【35】
アレクシは最初に帝国軍が侵攻してきた北の山の麓にいた。これ以上トンネルを掘られても、帝国軍が出てこられないように魔法溶鉱炉の魔法陣を設置しているのである。念写で、迅速に、十分以内に! と言うのが今回のレオミュール戦線の参謀、キトリの無茶ぶりである。しかし、凶悪すぎて試す機会がめったにない魔法だ。みな気合十分だった。
研究室長たちの中で、おっとりした統括官から辛辣な軍師へと評価がグレードアップ(?)しているキトリをして、「ここまでやるとは……」と言わしめた魔法陣たちが敷かれた。魔術師たちは観測したい! などと言いだしたが、さすがにそれは許可が出なかった。と言うか、人が融けるところを見て何が面白いのか。怖いだけだ。
予定時間を少し超えて、作業は終了した。キトリが言っていた通り、帝国軍は攻めてこなかった。さすがにそろそろ、キトリの予言が怖いアレクシたちだった。
そのキトリであるが、洞察力は恐ろしいほどで、その頭脳は冴えわたっていると思われるが、戦闘が始まったここ三日四日ほどでかなりやつれている。もともと色白であったが、今ではそれを通り越して顔色が悪い。今にも倒れそうなのだが倒れない、微妙なところにいる。レオミュールにいる全員の気持ちとしては、倒れてもらっては困る、と言ったところか。
そう言えばキトリが元いた隊……第三特殊騎兵師団の第一魔法大隊が到着し、そこに所属する彼女の部下たちが合流してきた。アレクシは何人か既知であるが、その中の一人、エリーズとロジェが冷戦状態である。
もともと、エリーズはキトリの護衛を担っていたらしい。アレクシは彼女の身体能力のすさまじさを見たことがあるが、ちょっと引くレベルだ。そしてそれ以上に、キトリになついている。基本的にキトリの側を離れず、キトリもそれをとがめないのでシスコンをこじらせているロジェから睨まれているのだ。相手が年下の少女なので、強く出られないようだ。エリーズもロジェからの敵意を正確に察知しているので、冷戦なのである。
普段ならキトリがとりなすだろうが、彼女も「大人げないわよ」の一言で済ませるくらいには精神的に参っているらしい。
「あれ、どうにかなりませんか」
アレクシが尋ねたのはジュールだ。エリーズの上司にあたる彼なら、何とかできるかもしれないと思ったのだ。しかし、彼は副隊長のジローに目を向けた。
「何とかなるか?」
「無理です。無理やり引き離して、大佐……じゃない、准将の気に触れた時が怖いです」
「……ダントン大尉、キトリに何かされたんですか」
大隊の中でもジローだけは少し風向きが違い、キトリを怖がっているようなところがある。
「……アレク君。世の中、知らない方がいいこともあるんだよ。君は准将が好きなんだろう?」
ジローがまじめな顔をして事実を指摘してきた。アレクシは視線をそらす。ジュールが笑った。
「相変わらずわかりやすいな。ロジェ君はシスコンをこじらせているが、君は恋心をこじらせているな」
「……」
自覚は大いにある。状況に参っているであろうキトリに手を差し伸べたいのに、それができない。振り払われたらと思うと手を出せない。一言で言うならヘタレ、甲斐性なしと言ったところだろうか。
で、エリーズとロジェだが、実被害は今のところないので、保留にした。何より、下手に二人を刺激してキトリにまで伝染するのをみんなが怖がったのだ。
ちょいちょい、とアレクシはリアーヌに手招きされた。彼女の側にはロジェとヴァレリーがいる。
「どうかしたのか」
「どうって、うーん。キトリのことだよ」
リアーヌが言った。アレクシが眉をひそめる。
「どうしようもなくないか?」
実の弟ロジェにもどうしようもないのだ。彼らに何ができるというのだろう。
「いや、それはそうなんだけどさ。今はフェーヘレン准尉がついてるけど、ちゃんと様子見てあげてってこと。ロジェも、准尉と喧嘩しないんだよ」
「喧嘩してるわけじゃない」
ロジェが心外そうに言ったが、非常に大人げなかった。リアーヌはそんな又従弟をスルーした。
「先生によると、キトリは感性がまともだから余計に精神的に参るんだってさ。特にロジェ、怪我とかしないこと」
キトリが軍人になってまで守りたかったのが弟のロジェだ。彼に何かあれば、と気にするのはリアーヌだけではないだろう。
「そうは言ってもだな……僕ももう、銃を撃っているわけで」
昨日、キトリがロジェを連れて行ったのは彼に帝国軍を狙撃させるためだった。彼女は実の弟だからと言って、特別扱いはしなかった。狙撃の心得のあるものすべてに銃を撃たせて、一番うまいものにやらせた。それが、ロジェだった。
つまりロジェは、自分はもうキトリと同じ、人を撃ってしまったのだと言いたいのだ。人を撃った自分に『怪我をするな』と忠告するなどナンセンスだ、と言いたいのだろう。
ロジェの言うこともわかる。しかし、リアーヌは言った。
「私はそういう話をしているわけではないよ。私が護りたいのは、共和国軍一の智将ではなく、キトリと言う一人の女性だ」
「……」
リアーヌはよくわかっているな、と思う。彼女の性格なのか、女性と男性の視点の差なのかはわからないが、確かに、軍人ではないアレクシたちが護るべきは、キトリ自身なのだろう。
そして、こんな時に限って騒動は起こるものだ。いわゆる、帝国軍に攻め込もうという派と籠城すべきと言う派の争いだ。軍人だけではなく、住民にも波及した。このレオミュールの住民は、魔術師が多い。つまり、自分が戦えると思っている族が多いのだ。
帝国軍を攻めようと主張するものは、むしろ住民の方が多い。軍人たちはキトリの方針、つまり籠城し共和国軍本隊を待つ、という方針に従っている。いくらキトリが憔悴していても、彼女の頭脳から引き出されるものは本物だ。
そもそも、キトリに最初から決定権があれば、彼女は全員でレオミュールから脱していたという。籠城は避けたい、と彼女は言っていた。もともと、彼女は野戦の方が得意なのだろう。たぶん。
「明日には本隊が到着するわ。それまで待ちましょう」
おっとりとキトリは言ったが、あまり効果はない。攻め込みたい住民の一人が言った。
「だが、早く解決しないとキトリさんが参ってしまうだろう」
「……私、そんなに顔色悪いかしら……」
キトリが眉を顰め、「七年間こんな感じでやってきたから大丈夫よ」と答えた。それは大丈夫な理由にならない。
住民たちが帝国軍に攻め込もうというのは、キトリのためだ。場を治めに出てきたはずのキトリは困惑したような表情になる。
「うーん……国外侵攻になるから、結果が出なければそのうち撤退すると思うのだけど……」
キトリが消極的に言った。いわく、補給線が長く、維持するのが困難。さらに、領土を離れている上に結果の出ない戦いに、兵士たちは士気を落としていくだろう。だからキトリは、完全には勝てずとも、負けないように戦っているらしい。
「そう。あなたがいるから終わらない」
そんな言葉が聞こえ、銃声が響いた。
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