【24】
監査官たちがレオミュール魔法研究所にやってきた。その様子を、キトリはエントランスの二階から眺めていた。
「うわ。多いな」
彼女の隣からエントランスを覗き込んだのはロジェだ。最近は監査の準備であまり話をしていなかった。キトリは弟の出現に微笑む。
「あら、ロジェ。監査の準備をしなくてもいいの?」
「ああ。もうだいたい終わっているからな。僕らのところは明日だ」
「なるほど」
監査官は総勢二十三名。しかし、監査対象も多いので、五日に分けて監査が行われる。
「鉢合わせないようにしたいわね」
監査官の中には、キトリが軍部にいるときに会ったことのあるものもいるはずだ。何となく気まずい。
「まあ、姉さんは直接監査は無いし、大丈夫じゃないか?」
「そうね……」
ロジェは手すりに寄りかかってブレーズに案内されていく監査官たちを見ながら言った。
「……彼らは、姉さんを見たら、戦場に戻れって言うんだろうか」
「どうかしらね」
「僕は姉さんに戦場に行ってほしくない」
きっぱりとロジェが言い切ったので、キトリは少し驚いてゆっくりと目を見開いた。彼女の鈍さはこの辺りでも発揮されている。
「姉さんが傷つくところを見たくないんだ」
眼鏡の奥で目を細め、ロジェは言った。キトリは何度か目をしばたたかせる。
「……珍しいわね。あなたがそんな感情的なことを言うなんて」
ここにアレクシがいれば、いや、いつもシスコン全開な発言をしているぞ、とでも言ってのけただろうが、あいにくとこの場にはいなかった。
「そう、かもね。でも、姉さん。僕は怒ってるんだ。七年前、全て、自分で決めてしまったこと」
ロジェの言葉に、キトリはくすりと笑った。
「そうね。リアにも言われたわ」
「笑いごとじゃない!」
思いがけず大きな声で否定されたキトリは、目をしばたたかせてロジェを見上げた。弟は、絞り出すように言う。
「姉さん。過ぎたことはもう、仕方がない。でも、僕も姉さんも、あの頃と同じ、何もできない子供じゃないんだ。やめようと思えばやめられるはずだろう」
感情的だが、的を射ているような気がする。確かに、軍部はキトリを手放そうとしないだろうが、キトリ側から辞めると言えばどうだろう。ああ、やはりそうか、と退役を後押ししてくれそうな人を、キトリは何人か思い浮かべた。
「……ええ、うん。あなたの言うとおりね」
素直に、キトリは認めた。ロジェがキトリの手首をつかむ。
「なら!」
「でも、ここで手放すことができないほどのものを私は手にしてしまったわ。もう彼らは放り出すなんてできないの」
いや、現在進行形で放り出して入るのだが。
精神をすり減らし、ドクターストップがかかって戦場から遠ざけられた。その時は正直、ほっとした。このままレオミュール魔法研究所で、ロジェやリアーヌと一緒にいられるといいのに、と思った。
でも、落ち着いて来たら思うのだ。今、彼らはどうしているだろう。懐いていたエリーズは、泣いていないだろうか。ジュールは人をからかって遊んでいないだろうか、ドゥメール中将はちゃんと仕事をしているだろうか。
みんな、ちゃんと生きているだろうか。
もちろん、書類上はまだキトリはドゥメール中将の部下で、ジュールたちの上官だ。だから、誰かが戦死したり、異動したりすれば情報が入ってくる。それでも、彼らを思わずにはいられないことに気付かされる。
戦場に戻れば、きっと、キトリの心はまた擦り減っていく。だが、戦場にいるはずのエリーズたちと離れていても、彼女は心配で心細くなっていく。
きっと、自分で結論を出さなければならないのだ。自分で決めなければならない。逃げるのか、戻るのか。
悩むということは、今、キトリの心は、戦場に戻る方に傾いているのだろう。それでも決めかねてしまうのは。
「あなたのことが心配なのかしら」
「……だから、僕はそこまで子供じゃないって……」
「ふふっ。わかってるわよ」
最後に笑って、キトリはロジェの腕をたたいた。
「ほら、行きましょ」
「うん……姉さんは五日間、何もしないのか?」
「さすがにそうはいかなかったわね。午後からは私も監査官と戦ってくるわ」
「……僕には監査官が負ける未来しか見えない」
失礼な。比喩で『戦う』とは言ったが、キトリは本気で言い合いをするつもりはなかった。ブレーズにも、いいからいつも通りおっとり笑っていろ、と言われている。
「すごく警戒されてるじゃないか」
「避けないことはするな、と言うことね」
鹿爪らしく言うと、ロジェはぷっと噴出した。キトリもつられて笑いだす。そんなシャルロワ姉弟を、研究所の職員たちはちらっと見て、いつものことか、と軽くスルーした。魔法研究所は、変人が多いのである。
で、キトリであるが。結局、監査官と戦ってしまった。途中でブレーズが止めに入らなければ、言い負かしていたと思う。
「頼むから、その顔でおっとり微笑んでてくれ……」
「もう遅いと思うのですけど……」
何しろ言い負かしそうになってしまっている。監査官たちもキトリの身分を知っているし、だからもう遅いと思うのだが。
「別に古代魔法復元研究のことについて、議論しなくていいんだぞ……」
「いえ……わかっているのですけど、私、古代遺跡で戦ったこともありますし、魔法技術的にも必要じゃないですか」
「いや、わかるよ。私も魔術師だからな。だけど、向こうは金を出す側だからなぁ。意味がなさそうなものは切りたいんだろ」
「わかっていますよ。戦費でも、金食い虫から切られていきます」
「わかってるじゃないか」
「わかっています。一応」
キトリは肩をすくめた。戦争と言うのは、魔術研究よりも金食い虫なのだ。今あるだけで作戦を立てろと言われて、困った経験がキトリにもある。
「じゃあ口を閉じて笑っていてくれ」
「……善処します……」
監査はまだあと四日もあるのだ。言い合いをしていたら終わらない。ブレーズにもう一度、聞かれたことだけに答えろと言われ、キトリはうなずいた。
「やっぱりあれだな。お前、結構血の気が多いな……」
長年軍隊にいたからだろうか。しかし、そんなことを言われたのは初めてだ。キトリは「そうですか?」と首をかしげる。
「まあ、お前がいると監査が楽なのも事実だから、頼むから、入室禁止にはされないようにしてくれ……」
「わ、わかりました」
結構私欲だった。知らないことでも、わかっている事実から答えを導き出すようなキトリは、確かに役立つだろうけど。
さて、問題の有機物に魔法陣を定着させる研究であるが、驚いたことに……いや、驚くことではないのかもしれないが、違反とは判断されなかった。
「学会データベースに記載されています。問題ありません」
と言うのが監査官たちの主張だった。キトリは彼らに尋ねる。
「開発者は誰です? いつ、データベースに登録されたのでしょうか」
「今から一年前、開発者は匿名です」
「……」
キトリは眉をひそめた。一年前、と言うのであれば、キトリがレオミュール魔法研究所に来たころだ。その時に行ってもいい魔法研究の手法について一通り魔法学会データベースに目を通したが、その記載はなかったはずだ。それを主張するほど、キトリも愚かではないが。
「そうですか。いえ、軍人として、この研究は軍事転用できるものとして興味がありますので」
しれっと嘘をついてみた。監査官は「そうですか」と無表情に言ったが、誇らしげに言った。
「この魔法が、戦争を終わらせるかもしれません」
もちろん、戦争はそんな簡単に終結するほど甘いものではない。
こうして、レオミュール魔法研究所の監査は終了したのであった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
誠に勝手ながら、しばらく休載いたします…。キリがいいし、ストックがないので…あと1章なんですけどね、生き絶えました…。
いつ復活するか未定ですが、今月中に再開できたらいいなと思ってます。




