第2話 名状しがたい魔神
チョウの羽化よりもはるかに速く大きくふくらんだ全身はカマキリに似ていたけど、あちこちカニっぽい。
大人の倍ほども巨大で、四つの腕も六つの脚も真黒く鎧じみていた。
腹の先から出ている長い尾はランプの中へつながっている。
「魔神……ですか?」
うっかり敬語で聞いてみたものの、たぶんちがう。
東洋の衣服とか辮髪ではないとかいう以前に、虫だし……虫なのか?
本の表紙や広告とかで見た悪魔にも似ている。
でも……なにかが根本的にちがう。
「魔神……ソレデモイイ! トリアエズノ解釈デイイ! 都合ガイイ!」
発音はともかく、言葉はわりと通じるらしい。
でも気持ちが通じている気はしない。ぜんぜんしない。
「かっちょえー」
呆然としていたモルジャジャが最初に発した感想はろくでもなかった。
「ソレハ…………トテモイイ! 私ヘノ評価トシテ、利用価値ガ高イ!」
意外とうれしいらしい。虫みたいで表情はわからないけど。
大小の牙が何重にもわきわきと動く口で、いつ咬みついてくるかもわからないけど。
「私ハ貴君ラノ助ケヲ必要トシテイル。ソノタメ私モ貴君ラヲ助ケタイ。コノ取引ヲ理解シテホシイ」
何度も読んだ『千夜一夜物語』の魔神とは芸風が少しちがうけど、願いはかなえてくれるらしい。
それも『三つ』ではなく『三年』ってことは……
「オレがアンタを助ければ、それだけで三年間は願いごとをかなえ放題!? オレはなにをやればいいんだ!?」
「私モ努力ハスルガ、限界モアル。シカシ私ノ要求ハ、マズハ私ガ生存デキレバ十分ダ。ソノタメニ水ト血液ヲ補給シテイル。理解シテホシイ」
「水と……血液?」
黒カマキリの脇から何本か、触覚のような管が泉まで伸びて、水をぐんぐん吸い取っていた。
腹の先の太い尾は、オレが抱えている黒ランプの中へつながっていて……黒ランプの表面が、オレの下腹へ根を張るように広がっている!?
「な、なんだこれえ!?」
いつの間にかオレの服へもぐりこんで、へそから下と、ランプの黒い材質が、触れていた部分でこねたパン生地みたいに混ざってつながって……ぐんぐん赤くなっているのに、ぜんぜん痛くないのが怖い!
「問題ナイ。私ハ順調ニ補給デキテイル。貴君ハ体力サエ十分ナラ死ナナイ……不十分ナヨウダ」
まずい。頭が急にぼやけて、手足に力が入らない。真昼なのに寒い。暗い……やっぱり悪魔だった。吸血鬼のバケモノだ。
オレは倒れて、モルジャジャだけでも逃がしたくて手で追い払おうとしたのに、モルジャジャは泣きわめいてランプを引っぱりはじめた。
「にっちゃの血をただで吸ったらだめ~! にっちゃの血は高いの! すごく高いの~!」
そんなの初耳だ。というかランプにさわったらだめだ。お前まで……
怪物の四本腕が一斉に、モルジャジャをつかんで持ち上げてしまう……指の一本ずつが、鎌みたいに大きく鋭い鉤爪になっていた。
「うう……にっちゃの血は、アタシの何倍も高いの~」
「私モ効率的ナ補給ヲ求メテイル。貴君ラノ肉体ハ若ク、クリカエシ血液ヲ生成デキル補給拠点トシテ維持ガ望マシイ」
モルジャジャはそっと下ろされ、オレの意識もはっきりしてきて……起き上がれた。
手足にはしびれが残っていたけど、それがわかるくらいに感覚がもどってくる。
体に温かさが広がってきた。
「オレの血、もどしてくれたのか?」
「私ノ姿モ、一時的ニモドス。警戒シナイデホシイ。攻撃モシナイデホシイ……ソノ器官ハ私ノ急所トシテ、乱暴ハ避ケテホシイ」
怪物は全身から煙を噴き出してみるみるしぼんで、尾から順にランプの中へ引きずりこまれていく。
巨大な鎧みたいに重くて硬そうだった全身が水あめみたいにひん曲がって、にぎりつぶしたスイカの中身みたいに小さくなって……すべて入りきってしまった。
「コノ姿デ対応スル願イハ、質問へノ返答クライニシテホシイ」
モルジャジャがオレにしがみついてふるえていたので、背中をぽんぽんたたいて落ち着かせる。
「オレたちを殺すつもりはないようだし、話も聞いてくれるらしいから……場所を移そう。誰かに見られたらまずそうだ」
桟橋が変に広く濡れていて、にちゃにちゃとねばついている部分まであるから、早く離れたほうがよさそうだ。
少し立ちくらみがしたけど、それ以外はなんともない。
街道が見える大岩の上までもどって、いつもどおりにカモの客を探すふりをして、ガラクタの手入れもしながらコソコソと話す。
「なあおい、魔神さんよう……なんでまだオレの腹にくっついてんだよ?」
かぶせておいた風呂敷をのぞくと、ランプの側面はオレのへそ下に溶けこんだままで、ひっぱっても腹の皮がのびるだけで、はずれやしねえ。
「私ノ肉体ハ現在、貴君ノ肉体ヲ元ニ修復サレテイル。途中デ分離シテハ、赤子ヲ早産サセルヨウナ危険ガアル。体調ヲ整エル期間ダケデイイ。理解シテホシイ」
「それなら吊るしているふりでもするかな……服をかぶせても出っ腹みたいでみっともねえし」
手で支えなくても横向きに抱えたような位置でくっついているから、このままだと怪しすぎる。
「何日くらいで離れてくれるんだ?」
ガラクタの中から大きなボロ布を取り出し、ねじって肩紐がわりにしてランプへ結わえておく。
「千日ホド」
「助け合いを三年って……そういうことかよ。三年も……なあ、まずアンタ、なにができるんだ? 魔法で今すぐオレを金持ちにできるか? いや、一ヶ月くらいは待つけど」
「魔法ハ使エナイ。ソノ願イヲカナエタイナラ、十分ナ財産ヲ持ツ者ノ住居ヘ案内シテホシイ」
「それだけでいいのか? それならオレが王様の宮殿とか、金持ちのでかい屋敷へ連れて行ったら……」
「居住者ヲスベテ解体スル。百体マデナラ一時間以内デ完了サセル。私ハ金銭ヲ求メナイ。貴君ガ独占シテ問題ナイ」
「いや、すごく問題あると思う」
やっぱり虫や悪魔と話している気がする。
この怪物はいろいろと考えかたがおかしい。ずれている。
「私は五十年ほど眠っていた……記憶もあいまいな部分が多い」
発音だけはどんどんうまくなっている。
「私の想定よりも人間の武器は発達しているかもしれない。百体の人間を一時間で解体する想定は取り下げ、二時間に訂正する。評価を聞かせてほしい」
「ひとでなしー」
「待てモルジャジャ。そのとおりだけど……魔神さんも風習とかがちがうなりに、オレたちのために考えてくれている。ここは互いにいい取引ができるように、ていねいに話し合ったほうがいい」
この町は遠い東西から来た異国人の連中も通るから、まずはこう言ってなだめるのが丸めこむコツだ。
それに魔法を使えなくたって、二時間で百人も殺せるなら、そのぶんの兵隊や武器と同じくらいに値打ちがあるってことだろ?
うまく使えば、宮殿が建つかもしれない!
「にっちゃ、ひとでなしぽい顔ー」
そう言うモルジャジャの笑顔も、悪そうに楽しげだ。
「しかし五十年も眠っていたなら、しばらくはそのままで様子を見たほうがよくないか?」
「それは……私に有益な提案だ! しかし貴君は、先に自身の利益を求めないのか?」
「あせって失敗したくない。とりあえずオレが頼まない限り、人殺しはだめだ。でかくなった姿を見られるのもまずい。こうやって話せることもないしょだ。お願いできるか?」
「私も自分のことを広く知られては危険になる。努力しよう」
必ず守るとは言ってくれないけど、いきなりたくさん押しつけていることだし、今はこれくらいでいいだろ……いいはず。たぶん。
「しかし貴君と話せる時間もほしい。時おり元の姿で体をのばしたい。その際は大量の水が必要となる」
「わかった。それはオレも努力する」
「それと、この姿では眠くなりやすい。話せない時は眠らせてほしい」
「それなら用がある時は、ランプをたたいて名前を呼ぶから……」
今はパシパシたたいても、ほとんどただのランプだ。
「……ランプに向かって『魔神さん』とか話しかけているのが知られたらまずいか。名前はないのか?」
「以前は『殺戮虫』とも呼ばれていたが、別の名前が望ましい」
「そ、そうだな。それは人聞きが悪い」
まるで大量殺人しかできないような名前だ……ちがうよな? な?
「ほかにもっといい名前をつけよう。なにか……」
右向きにくっついているからミギ……いや、それはまずい気がする。商人の直感でなんとなく。
「カニカマ、よろしくー」
「待てモルジャジャ。それは……まあ、いいか」
カニとカマキリを合わせたような見た目そのままだけど、そのうち世界中で人気が出そうな気もする。商人の直感でなんとなく。
「私も問題ない。しかし呼ぶ時はたたかないで、優しくさすってほしい」
「おっと、悪い。痛かったか?」
そういえば急所とか言っていたか。
モルジャジャが黒ランプをそっとなでる。
「それならカニカマ、さっきはごめんねー」
「貴君らの頭蓋骨より強度はかなり高い。しかし優しくされると…………神経の調子が良くなる」
今の間はなんだ。