【38】
「准将は戦うなと言っている。あの人は悪いようにはしないさ」
説得しているとは言い難い口調のジュールに呆れ、また、住民たちも二時間前と同じ論争をしているのかと呆れた。
「けど、俺たちがやんないと、あの子はまた無理をするだろう」
「否定はしないが、准将の力なしに帝国に勝てるとは思えないだろう?」
「君たちこそ、キトリ嬢ちゃんに頼り過ぎなんじゃないのか」
こんな時だが、キトリは面白いな、と思った。キトリと戦場で共に戦った軍人たちの視点と、比較的平穏なレオミュールの住民がキトリを見る視点は違う。軍人たちにとってはキトリは優秀な作戦参謀であるが、レオミュールの住民にとってはちょっと抜けたところのあるおっとりした女性にすぎないのだ。
「准将、面白そうな顔してないで止めてください」
ジローがキトリの肩をつついて言った。さすがに付き合いが長いので、面白がっていることがばれてしまった。キトリは駆け寄りながら口を開く。
「少佐、もういいわよ。エミールさんも、心配かけてごめんなさい」
「おや、准将。おはようございます」
「……ええ」
爽やかに笑みを浮かべるジュールに微妙な返事をした後、キトリは住民エミールの方を振り返った。
「心配してくれてありがとう」
「あ、ああ……いや、だがなあ、キトリ嬢ちゃん。あんたが倒れるほど頑張ることじゃないと思うんだ。あんたは優しい娘さんだ」
キトリどちらかと言うと温厚な性格をしているのは確かだが、だからと言って優しいとは言い切れない。
「それでも軍人になることを選んだのは私だわ。心配してくれるのはうれしいけど、無策に飛び出すのはいただけないわ」
勇気がある、と言うことと無謀は別なのだ。
「少佐も、もう少しまともに説得できないの?」
「准将、目が覚めたら突然毒舌ですね」
「はぐらかさないの」
ジュールとはこんな会話ばかりしている気がする。周囲が呆れないかと思うのだが、どんなにやつれていてもキトリの語り口はおっとりしているので、落ち着くのだそうだ。キトリ自身は全然落ち着かないのだが。
「すみません。准将を大切に思ってくれているのが伝わってきたので、調子に乗ってしまいました」
申し訳ありません、とジュール。それだけではないような気もするが、うまいこと言うものだ。そして、キトリもやっぱりおっとりしていた。
「あまり面倒事を起こさないでね」
「処罰はいかようにも」
「あとでクロワゼ少将に報告しておくわ」
それで思い出したが、クロワゼ少将と作戦会議をしなければ。まあ、今日中に帝国軍が攻めてくることは無さそうなので、じっくり作戦を練ることができる。帝国軍にとっては、明日、共和国軍の増援部隊が到着するまでが勝負になるだろう。増援が到着すれば、帝国軍は負けるか撤退するかの二択しかなくなる。
研究所に戻り、司令部になっている会議室に顔を出す。そこにはクロワゼ少将と所長のブレーズ、そのほか司令部を構成する下級士官と何故かアレクシがいた。
「おや、アレク、何してるの?」
尋ねたのは先ほどからキトリと行動を共にしているリアーヌだ。アレクシは「俺が聞きたい」と顔をしかめる。
「少佐に連れてこられた」
「なかなか面白い考え方をするので」
しれとジュールが言う。まあ、応用魔法研究者と言うのは、基本的に視点も発想も面白い場合が多いが。
「准将と似たような感じかな」
クロワゼ少将もニヤッと笑って言った。キトリは小首をかしげる。
「まあ、私も元をたどればそちらから招聘を受けたわけで……正統派の戦術家ではありませんから、余計にフランツェン辺境伯とは相性が悪いんですよねぇ」
若干後ろ向きなキトリである。おっとり言われるので、慣れていない者は腹が立つらしい。
「で、どうする? 少佐と相談してできる限りの防衛は固めたが……明日が決戦だろうな」
「そうですね。増援部隊が到着するまでの間、時間を稼ぐことができればこちらの勝ちです」
これはどうしても戦術的なやり取りになる。つまり。
「准将が上か辺境伯が上か……と言うことですね」
エリーズがキリッとして言った。いや、そんな顔をしてもかわいらしいだけで、キトリは思わずエリーズの頭を撫でる。
「そうだけど、そうじゃないわ。いくら帝国が強国だと言っても、ここはファルギエールよ。取れる手は私の方が多い……私たちの方が有利だわ」
つまり、今回の攻防戦では、共和国側の勝利が見えている。もちろん、慢心は禁物であるが、取りこぼすことはほぼないだろう。
しかし、キトリとフランツェン辺境伯単品で見れば、フランツェン辺境伯の方が戦術家として優れているだろう。性別は違うが同年代、戦歴もほぼ同じ、元は違うことをしていたが、戦争に巻き込まれて頭角を現しはじめたところが似ている二人。そしてやはり同程度の戦術家ではあるが、取り巻く状況として、キトリの方が戦いやすかった。それだけである。
「侵略してくる方が勢いはあるけれど、地の利は攻め込まれる側であるファルギエール側にあるわ」
「……なんかそれ聞いたことあるな。天地人ってやつだったか?」
アレクシが首をかしげた。キトリが「そうだね」とうなずく。
「私も後からの付け焼刃だけど」
天の時は地の利に如かず、地の利は人の輪に如かず、だったか。東方の格言らしい。天の時より地の利、地の利より人の輪。帝国は天の時を得ているし、レオミュールは地の利を得ている。加えてフランツェン辺境伯は人の輪を得ているだろう。しかし、士気が落ちることを考えればこれは崩れかけているか。
後はクロワゼ少将が……と言うより、キトリがうまくレオミュール側をまとめられるかだ。
「とにかく、帝国軍は明日の、増援部隊が到着すると目される昼ごろまでに攻撃を仕掛けてくるでしょう。ここが正念場ですね。辺境伯は転んでもただでは起きないでしょう。私が彼なら……」
キトリは宙に投影された地図を指さし、レオミュールを示す天からすっと指を下げ、共和国軍の増援部隊が通るであろう道を示す。
「レオミュールに至るまでの道は一本しかありません。私なら、落ちがたいレオミュール城塞ではなく、大規模で行軍してくる共和国軍を狙います。共和国軍の方が人数が多いでしょうが、防御を固めた城塞を落とすよりは可能性があります」
「さっき、援軍が来るまで持ちこたえれば勝てると言わなかったか?」
「言いましたね。その援軍が無事に到着するかが問題ですが」
「……」
「冗談です」
キトリがしれっとして言うと、「真顔で言うな」とブレーズから苦情が入った。
「でもまあ、状況的に私たちの方が有利です」
「帝国軍が増援を送ってくるかもしれん」
「それはそれでいいのでは? もう夕方ですから、増援が来るとしても夜中から早朝にかけて。これは悪路では好ましくありません。兵士の体力を削りますから。かといって、明るくなってから出発したのでは、こちらの増援の方が早くつきます」
つまり、来たところで弱っているだろうから、戦う側としてはそんなに問題にならないのだ。
「少佐」
「はい。いつでも出られますよ」
「よろしい。では、作戦内容を説明します」
前振りが長かったが、作戦会議に入った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
開き直ったキトリさん。




