【29】
エアハルト・フランツェン辺境伯は、共和国軍でもちょっとした有名人である。もちろん、敵として。
外見は淡い茶髪に青い瞳をした、整った顔立ちの優男であるが、頭の中身はとんでもなかった。帝国軍第三陸上特殊旅団を預かる彼は、帝国きっての戦術家なのである。
辺境伯と言う以上、彼の領地は国境に接している。家柄的に武術に秀でる家であるし、軍を担うのも理解できる。しかし、もともと彼はその立場にはなかった。
エアハルトは前辺境伯の次男である。開戦当初、大学に通っていたとのことで、どちらかと言うと彼は頭脳派だった、
しかし、転機が訪れたのは開戦から五年後のこと。今から五年前のことである。辺境伯であった父親と、跡取りであった兄が相次いで亡くなったのである。
かくして、エアハルトは表舞台に引きづり出され、爵位と一個中隊を与えられると、戦場に放り出された。そして、敵……この時はファルギエールとは反対側の国境の国と戦っていたのだが、その軍の動きを読み切り、戦果を挙げて帰ってきた。帝国側の思惑としては、辺境伯領を召し上げてしまいたかったのだろうが、思いのほか彼は軍事的才能に恵まれていたわけである。
それからも、彼は着実に戦果を挙げ、いつしか帝国一の智将となっていた。
「……それで、共和国軍一の智将は、彼とどう戦う?」
「誰のことですか、それは……」
キトリのことを言っているのであれば、彼女は共和国一の智将ではないし、そもそも、キトリは司令官ではない。
というのは置いておき、まじめに答える。
「彼は正統派の戦術家です。私は過去に四度彼と戦いましたが、一勝二敗一引き分けと言ったところでしょうか」
「お前にしては勝率低いな」
これまで黙っていたブレーズが言った。キトリは首を傾ける。
「所長、私の戦歴をご存知ですか」
「二十一戦、十一勝四敗六引き分け、だったか?」
「ええ。つまり、その四敗のうち二敗はフランツェン辺境伯から引き出されたものだということです」
「……相性悪いな」
「その通りです」
士気が下がるようなことは言うな、と言ったところであるが、事実であるし、事実は伝えなければならない。
「先ほども言いましたが、彼は正統派の戦術家です。私は基本的に詐欺師なので、相性が良くありません」
正統派を行く上に隙がないのである。フランツェン辺境伯は手堅い方法を使う戦闘指揮官であった。手堅いということはうまく運用すれば隙がないということである。これを奇策で打ち破ってきたのがキトリなので、彼女は詐欺師だ。
「……ですが、今回、勝ちたいわけではないので問題ありません。援軍が到着するくらいまでの間なら、持たせて見せます」
「その意気で頼む」
クロワゼ大佐が言った。彼が作戦を取っても、おそらくそこまでひどいことにはならないはずなのだが、今回のイレギュラーは多くの民間人を抱えていることだ。キトリ自身も、ここまで護るべき住民が多くいる武力活動は初めてである。
「とにかく、これ以上帝国側の援軍が来ないようにトンネルを閉じなければ。退路を塞ぐという意味もあります。それに、掘っているトンネルがあそこだけだとは限りませんし、トンネルではなく、普通に山を回り込んで侵入してくる可能性も無くはありません」
「ああ……索敵は続けさせている」
「ありがとうございます。たぶん、明日の夕方には先遣隊が到着すると思われるので、それまで帝国軍とトンネルの見張りの徹底をお願いします」
「わかった……夜襲はあると思うか?」
「ないでしょう」
「……ちなみに、理由は?」
言い切ったキトリに、クロワゼ大佐が尋ねた。キトリはしれっと言う。
「私ならしません。時間と体力と物資の無駄遣いです」
「なるほど。ならないのだろうな」
何しろ、攻城戦を仕掛けるには、帝国軍の戦力は少ない。魔術師が多いようだが、それはこちらも同じこと。魔術師による攻撃は、魔術師によって防ぐことができる。
帝国軍の戦力が十分であれば、キトリも夜襲を考えるが、今のところ、十分ではない。帝国軍が新たな戦略級攻撃魔法や武器を開発していない限り、今夜のうちは安心できる。朝になったら兵士が増えているかもしれないが。ついでに、魔法や武器を完成させていれば、最初の攻撃の段階で使用しているだろう。考える時間を与えず、意表をつくのが大切なのだ。
今日の間に出来るだけの対策は取っておく。司令部で今後の方針を決めている間に、被害状況が上がってきた。全体的に、大したことは無い。キトリが人命第一で作戦を立てたからだ。保護魔法を破られた時はどうしようかと思ったが。
しかし、それでも二十人以上の戦死者が出ている。重傷者は百に届くだろう。小規模な戦闘にしては多い。物資にはまだ余裕があるし、保護魔法などの防御に関しても順調に進んでいるようだ。
「帝国側も、思ったより被害が少なそうです」
報告に来た少尉が言った。キトリはため息をつく。
「でしょうね。フランツェン辺境伯なら」
ここで戦力を無駄にするような無茶はしない。……兵士たちをそう位置づけてしまう自分の思考に苛立つ。
できるだけ被害は少なく! と挑んだはずだったが、それでも一定数の被害は出てしまう。戦っているのだから仕方のない話ではあるが、仕方がない、と言うだけではすまされないことでもある。
ひとまず横になったキトリであるが、眠れなかった。戦場に出ると眠れなくなるキトリであるが、今回もそうだった。今回の場合は、レオミュールの住民の命を背負っている、というのが大きい気もするが。
眠れないので、キトリはガウンを羽織ると部屋を出た。いつもは深夜でも誰かしらが研究をしている音が聞こえてくるが、今日は静まり返っていた。戦闘があったのだ。みな気疲れしただろう。キトリもつかれているはずなのに眠れない……。ロジェかリアーヌに一緒に寝てくれとお願いしてみようか。
ふらふらと塔を上り、天文台から夜空を眺めた。占星術師がいるので、天文台が設けられているのである。
「明日も晴れか……」
季節的に霧も出ない。視界の悪さを利用して近づかれるようなことは無いだろう。
何しろ、こちらは拠点を移動できない。いくらレオミュールが強固な城塞だとはいえ、キトリならすでに陣を移動させている。内地に後退しながら一般市民を逃がし、最初に差し掛かる地方都市の手前で戦線を敷いた。そこまでなら越えることが困難な山脈に囲まれており、帝国側が攻めてくるルートは限られる。しかも、内地に入ったことで帝国の補給線は伸びるが、キトリたちの補給線は短くなる。
それが今は孤立中である。こういう状況は初めてではないが、より神経が磨り減る気がする。
「キトリ」
名を呼ばれて階段の方を振り返ると、アレクシが顔をのぞかせていた。いつもなら笑みを浮かべるところだが、そんな気力もない。なのに眠れない……。
「冷えるだろ。ほら」
「ああ……ありがとう」
アレクシが差し出したのはマグカップに入ったショコラ・ショーだった。ほんのりとシナモンの香りがする。六歳も年下の彼の気の利く行動に、笑みが浮かぶかと思ったが表情筋が動かなかった。代わりに息を吐く。
「……ショコラ・ショー、嫌いだったか?」
しっかり者だが、こういうところは年下だなあと思う。キトリは首を左右に振った。
「違うわ。笑えなくて……昨日まではちゃんと笑えていたはずなのに」
帝国が侵攻してきたという事実に、キトリの意識は一気に戦場に引き戻されてしまったらしい。温かいショコラ・ショーを一口すする。
「うん。おいしい」
笑えない代わりにちゃんと口に出した。そうしないと、伝わらないだろう。
隣で、アレクシが何か言いたそうにしていたが、結局言うのをやめたようだ。彼も、軽々しく「やめればいいんじゃないか」と言うことはできないとわかっているのだろう。キトリがやめると、レオミュールの存亡にかかわってくる。
「……ねえ、アレク」
「なんだ?」
ショコラ・ショーが半分まで減ったところで、キトリが口を開いた。
「一緒に寝てくれない?」
「な……っ!」
アレクシが夜闇にわかるほど赤くなった。少々短気ではあるが、動揺をあまり表に出さない子なので、キトリは少し驚いた。
「駄目だろ! 一応大人の男女だぞ! 俺がロジェに殺される!」
「……それもそうね」
三つの言葉で拒否されたキトリは、まじめにうなずいた。誰かと一緒に眠れば、多少は眠れると思うのだが、さすがに駄目か。うん、駄目だな。彼が言ったように、一応大人の男女だ。
「変なことを言ったわ、ごめんね」
「疲れてるんだ。早く寝ろ」
キトリが変なことを言ったからか、つっけんどんにアレクシが言った。キトリも「そうね」と相槌を打つ。
だが、部屋に戻っても結局一向に眠れなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
私がしんどいので、できるだけサクサク行きたいと思います。




