【9】
パーティーの時間が迫っている。アンヌと手を振って別れたアレクシとキトリは、ホテルへの道を歩いていた。アレクシは隣を歩くキトリに歩みを合わせながら尋ねた。
「俺は、アンヌの弟の失踪には少し違和感があるんだが、あなたもそうだろう?」
「あら、どのあたりが?」
質問に質問で返してきた。キトリはこういうところがある。
「……血はつながっていないとはいえ、仲のいい兄弟だったんだろう。母親の様子を見る限り、家族関係に問題はなさそうだ。なのに、アンヌの訴える『だまされた』という主張は無理がある気がする」
「ああ、うん、まあ、そうだね」
キトリの反応が微妙だ。何かおかしいところがあっただろうか。
「別に、家族関係が良くても騙されることはあるわよ。でも、確かに不自然よね。少なくとも、弟さんが自分で出て行ったのは間違いないと思う」
「俺もそう思う」
キトリが「うん」とうなずく。アレクシはそのまま言葉を続けた。
「アンヌは弟の面倒を見ていたそうだが、弟も十代半ばだろう。自立心が出てきても不思議ではないし、良くしてくれる家族にこれ以上迷惑をかけられないと思ったのかもな」
「いい洞察ね。さっきアンヌにも言ったけれど、弟って姉が思うより子供ではないのよね。いつまでも子ども扱いされて、認めてほしかったのかもしれないわね」
妙に実感がこもっていたので、アレクシはまじまじとキトリを見つめた。
「それ、実体験か?」
「ロジェには内緒ね」
キトリが人差し指を唇に当て、不器用に片目をつむる。その様子が思いのほか色っぽく、アレクシはどきりとした。だが、彼女にはアレクシはもう一人の弟くらいに思われているんだろうな、と思ったところでふと気づいた。
「もしかして、アンヌの弟は、アンヌのことが好きだったんじゃないか。でも、アンヌは自分のことを弟扱いしてくる。対等に見てほしくて家を出て、大人になろうと思った……とか?」
アレクシの想像に、キトリは目をしばたたかせたが、「ありえなくはないわねぇ」と小首をかしげた。
「それは、もしかして、私がアレクを弟のように扱っていることに対する抗議?」
からかうように言われ、アレクシは「いや」と首を振りかけて、思い直した。
「そうかもしれないな」
「おや。じゃあ、これから気を付けることにしましょうか」
これは態度は変わらないな、とアレクシは思った。そして、実際、あまり変わらなかった。
ホテルに戻った二人は、正装に着替える。早々に準備の終わったアレクシは少し時間を置いてから隣のキトリの部屋をノックした。女性の支度には時間がかかる、と思っていた彼は、あっさりと開いた扉にむしろ驚いた。
「あ、もう準備終わったの? 早いわねぇ」
と言うことは、キトリはまだ終わっていなかったのか。謝って一歩引こうとするが、キトリは「入る?」と扉を開け放った。
「あと、髪を結ぶだけだから」
確かに、先ほどまでのハーフアップはドレスには適さない……と思ったら、彼女はパンツスーツ姿だった。足元は華奢なハイヒールではあるが。
「……ドレスじゃないのか」
「期待したの?」
くすくす笑いながら髪を梳かすキトリを後ろから眺め、アレクシは「少し」と答えた。
「そもそもスカート姿が珍しいからな」
キトリはパンツスタイルであることが多いので、今日のようなスカート姿の方が珍しいのだ。さすがに、ドレスは手荷物にはできなかったか。そして、先に郵送するほどでもないと考えたのだろう。
「明日にでも買いに行くか」
「ええ……そんなことしなくてもいいわよ。面倒くさいし」
本音が出ている。しかし、アレクシはこれくらいで引かなかった。
「出不精のあなたが今日、俺と一緒に出掛けたのは、この街の情勢を調査するためだろう。実際にどこかの店に入ってみるのも悪くないんじゃないか」
「あら。気づいていたのね」
髪を束ね、左肩から前に流したキトリが振り返り、微笑む。もっと美人だったらよかったのに、と言っているキトリだが、彼女は十分整った理知的な面差しをしている。確かにロジェにはかなわないかもしれないが、落ち着いた微笑みは十分魅力的だと思うのだ。
「そうね……行ってみようかしらねぇ」
「よし。言質はとったからな」
アレクシは少しうきうきしながら言った。研究所にいる時も、キトリを連れ出すのは至難の業だ。そもそも研究所にはシスコンなロジェがいるので、二人きりで出かけるのは難しい。
などと言うと、アレクシがキトリのことが好きなようだ。
と、思って、もしかしたらそうなのかもしれないな、とも思う。今日会ったアンヌの弟のように、年上の彼女に対等に見てほしいのかもしれない。
自覚しかけた思いは置いておき、目の前のことだ。いや、キトリの恰好のことではない。恰好は似合っている。
「それより、何か気づいたんじゃないか。今日の街歩きで」
「そうね」
ふふっとキトリは笑った。だが、彼女はこの場で話すつもりはないらしい。何より、時間がないし。
二人が会場であるホール『百合の間』に行くと、すでにホールには多くの人が集まっていた。そんなにぎりぎりに来た覚えはないのだが。
このパーティーは歓迎会で、学会自体は明日以降に開かれる。学会と言っても、主体はエドガール・ド・ヴィルパンなので、彼の研究内容を聞くのが主になるだろう。
『みなさん、お忙しいところ、よくお集まりくださいました』
アレクシとキトリがドリンクを受け取ったところで、会場に声が響いた。拡声魔法を使った司会者……というか、主催者のヴィルパンだった。
『今回は応用魔法研究者の方に集まっていただきました。私の研究内容を聞いてほしい、という一方的なお願いにも関わらず、多くの人にお集まりいただき、私エドガール・ド・ヴィルパンは大いに感動しております!』
この演説を聞いてアレクシはキトリにささやいた。
「彼は貴族家の出身だったか?」
「いいえ。ヴィルパン家は商業で成り上がった資産家ね」
さすがに情報が頭に入っている。詳しい情報は聞くのをあきらめ、アレクシはうなずくにとどめた。二人の視線がヴィルパンの方に直る。
『難しいことは明日以降ですね。今日は楽しみましょう! それでは、乾杯!』
それぞれのグラスが掲げられた。色とりどりのドリンクが色鮮やかだ。みんなと同じくその中身を一口飲んだアレクシはむせかえった。平然と飲み干したキトリがアレクシの背中をさする。
「まだお酒は早かったかしら」
「……そこまで子供ではないつもりだ」
ただ、アレクシは酒が苦手だった。酒精の弱いヴァン(ワインのこと)だったが、飲み慣れないアレクシにはきつかった。
「無理せず、お酒じゃないものに変えておいで」
「……そうする」
子供にするような優しい声音で言われ、アレクシはやはりキトリにとっては弟のようなものか、と悄然としつつ、酒ではなく果実水をもらった。二杯目のヴァンを確保していた。というか、給仕がグラスが空いている人を見ると寄ってくるのである。キトリは果実水を持ってきたアレクシを見て微笑む。
「本当は飲む練習をした方がいいんでしょうけど、ここではね。研究所に帰ってからにしましょうか」
「……付き合ってくれるのか」
アレクシが尋ねると、キトリは小首をかしげる。
「構わないけど、私はあまり詳しくないから、リアに聞いておくわね」
ということは、リアーヌも面白がりそうだ。アレクシは果実水を口に含んだ。馬鹿にするような人たちではないとわかっているが、少し気恥ずかしい。
会場ではオーケストラが演奏をしている。ダンスフロアで踊っている人もいるが、ほとんどが談笑していた。集まっているのが魔法研究者ばかりなので、話も弾むだろう。牽制しているのかもしれないけど。
残念ながら、アレクシとキトリにはあまり知り合いがいない。そもそも、そんなに外に出たことがない二人だ。アレクシが魔術師としての身分を確立したのは二年前だし、キトリに至っては一年足らず前に魔法研究所に来たばかり。まあ、所長がそれを狙った可能性もなくはない。一番は洗脳が効くかどうか、が焦点だったようだが。
知り合いが少ない、と言うのもわりに気楽だ。二人で何か食べ物でも撮りに行こうか、と緊張感のない会話をしているとき、声がかけられた。
「アレク?」
聞き覚えのある、聞きたくない声だった。
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