謎のマッチョ
<<シリウス>>がクラーケンを襲う。
ミグが若気の至りで名付けた基本的な攻撃魔法は、天狼星の名に相応しい威力をみせた。
クラーケンの決して低くない魔法障壁を一瞬で突き破り、近接武器を悩ませていた体表をまとう粘液も簡単に蒸発させた。
「やったか!?」
前線に立っていた男達から、ユークも含めて、歓声が上がりかけた。
だがユークの目の前で、クラーケンの頭が大きく膨らむ。
「なっ!? 頭が!!」
驚くユークに漁師の一人が解説する。
「空気だ、やつは水の代わりに空気を吸って外套を広げてるんだ。くそっ、これじゃ中まで届かねえ! それと、タコの丸い部分は胴体だ。頭は、目の付いてる部分だぞ」
さすがは漁師、詳しかった。
このクラスの魔物になれば、人やゴブリンと同じく神の加護を受ける。
深い海の神ポセイドンは、この頭足類の王に”比類なき吸引力”を与えていた。
クラーケンはその力を存分に活かし、瞬時に膨らんだ外套膜に沿って魔法を分散させ熱を逃がす。
そして、今度は一気に空気を吹き出す。
強烈な風がユーク達を船に叩きつけると同時に、クラーケンは後ろへ大きく飛び、水中へと消えた……。
しばし、誰もが呆然とタコが消えた跡の水面を見つめていた。
『やってない』のはもちろん、まんまと逃げられてしまったと。
しかし、この賢いクラーケンは、誰が自分の皮を焼いたのか把握していた。
ユークの右目が、水中を動く反応を捉える。
「ミグ、ラクレア、逃げろ! そっちに行ったぞ!」
船を通り過ぎ、今度は護岸に姿を見せる。
間合いは遠かったが、クラーケンは構わずに太い腕を振るった。
腕、足でも良いが、それは半ばから切断されると、ミグに向かって真っ直ぐ飛んだ。
腕の半分をラクレアが受け止めたが、長くの伸びた反対側がムチとなってミグを襲う。
魔法に全力を出し切っていたミグの動きは、鈍かった。
『しまった!』と、ラクレアが思った瞬間、別の影がミグを抱えて飛んだ。
「大丈夫? 危なかったわね。けどあなた達、なかなかやるじゃない」
ミグを助けた筋肉質の影が喋る。
必殺の一撃を外したクラーケンは、夕日に頭を赤く照らしながら、沖合へと去って行く。
「あ、ありがとう……」
ようやく助かったことに気付いたミグが、路地裏のマッチョに礼をいう。
「いいのよ。あなた達、この街の子ではないのでしょ? あたしの方こそお礼を言わなくちゃね。良かったら家に来なさい。ご飯も出すし、お馬さんも待ってるわ」
半ば強引に三人を誘う。
無理やりアルゴを預かってもらい、今夜の宿も決まっていない。
この提案に乗ろうとユークは決めたのだが。
「おっと、その前にね」
マッチョは腰から包丁を取り出すと、クラーケンの腕を少し切り落とす。
「それは、いったい……?」
急に不安になったユークが尋ねる。
「ああ、武器と呼べるものがこれしかなかったの」と、マッチョが包丁を見せる。
『そっちじゃない』と、三人揃って首を振る。
「あら? あなたの国じゃタコは食べないの、美味しいわよ? 夕飯に出してあげるわね」
「助けてくれてありがとうございました。では、これで失礼します」
礼儀正しく逃げようとした三人を、タトゥーの入った太い腕が阻む。
「遠慮しなくて良いのよ? 漢女の一人暮らしだからね」
有無を言わせぬ迫力が、マッチョにはあった。
連行される道すがら、ユークはこの男の戦闘力を測る。
ミグを助けた時の動きは、ただ者とは思えなかった。
その数値は『306』を示していた。
包丁一本でこの値は、トゥルス騎士団の副団長と同等かそれ以上。
『いったい……何者だろう?』
女言葉を喋るマッチョに、ユークの疑問はますます深まっていった。




