【34】
ジュールが差し出した命令書だという封筒を受け取ったのはクロワゼ大佐だった。年齢的にも、先任大佐も、このレオミュール陸軍基地の司令官も彼だからだ。封筒を開き、中に入っている辞令を見る。
「……なるほど。正式に交戦命令が出た。大佐と大隊諸君は、このままレオミュール戦線に加われ、とのことだ」
クロワゼ大佐が簡潔に読み上げた。日付をさかのぼり、侵攻を受けた日からキトリはレオミュール陸軍基地付き参謀と言うことにされたようだ。
「さらに、少将に任ずる、か。まあ、私の場合は戦時昇進だな。一応司令官である私がシャルロワ大佐と同階級では矛盾が生じる。っと、大佐にもあるぞ」
「えー……いらないです」
クロワゼ大佐が辞令を差し出してきたが、キトリは受け取り拒否をした。とはいえ、拒否したからと言ってなんとかなる問題でもないので、結局受け取る。キトリが受け取り拒否したところで、もう辞令は出ているのだし。
「キトリ・シャルロワ大佐を准将に任じる……私を准将にしてどうするのかしら……」
一応、立場的には師団を率いることができるようになる。本来は連隊程度の指揮官であるが、師団を率いる准将がいないわけではない。
「それで、どうする大佐……ではない、准将。いくら増援が来たとはいえ、こちらの方が兵力では劣る」
クロワゼ大佐改め少将の指摘はもっともだ。いくら第一魔法大隊が精鋭だろうと、ちょっと人数が足りない。キトリはジュールを見上げた。
「少佐。後発隊はどれくらいでつくの?」
「陸路を来ますからね。三日ほどかかりますでしょうか」
「すべての準備を整えてからならそうなるでしょうね。それならば、私の基本方針は変わらない。まず、出入り口となるトンネルをふさぎましょう」
これまではできなかったが、強力な魔法兵士が手に入った今なら、できる。
「よろしいですか?」
「構わん。准将に任せる」
クロワゼ少将が言った。准将と言う呼び方になれないキトリは、ちょっと顔をしかめる。
「しかし、方法は? あの山は魔法石の干渉力が強くて、下手な魔法は使えんぞ。まさか山ごと爆破するわけにもいくまい」
ブレーズが冷静に意見を述べた。キトリもうなずく。そのあたりは承知している。
「ええ。ですから、罠を設置しましょう。迎撃用魔法陣を大量に設置してください。できれば、魔法科学研究室が検討している接触型冷凍睡眠魔法か古代魔法復元検討室で検討され、応用魔法研究室で実用検証されている魔法溶鉱炉を設置したいところですね」
「……お前、おとなしそうな顔してえぐいことを言うな」
ブレーズが顔をひきつらせて言った。どちらも、人間相手に使うにはちょっと難がある魔法だ。強力な魔法でもある。しかし。
「これくらいの魔法でないと、発動しない可能性があります。強力な魔術師が、強力な魔法陣を敷く必要がありますが……それに、あの道はもう、辺境伯は使わないでしょう」
「おや、帝国軍はフランツェン辺境伯が率いているのですか。准将も引きがいいですねぇ」
茶化すジュールに、キトリはため息をついた。
「……苦手意識を持つのはよくないとわかっているんだけど……正直、あの人と戦術レベルでやりあっていてもらちが明かないわ……」
三度戦えば、一度勝ち一度負け一度引き分けると言ったところだろう。まあ、ひとまず話を戻す。
「規模約二千の帝国軍は東から現れたと言いましたね。それなら、退路はそちらになるはずです」
フランツェン辺境伯のことだ。退路を二つ用意していても不思議ではない。
「東側も山だな。その向こうは海か。海と山を越えて来たのか?」
クロワゼ少将の言葉に、キトリは「おそらく」と答えた。
「まったくもって、体力と時間の無駄遣いです」
しかし、退路にはなる。北の山は越えがたいが、東の山は越えられる。だが、道は悪く、海も越えなければならない。派遣にかかる費用と時間を考えれば、キトリなら絶対に選ばない道のりである。
それでも、退路としてはそれなりに優秀だろう。悪路ではあるが、それはこちらからも追いにくい、と言うことであるから。
それにしても誰だろうか。こんな陸の孤島に要塞を築いたのは。それはかつてファルギエールを支配していた王族であり、その後、ここに魔法研究所を創立したのはキトリの曾祖母である。その尻拭いをしろと言うことか。キトリの曾祖母、シャルロット・エメ・フィリドールははるか未来を見透かしていると言われる賢女であったが、さすがにここまで見通していなかったか。子孫、頑張れということか。
キトリはシャルロット・エメ・フィリドールの血を引く子孫の中で、最も彼女に似ていると言われる。まあ、ブレーズたちが勝手に言っているだけだが、従兄のアルベールなども似たようなことを言っていたので、あながちウソではないのかもしれない。……その評価が、今は重い。
軍議、と言うほどでもない作戦会議を終えたキトリは空腹のような気がして食堂に向かったが、結局何も食べられずに終わった。スープだけはかろうじて飲んだ。
「大佐……じゃなくて准将、大丈夫ですか?」
水を飲もうとして咳き込んだキトリの背中をエリーズがさする。ロジェやリアーヌもいるが、みんなどうしていいのかわからないようでそっと様子をうかがっているだけだ。エリーズとは三年間、ともに戦場をかけた。こういう時の対応方法はエリーズの方が知っていた。
「うう~。点滴うってもらおうかな……」
戦場では無理だが、ここでならできる。食堂のテーブルで頭を抱えているのが現在、レオミュールの防衛を担っているはずの女性准将だと気付くと、人々はぎょっとした後に不安げな表情になる。この状態なら当然だ。こんな憔悴した状態で、戦えるのかと。
「ついでに睡眠薬も処方してもらえば?」
リアーヌが心配そうに言った。寝不足な顔をしているので、当然の心配である。
「いざと言う時に起きれないから嫌」
「睡眠導入の魔術は?」
ロジェも提案したが、キトリは首を左右に振る。
「私、精神干渉系魔法が一切効かないのよ……」
びっくりするくらい効かないので、周囲が催眠魔法でボーっとしていてもキトリだけ正気だったこともある。これはこれで怖いのだ。正気だからこそ、気が狂うというか。
ついでに、一番困ったのはテレパシーの送受信ができないことだ。まったくできないわけではなく、魔法道具を持っていれば可能であるが、素の状態ではテレパシーも受け付けない。ちなみに、サイコメトリーは効いたので、精神干渉系のみが効かないのだろうと思われる。キトリの固有魔法、『絶対防御』がはねかえしているのだろうが、そのラインの見極めが良くわからなくはある。
「准尉……今日一緒に寝よう」
「ぜひ」
まじめな表情でエリーズはうなずいた。ロジェが何か言いたそうな表情をしたが、結局あきらめたようだ。睡眠薬は嫌だが、人と一緒なら多少は眠れる。最初はアレクシを誘ってみたが、断固拒否された。これはアレクシが正しかろう。彼の方が年下であっても、一応適齢期の男女だ。
エリーズと共にベッドに入り、少し眠れたキトリであるが、それでも一時間ほどで目を覚ましてしまった。エリーズはぐっすり寝ている。
翌日、早速トンネルを閉じる作業を行った。
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