第3話 もぐりの医者
そろそろ街道で弁当やガラクタを売らないと、誰かに怪しまれそうだ。
でもカニカマを人に近づけるのはまだ不安だから、客の相手はモルジャジャに頼んで、オレはその背後でこそこそと話し合いを続ける。
「カニカマから話したい時にはどうする?」
「アラババの内臓へ合図を送りたい」
ランプがつながっている腹の内側に、ずるりとくすぐる感触があ……
「ううあ……そ、それくらいで十分わかる。それくらいにしてくれ」
「それとこれも有用かもしれない」
今度はランプのふたのすき間から、水を吸い上げていた指くらいの管が、ずるずると服の中をはいあがってえ……耳元まで近づいてええ……
管の中から、ささやき声がした。
「周囲に会話を気づかれにくい」
「そ、そうだな。でもこれから服に入る時は、あらかじめ合図をしてくれ。絶対に」
道端で小便もらしたような顔になるから。
「なあカニカマ。アンタに『血液』が必要なら、トカゲやニワトリから吸ってもらえないか?」
「私の肉体は人間の血液、内臓、脳を必要としている」
「脳みそを食われたら死ぬだろ……本当にオレを殺す気はないだろうな?」
「アラババの肉体は特別だ。私を再構成する基盤として、調整に使い続けている。損壊させては不利益が大きい。しかし私はほかの人体も吸収し続けたい。理解してほしい」
「でも人体なんて……ばれたら死体でも大変だ」
「鮮度を大事にしてほしい。月に三体以上が望ましい」
「カニカマの願いばかりがどんどん増えているような……モルジャジャのことはどう考えているんだよ?」
「貴君の願いであれば完食する。しかし解体しては非効率と考えている。彼女は貴君の神経を調整している。私にとっても間接的な協力者として維持が望ましい」
「その説明は少しわかりにくいけど……とりあえず、殺したらまずいとは思ってくれるのか」
子供をだましてメシ代をぶんどるクソジジイよりは手を組んでよさそうだ。
「貴君を損壊させた時の予備にも適している」
……信用まではできないけど。
「にっちゃ、カモの団体様~!」
モルジャジャがパタパタと駆け出す。
白人を乗せた数頭のラクダと一台の馬車が峡谷を抜けてきた。
砂漠の日差しへ顔や腕をむきだしにしているやつもいるから、まだこのあたりに不慣れな連中……カモの見本だ!
ほかの行商の連中も気がついて群がる前に、オレも急いで追う。
「お客様、食えー! アタシの弁当と茶、おいしいよー! 食えー!」
笑顔で手をふるモルジャジャを見て、馬車の貴婦人が興味を持った様子で笑顔を向ける……いい感じだ。
できの悪い飾り物や失敗した染物を高く買ってくれそうだ。
でも馬車のすぐ後ろにいた白人の男はなにか気に食わないのか、追いはらうしぐさを見せてラクダを前に進めてきた。
しかも手綱が下手で、馬車の馬へラクダをぶつけてしまい……驚いた馬が勝手に走り出す。
モルジャジャは逃げようとしたけど、まわりのラクダや大岩が邪魔になって、引っかけられてはじき飛ばされる。
馬車はあちこちにぶつかって、岩へ乗り上げて横転し……だけどオレは、そんなものにかまっていられない。
たちこめる砂ぼこりをくぐって人をかきわけ、道端へ転がったモルジャジャに駆け寄る。
「おい! しっかり!」
返事がない。気を失っているだけか? どこかひどい打ちかたをしたのか? 手にすり傷があるけど……
オレは黒ランプをこする。
「頼むカニカマ。モルジャジャを助けてくれ! できるか!?」
「貴君の指先を借りたい。モルジャジャの全身をそっとなでてほしい」
オレの腹の内部からくすぐるような感覚が胸、腕、手の中へ伝わり、ランプと同じ黒色が筋になって指先へ浮き出てくる。
オレの指をモルジャジャの頭につけると、黒ランプみたいに肌へひっつきはじめたので、風呂敷をかぶせて隠した。
「頭部に損傷はなさそうだ。次は首へ……もっと遅くしてほしい」
カニカマの指示どおりに、ゆっくりと手をずらしていく。
「そこで止めて……次……内臓は問題なさそうだ。死ぬことはなさそうだが、どこかに出血が……脚ではない……右腕だ。裂けている」
あせって気がつかなかったけど、すり傷があるほうの腕はそでの裏側が裂けていて、いつの間にか血が大きくにじんでいた。
そでをナイフで切り離すと、モルジャジャの腕は岩の尖った部分にぶつけていたのか、指くらいの長さ太さで傷口が開いていた。
嫁入り前の女に、こんな大きな傷……
「早く布で縛ってふさがないと……いや、消毒だっけ? いや、まず洗わないと……」
「傷口へ手をつけてほしい」
半信半疑でこわごわと触れると、黒い筋が傷と一体化して引っぱり合わせ、みるみるふさいでいく。細かい砂粒まで押し出していた。
モルジャジャが目をさます。
「にっちゃ……? いっ……痛い?」
「動くな。だいじょうぶだ……カニカマ、どんな具合だ?」
「水が足りない。私と貴君へ水を補給してほしい。血液も少し使わせてほしい」
オレは片手で水袋の栓を開けてランプへ注ぎ、自分も多めに飲んでおく。
「血もくれてやる。オレは動けなくなってもいいから……足りるか?」
「すでに十分だ。処置もほぼ済んだが、安静にしていないと傷口が開く」
腕の出血はすでに止まり、傷はずいぶん細くなっていた。
見た目はただのかさぶたで、まるで軽い切り傷だったように見えてしまう。
「よくやってくれた。ありがとうカニカマ」
砂ぼこりがおさまってきても、周囲は暴走事故の被害で騒然としていた。
馬車の貴婦人のほか何人かがケガをしたらしくて、野次馬が集まり、ケガ人の身内は怒鳴ったり駆けまわったりしている。
「まずいな。早く離れたほうがよさそうだけど……」
モルジャジャは体を起こしただけでもひどく痛がった。
まだ歩かせないほうがよさそうで、岩にもたれさせて座らせたけど、いやな予感がする。
やっぱりというか、白人の男がモルジャジャを見つけて怒鳴りはじめた。
「あの娘だ! あの娘が馬を驚かせて……!」
でもその男も、馬車にひかれたやつらの身内に囲まれて怒鳴られていた。
「見ていたぞ! アンタがラクダをぶつけたんだ! アンタが金を払え! 弟の治療代と、私の品物代だ!」
勝手に反論してくれているのは助かる。
貧乏そうなモルジャジャやオレからは金をとれそうにないこともあるだろうけど。
「アラババ。モルジャジャの排出した血液がほしい」
「おいカニカマ、それどころじゃ……目立たないようにしろよ?」
オレの指先から細い管がものほしげにうろうろしていたので、風呂敷をかぶせなおす。
地面を濡らしていたモルジャジャの血へ指先をつけると体内に『なめて』『すすっている』感覚が伝わってしまう。早く済ませてくれ……
ふと、オレの怪しい挙動をじっと見ている男に気がついた。
「アンタ……若いけど、医者か? その子の服、ずいぶん血が広がっているのに、もう血が止まって……?」
モルジャジャは不自然に治った傷をとっさに隠す。
「アンタ、頼むよ。叔父を診てくれ。さっきからうめいてばかりで、ひどく苦しそうなんだ」
「いや、オレは…………たいしたことはできないかもしれない。なにがあっても金を返さなくていいなら……」
男はすぐにサイフを探って、思ったよりも多くの金をにぎらせてくれた。
格好や荷台からするとアフリカから来た鳥商人らしいけど、あまり金に余裕はなさそうなのに。
「叔父が元気になったら、もっと払う。この倍は払う」
思わぬ稼ぎになりそうだ!
鳥商人の叔父は道の脇でござに横たえられていた。
息が細く苦しげで、顔は青ざめて汗だくだ。
「オレは治療中にひとりごとが多くなるけど、気にしないでくれ。えーと……そう、これは中国に伝わる針灸の秘術で……」
オレはガラクタ袋から木串や壊れた金具部品などをそれらしく手にして、出まかせを必死に考える。
「集中が乱れると秘術はうまくいかないから、みんなを近づけないようにして! 秘伝の技は見せたくないし!」
オレは怪しい手先を見せないように、風呂敷をかぶせた下で探り、自分の首元にひそむ細い管と小声で話す。
「どうだよカニカマ?」
「胸の内部に多量の出血。動かしたことで悪化している」
鳥商人の甥っ子が野次馬をさえぎってくれているし、事故であちこち大騒ぎしているから、オレはカニカマと話しやすかった。
そしてオレは受け売りの診立てを大声で言いふらす。
「これはまずい! 胸の中が大きく傷つき、声も出せないほど痛んでいるらしい!」
鳥商人の叔父がかすかにうなずき、甥は驚いて青ざめる。
「どうか叔父を助けてください先生!」
「ま、待って。がんばっているけど、どうだか……あ、水! 水、持ってきて!」
ケガ人のわき腹へそっと触れて、あとはカニカマまかせだった。
指先から糸みたいにのびた黒い管は患者の体内へ溶けこんで根のように広がり、なにか素早く精密な作業を続けているらしい感触だけが伝わる。
オレは空いているほうの手でただの灯油を患者の肩へ塗りつけたり、木串で刺さらない程度にあちこちをつっついて、治療のふりをがんばる。
カニカマが治療を終えるころには、患者の表情もだいぶやわらいでいた。
「まだ話さないほうがいい。あばら骨が折れていたから、なるべく動かないように。このまま寝ていないとあぶない。できるだけのことはしておいたけど」
鳥商人の叔父は痛みがだいぶ治まった様子で、無言で二度うなずく。
甥はすぐに最初の三倍の金をくれた。
「ありがとうございます先生。これで足りますか? これ以上は、鳥を売ってからでないと……」
うれしいけど、なんだか気の毒に思えてきた。
「まだ患者が元気になったわけではないし、オレもまだ修行中の身なんで。これでもう十分なんで、どうかお大事に……」
値段のつり上げを自分から止めるなんて、生まれてはじめてかもしれない。
鳥商人は涙ながらに感謝して……悪いことをしたわけではないけど、少し怖くなってくる。
なんだかオレ自身が悪魔になったような、変な気持ち悪さを感じた。