女神の気まぐれ
わざわざ魔法まで使った罠だったが、出てきたのはゴブリンが2体のみ。
まだ諦める状況ではなかった。
うつ伏せのままで、ユークが腰の剣を確認する。
近づいてくるゴブリンを待ち、素早く剣を抜いて足を斬りつけた、はずだった。
「うおっ! あぶねーべ!」
不意を突いたのに、たかがゴブリンに軽やかに避けられる。
「元気でねーか。おめ、適当なこと言うな!」
「すまんでな。けどこいつ、剣を持ってるのに戦闘力5でな」
「なんだ、ゴミなだけだべか」
二体のゴブリンが声を揃えて笑いだす。
今度こそ、明確にバカにされたと分かる。
ユークは、怒りに任せたふりをしてゴブリンに飛びかかった。
足元への不意打ちも避けるゴブリンは、軽々と攻撃をかわすと、右手に付けた筒状の物をユークへと向ける。
『飛び道具!?』
直感的に判断したユークが筒口に剣を合わせると同時に、何かが発射された。
弾は、安物の剣を簡単に砕き、破片が飛び散る。
ユークとゴブリン、互いの顔に鉄片が降りそそぎ、その一つがゴブリンの右目に飛び込んだ。
「ぎゃああああ!! 目が、目がぁー!」
「んなっ? おめーの右目は大事なモンだぞっ!?」
思わぬチャンスに、ユークが組み付いて引き倒す。
四度、五度と体勢を変えながら、狭い部屋を転がりまわる。
ついにユークが上を取ったが、もう一匹のゴブリンが素早く脇腹にケリを入れた。
「ぐふっ!」と、思わず息が漏れ呼吸が止まり、その隙にゴブリンが体を入れ替える。
「よくもやってくれただな!!」
怒りに燃えるゴブリンが、潰れた右目を見開いた。
「地上で溺れて死ぬだ!」
目があった穴から、血や肉や液が垂れ落ちてユークの口を塞ぐ。
吐き出そうにも、ユークの肺に空気がない。
『生暖かい、臭い、気持ち悪い……もういやだ……』
急速に戦意を失いかける中、ユークが最後の手段をとった。
思い切って口の中の物を飲み込み、大きく一呼吸して、残った血を吹き付けた。
押さえる力が緩んだところで、壁際まで転がる。
「生臭い、まずい……。おえっ」
ユークは吐こうとして失敗した。
「おめー粘るなあ。だがそこは、魔王様の居室への入り口だべ。ほらポチッとな」
もう一匹のゴブリンが、手元のボタンを押すと、ユークが背を預けていた壁がぐるりと回る。
そこも落とし穴、ユークは本日二度目の罠にはまった。
高い代償を払ったゴブリン達は、魔王の元へ新鮮な餌を送ることに成功した。
「おめさ、目の具合はどうだ?」
「だんめだ、こっちはもう見えねえ……」
「どうすんだべ! その右目は貴重なものだで、大事にせと言われたべ!」
「た、頼む。軍団長には黙っててけれ!」
「無理だべー。どうしたってバレるべ」
「い、色眼鏡着けて誤魔化すだ! その内、治るかもしれんし!」
「うーん、今だけだべ?」
「恩にきるべさ!」
ゴブリン達は、たくましかった。
”右目に相手の戦力が数字で出る”――<<弱者の物差 >>
弱小のゴブリン族が生き延びるに、有用な能力。
ゴブリンが右目に持っていたのは、彼らの神から授かった”加護”。
祈れば神が応える――この世界では――つまり、神を奉じる種族にはそのご加護がおりてくる。
ヒト族とて例外ではない。
ただし、与えられる”加護”はバラバラで、性能もまちまち。
しかも神が説明する事もないので、個人の才能や努力に混じって、認識されないことも多い。
世界中に神は数万柱、くれた神を探すだけで一苦労である。
ユークの部族は、ツガイ大森林に暮らしながら狩猟之神を崇めてきた。
彼が貰った”加護”は、相手の加護を自分の物とする<<神授猟食 >>。
発動条件は、加護を持つ高等生物を捕食という、面倒なもの。
同じ二足族のゴブリンやエルフを、ユークが食べる機会は二度と来ない。
このタイプものは、希少な加護ではない。
竜の血肉などを喰って英雄化した物語は、世界に広く残る。
しかし今では、その竜が絶滅危惧種となっていたが……。
気分屋の女神アルテミスは、ほとんどの者が一生使えずに終わるこの能力を、『なんとなく。面白そうだから』とバラ撒いていた。
ユークは、女神の気まぐれが発動したことも、新しい力が右目に宿ったこともまだ知らない。
「うわゅ!? ふおぇ! ぐわっ!」
奈落の底、魔王城の最深部へユークはたどり着く。
派手に投げ出され、地面……の上にある水袋のような物にぶつかって止まる。
『いてて。一日に二度も落とし罠にハマるなんて、なんて不幸な……』
ここまでは、まだ余裕があった。
じわりと、ユークの下になった袋から液体が染み出してきた。
それと同時に、光の無い空間から強烈な刺激臭が襲ってくる。
ゴブリンの生き血を飲んでしまった鼻でも、異常を感じとれた。
「おえっ…くせえ……何でこんな。俺ばっかり……」
先程落ちたぶよぶよとした袋は、死体だと悟った。
真夏の戦場でもこれ程に酷くない、大きなドームに血と脂と腐った肉の臭いが充満していた。
涙目になりながら、ユークは部屋の隅にたどり着く。
こんなところに一人で居れば、確実に気が狂う。
そこにまた、上から何かが振ってくる。
『どしゃり。ぐちゃ。ばきっ』と、肉と骨が砕ける音で死体だと分かった。
ユークは、死体の落ちた辺りをじっと凝視する。
何かに集中しないと正気が保てない、ただそれだけの理由だったが。
その行為で、ユークの新しい力が目覚めた。
古代キリル文字が浮かび、ユークにも読める。
右目が一人分の輪郭を捉え、『68』が浮かびあがった。
誰かが、生きてる……!? 急いで駆け寄り確かめる。
死体は四つ、全て良く知った者たちで、アレクシスとその仲間の戦士。
そして五人目、アレクシスが庇うように抱えた少女が、まだ浅く息をしていた。
「おい! ミグ、ミグ! 大丈夫か? 起きれるか? 頼むよ、起きてくれよ!」
天井から落ちてきた少女に、ユークは必死で呼びかけた。
序盤地図