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第4話 毒と薬と銭と情と


 思わぬ稼ぎが手に入ったので顔見知りの水売りに頼んで、モルジャジャを乗せるためのロバを借りた。


「にっちゃ、アタシはだいじょうぶ。それよりあっちの白人さんも治してあげたほうがよくない?」


「うん? たしかに白人の連中は、おえらいさんと仲のいいやつも多いからな……」


 怒らせると兵隊が捕まえに来るかもしれない。

 水売りにもう少し払ってモルジャジャを家まで送ってもらい、横転した馬車の近くへ行ってみる。



 大ケガをしたのは貴婦人ひとりだけで、白人の一行には治療ができる男もいたらしく、包帯を巻き終えたところだった。

 さいわいにも手の親指だけ、それも骨折しないで済んだらしいけど、血は止まっていない様子で痛がっている。


「あの、オレなら傷を早くふさげるかもしれませんから、よければ……」


 白人男たちが一斉ににらみつけてきたけど、ほかの野次馬たちが「そいつは名医だ!」「死にかけの男をあっという間に治したぞ! この眼で見た!」「もっと金をとっていい!」などと勝手に宣伝してくれる。

「手伝わせてくれ! 分け前は半分でいい!」は余計だけど。


「包帯はそのままでけっこうなんで、手だけ失礼して……できるかカニカマ?」


 貴婦人の手にふれて、かぶせた風呂敷をしっかりと押さえておく。

 白人男たちはみんな殴りかかってきそうな顔をしていた。

 でも苦しげだった貴婦人が驚いたように目をぱちくりさせて表情をやわらげると、男たちはとまどいはじめる。


「どうです? よくなってきた感じはしますか? では、なるべく動かさないで……」


 風呂敷をとると、貴婦人は自分の手の裏表を見て、笑顔で何度もうなずく。

 これでとりあえず、いきなりサーベルで斬られることはなさそうだ。

 でも、もうさっさと逃げておこう。

 馬車の修理代がどれほど高いかもわからないし、またモルジャジャのせいにしてオレへたかってくるかもしれない。



 白人たちからコソコソ離れると、誰かがオレのそでにしがみついてきた。

 見れば小さな男の子が泣いている。


「医者の先生、父を治してください。お願いです。死んでしまいます」


 地面に両手をついてひれふして……格好からすると、中国から来たらしい。


「オレはまだ修行中の身だから。そんな重症なら、もっとちゃんとした医者に診てもらったほうがいい」


「そんなお金はありません。父は旅の途中で病気にかかって、だまされて荷物も奪われてしまいました。今はこれしかありませんが……」


 そう言って抱えていたサイフを開けて見せ、カゴに残っていた売り物の中国風あげパンも見せる。どちらもろくに入っていない。


「見てみないと、助けられるかどうかもわからないから……とりあえず親父さんはどこだよ?」



 案内された岩陰では、ひどくやせた中国人の親父がぐったりとしていた。

 目がうつろで、男の子が呼びかけても答えない。


「馬車はよけたのに、倒れたきり立てなくなって……」


 男の子が言うとおり、傷は見当たらない。

 ともかくも風呂敷をかぶせてカニカマに探らせてみると、返事は早かった。


「内臓が虫に食い荒らされている。明日までには死にそうだ」


「助けられるか?」


「できるかもしれないが、時間はかかる。アラババの血も多く使いそうだ」


「どれくらい? いや……とにかく、やってみてくれ」


 オレがひそひそ声のひとりごとを終えると、男の子が不安そうに見ていた。


「いや、これは、中国に伝わる針灸しんきゅうの秘術……」


 しまった。本場の人だ。インチキがばれるかもしれない。


「……では難しい病気らしいので、西欧に伝わる錬金れんきんの秘術を使うしかないみたいだ。やれるだけやってみるけど、時間がかかるし、よく集中しなければ失敗しやすくなる」


 オレは片手で自分のサイフをさぐり、男の子にいくらか持たせる。


「誰にものぞきこまれないように、布を買ってきて張ってくれ」


 男の子はとまどっている。


「どうせ買うつもりだったから……急げって! あと水も多めに!」



 患者が岩陰にいてよかった。

 日よけ布を張って休んでいるだけに見えて、そんなに目立たない。

 でもカニカマがオレの血を吸い続けているらしくて、妙な冷えを感じるし、眠気も出てくる。

 男の子が釣り銭を返そうとしてきたので、また使い走りを頼むことにした。


「茶を買ってきてくれ。なるべく濃くて甘いやつ」


 患者は完全に意識を失い、かすかにうめき続けている。

 ……オレの父さんも、苦しみ続けて死んだ。


 父さんは泉の向こうまで行って商売をしていたら、休憩中に話すことも動くこともできなくなって……手伝いでいっしょにいたオレはまだ小さくて、なにが起きたのかわからなかった。

 今なら、服を脱がせて毒ヘビにかまれた足首の傷を見つけ、脚を縛って傷を切り開き、毒を吸い出すくらいはできた。

 そこまで処置できれば、命だけは助かることも多い。

 でもオレは『父さんが倒れた助けて』しか言えなくて、通りかかった大人たちは伝染病を怖がって近寄らなかった。


 この中国人は父さんとぜんぜん似ていないけど、死にかけているのに誰も助けてくれない時は、みんな似たような顔になるのか?



 オレの内臓にずるりと合図がきて、カニカマがささやいてくる。


「貴君の体力が落ちている。貴君が危険そうな場合、治療を中断したい。理解してほしい」


「それはまあ、オレも死にたくはねえからなあ……」


 風呂敷の下をのぞいてみて、後悔した。

 オレの手がつながっている患者の腹から、なにかドロドロしたものが出ていて、うごめく糸くずみたいな虫も混じっている。

 気色悪いから、もう絶対に見ないでカニカマへ任せよう。


「……少しだるいし眠いけど、あとどれくらいかかるんだ?」


「おそらくこれで半分ほど。このまま順調に進めば願いはかなえられそうだが、貴君はしばらく体調を崩しそうだ」


「それくらいなら……」


 カニカマさえいれば、いろいろ稼ぐ手段はありそうだ。

 しばらくはゆっくり休んで、うまいものを食ってもいいだろう。

 たくさん稼げたら、もっとマシな毛布を買うのもいいかな……


 ……おっと、まずい。こんなところで眠ったら、カニカマに殺されなくてもサイフや商売道具を盗まれる。

 毒ヘビとかもいるし……岩陰にサソリがいた。でかいやつ。毒が強くて性格も悪い種類のやつ。まずい。じわじわ近づいている……こいつ、走ると速いんだよな……

 近くの小石をにぎる。


「アラババの脈が乱れている。状況を教えてほしい」


「サソリが……」


 小石を投げたけど、左手だったせいで、うまく当てられなかった。

 まずい。どんどん近づいて……

 もどって来た男の子が踏みつぶしてくれた。


「ありがとう。助かった」


 男の子が茶を入れた筒をさしだして笑顔になったので、オレは自分の気がゆるんでいたことに気がつく。


「でも治療の払いは別だからな」


 こんなにオレの血と金を使っているのに、踏み倒されたら大損だ。

 この患者が治っても、そんなに稼げるかはわからないけど。

 でも男の子はしっかりとうなずいて、すぐに返してきた釣り銭もまともに残っていた。



 中国人にもいろいろいて、悪魔のようにずるがしこくて冷酷なやつもいたけど、友人や恩人を親兄弟みたいに大切にしているやつもいた。

 でもこのあたりまで来る連中はほとんど商売人だから、白人たちにくらべるとマヌケなやつはめったにいない。


「この患者はかなり弱っているから、今だけ助けることができても、それほど長くはもたないかもしれない」


 カニカマから聞いた診立てを教えると、男の子は悲しそうにうなずく。


「この町へ来る前に食べた料理が生焼けだったらしくて、父の体調はどんどん悪くなっていました」


「オレもアンタくらいの年で両親を失った。あげパンはもう自分で作れるのか?」


「はい。父は腹の痛みがだんだんひどくなっていたので、長くはもたないかもしれないと……材料の仕入れから、ぜんぶひとりでこなせるように教えられました」


「それなら、さっきオレがあずけた金と同じだけ、これから毎月、一年間払え」


「必ず払います」


 まだ治療は終わっていないし、父親の意識だってもどらないままなのに、男の子はすぐにうなずいた。

 それでもオレはふたりが住んでいる家の場所とか、故郷とか、親戚の名前とかも聞き出しておく。


「商売道具は取り上げないでおいてやる。どうせもう、本当に必要なものしか残っていないだろうし、売り払ってもたいした金にはならないだろうから。使わせて稼がせたほうがよさそうだ」


 ……オレもこんな風に言ってほしかった。


 父さんが倒れた時、通りがかりの大人たちは誰も助けてくれなくて、病院まで走って頼みこんだけど、貧乏人だから相手にされなかった。

 必ず払うとどれだけ言っても信じてもらえなかった。

 オレはすでに父さんを手伝ってガラクタ売りで稼げるようになっていたし、商売道具以外の服や家具ならなんでもあずけていいと言ったのに、追い出された。

 だからさらに走り続けて、自分の家までもどるしかなかった。

 母さんもまだ市場に出ていたけど、となりの家のおじさん……モルジャジャの父親が助けに向かってくれた。

 でも毒を抜くのが遅すぎたから、父さんは何日も苦しみ続けて息をしなくなった。


 その時の医者が……来てやがるぞ?

 小柄で猫背の、鼻の長いオッサン……まちがいない。

 さっきの白人たちと、なにか話している。



 このあたりまで来る白人は金持ちが多くて、おえらいさんの知り合いも多いから、わざわざ医者のほうから駆けつけたらしい。

 でもすでに貴婦人は消えていて、修理中の馬車を見張る男が三人ほど残っているだけだった。

 医者は必死に売りこんでいるけど、もう治療は済んでいるから、邪魔がられるだけだ。ざまあみろ。

 ……なんて思って日よけから顔を出して見ていたら、白人がオレに気がついて指をさす……まずい。

 医者が白人のひとりを引っぱりながら、こっちへ向かって来た。


「あの小僧は医者ではありません! だからインチキな治療です! とても危ない! アタシが診ないと死ぬかもしれない! インチキをしている証拠をたしかめたほうがいい!」




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