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【20】











「だいぶ顔色が良くなりましたね。感情も出てきた」


 キトリを診察した医師は、そう言って微笑む。キトリはいつも微笑んでいる顔に陰鬱さを浮かべていた。ありたいていに言うと、暗い表情を浮かべていた。


「……精神状態が落ち着いてまた戦場に出るのだと思うと、気が重いわ……」


 彼女が魔法研究所に来て一年が経とうとしているのだ。自慢ではないが、キトリは作戦立案に関しては優秀だ。さもなくば、招聘されたりはしない。十八歳の小娘など。

 だが、それがキトリの心をすり減らし続けるのも事実。自分の言葉一つで、一体どれだけの人命が失われたのだろうと思うと、自分自身に吐き気がする。


「失うばかりではないでしょう。あなたが助けたものも、たくさんあるはずだ。私は従軍医師として戦場に出たことがありますが、あなたのいる作戦はいつも、損害率が低かった」


 従軍には医師が伴うことが多い。怪我をするのは当然のこと、キトリのように心病む軍人も多いのだ。


「……自分で選んだ道ですが、私には軍人の在り方がなじめないのだと思います……」


 キトリは、自分で軍に身を投じることを選んだ。それを後悔したことは無いが、なじめないだろうなあとは思う。

 キトリの心は、この魔法研究所にいる限り平穏だ。戦争中とは思えない和やかな日々。軍に身を投じてまで守ろうと思った弟もいるし、気にかけてくれる友人たちもいる。何より、人を殺す算段を立てなくてよい。

 だが、軍がキトリを手放さない以上、彼女はいつか戦場に戻らねばならない。戦争は膠着状態。どこかで揺さぶりをかけたいだろう。

 フィヨンで部下のジュールやエリーズに会った。彼女の上官の差し金のようだが、彼らを懐かしく思ったのは事実だ。彼らが、キトリが知らないうちに死んでいるようなことがあったら、それは耐えられない気がする。かといって、目の前で亡くなっても耐えられないと思う。


 ため息をつきながら、キトリは診察室を出た。暗い表情を見とがめたのだろう。通りかかったアレクシがぎょっとした表情を浮かべた。

「ど、どうした、キトリ」

 もともとそれなりに仲良くしていたと思うが、一緒にフィヨンに行ってから特に親しくしている彼に、キトリは微笑みかけた。

「こんにちは、アレク。ちょっとね。何でもないのよ」

 しれっとごまかそうとしたキトリであるが、一週間以上共に過ごした彼は、意外に鋭かった。いや、頭のいい青年なのは知っているけど。

「定期健診か?」

「ええ、まあ」

 キトリの場合は健診と言うよりカウンセリングに近い。なので、かかっている医者も、医者と言うよりカウンセラーに近い。医師免許もあるそうだが。

「……軍に戻るのか?」

「わからないわ……でも、そろそろ辞令が届くかもしれないわね」

 戦場を離れても、戦況は耳に入っている。軍人になじめない彼女だが、気にするくらいには軍人に染まっていた。

「そうか……言っても詮無いことだが、寂しいな」

「……そうね」

 伏し目がちに同意するキトリに、アレクシは少し笑った。

「行きたくなさそうだな」

「……でも、戦争が続く限り、軍から出ることはできないわね」


 招聘されたとはいえ、自ら望んで軍に身を投じたのだ。当然である。


 準軍人に数えられるとはいえ、部外者であるアレクシは少し違う考えを持つようだった。

「それなら、あなたが戦争を終わらせればいいんじゃないか?」

「へ?」

 思わず間抜けな声が出た。キトリはアレクシを見上げる。

「フィヨンで、『出来たらとっくに戦争は終わっている』と言っていただろう。あの時の方法は取れなくても、あなたならできるんじゃないか?」

「確かに言った、けど……」

 キトリの曾祖母シャルロット・エメ・フィリドール女公爵は、戦術と政略を用いてファルギエールを解放した。最後の方は力押しであったが、それは事前の根回しがあったからできたことだろうと、キトリは思う。彼女は曾祖母の行動について研究したことがあった。出た結論は、曾祖父母夫妻は仲良し夫婦であった、と言うことである。


「……まあ、俺に言えたことではないが、戦争が終われば、あなたは好きなことができるだろう」


 途方もないが的を射たことを言う生真面目なアレクシに、キトリは思わずッ笑った。


「そのとおりね。ねえ、アレク。ちょっと抱きしめてもいい?」


 キトリが弟のように思っているとはいえ、家族ではない独身男性に言うことではないかもしれない。アレクシも戸惑ったようだが、最終的にうなずいた。キトリは背の高い彼を抱きしめる。

「ありがとう」

 つぶやくように礼を言って、キトリはアレクシから離れた。ずいぶん和ませてもらった。彼は真剣なのだろうけど。
















 キトリとロジェの両親の墓は、首都コデルリエの教会にあった。母は別の地方の出身であるが、父が店を構えていた首都に駆け落ちしたのだ。キトリとロジェは首都で生まれ育った。

 両親の墓碑銘が刻まれた墓の前で祈りをささげたキトリは、そのまま立ち上がった。一緒に墓参りに来ていたロジェもつられるように立ち上がる。墓には白い花が添えられていた。

 今日は、二人の命日である。所長のブレーズやリアーヌも来たがったが、さすがに何人もが研究所を空けるわけにはいかなかった。


「もう七年もたつなんて信じられない」

「そうね」


 ロジェに言葉に、キトリはうなずく。駆け落ちして、親族とはほぼ絶縁状態で、葬儀に顔を出したのはブレーズくらいだった。父はともかく、母の生家は元貴族家。厳しいのはわかる。

「……父さんのガトーショコラが食べたい」

「わかるわぁ。食べて帰りましょうか」

「ああ、そうしよう」

 仲の良い姉弟はそういうと、墓地を出るのに歩き出した。

「ところで、姉さん」

「なぁに?」

 キトリはロジェを見上げた。ロジェはキトリを眺めて言った。

「この前、アレクと抱き合ってたって聞いたんだけど」

「ああ、そんなこともあったわね」

 キトリは平然と答える。基本的にテンションが平坦に統一されているキトリだが、あの時は妙にテンションが上がっていたのだ。

「……姉さんはアレクが好きなのか?」

「可愛いとは思うわよ」

 いつぞや部下に言ったのと同じセリフを弟にも返す。緊張していたロジェがため息をつく。

「姉さん、ぶれないな」

「そうかしら」

 おっとりと首をかしげる。ロジェが再びため息をついた。


 姉弟二人は、しゃれたカフェに入った。昼食と、キトリはタルトタタン、ロジェはガトーショコラを頼んだ。二人ともおいしそうにデザートまで平らげた。キトリはちょっと苦しかったが。

 コーヒーを飲んでいると、隣に男性が座った。キトリはその男性をちらりと見る。

「お久しぶり、アルベール」

「ああ。久しいな、キトリ」

 男性も静かな声で返した。二人とも、視線は合わせない。

「戦場から逃げたお前が、こうも堂々と現れるとはな」

「辞令が出ているわ。私は今、出向中だもの」

 平然と答えるキトリに、アルベールと呼ばれた男性は面白くなさそうな表情をする。シスコンな弟ロジェはアルベールに向かって苦言を呈そうとしたが、アルベールに睨まれて断念した。

「だが、私につなぎを取ったということは、戦場に戻る気があるんだろう。正直、その方が助かる」

「あなたたちのためにすることなどないわ」

 万事おっとりしているキトリには珍しいはっきりした口調で言い切った。だが、キトリのこの態度に慣れているので、アルベールは気にも留めずに話を続けようとした。


「それでもお前は、戦争を終わらせるんだろ。優しいからな、お前は」

「……私が優しいのは、目が届く範囲だけだわ」


 彼女の眼のうちに入らなければ、その人たちは切り捨てられるということだ。もちろん、キトリは自分が万能ですべての人を助けることができる、などと思っていない。だからせめて、自分の手が届く範囲にいる人たちには手を差し伸べたい。

 墓参りのためだけではないのだ。彼女が、首都を訪れたのは。











ここまでおよみいただき、ありがとうございます。


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