変わらないため、若干の違和感が仕事する。
……誠に遺憾である。
「みぃ、原因が分かったよ。これだ」
「ひぃ、ひぇ……」
未だに小刻みに震える彼女の目の前に画面を持っていき、指を添える。理解するのに、たっぷり数十秒を要した彼女は呼吸を整えて一言。
「ウチらの言葉って日本語じゃなかったの?」
「そのようだ」
訛りさえも翻訳してしまう強力なシステムだった。……この感じだと、めばちこはものもらいに変換されるのだろうか?
「◯ック」
「いや、それは違うだろ!」(いや、それちゃうやろ!)
同じことを考えたのだろう。彼女は人気ハンバーガーチェーン店の名前を読み上げた。
「U◯J」
「そうはならないだろ!」(そうはならんやろ!)
同じことを考えたのだろう。彼女は人気テーマパークの名前を読み上げた。決して銀行ではない。
「セブン」
「もういいよ!」(もうええわ!)
同じことを考えたのだろう。彼女は人気コンビニエンスストアの名前を読み上げた。決してウル◯ラマンではない。
「蓮ちゃんのツッコミもなんか優しく感じるね」
「知らないよ……」(知らんがな……)
誠に遺憾である。