【37】
重い瞼を開けると、キトリが目覚めたことに気が付いたエリーズが顔を覗き込んできた。
「大……じゃない、准将、大丈夫ですか?」
そう言えば昇進したのだった、と思い出しながらまだぼんやりする頭に手を当てながらゆっくりと起き上がる。
「……ちょっと頭が痛いけど、平気」
むしろ眠ったので頭がさえている方だろう。時計を確認する限り、二時間は眠っていたようだ。
「おや、起きたんだね」
ベッドの周りに引かれたカーテンを開けて顔を出したのはリアーヌだ。彼女は「隣でロジェが寝てるよ」と教えてくれた。キトリは、弟が自分をかばって撃たれたことを思い出す。
「ロジェは大丈夫なの?」
「平気平気。医者に安静を言い渡されてるのに抜け出そうとするから、強めの精神干渉魔法で眠ってるだけだよ」
姉弟だからいいかな、と思って同じ部屋にしちゃった、とリアーヌ。まあいいけど。キトリも気にしないし。
「そう……よかった……」
キトリは息を吐く。それと同時に、おなかがすいていることに気が付いた。戦闘が始まってから、こんなにはっきり空腹を覚えたのは始めてだ。
「おなかすいた」
「突然だな。じゃあ、食堂に行こう」
「准将がそういうこと言うの、珍しいですね」
リアーヌとエリーズがそれぞれ言った。キトリは軍服を羽織り、髪の毛を適当に梳かして緩く束ね、右肩から前にたらした。ブーツを履き、エリーズに手を引いてもらって立ち上がる。ロジェの顔をのぞいてから、医務室を出た。
エリーズと手をつなぎ、食堂へ向かう。リアーヌが「姉妹みたいだね」と苦笑を浮かべた。まったく似ていないが、キトリもエリーズが十五の少女だったころから知っているのでいろいろと世話を焼いてしまうのだ。今は世話をされているけど。
食堂で消化の良いスープを柔らかいパンを出してもらう。しばらくまともに食事をしていないので、胃は小さくなっているだろうし、機能も落ちているだろう。
「准将、起きたんですね。おはようございます」
微笑んでやってきたのはジローだった。破天荒な上官と問題児な部下たちに囲まれた苦労人である。
「おはよう。迷惑かけたわね」
「自覚があるなら慎んでください……まあ、今回は不可抗力ですけど」
そう言ってジローは肩を竦め、空いているリアーヌの隣に座った。キトリの斜め前である。
「戦況は?」
スープにスプーンを突っ込みながら尋ねた。変化ありません、とジロー。
「正直、これ以上攻めても無駄だと思うんです。あちらに、何か画期的な攻城戦の方法があるならともかく、准将曰く、それがあるならとっくにやっていると」
「そうね」
キトリは口の中のものを飲みこんでうなずく。温かいスープが胃にしみた。
「なら、これ以上待つだけ無駄ですよね。物資を浪費するだけだし、士気も落ちる。どうして撤退しないんでしょうか」
「撤退許可が出ないからでしょう」
キトリはしれっとして言った。パンをちぎってスープに浸す。ひたひたにしてから口に運んだ。
「フランツェン辺境伯は戦術家として優れているけれど、彼は帝国軍の最高権力者ではないわ。つまり、上からの命令に従わなければならないの。彼自身が撤退を進言しても、上が諾と言わないんじゃないかしら」
「……レオミュールを放棄しようと言ったキトリの意見が採用されなかったように?」
「そうね」
リアーヌの指摘は正しい。キトリも、いくら彼女が知恵を絞ったところで、上官が駄目だと言えば、それは実行できない。彼女の場合は、直属の上官であるドゥメール中将がいろいろと取り計らってくれたが。
「そういう人間が、辺境伯にはいないのでしょう。だから軍でも孤立しているんだわ」
「そうでしょうか? 多くの味方がいてもいいと思いますよ。あれだけ戦果を挙げている方なら」
ジローが不思議そうにキトリを見て言ったが、彼女は目を細めて言った。
「過剰に結果を出す、頭のいい人は嫌われるものよ。しかも、聞く限り彼はまっとうな倫理観を持っているわ。つまり、口では戦争を終わらせるべきだ、と言いながら戦場に出ると、必ず戦果を挙げて戻ってくるの。嫌じゃない?」
つまり、努力をしないのに結果を出しているのと同じような感じだ。たいていの人は、そういう人間を嫌がる。しかも、自分のことを真っ向否定してくるのだ。
「帝国軍としては、むしろ私に負けてくれればいい、とさえ思っているかもしれないわね」
「……准将。起きた瞬間、絶好調ですね」
「うん」
事実なので、うなずいた。なんと言うか、いろいろ吹っ切れた気がする。
「アレクが言ったことが効いたのか? 私は又聞きだけど」
リアーヌが興味深そうに尋ねた。エリーズもじっと見つめてくる。
「……まあ、思考の転換よね。私が人殺しであることは変わらないけど……そうね。うれしかったわ」
勝つために必要ではなく、助かるために必要なのだと言われた。頭が良くて、優しい子だと思う。そして、彼のような人を戦場に行かせることにならないように、やっぱりキトリは戦わなければならないと思った。
「アレクシさんは准将のことが好きだということですが、准将はアレクシさんが好きですか?」
「……准尉」
ジローがあわてて止めにかかるが、言ってしまった言葉は取り消せない。うかがうように彼はキトリの顔を見た。
「そうらしいわね」
「キトリ、気づいてたの?」
「さすがに態度を見ていればわかるわ。可愛いわね」
「……キトリ、悪女だね……」
リアーヌが苦笑を浮かべて言った。キトリは肩をすくめる。
「まあ、それは後でいいわ」
「准将もアレクシ君も、戦争後に生き残っていれば、ですけど」
「彼曰く、みんなが生き残れるようにするのが私の仕事だもの」
斜め向かいにいるジローを見て、キトリは少し口角をあげた。
「籠城戦に置いて、通常、物資が尽きるのは城側だけど、今回の場合は違うわ。攻城側ね」
「……物資が調達できないから、ですか?」
「ええ。帝国側が補給を行うにしても、届けるまでの距離が長すぎるわ。私たちは時々攻撃して、物資が尽きるのを待てばいい」
そうなる前に、フランツェン辺境伯は撤退の準備をするだろう。例え、上層部が納得しなかったとしても、戦線を離脱するだろう。敵ではあるが、彼は優秀でまともだ。いっそのこと、亡命するなら、フランツェン辺境伯領を独立させてしまえばいいと思うのだ。
「でも、そうするとこちらの士気も落ちるわね。明日、おそらく増援部隊が到着するでしょうから、そこで一気に叩きましょうか」
「准将、攻めいるのは反対なのではないのですか?」
エリーズがきょとんと尋ねた。キトリは彼女の方へ顔を向ける。
「今の戦力では、帝国軍と真正面から戦えないわ。もし、野戦を行うのなら第一魔法大隊を出すことになるけれど、さすがに十倍以上の人数の差は、私にも埋めようがないもの。辺境伯はここぞとばかりにたたいてくるでしょうね」
もっとも、戦略的に負けているフランツェン辺境伯が緒戦に勝利しても仕方がない面もある。
「えっと、つまり、戦力があれば攻める、と言うことでしょうか」
尋ねてくるエリーズに、キトリは「そうね」とうなずいた。言われたとおりに戦う、と言っていた十五歳のころに比べれば、かなりの進歩である。
「だから、準備をしておいて。……でもね、エリーズ、ジローも」
階級ではなく、名で呼んだ。二人がキトリに顔を向ける。キトリは首を傾げて言った。
「本当は、戦わせたくないのよ」
日常生活の中でもいつ死んでしまうかわからないのに、死と隣り合わせの場所に送り込みたくない。
「失礼します、准将」
声のした方にキトリは振り返った。レオミュールに准将の階級を持つ軍人はキトリしかいなかった。
「どうかした?」
「実は、ポワレ少佐が……」
その軍人の話を聞いた瞬間、キトリは無表情を貫いたが、ジローは「やりやがったか」というような表情で顔をひきつらせた。
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