インフレの始まり
テーバイに入る少し前、ユークは思い切って打ち明けた。
「俺の右目……ちょっとおかしいんだ」
「……はぁ? 頭の病気?」
「まあまあミグさま。男の子には誰しもそんな時期があるって言いますし、ここは優しくですね」
「違うってば! 魔王城に入った時に……」
ユークは、事の成り行きを話した。
そもそも自分の魔法に天狼星とか名付ける娘に言われたくない。
正式にカウカソスの所有者になってからは、剣が持ち主の力を引き出すかのように、感覚が研ぎ澄まされていった。
魔王に遭遇して死を覚悟したこと、伝説級の武器を手にしたこと、最近の蛮族狩りでユークは自分の成長を知りたくなった。
「それで、自分を測る方法を考えて欲しいとねえ……」
疑うこともなく、ミグはあっさりと了承した。
「あれ、信じてくれるの?」
「時々、わたしやラクレアをいやらしい目で見てたでしょ。そんな理由だったのかと納得したのよ」
「そんなわけ! ってか、山賊や奴隷狩りの奴らも測ってたのに!」
「んー、これでどう?」
ユークの抗議を無視して、ミグが手荷物から手鏡を取り出す。
旅に出た直後、これだけはとミグの我儘で購入した水銀加工の高級品。
「そんなもので見えれば苦労……あ、見えた」
古代より鏡には魔力が宿ると言われる、この結果も当然であろう。
ユークの右目に映る自分に、『513』の数字が浮かんでいた。
試しに、カウカソスを手放してみた。
今度は一気に下り、五十そこそこの数値になる。
それでも標準的な兵士が100前後であるから、これも悪くない。
「ねえねえ、どれくらいだったの?」
無邪気な顔でミグが聞いてくる。
「600……くらいかな」
ユークは少し盛った。
「ふーん、けど比較対象がないからわかんないわ。わたしやラクレアは?」
余り言いたくなかったが、今度は素直に答えた。
「ラクレアは盾を持つと800を超えるけど、剣を持っても余り変わらないんだよね。ミグは魔法を使うと跳ね上がるけど、今は……72かな」
身体能力では並以下のミグの数値が高いのは、魔法使いが持つ対魔法・対物理障壁を意識せずに展開できるから。
ラクレアの場合は、祖国で崇められていた戦神の加護<<蟹を踏み潰す者>>によるもの。
強靭な肉体で巨大な盾を操り、ミグを目当てにアルゴ号に近寄ったならず者は、そこに陣取るラクレアに弾き飛ばされる。
ユークの測れる戦闘力には、一定の法則がある。
元がゴブリンの生存能力に起因するものなので、攻撃力が強く反映されていた。
個体の戦力に武器の力が乗る。
得意な武器や、特殊な武器を持てば、攻撃力が跳ね上がるのは当然。
それ以外に、神術や魔法の強化や、この世界特有の法則もある。
一つの例として、雌の個体は子を守る時に大きく力を伸ばす。
雄の場合、雌に巡り会えずまた禁欲を守った時に徐々に力が伸びる。
だが、人がこの制約を得ることは稀。
むしろ、子を守る雌獣の強さに驚くことの方が多い。
さて、ユークは出会った頃とは別格の強さだったが、ミグはからかう事に決めた。
「あんた弱いわねえ。ラクレアの方が全然強いじゃない」
「そんなこと……ちっ!」
思いのほか機嫌を悪くしたユークを、ラクレアが慰める。
「けど、ユーク様の成長速度も凄いですよ! ほら、攻撃に出ればもう私よりも」
「ありがとう、ラクレア」
素直に礼を言ったユークにまたキツイ言葉ぶつけようとして、ギリギリのところでミグが思いとどまる。
代わりに、少しだけ褒めた。
「まあそうね、まだ剣の力の十分の一も引き出せてないし、これから強くなるかもね」
「え? ほんと!?」
意外なほどユークが喜ぶ。
「え。う、うん、そうよ。我が家の剣だったもの、それくらい分かるわ」
口からでまかせだったが、これは真実だった。
千年を超える歴史を誇ったコルキス王家の宝剣。
火神の囚われた山の鉱石を、幾十年と鍛えて神話の直後に生み出されし、本物の神剣。
いまだ人が使いこなせた例は、過去にない。
話のついでに、ユークは聞き辛いことを口にした。
「アレクシスって……どれくらい強かったの?」
一緒に居た頃は、その実力を測ることは出来なかった。
余りに差がありすぎたのだ。
今は、ミグが兄を思い出すことになっても聞きたいと思った。
ミグは少し考え、整理してから語り始めた。
「一緒に居た三人の騎士、彼らはラクレアやわたしよりも強いわ。たぶんずっと。魔法も避けるか耐えるか、まず使う前に斬られるでしょうね」
一息入れてから続ける。
「そして兄だけど、その三人を合わせたよりも遥かに強かったわ。だってあの騎士たち、兄でなくわたしの護衛だったもの」
話は理解できても、ユークには実感が沸かない。
今のユークの十倍かそれ以上か。
アレクシスが桁外れの実力者だったとしか分からなかった。
それにミグとアレクシスを含んだ5人が、魔王のところへ着く前に倒されたこと。
魔王軍の陣容は、まだ謎だらけだった。
「ところでさ、わたしの最大数値ってどれくらいなの?」
黙りこくったユークにミグが聞く。
「600から700くらいになるかなあ」
「ふーん。まだ本気で魔法撃ってないけど、もっと上がるの?」
それはユークにも分からなかったが、いずれ分かる時が来る。
「じゃあ最後の質問、その力をどうやってゴブリンから手に入れたの?」
「うっ……それが分からないんだよねえ」
「それじゃ宝の持ち腐れじゃないの」
時間は、夕刻のテーバイに戻る。
続けざまに起きた船の沈没に、港が騒がしくなっていた。
ユーク達が丘を降りきった頃、海から巨大な魔物が姿を現した。




