【39】
今日も今日とて、朝からキトリは双眼鏡で城壁の外を眺めていた。帝国軍に動きがあるようには見えないが、それは見せ掛けだけだろう。その本隊は共和国軍の増援部隊の方へ向かっているはずだ。
「キトリ」
「ああ、おはようアレク。危ないわよ、こんなところに上がってきたら」
流れ弾が当たらないとも限らない。保護魔法はかかっているが、それを突きぬけてこないとは限らないのだ。
「キトリと一緒にいれば大丈夫じゃないか? 今なら狙撃を気にして、お前の『絶対防御』に阻まれるんじゃないか」
「なるほど。そうかもしれないわね」
キトリの『絶対防御』はだいたいの魔法や銃撃を防ぐが、絶対ではない。キトリが危険を認識していなければ発動しない。なので、今のどこから狙われているかわからない状況では発動しないだろう。本当に、不便な力だ。そして、高い城壁の上にぽつんといるキトリはどうぞ狙ってくれと言っているようなものだ。
キトリの隣でアレクシは城壁に寄りかかった。キトリもその隣に寄りかかる。
「どうかしたの?」
尋ねると、アレクシは顔をしかめた。
「用というか……」
少しためらった後、彼は違うことを言った。
「お前が人と一緒に寝たがる理由がわかった」
その言葉に、キトリは少し驚き、アレクシを見上げる。
「あら。どうしてかしら?」
「さみしいからだ」
簡潔な答えに、キトリは思わず噴き出した。アレクシが驚いたように彼女を眺めていた。
「そうね。一言で言うとそうなのでしょうね。戦場ではさっきまで笑い合っていた同僚が、数分後には死んでいるなんてざらだったわ。誰かと一緒じゃないと、一人きりになってしまったんじゃないかと思ってしまうのよね……」
思わず吐露した言葉に、アレクシは「それだけじゃないだろ」と言う。
「ロジェとリアーヌはお前にとって家族だな。エリーズはそう簡単に死にそうにない……そう言う相手を選んでたんだろう」
キトリは城壁に頬杖をつき、アレクシを見上げた。
「よく見ているわねぇ」
「だからこそ不思議だ。どうして俺にも同じことを言ったのか」
「……」
キトリが答えないでいると、アレクシは「いいんだ」と自分で答えをぶった切った。
「弟のように思っているからか? だがまあ、いいんだ。お前が笑ってくれたから」
そう言ってから、彼は自分の言葉に照れたように顔を俯けた。キトリは何度か目をしばたたかせると、彼の頭を撫でた。
「そうね。あなたがそういう人だからよ。よく見て、欲しい言葉をくれる。だからあなたをいとおしいと思うの」
パッとアレクシが顔をあげた。彼は何か言おうと口を開き、結局言えずに顔を逸らした。その頬が赤い。キトリは思わず顔をほころばせる。
「可愛いわねぇ」
だから護りたいと思うのだ。しかし、アレクシはすねたように言う。
「……男が可愛いと言われてもうれしくない」
そう言えばロジェも似たようなことを言っていた気がする。しかし、大人の男性とはいえ、キトリより六つも年下だ。そして、彼女は弟のいる姉でもある。可愛いと思ってしまうのはキトリの性分のようなものだ。
「ここは嘘でもあなたの方が可愛い、とか言うところよ」
思わずからかってしまったが、戦場でやつれていくしかなかったキトリがこうして軽口を叩けるのは、彼のおかげなのだと思う。
「……キトリは普通にかわいいと思う」
「あら、ありがとう」
キトリが照れないのは性格だろうか。それにしても、アレクシは人たらしになれそうだ。ひきつけるものがあるというか。嫌がるかもしれないが、さすがに政治家セルジュ・リエーヴルの息子だ。
「准将!」
下から呼ばれ、キトリは城壁の床から顔を出して下を覗き込んだ。
「何かあった?」
「ポワレ隊長からです。総員、配置についたとのことです」
「順調ね。引き続き、変化があったら教えて」
「はい!」
伝令の伍長は敬礼して去っていく。キトリは覗き込んでいた顔をひっこめ、少し考える。
「……何か問題なのか?」
アレクシが声をかける。そうねえ、とキトリ。
「何かを見落としているような気もするのだけど……どうしようもないということは無いでしょう」
「……自信満々だな」
「そういうことではないわ。人間にとってどうしようもないのは、自然現象くらいね」
極論を口にすると、キトリはアレクシの背を押した。城壁を降りるように促す。
「もうすぐ作戦開始時刻よ。あなたたちは、とにかく攻撃魔法を切らさないようにしてね」
アレクシの後について階段を下りながらキトリはおっとりと言った。穏やかな口調で、なかなかすごいことを言うが、今更か。
「……なあ、キトリ。好きだ」
アレクシが振り返らずに、なんでもないことのように言った。キトリは、あら、と目を細める。
「知ってるわ」
「……なんかみんな知ってるんだよな……」
アレクシがすねたように言った。いつもは大人びたふるまいをするのに、こういう顔をするところが可愛いのだ、と言ったら怒るだろうか。そう言うところがいいのに。まだ若い、と言う気がする。
「戦いの前に愛を告白したりすると、死んでしまうことが多いっていう統計、知ってる?」
「そうなのか?」
思わずからかってしまった。まあもちろん、こんなくだらない統計はお遊び雑誌で取っているようなものであるから信憑性は低いが、戦場に出るものなら思わず納得してしまうような内容も多い。
「でも、後悔したくないから私も言っておくわね。私もあなたがいとしいわ」
パッとアレクシが振り返る。キトリはその額を小突いた。
「とにかく、生き残りましょう」
「……ああ」
それこそ死にそうな約束をして、キトリは持ち場に向かった。
△
東側の城壁で、キトリはやっぱり双眼鏡を覗き込んでいた。それから目を放し、懐中時計を確認する。事前にクロワゼ少将やジュールと時間を合わせたものだ。その長針が十二の文字に重なった。
「時間よ。砲撃開始」
魔法攻撃を撃ちまくる。この方向には、帝国軍が陣を構えている。しかし、本隊は既に、共和国軍側の増援部隊を撃ちに行っていると思っていい。その方が勝率が高いからだ。残った部隊には、『何があっても動くな』と命じているはずだ。戦力的にレオミュール城塞と戦えないし、後でまた戦うための戦力を残しておきたいからだ。
けれど、残された側は「選ばれなかった」とくすぶる。もともと、遠い異国の地で戦果をあげられず、士気は下がっていたはずだ。
そこにキトリたちはちょっかいをかける。攻撃を仕掛け、挑発する。くすぶっているところに挑発され、こちらと戦うように仕向けているのだ。
「お前、えぐいよな……と言うか、誘いに乗ってくるのか?」
ヴァレリーが続く攻撃魔法を眺めながら言った。キトリはしれっとして言った。
「乗ってこなければ、それでいいわ。対空砲を撃ちこむから」
これは弾数が少ない上に高価なので、できれば使いたくない。ヴァレリーは呆れたようだ。
「お前……対空砲って航空戦力に向かって撃つもんだろ」
「別にそれ以外に使ってはいけないってことは無いわ。一番射程が長いのよ」
「そこ!?」
つっこみを入れ、ヴァレリーはまじまじとキトリを眺めた。
「純真そうな顔して腹黒いやつ」
「自覚はあるわよ」
「でもお前がみんなを生き残らせるためにやってるってのもわかるんだよなぁ」
ヴァレリーはしみじみと言う。さすがに、彼は付き合いが長い。ロジェやリアーヌたちを抜けば、この城塞で一番付き合いの長い人かもしれない。
「大佐!」
大佐と呼ばれたが、キトリは呼ばれたのだろう。呼んだ兵士はすかさず同僚たちに「准将だろ」とツッコミを入れられていた。しかし、その兵士は帝国軍の方を指示した。キトリは双眼鏡をのぞき込み、つぶやいた。
「釣れたわね」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
キトリ、最近いつも双眼鏡のぞいてる気がします。




