かつてない恐怖
神聖隊があった丘は、神殿や政庁も立ち並ぶ山の手。
その裾から旧市街になり、民家や商店などが雑然と並び、道も一気に狭くなる。
馬を連れて走るのが窮屈になり、港に近づけば近づくほど、逃げてくる人が増えて進めなくなった。
お陰で道に迷うこともなかったが。
一度立ち止まり、三人で作戦会議。
「勝てますかね?」
船を沈める化物に、ラクレアは少し不安がある。
「無理なら逃げれば良いさ」
「その通りね」
ユークもミグもあっさりとしていた。
死んだら何も残らないのはよく知っていたし、今は敵の強さも計れる。
「2000くらい。戦闘力がそれ以上なら逃げよう」
三人は同意して、港へ進む足を再開した。
アレクシスがユークを連れてきた時のことを、ミグはよく覚えている。
初対面でくれてやった第一声は。
「ふーん、冴えないわね」だった。
ユークのことは、辺境から来た何の取り柄もない少年に見えた。
口も行儀も悪く、一度などは食事作法を注意したミグ自慢のプラチナブロンドに、灰を一掴み投げて寄越したほどだった。
信じられない無礼だったが、アレクシスも騎士たちも笑っていた。
ミグの人生で、彼女の身分を知らない初めての男の子だった。
それ以来、何かとぶつかる事もあったが、言い合いになれば全て彼女が勝った。
兄に、ユークを選んだ理由を聞いた事もある。
「集まった中で、10代はお前と彼だけだったからね。なるべく、若いものには死んで欲しくないんだよ」
そう言って、七つ上の兄はミグの頭を軽く撫でた。
その願いの通り、一番若い二人だけが生き残った。
『そう簡単に死んでやるもんですか』
『生きてれば何とかなる』
百人以上の命を吸った魔王城から還った二人は、しっかりと立ち直っていた。
先頭はユーク、次にミグ、最後にアルゴを引いてラクレアの順で進む。
ようやく港が見えたところで、ラクレアが大きな声を出した。
「ユークさま、上を!」
船の一部が空を舞い、路地を挟む家にぶつかって飛び散る。
ラクレアが盾でミグを隠す。
「大暴れしてるみたいね」
盾から目だけを出してミグが言った。
「凄いな、こんなところまで飛ばすのか」
まだ海までは200メートル近くあるのに。
無事を確かめて走り出そうとした三人を、呼び止める者があった。
「ちょっと! そこの子達。何してるの危ないわよ! 早く逃げなさい、怪我してるならこっちへいらっしゃい!」
口調のわりに、低くて野太い声。
一件の店の前で、立派な口ひげにあごは青く剃り、太い腕には入れ墨をしたマッチョが内股で手招きしていた。
三人は頷き合うと、何も言わずに駆け出そうとしたが、マッチョは意外にも素早くアルゴの手綱を掴んだ。
「ダメ、ダメよ! 何が起きてるかわかってるの? 見物に行くものじゃないわよ!」
マッチョの目は本気で心配してくれていた。
「平気です、魔物は慣れますから。その馬、預かっててください」
悪い人ではないと直感したユークが、マッチョにアルゴを託し、一気に港へと走り出る。
「待って、待ってちょうだいってば! 本当に危ないのよー!」
路地にはマッチョの叫びだけが残った。
テーバイの交易と食料を一手に担う港では、巨大なタコの化物が桟橋を押し潰しているところだった。
ユークが右目に集中する。
軽く四桁まで跳ね上がった戦闘力が、1500を超えて止まった。
「クラーケンってやつかな、何とかいけそうだ。どうする?」
「そりゃ焼くしかないでしょ。けど潜られたら無理よ、注意を引いて」
「分かった」
ユークが前衛、ラクレアがミグを守りながら魔法でケリを付ける。
これまでと同じ形で、最も確実な戦法。
怪物を押し返そうと、漁師や水夫がモリや櫂を使って戦っていた。
彼らが足場にしている、クラーケンよりも大きな船にユークも走り上がる。
船乗りの一人を捕まえていたクラーケンの足を、抜き駆けで切り落とす。
「うおっ! あ、ありがてえ。こいつ、モリが通らなくてよ」
礼を言った船乗りは、こんどは木の棒を拾い上げた。
まだ戦う気だった。
勇敢な海の男達に混じって、ユークも剣を振るう。
足をもう一本斬ってから気付いたが、足が八本ではない。
二十本以上あった。
『ただの大きなタコなわけないよな』と、ユークは妙に納得する。
だが船乗り達の奮戦もあり、時間は十分に稼げそうだった。
クラーケンは、破壊よりも男達との戦いに集中し始めていた。
一、二度海に沈んでから、クラーケンが巨体を船に乗り上げる。
巨大なタコの頭が海中から全て露われた 。
「ミグっ!」と、ユークが叫ぶのと、ミグが右手を振り下ろすのが同時。
これまでにない大きさの白熱球が、クラーケンの頭を直撃する。
ミグの持つ体内の魔力と集められるだけの周囲の魔力。
ほぼ全力の一撃だった。
その瞬間、ユークが捉えたミグの戦闘力は『1330』になっていた。




