海を超えて
テーバイ元老院の議長ライオスは歓喜した。
市民から一人の犠牲も出さずに、しかも傭兵団に金を払う前にクラーケンが片付いたのだから。
倒したのが元神聖隊――男の部隊――と言うのもまた良い。
これを解散したのはライオスではなかったし、かつては都市の顔と誇りであった軍隊の末裔だ。
『これを英雄として、樹冠とメダルを与えて議員と市民にアピールすれば……』
平時には禁止されている議長再任すらあるやもと、そろばんを弾く。
名誉以上に、この都市を仕切る立場は実入りがあるのだ。
「では、式典は祭りの前日、2日後で調整します。ところで、冒険者の方はどうしますか? 死人も出たようですが」
諸々の日程を詰め合わせる中で、一応とばかりに秘書が尋ねた。
「そりゃあ君、もう必要ないよ。彼らには報酬を払ってある」
何をバカな事をといった顔で議長が答えた。
「ほんとうに付いてくるの?」
「そうよ。悪いかしら?」
「うーん、別に悪くはないけど……」
意外な申し出に、ミグは思わず聞き返した。
ニケ島へ乗り込んだ戦士のほとんどは、『青薔薇亭』の常連。
その者達と一緒に、ささやかな宴が開かれていた。
そこでノンダスが、『この子達と一緒に行くわ』と宣言したのだ。
「それは嬉しいけど、でも何で?」
好物の羊肉を頬張りながら、ユークも聞いた。
実力者のノンダスが来てくれるのは喜ばしいこと。
それにまだ数日の付き合いだが、彼の人の良さや陽気な性格に作る料理、どれもユークにとってこころよい物だった。
「いろいろあるけど、バディは戦場で倒れるまで一緒にいるものよ?」
ラクレアが『きゃっ』と嬉しそうに反応したが、それだけではユークもミグも怪訝な顔になっただけ。
ノンダスは少しだけ真面目に語った。
「あたしはね、やり残した事があるの。それは決して戦って死ぬことじゃないわ。5年前まで軍に居たのに、戦わなかったことよ。貴方たちの故郷、5年前には魔物に襲われてたのでしょう? ここで立たねば漢女が廃るわ」
それから真剣な目で三人を見つめる。
「お願い。連れて行ってちょうだい」
三人に異論はなかった。
「こちらこそお願いします」と声が揃った。
『――もう一つ、理由があるのよ』
だが、これは声に出さない。
神聖隊の隊長から戦技教官まで勤め上げたノンダスには、一緒に戦ったユーク、ミグ、ラクレアの実力がよく分かった。
『あなた達には、その年齢にしては驚くほどの力と素質がある。けどそれを引き出す者が居ない。円熟する前に死ぬかも知れない。師匠って柄じゃないけど、その時まではあたしが守るわ』
ユークが計測したノンダスの戦闘力は、1200に届いた。
人の壁を超える強さではなかったが、技術と経験それに指揮能力を考えたら、兵士百人分の価値はある。
魔導都市テーバイに来た当初の目的、優れた武器を手に入れるは叶わなかったが、それ以上の仲間をユークは得ることになった。
収穫祭の前日、ユークは出発することにした。
明日以降はテーバイを出る人も多くなる。
行き先は事前に話し合った。
「鎧なら板金の街メディオラヌム、魔法なら学園のあるアカデメイア。北に行けばフラガラッハやグラムにアスカロン、武器の伝説は多いわ」
この地域や西方に関しては、ノンダスが詳しい。
「おすすめはどこ?」
「そうね。海を渡った南に、アトラス山脈があるわ。そこではドワーフが武具を作ってるそうよ。確実な逸品なら、ドワーフに頼み込むのが一番ね」
「なら、そこで良いんじゃない? これから冬になるし」
ミグが提案し、皆が賛成した。
船はテーバイの商人が出してくれることになった。
クラーケンを討ってくれたお礼だと。
ノンダスの店、『青薔薇亭』を出る時にもう一度ユークが聞く。
「お店、本当に良いの?」
「良いのよ、もう後は友人に頼んだから。それにほら」
ノンダス愛用の鍋釜に包丁を見せる。
「これからは、あたしがちゃんと食事を作ってあげるからね」
「へえー、戦士戦士と魔法使いに料理人。バランスの良いパーティになったじゃない?」
楽しそうにミグが茶化す。
「ほんとうよ。育ち盛りの子供が一気に3人も、お母さん大変だわ」
「…………」
この冗談を否定しても良いのか分からず、三人は黙ってしまった。
店に繋ぎっぱなしだったアルゴを連れ、四人と一頭は港へ向かう。
桟橋にこれから乗る帆船と、多くの見送りが待っていた。
ずらりと二列に並んだ男達、立ち姿で元は軍人だと分かる。
その手前には、一緒に戦った冒険者、包帯まみれのディオンも居た。
さらに周囲には、漁師や交易商人など港の男達。
口々に、「気をつけてな」「ありがとうな」と伝えてくる。
向けられた感謝に照れたユークだったが、『ほら、行きなさいよ』とミグとラクレアが背中を押した。
手を振る……のも恥ずかしく、ただ真っ直ぐと前を見つめて船へ。
兵士の列を通り過ぎようとした時。
「街を救い、旅立つ戦友たちに!」
号令一下、一分の隙もない見事な敬礼が両脇を彩る。
戦士の花道を通り抜け、四人と一頭は船上の人となった。
夏も終わり、陸からの北風を帆がはらむ。
港を出るまで手を振る人々に別れを告げ、船は一路南へ。
海を超えた先にある大山脈と、そこに住むドワーフの元へと旅立った。
その頃――議場前の広場では。
「何故だ! 何故誰も来ない!」
議長ライオスと集まった群衆が困惑していた。
主賓の元神聖隊が、誰一人と姿を見せなかったのだ。
面目の潰れた議長は、再選の投票すらなく退任することになった。
二章完




