決意
500名の兵士、いずれも歴戦の戦士であったが、その内の150人が死んだ。
負傷者も100名余り、一軍に匹敵する戦力が半日で失われた。
しかも死者の半数は、かつての主君の姿をした魔族にやられた。
士気も忠誠も霧散してもおかしくない状況で、勇敢なコルキスの兵士は王女達を安全地帯まで守り抜いた。
指揮を執っていた老将は、本陣に着くや直ちに次の命令を出す。
『姫様と客人方を落ち延びさせよ。我らはこの細い回廊を死守するのだ』と。
リリンは体を失いこの世界から消滅、ノンダスは前の戦いで右腕を、ラクレアの左腕は砕けた。
ミュールはヨトゥンの槍を折られ、ティルルの魔力は空っぽで、サラーシャは立ち直れるか分からない。
だがミグには、もっと大事な者がいた。
そして、諦める気もここから逃げる気もなかった。
瀕死のユーク、心臓の横をかすめるように貫かれて失血死も間近。
「輸血よ、わたしの血を取って! 血液は合うはずよ」
治癒士や医術士が総掛かりでユークの救命にあたる。
他に血が合う者がいても、ミグは自分の血をユークへ注いでと命じた。
「姫様、これ以上はお命にかかわります!」
「そう、なら他の者の血をわたしに。わたしの血は全てユークに使って」
「そんな無茶な!」
医術士の猛反対があっても、ミグは押し通す。
後退を進言に来た老将も蹴り返す。
幸いなことに、魔族になったアレクシスは、首都の外までは追ってこなかった。
ノンダスはミグの意図に気付いた。
「そんなこと、上手くいくと思って?」
「わかんないわ……けど、このままだとユークが死んじゃう」
ポイニクスから奪った再生の加護をもってしても、ユークは死にかけだった。
新しい力がユークには必要だった。
「ねえ、ノンダス」
「何かしら?」
「足と腕、ユークに食べさせるならどっちが良いと思う?」
突然の質問に、ミグから血を抜いていた医術士がぎょっとする。
「バカなことをおっしゃい! そんなのユークちゃんが許すはずないでしょ!」
「だって、わたしはまだユークを信じてるの。ユークならきっと助けてくれるって。それなら手足の一つや二つ!」
ノンダスは左手でミグの頭をごしごしと撫でた。
「そんな事しなくても、ユークちゃんは何時かきっと勝つわ。それに知ってる? 男の子に力を与えるのは、そんな自己犠牲なんかでなく、乙女のキスよ?」
絶対絶命の中でも余裕を漂わせる王女とその仲間に、医術士はますます王家への忠誠を厚くした。
まだ逃げぬと決めたミグは、夕食にレバーを使った料理を3皿も食べた。
臭みを消すために香辛料やにんにくを山ほど使った料理だった。
食後に作戦会議が行われた。
沈痛な空気だが、ミグはうつむいたりしない。
「まあ、ここで死ぬ気はないわ。負傷者は国境まで下げて、戦線も可能な限り短く。義勇兵には下がってもらって……」
ミュールとティルルは、直ぐに返事をした。
「僕らは残るよ」
「そうね。エルフの飲み薬まで使ったもの、もう一戦くらい平気よ。クソまずいのよあれ、一生飲みたくなかったのに」
ティルルは、ユークの治療の為に魔力を回復させるエルフ伝来の秘薬を使った。
金貨なら数百枚になるという逸品だが、味は酷い。
「ごめんね、ありがとう」
ミグが礼を言った。
お陰でユークの容態は持ち直しそうだった。
ユークが目を覚ませば一緒に撤退する、それまでは先に逃がせる者を逃がすと、会議で決まった。
深夜――王城を見下ろす本陣からは、まだかすかにミグの魔法が作った穴が見える。
ほんのりと赤く、誰も住んでない街でそこだけが光を発している。
『あそこに……お兄さまの形をしたモノが居る。ひょっとしたら魂もまだ……』
ミグは、自分だけがアレクシスの接近に気付いたのを覚えていた。
同じ加護を持つ者同士が共鳴したのか、血縁ゆえに鋭く感じ取れたのか、彼女には分からない。
だが、自らに仕えていた兵を喰った”あれ”をもう兄とは思わぬと決めた。
魔法で攻撃した最後の一瞬、わずかに躊躇した気がしたからだ。
1万以上の命を使って辿り着いた王都。
故郷を取り戻すのに失敗したミグは、疲労の極地にあっても眠れない。
静かにベッドを抜け出すと、隣室に控えていたサラーシャが付いてきた。
二人は何も言わずに静かな宿舎を歩く、どうせ行き先は分かっていた。
ユークの眠る部屋の戸を、ミグはノックもせず開ける。
「わたくしが朝まで付きます、下がってよろしい」と、容態を見ていた者にサラーシャが言った。
ミグが看病に付くと言い出せば、騒ぎになるのが目に見えていたから。
サラーシャは、自分は部屋に入らずに扉を閉めた。
ただし、閉める間際にミグに忠告した。
「あまり、大きな声はお出しにならぬよう。急造の建物ですから」
ミグは返事の代わりに、まだ意識の戻らぬユークに話しかけた。
「わたしを何だと思ってるのかしらね? きっと、動けないあなたを襲うかもって心配してるのよ?」
ユークの手を取ったミグは、やっと安堵する。
大量の血を抜かれたミグよりも彼の手は暖かった。
『ごめんね』も『ありがとう』も言わず、王女はじっと少年の顔を見る。
初対面で冴えないと言った顔は、重傷を負って寝てる今でも、誰よりも逞しく見えた。
ユークの頭へそっと手を伸ばし乱れた黒髪を一束ずつ丁寧に整え、ミグは本当に誰も見てないか辺りを見渡してから……目を閉じて唇を重ねた。
長いキスは、息を止めたつもりでも僅かに吐息が漏れた。
そして、ユークを手を包んでいたミグの指が強く握られる。
はっと目を開くと、金色の瞳と黒い瞳がぶつかった。
「ユーク!!!?」
嬉しさの余りに大声を出すと、外からサラーシャがドンっと戸を叩く。
慌てて口を閉じたミグはベッドにすがりつく。
ユークの目は徐々に意識を取り戻し、口を開いた。
「なんだか……にんにく臭くて……」
「ばかっ!」
今度はユークからミグを抱き寄せて、にんにく臭い王女の口にキスをした。
「みんなに知らせなきゃ!」
恥ずかしさが勝ったミグは部屋の外に逃げ出そうとしたが、ユークは手を離さない。
「……ユーク、あなた死にかけたのよ?」
「知ってるよ」
「何でそんなに力が強いの?」
「何故か、力が溢れてくるんだ」
「きゃっ! ……ねえ、わたしを寝台に引きずり込んで、どうするの?」
「そのうるさい口を塞ぐ」
もう一度キスされたミグは、男の手が服の下に潜り込んできても抗ったりしなかった。
「待って、お腹は見ないで。まだ文様が……残ってる?」
「なら、リリンは生きてるんだ!」
二人は顔を見合わせて笑ったが、直ぐにリリンのことは忘れた。
白く滑らかな肌から衣服が剥ぎ取られ、ミグはユークの首に手を回した……。
日が昇り始める。
ユークが部屋の扉を開けると、サラーシャが立っていた。
サラーシャは丁寧に辞儀をすると、頭を下げたままユークに挨拶した。
「おはようございます、ユーク様。無事のご回復、お祝い申しあげます。以前よりも元気になられたようで、なによりです」
多少のトゲがあったが、ユークも挨拶をしていった。
「少し出かけてくる。ミグを頼むね」
「どちらへ……?」
「王宮へ」
ユークは完全装備だった。
「いけません!」と止めるサラーシャに、ユークは指を口に当てて静かにするよう示した。
「あいつ、まだ寝てるから。それにもう負けたりしない」
ユークは右手から、黄金の魔力を出して見せた。
王家の血を大量に注がれたユークは、一時的にせよミグと同じ加護を手に入れた。
ユークは一人で陣営を出る。
昨日の激戦でほとんどの者が疲れ果て、見張りの兵もユークの『見回りだ』の一言を信じた。
『なるほど……分かるな。アレクシスは昨日と同じ場所にいる』
ユークは軽く走り出す。
馬とほぼ同じ速度が出ても、ユークの体には疲れも出ない。
長く我慢した禁欲の強化を失ったが、ユークはさらなる力を手に入れた。
『これから生まれる子のために、お前を倒す』
命を繋ぐ種族としての、強い覚悟だった。




