【40】
うまい具合に帝国軍をおびき出せたのは、キトリが隙を見せたからでもある。あえて、魔法攻撃しか使わなかったのだ。
攻撃魔法は直撃すれば威力は強大であるが、その実キャンセルするのはたやすい。保護魔法や魔法障壁は、物理攻撃……つまり狙撃などが貫通してくる可能性がある。しかし、術者の力量の差が明らかでない限り、攻撃魔法はだいたい防ぐのだ。
つまり、魔法攻撃を多数放っていたキトリたちは、物資がつきかけている、と思われたのだ。
通常、籠城戦に置いて籠城する側は、援軍の当てがなければ消耗戦に等しい。なので、帝国軍の考えは、通常では外れてはいない。だが残念ながら、このレオミュールは単独でも自給自足可能な完結型都市でもあった。
「魔法攻撃の手を止めないで。ひきつけたら、一斉射撃。いいわね?」
声を張り上げたわけではない。むしろ、いつものようなおっとりした声音だ。しかし、良く通ったようで兵士たちが狭間から銃を構える。ロジェが使った単発式とは違う、連射式の銃だ。
こちらにも有効射程があるように、帝国軍にも有効射程距離がある。徐々に近づいてくる帝国軍を見て、キトリは目を細めた。全員が、キトリの命令を待っていた。
「距離五百」
観測員が緊張気味に言った。そろそろ射程距離ではある。実際、帝国軍は砲撃を開始する。そんなに景気よく撃って大丈夫なのだろうか、といらない心配をしてしまう。
「距離四百」
「放て!」
観測員が言うが早いか、キトリはすぐさまに命じた。待っていました、とばかりに銃弾が放たれる。唐突に魔法攻撃から物理攻撃に変わったキトリたちに、帝国軍は反応できない。そのことが、この場にフランツェン辺境伯がいないことを示していた。
「撃ち方やめ」
帝国軍が撤退を開始するのを見て、キトリはすぐさま命じた。あまりやりすぎるのもどうかと思うのだ。キトリに言えたことではないが。合理的な判断ができるものが残っていてよかった。
「さて、向こうも始まっている頃合いだけど……」
懐中時計で時間を確認する。増援部隊は既に、レオミュールと通信が取れるところまで来ていた。今頃フランツェン辺境伯率いる帝国軍とぶつかっているだろう。
「……俺が言うのも何だけど、お前がいなくて大丈夫なのか?」
「逆に聞くけど、私がいて足手まといにならないと思う?」
「……」
ヴァレリーの返事はなかった。つまりはそういうことだ。馬術には自信があるが、それだとただの的にしかならない。はっきり言って邪魔だ。あくまでキトリは作戦参謀であり、戦場指揮官ではない。いや、指揮を取ったことはある。しかし、あくまでも彼女の肩書は参謀なのだ。
魔法による遠隔透視を試みたが、少し離れた戦場は確認できなかった。フランツェン辺境伯が正統派な戦術家であることから、キトリも珍しく正統派な作戦を立てたのだが、うまく機能していれば勝たずとも負けないはずだ。
さすがに落ち着かず、キトリは正面門の上から外を眺めていた。そこにリアーヌがやってきた。
「食べる?」
昼を過ぎていた。リアーヌが差し出したのはクレープである。ひとまず受け取った。一口かじったが、今までのように吐く気配はなかったので、そのまま食べ進める。
リアーヌは一つ年上の又従姉がちゃんと食べられていることにほっとする。自分もクレープをかじった。
「どうでもいいけどさ」
「なあに?」
リアーヌがキトリを見てニヤッと笑う。
「キトリってさ、その気になれば国ひとつとれるんじゃない?」
クーデターを疑われるようなことをさらりとリアーヌは言った。キトリは口の中のものを飲みこむ。
「どうかしらねぇ。フランツェン辺境伯と組めば、帝国を取れるような気はするわ」
ありえないことだから平然と言ってのけたキトリであるが、通りかかった見回りの軍人がぎょっとした表情になった。
「私たちの曾祖母、シャルロット・エメ・フィリドール女公爵はファルギエールを『取った』わ」
唐突なキトリの言葉に、リアーヌは眉をひそめる。
「七十年前のことか? あれは解放戦線だろう」
七十年ほど前、当時は王国であったファルギエールは、帝国の支配下にあった。それを解放したのが我らが大おばあ様なわけだ。
「表面上はね。けれど、あの時、女公爵は女王にもなれたはずだわ。その一歩手前まで来ていた」
シャルロットは一代前の国王の従妹だった。その資格はあった。しかし、女王にならなかった。だから、その事実から目をそらされている。
「あの時、女公爵は帝国からファルギエールを奪ったの。解放と言っても、結局はそういうこと。支配者が替わっただけだわ」
それを一番よくわかっていたのがシャルロットだろう。彼女は権力の座にはつかなかった。誰に求められても、そうしなかった。しかし、自分がやったことだ。放り出すこともできずに、緩やかに民主化を進めていって、今に至る。
「……面白い解釈だね」
さすがに研究者だけあり、リアーヌはキトリの発言の意図を察したようだ。そう。これは別角度から見たファルギエール解放戦線とシャルロット・エメ・フィリドール女公爵の関係でもあるのだ。
キトリはクレープを半分ほどで断念した。まだおなかがすいている気がするが、まだ胃が弱っている。これ以上食べると、腹痛を起こしそうだった。
その時、伝令がキトリに報告に来た。
「大佐! 戻ってきました!」
「准将じゃなかったか」
未だに階級を間違えられている。キトリも「大佐」と呼ばれる方がなじむのだが。そして、キトリの性格上訂正しないので、いつも周囲がツッコミを入れる事態になっていた。
キトリは双眼鏡をのぞく。さすがにまだ見えない。クロワゼ少将も報告を受けたようで、城壁を昇ってきた。
「戻ってきたか」
「まだ見えませんが」
レオミュール城塞の司令官と参謀がそろって双眼鏡をのぞいている。この状況で狙撃でもされたら、レオミュールは終わりだな、と頭の片隅で考えつつ、キトリは近づいてくる一団を発見した。規模としては二千人ほどだろうか。帝国軍の援軍と同数ほどなので、妥当と言えば妥当だが、三千は欲しかったところだ。まあ、人口規模が違うので、仕方がない面もあるが。
その一団の先頭をかけ走る者がいた。なんだか見たことがあるような顔である。クロワゼ少将も同じことを思ったようで、双眼鏡を外して裸眼で近づいてくる一団を見ながら言った。
「……なあ、先頭のいる男性、見たことがある気がするんだが」
「共和国軍の軍人なら、だいたいの人が見たことがあるのではないでしょうか。私の直属の上官、ドゥメール中将です」
キトリが属する第三特殊騎兵師団の司令官でもある。この国の師団の規模は約三千なので、三分の二の兵力を連れてきたことになる。いや、脱落してこの人数の可能性もあるか? いやしかし、ドゥメール中将がいるならそこまでの損害が与えられる前に撤退するはずで、と言うことはやはりこの規模で派兵してきた、と言うことだ。
そのドゥメール中将は、城壁の上から眺めているキトリとクロワゼ少将に気付いたようだ。片手を上げる。
よう! 久しぶりだな!
声も聞こえていないのに、そう言ったのがはっきりわかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
何とか完結できそうです~。




