【19】
フィヨンでの仕事が終わり、レオミュールに帰還することになった。エリーズがキトリの前でごねていた。
「別れたくありません、大佐。大佐が来られないなら、私が一緒に行きます」
「駄目よ。首都での仕事が残っているでしょう。少佐、ちゃんと連れて帰ってね」
「私としても、あなたを一緒に連れて帰りたいのですが」
ジュールにも言われ、キトリは困惑気味に微笑んだ。連れて行きたいも何も、彼女に出ている辞令がレオミュール魔法研究所への出向である以上、彼らが独断で連れて行くことは出来ない。さらに、エリーズも独断でついてくることはできない。この辺りは、フィリドール女公爵が定めた『鉄の掟』があるのだ。
「二人とも……あまり、困らせないで」
キトリの言葉に、エリーズが沈んだ表情になる。しかし、キトリが彼女の頭を撫でると、現金なもので顔をあげて笑みを浮かべた。
「私たちはまた大佐の元で働ける時を待っています。忘れないでください」
エリーズが名残惜しそうにキトリを見送った。アレクシは彼女の分の荷物も持ちながら、別れがすむのを待っている。
「少年」
「アレクシです」
反射的に言い返しながら、アレクシはジュールを見た。彼は割と素直に「アレクだな」とうなずく。愛称だが、まあいいか。
「なかなかお目が高いが、大佐は倍率が高いぞ」
「……」
アレクシはジュールを睨む。彼はにやりと笑うだけだ。彼も、彼女に気があるのだろうか。
「アレク、帰ろう」
駅まで向かうための辻馬車が到着し、キトリがアレクシを呼ぶ。彼女は部下二人に手を振り、「中将によろしくね」と言い置いた。
辻馬車が動き出したのを確認し、アレクシは隣のキトリの方へ首を傾ける。
「……いいのか。エリーズ、寂しそうだが」
「ちょっとかわいそうな気はするけど、命令だからこればかりはね」
キトリも出向して一年近くが経つ。となれば、再び戦場に戻ることもあるのだろうか。今回の彼女の指図ぶりを見ていると、良い指揮官だったのだろうと思わせられた。
彼女がいなくなると思うと、寂しい。エリーズも、こんな気持ちなのだろうか。
「どうしたの?」
キトリが首をかしげる。アレクシは首を左右に振った。
「いや、なんでもない」
キトリはそう? と反対側に首を傾けると、そのまま目を閉じた。眠るつもりのようだ。このゆれる馬車の中で、みんなよく寝られるな。
馬車のあとは鉄道。一日半揺られることになる。馬車に比べればましだが、狭い車内に缶詰めなので少し息苦しい。そう言うと。
「いつも研究室に缶詰めじゃない」
と、キトリは面白そうに笑うのだ。ちなみに、寝室を兼ねる客室はさすがに別だった。キトリなどは「一緒でもいいわよ~」と笑っていたが、そうもいかない。持ち前の性格と軍隊で鍛えられた感性は時々とんでもない発言を彼女にさせる。
だが、日中はキトリの客室で一緒にいた。お茶を飲みつつ、気になっていたことを聞く。
「結局、ヴィルパン博士は誰に殺されたんだ? 海軍?」
「そうね」
キトリがうなずいた。まあ、あの状況、エドガール・ド・ヴィルパンが殺されてすぐに海軍がやってきたことを考えると、海軍が犯人だとしか思えない。
「でも、手を下したのは別の人かもね。少なくとも、私の情報を海軍に漏らした人がいるわ。あのホテルの中でね」
「ああ……」
そう言えばそうだ。キトリは、海軍に自分の正体を隠していた。彼女は潜入活動用の偽名も持っているが、それは使っていなかった。たぶん、情報の流れを見たかったのだろう。
「いいのか、放っておいて」
「構わないわ。突き詰めている時間もないし、害になるなら監査官様が何とかしてくれるもの。それが彼の仕事だわ」
さくっと縦割りな発言をした。まあ、彼女が首を突っ込むことではないのは確かだ。
「まだ聞いていいか?」
新しい紅茶が届き、ミルクを入れてスプーンでかき混ぜているキトリは「いいわよ」とうなずく。ミルクを入れても彼女は息を吹きかけて冷ましていた。
「死因を聞いたか?」
「ええ。心筋梗塞だそうね」
聞いているのは当たり前だ。アレクシも聞いているからだ。彼女の部下ジュールとエリーズはそれなりに仲良くしてくれて、こっそり教えてくれたのだ。
「なら、病死……なわけないよな。タイミングが良すぎる」
「そうね」
海軍が突入してきたタイミングを考えると、やっぱり病死はありえない。
「心筋梗塞って、難しいのよね……今の魔法医学では、薬による発作なのか、魔法によって血管が詰まったのか、わからないのよ」
「……だが、あの海軍士官は『自分から毒を飲んで』と言っていた」
ちょっと言葉が違うかもしれないが、ニュアンス的には一緒だ。彼は自死として片づけようとしていた。
「……法医学者を連れてくれば?」
「海軍の関与が明らかなのに、わざわざ司法解剖は無いわ。するのは不審死だけよ」
キトリの言葉に、確かに、となるアレクシだ。そもそも、検死ができる医師は多くない。
「真相は闇の中、と言うわけか……キトリの考えはどうなんだ?」
尋ねると、キトリは上目づかいにアレクシを見た。
「……私の推察でいいのかしら」
「ああ」
うなずくと、キトリは言った。
「たぶん、心筋梗塞を引き起こす薬を飲んだのだと思う」
「……それは、海軍が?」
「そこも微妙なのよね……誰かが飲ませたのかもしれないし、わかってて飲んだのかもしれない。ただ、魔法の可能性はかなり低いのではないかしら。ピンポイントで血管を詰まらせるのは、かなり距離が近くないと難しいわ。人体の構造は複雑だもの。でも、博士が亡くなった時、周囲に該当しそうな魔法を持つ人はいなかったわ」
「……いつの間に調べたんだ?」
「私じゃないわ。セザールさんよ。あなたに誰がいたか、聞いたでしょ?」
「あ、ああ……」
そう言えば、後からヴィルパン博士が倒れた時に周囲にいた人を聞かれた。その時に調べたのか。
「キトリ。あなたが迷う理由はなんだ?」
判断をためらう理由はなんなのだろう。そう思って尋ねると、キトリは目を細めた。
「ねえ、アレク。どうして博士は、フィヨンの街で自分で学会なんて開こうと思ったのかしら」
「は? いや……自己研究会は研究者の憧れではあるが」
確かに、自分で学会を開くとお金がかかるため、よほどの金持ちしかしない。たいていの者は、首都で開かれる公式な学会に参加するものだ。
「私はね、アレク。彼は、フィヨンに外部者を多く集めたかったんじゃないかと思うの。ヴィルパン博士は高名な研究者で、その研究はみんなが注目している。各地の魔法研究所に声をかければ、一人くらい、軍事関係者がいるかもしれないわ」
「……キトリみたいな」
「私みたいな」
魔術師は兵役が免除されているが、準軍人でもある。そのため、軍事関係者は結構いたりもする。レオミュール魔法研究所にも、キトリ以外に何人かいるはずだ。
「多くの人間、しかも魔術師が集まったことでほころびが生じたのだわ。だから、人身売買のことが明るみに出たんじゃないかしら」
「……ヴィルパン博士は応用魔法の中でも、生物系の内容を得意としていたな」
人身売買を持ちかけられていたとしても、不思議ではない。そして、ヴィルパン博士が一般的な倫理観と正義感を持っていれば、それに眉をひそめることだろう。
「……もしかしたら、自分の命を懸けてフィヨンの街を救った、かもしれないということか……」
アレクシとキトリの、ただの想像だ。真実は違うのかもしれない。だが、真実を知っている人物は、すでにこの世にはいない。
二人の想像が正しいとしたら、何と悲しく、強い決意だったのだろうか。
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