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落とし子たちのテングサライ  作者: オズワルド吉郎
Act.1 タイドウー胎動ー
1/1

第1話 胎動

『胎動が聴こえる。目の前の暗い深淵の中から。その暗闇に手をかざすと、心なしかその胎動は少し大きくなった──』


《博士、聞こえますかシェイン博士》


 うつらうつら、眠りの水面に浸ろうとする僕の意識を呼び戻した。低く、どこか冷淡な影を帯びた男の声。その謎の声に導かれるように、目の前の闇が徐々に色彩を取り戻していく。

 そんな暗闇から現れたのは、殺伐としたアーミーグリーンに包まれた機内。

 ああ、僕はこの光景に見覚えがある。膝に置かれていた右手をそっと掲げてみた。白く、柔らかなハリのある掌。丸窓から差し込む朝の陽光が、その右手を暖かな温もりで包み込んでいく。

 病魔に蝕まれ猶予のなかったはずの僕の身体。それが今、若かりし頃のあの日の姿を取り戻していた。


《いいですか博士。これが最後の深層サルベージです。再度、あの作戦への追憶から開始します。気をしっかり持って。あなたは既に三度、昏睡している》


 そうだ、現代科学を用いた潜在意識への浸透ダイブ。それはまるで時を遡ったかと思えるほど鮮明に、過去の記憶を僕に追体験させていた。

 僕の人生の中に本来あるとされる、“あの日の記憶”を見つけるために。


《1943年10月、飛び級の折、工科大を首席で卒業したあなたは最年少科学者としてマンハッタン計画に参画。ドイツから亡命してきたユダヤ人科学者たちと共に核兵器の開発に携わることになる》


 促されるように、機内の中央に置かれた黒い物体に目の焦点を合わせる。そこに、あの子が横たわっていた。

 漆黒に塗られた身体で、陽の光を眩しそうに照り返している。その姿はどこか、羊水に浸る愛おしい胎児のように僕の目に映っていた。

 そんな我が子に目を細めていると、ふとこちらを見つめる視線に気づく。『核爆弾』と呼ばれるその子の傍らに、在りし日の、彼の姿があった。


《Mark.0と呼ばれた新型爆弾は、その形状と性質から“素晴らしきサナギ”という異名を得ていた。あなたが創りあげたそれは、自身の発明の中でも特に異彩を放つ代物でした》


 脳内に響く我が子の生い立ちを片耳に、僕はしばし彼の笑顔に目を奪われていた。

 マーティ・クロウ。僕がこの長い生涯において、唯一愛した男。あの閉塞感に満ちた極秘作戦の中で、打ち解け合う事のできた数少ない軍人の一人。ブルーカラーは嫌いだがこの男だけは別だった。吸い込まれるような瑠璃色の瞳は、軍人としてはあまりに勿体ない。

 この子と共に閉ざされた彼との最後のひと時を、記憶の淵からどうしても拾い上げたい。昏睡を繰り返し続けた結果、薄れてしまった僕のもうひとつの目的。彼の瞳の輝きを見ることで、再びそれを思い出すことができた。


《そしてあなたは観測手として、3発目の新型爆弾投下に参加。しかし作戦中に生じたパスコードエラーにより、投下に失敗。帰路の途中に着陸による誘爆の危険性を考慮し、台湾海峡において新型爆弾を破棄》


 そう、確かこの数分後、暗く冷たい海の底に手放さざるを得なくなった。橙色に輝く眩い閃光を放ちながら、大空に羽ばたくはずだったこの子を。

 けど今、最愛の彼の隣にその愛すべき我が子はいる。視界が少しぼやけると共に嗚咽が漏れた。もう一度だけ、この子に優しく触れてあげたい。彼に愛していると伝えたい。抑えることのできない震える手で、うまく表すことのできない言の葉で。80年間抱え続けてきたこの想いを、あなた達に伝えたい。


《だが、真実はそうではない》


 その言葉と同時に、窓の外に目を移した。人影のような何かが、爆撃機の後方に飛び去ったように見えた。


《今からあの作戦の半月後に記録された本当の帰還報告をもとに、当時の状況を再現します》


「敵機機影を確認。回避行動をとる」


 機長の号令に機内が途端に物々しくなる。それと反するように、轟音の中でもクリアに聞こえる謎の声は、淡々と失われていた僕の記憶に問いかけ続けた。


《よく思い出してください。あのとき機内に侵入してきた何かを。あのB-29に搭乗していた、唯一の生き残りとして》


 大きな衝撃と共に目の前にノイズが走った。そして再び現れた機内の光景。そこは特殊装甲が剥がされ、コックピットがむき出しとなった惨状と化していた。

 記憶の奥底に深くしまわれていた凄惨な情景。それこそが、数多の昏睡状態を経てようやく辿り着いた僕の、真の記憶だった。


《機首から侵入してきたその何かは、機内にいた兵士を一人ずつ惨殺していった。ある者は胴体を引きちぎられ、ある者はデッキに押しつぶされた》


 背に聞こえるうめき声と断末魔に、身体が硬直していくのが分かった。思わず振り返ろうとする。そんな僕を、マーティが制した。

 惨状の中、彼もまた額を大量の血で赤黒く染めあげていた。震える僕の肩を、彼が両手で包む。なにかを囁くが、機内の亀裂から吹き込む風が彼の言葉を無情にも打ち消していく。


《その時点で機内に生存していたのはあなたと、マーティ・クロウ陸軍大尉。二人だけだ》


 彼は目前に迫るその何かを一瞥したかと思うと、恐怖にたじろぐ僕にパラシュートを括り付け始めた。

 僕の胸元の金具を懸命に締める彼の握力が、次第に弱くなっていくのを肌で感じる。大量の出血から、意識が朦朧としているのが分かった。


《そして、その何かによってクロウ大尉は》


 彼だけがパラシュートを装着していないのが分かった。力なく跪く彼。返り血に濡れた真っ赤な掌で胸元にすがる僕。

 彼との最後の時と引き換えに、逃れることのできない彼の最期の瞬間を、僕は今一度、向かえなければならない。


《機外に放り投げられた》


 プツリときれたフィルムのように、目の前の光景が消えてなくなった。脳内に最後焼き付いていたのは、あの鮮やかな淡い瑠璃色。

 彼の、瞳の色だった──


 *


 再び暗転した目の前に、白い光が差し込んできた。現れたのは白塗りの一室。脳髄を揺さぶるような機内の爆音は、静寂としたこの白銀の世界には聞こえない。ベッドに横たわる身体から延びる無数の管が、弱々しく波打つ僕の脈拍だけを淡々と心電図に映し出していた。


「博士分かりますか?病症から声は出ないでしょうから、瞬きを一度してください」


 語りかけてきたのはあの謎の声の正体だった。その男は黒づくめのスーツに身を包み、僕を見下ろしている。それも一人じゃない。ベッドの傍らにもう一人、同じいでたちの男が立っていた。


「残念です。閉ざされていたあなたの記憶の中でさえ、正確な姿は捉えられていなかった」


 首を横に振りながらそう言うと、男はベットに身を乗り出すようにして続けざまに言い放った。


「しかし今その“何か”は、あなたの枕元に立っている。そうですね?」


 耳元でかすかにベッドが軋んだのが分かった。ゆっくりと、その音の正体を確認しようと顔を上げる。白い光のようなものが、頭上を舞っているのが分かった。


 あの時の、その“何か”が、そこにいた。


 80年前僕らを襲った何か。僕からあの子を奪い去った何か。彼を殺した、その何か。(オーガ)だ。翼を持った鬼。僕は思った。

 ひらひらと舞う煌びやかな白い光は、その鬼の少し焼け焦げた片翼の羽根だった。枕元に立ち尽くしていたその鬼は一瞬目の前から消えたかと思うと、いつの間にかかがみ込んだ状態で、僕の鼻先にまで顔を近づけていた。

 真っ赤な鬼の顔は割れた面のようにヒビが入り、素顔であろうか人間のような顔が覗く。白濁とした瞳。どす黒い血で染まった目蓋から覗く片目には、人間と同じような涙が溢れていた。


 怒り、悲しみ、痛み。


 かつてのあの国が亡霊としてそこに立っているようだった。間近にあるその鬼の顔から、赤黒い血と溢れる涙の滴が僕の顔に落ちた瞬間、僕の体からなにかが抜けていった。


「既に、ここにいるようです」


 もうひとりの男が見慣れない装置に目を移す。


「成功です。暗示が融解し、座標が特定されました。精密機械を通し侵入してきています」

「やはりそうだ。ヤツは新型爆弾を持ち去ったあの時、パスコードは最後まで入力されていなかった。超念波(テレキネシス)を使って脳内に直接ハッキングを仕掛けている。そしてたった今、我々のおかげでその最後のパスコードを獲得した」


 そう言うと、僕を博士と呼ぶ男はかすかに笑みを浮かべた。


「こいつはもう用済みだ。これ以上核の母を傷付けてやるな。精密機械の回路を遮断し、静かに眠ってもらえ」


 光に包まれていた部屋が暗くなった。枕元に立っていた鬼もいない。呼吸もしづらくなってきた。遠のく意識に聴こえてくるのは、弱々しい生身の鼓動。


「鞍馬天狗は既にこの合衆国にいる。奴らにとってあの戦争はまだ終わってはいなかった。亡霊狩りに行くぞ」


 二人の男は部屋の出口へと消えて行った。ぼやけ始めた僕の視界に、暗い深淵が再び迫って来る。きっと、まぶたを今一度開けることはないだろう。最期に、あの子の羽ばたきだけでもこの目に焼き付けておきたかった。

 ああマーティ、君はあの時何と言っていたんだ?傀儡となって記憶の底まで漁らせたのに、結局君の想いさえ、紡ぐことは叶わなかった。

 辛うじて動く右手を震えながら、頭上にかざしてみた。しわくちゃな、黒ずみだらけの掌。科学者として母になれた右手なのに、ひとりの女として、子を抱えることのできなかった右手。そこに何かが触れた。あの鬼が残していった、小さな光。白い羽根だった。


 胎動が聴こえる。目の前の暗い深淵の中から。その暗闇に手をかざすと、心なしかその胎動は少し大きくなった。

 “あの子”はまだ、羽ばたいていない──

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