廃ドックの戦い
タコは8本の手足を制御する為に、足ごとに脳があるという。
『ならば、このクラーケンは幾つ脳があるのだろうか』
そんな事を考えながら、ユークは二十数本の足を持つ怪物に挑む。
深入りすると見せかけて方向を変え、上から来た足をやり過ごす。
横薙ぎしてきた足は下がって避け、下からくれば切り払う。
無理に懐を狙わずに誘い込むとなれば、直情的な性格はともかく野山育ちのユークに向いた役割だった。
思った通り、二十本の足が同時に襲い来ることはなかった。
使えるのは正面の十本ちょっとで、隣で粘っているディオンと別ければ、4~6本に気を付ければ良い。
身軽で目の良いユークには”こなせる”仕事だった。
さらに後ろからは、冒険者たちが銛を投げ始める。
三本に一本が皮を貫通すれば良い程度の攻撃だが、着実にクラーケンの体を重くする。
じわりじわりとクラーケンを怒らせ、戦いに熱中させて陸上へ呼び込む。
”詰め”の役割を担ったミグも、準備を始める。
昨夜、ラクレアと銭湯に行った時に、湯船に浸かりながら試した。
「なんですか、それ?」
空中で湯を球にしたり伸ばしたりするミグにラクレアが尋ねる。
「これね、わたしが全力で魔力を集中するとこうなるの」
抱える程の水球を作って見せた。
「けどね、これをそのままぶつけても。えいっ」
制御した水球をラクレアの頭にぶつけると、水が派手に飛び散った。
「もう、何をするんですか」
ラクレアが負けじと手の平で湯をすくってミグにかける。
二人の水遊びに周りの女性の目が集まるが、ミグは気にせずに話を続けた。
「でね、この水をこうすれば……」
新たに作った水球を、槍のように細長く形成する。
「ほー、これは」
「そうよ。一点に力が集まるでしょ? これをヤツの弱点に突き刺してやるの。良いと思わない?」
今のミグの力では、全力魔法だと制御がおぼつかない。
だが半分の力に押さえても、鋭く急所を突く方が良い。
この世界の物質に重なって存在するマナを、自分の持つソーマを使って集める。
ミグの右手の上で、集まった魔力が赤く光りだした。
『そろそろか』と、ユークも感じていた。
水際からは十歩ほど離れ、クラーケンの巨体も水の上に見えていた。
ここまでは集中を切らさず、触手を避け続けることが出来た。
行き当たりばったりの作戦だったが、『上手くいきそうだ』と大きく息を付いたその時――。
人の街を襲えと命令されてきたクラーケンは、まだまだ冷静であった。
”加護”を活かし、大気を吸い込んで自らの墨と混ぜ、霧状にして吹き出した。
前線を支えていたユークとディオンの視界が塞がれる。
その黒い霧の中へ、クラーケンが十本ほどの腕を横殴りに叩き込む。
「伏せろ!」と、先に叫んだのはディオンだったが、彼の体は数本の直撃を受けて吹き飛んだ。
次に、なんとか膝をついたユークにも襲いかかり、廃ドックの壁へと叩き付ける。
「ユーク!」
「ディオン!!」
仲間達の声が高い天井に響く。
クラーケンは、確かな手応えを得て満足していた。
そして、海に潜んでいた眷属たちを上陸させる。
新たに五十体ほどの魔物が現れ、続々と斜面を登り始める。
パニックに陥った冒険者達の後ろで、ミグだけがまだ冷静だった。
後ろに控えることが多い魔法使いはパーティの頭脳、全体を把握して高い火力で全員を助ける。
この基本をしっかりと守ったミグは、墨の霧が晴れるのをじっと待っていた。
大きく飛ばされたユークが目の端に見えたが、声をかけたいのも我慢する。
『大丈夫、ちゃんと生きてる。生きて帰るには、わたしが……』そして。
「くらいなさいっ!」
育て上げた白銀の矢を投じた。
避けようのない速度で撃ち出されたそれは、一直線に飛び怪物の目玉を貫くはず。
腕を上げて庇おうとしたが、そんなもので防げるはずもない。
だが、最初に犠牲になったのは大蟹、それから大エビ。
クラーケンは、手近な魔物を盾に使って<<クロウメテオーラ>>――ミグが密かに『白い流星』と名付けた――を受け止めた。
「なっ!?」
予想外の一手に動きの止まったミグめがけて、真っ赤に焼き上がった大蟹と大エビを、クラーケンが投げつけた。
思わず目を閉じたミグにぶつかる直前で、ラクレアのメイスが蟹とエビを打ち返し、香ばしい匂いが立ち込める。
「ミグ様!」
日頃はのほほんとしたラクレアの表情も、固まっていた。
「ええ、分かってるわ」
最後の決断の時が来ていた。
「撤退よ、逃げるわ。負傷者を拾って! ラクレア、ユークを」
やっと立ち上がったユークの元へ、ラクレアが走る。
冒険者も勇気を振り絞ってディオンを回収しようとするが、ここで背後にあった鉄製の扉が開いた。
『後ろからも!? けど、まだ魔力は残してる。使い切って退路を開く』
振り返って新手に対応しようとした時、ミグの目には更におぞましいモノが飛び込んで来た。
悲鳴を上げなかったのは、流石としか言いようがない。
扉から次々と飛び出してきたのは、編上げのサンダルに白いふんどし、体にはオイルを塗りたくった、ほぼ全裸のマッチョ達だった。
マッチョの群れは、どんどん増えてミグを取り囲む。
その手には重装歩兵の持つ伝統的な大盾と、幅広の剣が握られていた。
「待たせちゃったわね。武器が揃うのが遅くなったの」
半裸のマッチョ軍団の中から、羽飾りの兜を被った男が声をかける。
「ひっ! ……あ、ノンダス?」
こらえきれずに悲鳴をあげたミグの目に映ったのは、ノンダスだった。
「ごめんなさい。怖い思いをしたのね……けど、ここからは任せてちょうだい!」
悲鳴の原因は高々と剣を振り上げ、クラーケンに向けて振り下ろした。
「いくわよ、あんたたち! 突撃いぃっ!」
「おおうっ!」
二十人ほどの男達が一斉に駆け下りる。
あっけに取られるユークや冒険者らの目の前で、あの伝説の神聖隊が復活していた。
ふんどしの男達は強かった。
横一線、大盾で自分と左隣を守り、正面の魔物を一歩一歩確実に仕留めていく。
10年以上も、訓練されてきた兵士の戦い方だった。
「ユークちゃん、無事?」
ノンダスがユークのところへやって来る。
「えーっと、うん。大丈夫、まだ戦える」
疑問は置いて、ユークは剣を取り直しノンダスと共に戦列に加わる。
流れは、確実に変わろうとしていた。
「……なんで油まみれなのよ。あれ、魔法に巻き込むと燃えるんじゃないの?」
ずらりと並んだ男達の光るケツを見下ろしながら、ミグもやっと平静を取り戻していた。




