【23】
魔法研究所と言うのは、どこも多少は混とんとしているものだ。混とんとする要素が少なそうな魔法構築解析室や魔法史学研究室ですら混沌としている。ありたいていに言えば、研究室が汚い。荒れている。
しかし、そんな中で群を抜いているのが魔法生物研究室である。まあ、魔法生物を預かっている以上、どうしても部屋があれるのは仕方がない。だが、中にいる研究員たちもなかなか混とんとした人たちだった。
そもそも、キトリに言わせれば、魔法生物を研究することは倫理的な問題にぶつかると思っている。いや、悪いこととは言わない。魔法医学だって、そうやって発展してきているのだ。魔法生物を研究することは悪いことではない。
しかし、魔法生物を『作り出す事』は果たして、研究に寄与することなのだろうか、と門外漢のキトリは考えてしまうのである。
まあ、戦争で多くの人を殺している軍人のキトリが言うことではないので、とりあえず黙っているが。
キトリたちは、うろたえる魔法生物研究室の研究員たちを押し切って、中を調べ始める。監査や調査と言うよりは、むしろ『ガサ入れ』に近い気がするのは気のせいだろうか。
出された資料を一通り確認したが、魔法医薬学研究室で見たヴィルパン博士の魔法研究の内容が見つからない。問いただそうにも、証拠がいる。キトリは次長を見つけて微笑んだ。
「あなたの最新の研究を見せてもらえます?」
「……わかりました」
見てお前にわかるのか小娘が、と言わんばかりの口調と視線だ。まあ、それくらいに思われていた方がいいだろう。実際、幅広い知識を持つキトリも、魔法生物学は専門外だ。
キトリは次長の研究を眺める。彼女は魔法力が偏ってはいるが、魔法が見分けられないわけではない。実験動物らしいウサギの耳を撫で、キトリは尋ねた。
「この子、魔法陣が埋め込まれてますね」
「ただの動物に魔法を定着させる方法は、まだ編み出されていませんよ」
次長が静かにキトリにそう返した。魔法生物には、キメラ、と呼ばれる合成獣がいたりもするが、これは魔獣を基礎としている。彼の言うとおり、普通の動物に魔法を定着させる方法は見つかっていない。はずだった。
「私が誰の学会で研究発表を聞いてきたかお忘れ?」
「……」
次長がキトリを睨んだ。こちらが不穏であることに気付いたブレーズたちが近づいてくる。
「どうした」
近づいてきたブレーズに、キトリはウサギを渡した。ブレーズが眉をひそめる。
「このウサギがどうしたんだ? 可愛いなぁ」
確かに、グレーの毛の可愛いウサギであるが、そうではない。
「ちょっと見ててください」
キトリは弱い攻撃魔法をウサギに向けてはなった。それが魔法障壁に阻まれる。
「『絶対防御』か?」
覗き込んだアレクシが尋ねた。キトリは首を左右に振る。
「絶対防御は私の固有魔法よ。これはそれに近いけど、ただの魔法に反応する自動魔法障壁ね」
「正直違いが分からんなぁ」
ブレーズが眉をひそめて言った。キトリも良くわかっていないので、聞かれても困るが、魔法陣を利用しているこれと、キトリの絶対防御は別物なのだと聞いたことがあった。
「まあ、これが誰でも使えれば便利だな。要人護衛とかが」
ブレーズが感心したように言ったが、これはそういう問題ではないような気もする。
「そうでもありません。先ほど試しましたけど、魔法には反応しますが、魔法以外の攻撃には反応しません。逆に、魔法であれば回復魔法であろうと反応するのではありませんか」
「……」
次長が沈黙した。図星のようだ。正直、キトリの絶対防御より使えない。
「なるほど。それでは意味がないな」
「そもそも、害意ある攻撃だけはじくというのは無理があるんです。私の絶対防御だって、私が害意を認識しなければ発動しませんからね」
絶対防御は『絶対』ではないのだ。
「ま、実験内容の検証は後からだ。全員! 次長と同じ理論を使った魔法をテーマにしている者は、研究内容をすべて提出しろ!」
ブレーズの一声で、同様の研究内容をしている者たちはすべて資料を出してきた。良く従ったな、と思わないでもなかったが、アレクシによると、「所長とキトリの監査は、本物の監査よりも恐ろしい」そうだ。
ブレーズとアレクシが内容を改めている間、キトリは次長に入手先を問い詰めていた。
「誰からこの方法を教えてもらったんですか。まだ世間的には公表されていないはずです」
「……あなたに答える必要があるのか?」
はっきりルール違反だと言っているのに、次長は悪びれる様子もない。キトリは首をかしげて微笑む。
「逆に、答えずに済むと思っているんですか?」
「……」
次長はびくっとして不自然に視線を逸らした。キトリはただ待つ。
「……軍の、関係者から情報提供がありました。この理論が実用化されれば戦争で軍人が死ぬことが無くなるだろうと……」
「……彼らは戦争の本質を見るべきね。私たちが死ななくても、私たちは敵を殺すのに」
これは前線指揮官の感覚なのだろうか。いや、キトリと同じ感覚を持つ指揮官がすべてではないだろう。
確かに、ヴィルパン博士の理論が実用化されれば、戦争で『人』が死ぬことは少なくなるだろう。しかし、だからと言って代わりに魔法生物を殺していいのだろうか。この子たちに、我らの敵を殺せと命じてもいいのだろうか? 応えは否であるはずだ。
おそらく、この次長に情報提供したのは下っ端の使い走りだろう。問い詰めても、主犯が誰かわからないに違いない。戦争を終わらせたいのかもしれないが、方法が間違っている。キトリから見れば、この方法は戦争を泥沼化させるだけだ。
「……やはり、父だろうか」
「……どうかしら。可能性は高いけれど、確証はないからそっとしておいた方がいいんじゃないかしら」
正直、キトリもアレクシの父がヴィルパン博士の論文を持ち出して、レオミュール魔法研究所に情報を流したのではないかと思っている。
「……博士の同意があるのであれば問題ないのだけど、確認しようがないものね」
何しろ、エドガール・ド・ヴィルパンは死んでいる。事情の一部始終を聞いているブレーズは、資料に目を走らせながら言った。
「しかし、リエーヴル議員の差し金だとしたら、どうして息子のいるレオミュール魔法研究所に情報を流したんだろうな。息子がいるから、ばれるかもしれないのに」
「……たぶん、うちだけじゃないんです。思いつく限りの魔法研究所に情報提供した、と考えるべきです」
キトリが落ち着いた口調で言うと、ブレーズは顔をあげて言った。
「じゃあ、うちだけ止めても意味ないのか」
「そういうことですね」
こくりとうなずく。それに、監査に来る国の役人たちが、この研究内容をどう判断するかにもよる。他の魔法研究所の監査も行っているだろうし。
もし、容認するようであれば、キトリは自らの意志で戦場に戻りたいと思うようになるかもしれない。まさか、それを狙っているとも思えないが。
「よし、わかった。では、監査が入るまでこの研究は停止。資料はこちらで預かる。いいな?」
「……わかりました」
あきらめた様子で、次長を含む研究員たちはブレーズの指示に従った。研究できなくなるよりはましだと思ったのだろう。ここで逆らえば、放逐されるか最悪、指示に従わなかったとして研究員免許はく奪になる。
さて。後は監査を待つばかりである。
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