【30】
一応戦場を駆けまわった軍人として、それなりの体力があるキトリは一晩眠らなかったくらいで倒れたりはしないが、相当顔色が悪い自覚はあった。頭もまわっているが目に負担がかかっている気がして、その日は眼鏡をかけていた。
「……お前、大丈夫か?」
「大丈夫です……」
ブレーズが心配そうにキトリに尋ねる。今日の夕刻には先遣隊が到着すると思われる。帝国軍……というか、フランツェン辺境伯もそれを考慮に入れているはず。と言うことは、それまでにもう一度戦闘が起きるということでもある。
夜が明けて、状況が変わっていないことを確認する。さすがに夜間の行動はなかったようだ。トンネルの中なら朝も昼も夜も関係ない気がするが、人間の体内時計とは結構侮れないもので、夜にきちんと休まないと支障をきたしたりする。と、偉そうに言っているキトリが夜にきちんと休めていないが、一応目を閉じて眠る努力はしたのだ、これでも。
「こちら側に出てきている人数が増えていないにしても、トンネルの中には後発隊がいるでしょう。本当は、入口を爆破してしまうのが早いんですが……」
「あの山は魔法石の影響で魔法はうまく作用しない、と言う話をしなかったっけ」
リアーヌが意見を言った。顔色が悪く、目つきが悪くなっている自覚のあるキトリに意見できるリアーヌは単純にすごい。
「魔法はね。なら、普通に火薬で爆破すればいいでしょう」
なら昨日の時点で火薬を突っ込めればよかったのだが、すぐに必要量が用意できなかったのだ。そして、レオミュールは位置的に最前線ではないため、備蓄も少ない。なら、中途半端に投入するよりもまとめて大火力として投入しようと、使用を差し控えたのである。
基本、魔法を使うことが前提の魔術師たちからは「なるほど」という声と「そんな邪道な」と言うような声が上がった。正道だろうが邪道だろうが、とにかくできるだけ全員が生き残るのが最優先である。
「なるほどな。向こうが魔術で来たから、こちらもと思ったが、よく考えたらそんな必要もないもんな」
クロワゼ大佐が感心したようにうなずいた。これは別に彼が空気の読めない男なわけではなく、空気を読んだ結果だろう。微妙な雰囲気になりそうだった場を丸く収めようとしたのだ。一魔術師から陸軍参謀へと思考が切り替わっているキトリの言動はきっと、鼻持ちならないものだろう。だが、ここでキトリが知恵を絞らなければ、帝国軍はレオミュールを攻略してしまう可能性がある。フランツェン辺境伯ならやりかねない。
「でも、新たに掘られるトンネルの出口が開く前にふさぐことはできないんですよね……山の周囲に無効化魔法陣でも敷きたいですが……」
その魔法陣もうまく作動するかわからないし、魔法陣を念写するにしてもその場所に近づかなければならない。現状戦力では不可能だ。やっぱり陸上戦闘力が欲しい。火薬なら投石器で放り込めばいいのだが。
どうしても対処法になってしまう。先手を取られっぱなしでは、分が悪い。地理的優位には立っているはずなのだが。
「……帝国側が開発したと思われる、魔法石の干渉の中でも使える魔法式がわかればな……」
ブレーズがつぶやくと、魔法構築解析室の次長ロジェが答えた。
「解析中ですが、資料が少なくて……」
申し訳なさそうに言うキトリの弟をちらりと見て、クロワゼ大佐が言った。
「一人捕まえに行くか?」
「そんな戦力はありません……」
「だよなあ」
まずい。戦地で過ごした七年間の間に、危機に立たされたことは何度もあるが、その中でも特にまずい気がする。地理的には有利とはいえ、それ以外の条件は互角で、指揮官がフランツェン辺境伯だとしたら、キトリには少し分が悪い。籠城戦は防衛側に有利と言うが、キトリにしてみれば動けないのは致命的だった。基本的に、彼女は野戦が得意なのだ。
何かの兵法書に戦は戦力を多く、万端に整えたほうが勝つ、と書いてあったが、全くその通りだと思った。戦力の出し惜しみも悪手だ。フランツェン辺境伯もそれをわかっているはずなので、次の後発隊は大部隊だろう。この砦、どれくらいの戦力で落とせるだろう。構成員にもよるが、六千人規模の旅団で落とせるだろうか。
だとしたら、追加戦力で五千は来るかもしれないな、と思い、キトリはうなる。朝食をあまり食べられなかったのでおなかがすいた気もするが、食べたところで吐くような気もする。
キトリは地図を眺める。帝国軍はレオミュールの東側に移動しているが、北のトンネルに戻れるぎりぎりの位置だ。そして、そちらも山脈が鎮座しているが、帝国に面している方ではある。尤も、ファルギエールは半島に位置するので、背後が帝国、と言ってもその間には海がある。泳いで渡れる距離だが。
ひとまず、戦力が足りないので攻めて来たら防戦をするしかない。この場所を動けないので、そうするしかないのだ。キトリの予測では、昼前には攻撃を仕掛けてくるはず。その前に、トンネルの出口をふさいでしまおう。
室長や次長たちと魔法技術の可能範囲を話しあい、決行を決める。トンネルに一番近い城壁に陣取ったのは、リアーヌだった。
「いいか! これはまたとない検証実験の機会だ! かといって失敗は許されない!」
おお! と魔術師たちから声が上がる。リアーヌの激励に、連れてこられた魔法工学研究室の魔術師たちがテンションをあげたのだ。キトリではこうはいかないだろう。演説をしろと言われればできる気もするが、士気を挙げるような激励はとばせない気がする。頑張ればできるかもしれないけど。
まあそれはともかく。トンネルの出口を火薬で爆破するに当たり、魔法工学研究室から技術提供を受けたのだ。リアーヌ曰く、試してみたかった投石器があるらしい。
しかし、これを投石器と言っていいのか、キトリにはわからない。どちらかと言うと大砲に近い気がする。円形の筒の中にとばしたいものを入れて、魔力を流し込む。筒に仕込まれた魔法陣が発動し、狙った場所に物をとばすことができるという装置。らしい。
え、これ大丈夫、と思わないでもなかったが、みんなキトリと同じことを思っていそうだったので、あきらめた。とにかく使ってみて、駄目なら普通の投石器を使おう。
その魔法道具に火薬がつめられる。ここからトンネルの出口のある山肌までは一キロちょっと。うまい狙撃手なら狙撃を成功させる距離である。キトリは当たらないけど。
「撃て!」
リアーヌの指示の元、火薬を詰めた袋は何とかトンネルの入り口に届いた。いくらか積み上がったところで、キトリはロジェを呼ぶ。
「ロジェ。よろしく」
「わかった」
緊張気味に弟はうなずいた。魔法道具である銃を構えてロジェは大量に積まれた火薬を狙った。狙いは狂わず、ロジェは火薬に火をつけた。そう言う魔法道具なのである。
どん! と巨大な音が響き、続いて衝撃波が来た。足元が揺れる。体をふらつかせたキトリを、ロジェが支えた。
「……火薬、多かったかな」
「そうかもしれないわね……」
リアーヌとキトリが少し反省していると、粉じんが収まってきた。女性陣二人は双眼鏡を覗き込む。
「……とりあえず、うまくいったみたいだね」
「そうね……」
抵抗がなかったため、うまく出口をふさいだとしても、他の通路を確保していると考えるのが自然だ。基地の観測班からの報告で、もう一つトンネルを掘っていることはわかっている。やはり魔法が使えないのが痛い。
と、再度城壁が揺れた。衝撃音もあった。帝国軍が攻撃を再開したらしい。
「……こっちの見張りをよろしく。私は正面に回るわ」
「了解」
リアーヌはうなずいてその場に残ったが、ロジェはキトリについてきた。特には咎めず、シャルロワ姉弟は現場へと向かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
フランツェン辺境伯ってうちにくい。




