【2】
見学の日がやってきた。さすがにキトリ一人ではなく、もう一人、若い……と言うか、新人研究者が、見学する生徒たちを迎えにエントランスに出てきていた。
「みなさん、こんにちは。本日、レオミュール魔法研究所の案内を務める、統括管理官のキトリ・シャルロワです。こちらは、魔法構築解析室の魔術師でアンベール・シムノン。皆さんと年が近いから、話しやすいかしら」
いつも通りおっとり微笑んだキトリであるが、優しげな彼女もセミロングの黒髪を束ね、識別カードを首から下げていれば一応職員に見えた。白衣を着てみる案もあったのだが、あまり似合わなかったのである。
本物の研究員であるアンベールは白衣を着ていた。年若いが、彼の方がキトリよりも研究員に見える。なら、キトリは一体何に見えるの、と言われても困るのだが。
「引率のラシュレーです。今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
キトリは微笑むと、ラシュレー教師と握手をした。背の高いラシュレーは穏やかそうな男性だった。生徒たちにも慕われているようで、すでにあれこれと生徒たちが話しかけている。
「ええっと。見学を初めてもいいかしら」
お願いしまーす、と声がいくつも重なった。キトリは苦笑を浮かべながら、「行きますよー」と先頭に立つ。アンベールには一番後ろについていてもらった。
キトリは事前に作った見学案に従って施設内を紹介していった。もちろん、研究所の成り立ちも説明する。
「このレオミュール魔法研究所は、今から五十七年前に、最後の国王アンリ四世……アンリ・フランソワ王の命令により、救国の英雄シャルロット・エメ・フィリドール女公爵が創設したものです。このレオミュールはもともと王家の直轄地で、北の要塞都市でもあったの。みんな、街に入るときに城壁を通ってきたでしょう」
うん、と生徒たちがうなずく。おっとりしたキトリに、生徒たちは早くもなじんでくれたようだ。
「その城壁が、街全体を囲んでいるのよ。で、この研究所は昔城塞だったの……と言って、わかる? 戦争が起こった時に軍隊が置かれる基地だったのね」
ふーん、とうなずいた生徒たちだが、ある女の子が言った。
「でも、今も戦争中ですよね」
その通りだ。ファルギエール共和国は、最近再び攻勢を強めてきたアイヒベルク帝国と十年間、断続的な戦争状態にあった。この戦争は帝国と、それ以外の諸国連合が敵対し、大陸各所で戦端が開かれている。
「ええ……そうね。実は、この城塞は、国の外からの敵に対して作られた基地ではないの。国内で反乱が起こった時のための城塞なのよ」
実際、今から八十五年ほど前、第一次帝国侵略戦争が始まった時、帝国はファルギエール(当時は)王国を攻めたが、東西南の三方向から攻めて来たが、北からは攻め込まなかった。北には、高い山々が連なっているため、攻めにくいのである。
元の城塞の話はこれくらいにして、研究所の中身である。まず、キトリが開いたのは魔法工学研究室だった。
「ここが魔法工学研究室。その名の通り、魔法工学を専門に扱っているのね。細かく分けると種類はたくさんあるけれど、魔法道具の開発や修理を主に行っているわ」
キトリが簡単に説明しているところに、白衣の女性が近づいてきた。すらりとした、豊かな栗毛の女性である。
「彼女が、この研究室の室長、リアーヌ・フィリドールよ」
「初めまして。魔法工学研究室長のリアーヌだ。よろしく」
美人! と衝撃の声が上がる。明るい緑の瞳をした彼女は文句なしに美人だ。実にうらやましい話である。
「ここでは、日常生活で使う魔法道具の開発から、壊れる寸前の魔法道具の修理まで、幅広いことを行っているんだ。新しいものを作ることはもちろん、修理するというのは意外と大変なんだ。古いものだと、もう製作方法が残っていないものもあるからね。どうしてもわからないときは、そこのアンベールがいる魔法構築解析室で調べてもらってから直したりもするね」
リアーヌは慣れた様子で生徒たちに説明をする。若く美人で優秀な彼女は、その明瞭な話し方も相まって、こう言った説明会のようなことをよく任されているのだ。
ちなみに、フィリドールと言う名からお察しの通り、シャルロット・エメ・フィリドール女公爵の子孫でもある。曾孫だ。世が世なら、大貴族のお嬢様だったのである。
リアーヌが実際に魔法道具を作る工程などを見せてくれ、生徒たちには結構好評だった。あしらい慣れているな、とキトリは感心していた。
ちなみに新人研究員アンベールは自分も生徒たちに交じってリアーヌの説明をうんうんうなずきながら聞いていた。その様子が微笑ましくて、キトリはおっとり笑った。
リアーヌの魔法工学研究室の次は少し話にも出た、アンベールが所属する魔法構築解析室だ。ここには、キトリの弟ロジェも次長として配属されている。
室長は四十歳前後のいかにも研究者、と言った風情の男性だ。研究内容がもともと難しいので生徒たちはぽかんとしていたが、要するに魔法陣や呪文、古い魔法や魔法道具を解析し、より使いやすくするのが仕事だ、とキトリが言うと何となく理解してくれたようだった。
さらに魔法医薬学研究室や魔法臨床実験室、魔法科学融合研究室、魔法史学研究室、魔法原理解明研究室、古代魔法復元検討室など、何となくやりたいことはわかるが見てもそれほど楽しくない研究室を見て回った。魔法臨床実験室と魔法科学融合研究室は、行う魔法実験によっては派手で面白いのだが、外部見学者がいるのにそんな危険なことはできず、微妙の範囲にとどまっていた。
ぐるっと研究所を一周し、最後にたどり着いたのは応用魔法研究室である。こちらでも、生徒たちに衝撃が走った。
「応用魔法研究室長のアレクシ・リエーヴルと言う。しばらくよろしく」
そっけないほどの挨拶だったが、生徒たちはそれを気にするどころではなかった。リアーヌの時と同じく「美人!」と声が上がる。さらに「ハンサム」「若い」と続く。確かに、二十歳で室長のアレクシは若い。
「応用魔法研究室は、その名の通り魔法を応用することを目標として研究している。通常の魔法を日常生活に役立てられないか、とかな。その設計図ができれば、魔法工学研究室で試作してもらう」
ほかにも、新しい魔法なども開発している。研究所の中では最も華やかな研究室であるのは確かだ。
「最近では、まあ、よいことではないが、魔法の軍事転用についての研究が盛んだな」
アレクシの説明に、生徒たちは「ふうん」とうなずく。リアーヌの時と同じで、説明者が美人だと言うだけで子供たちは話を聞いてくれるので得である。
少し魔法研究の結果を見せてもらい、本日の見学は終了だ。良いくらいの時間なのではないだろうか。午前中いっぱいを見学に費やした感じだ。
「みんな、どうだったかしら。質問はある?」
キトリが尋ねると、はーい、といくつか手が上がる。生徒たちから投げられる可愛らしい質問に、キトリはたまにアンベールに振りながら答えていく。
「キトリさんはどんな研究をしているんですか」
そんな質問が飛んできて、キトリは何と答えたものかと首をかしげた。
「専門、と言う意味なら、魔法理論になるんだけど、最近は魔法応用戦術論が多いかしらねぇ」
いつも通りおっとりとした調子だったので、聞き逃されたかもしれない。しかも、ちょうど所長のブレーズがやってきたところだった。
「こんにちは。挨拶が遅くなって申し訳ない。魔法研究所長のブレーズ・フィリドールだ」
微笑みを浮かべたブレーズがやってきたので、所長にも話しを聞いてみようか、とさりげなく押し付けようとしたキトリであるが、口を開くことはできなかった。後ろから腕をつかまれ、首元に短剣が突きつけられたからだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本日はもう一話。