【16】
昼過ぎの街中は、まだにぎわっていた。天気も良く、風が凪いで波も穏やかだ。
「さて。どこへ行こうか」
まさか巡洋艦に乗り込むわけにもいかないので、アレクシは尋ねた。キトリも少し考える。
「……そうね。とりあえず、港へ行ってみましょうか」
そう言えば、せっかく港町に来たのに、港を見ていなかった。巡洋艦に近づきすぎなければ大丈夫だろう。
二人は港の方へ歩いて行き、寄港している船を眺めた。見上げるほどの大きな船である。
「アレクは船に乗ったことはある?」
「客船なら昔乗ったことがあるが……」
本当に昔だ。まだ、彼が十歳かそこらくらいの頃。キトリが「へえ」と微笑む。
「うらやましいわねぇ。私は軍艦には乗ったことがあるけど、客船にはないわ」
むしろ軍艦に乗ったことがあると言う方が珍しい気がする。キトリも乗っただけで、海に出たことは無いらしい。
思えば、彼女がこうして軍での生活を話してくれるようになったのは最近の話だ。もちろん、機密事項も多く、話せないこともある。それでも、ぽつぽつと話せるようになったのは、やはり彼女の心が落ち着いてきたからだろうか。
アレクシがキトリと初めて会ったのは約一年前、彼女が出向と言う形で軍を離れレオミュール魔法研究所に来た時だった。あの時の彼女は憔悴していて、こんなふうに明るく話をしてくれることもなかった。
「そこの二人!」
呼び止められ、アレクシとキトリは振り返った。海軍の軍服を着た男性がずかずかと近づいてくる。アレクシはとっさにかばうようにキトリの前に出た。
「陸軍のキトリ・シャルロワ大佐とお見受けする。お話をお伺いしたい。ご同行願います」
階級章を見ると、少佐くらいだろうか。キトリがアレクシを押しのけて言った。
「いかにも私は陸軍大佐キトリ・シャルロワだが、私は出向先の魔法研究所の一員としてこの街に来ている。お前たちに言い訳しなければならないことなど何一つない。そもそも、階級が低いものから名乗るのが筋だ」
いつものふんわりした口調ではない。しかし、どこかおっとりした雰囲気を漂わせていた。
「……海軍第二艦隊航海助手のリュック・チボー少佐です。ご同行願えますか」
おそらく、少佐の方がキトリより年上だろう。しばらく真顔でチボー少佐を見ていたキトリだが、彼女は不意に笑った。
「巡洋艦に乗れというのか。許可もないのに、さすがの私でもそれは越権行為になるから遠慮したいところだな」
一応、相手を立てる形での断り文句だ。だが、少佐はじれて無理やり連れて行こうとする。
「いいから……!」
大佐!
女性の声が聞こえた。気のせいか、と思ったが、キトリもはっとした様子だったので気のせいではないのだろう。あたりを見渡したキトリだが、すぐに彼女の周囲で魔法が展開された。絶対防御の魔法だ。半自立型魔法である絶対防御は、魔法の主を狙った魔法攻撃をすべてはねかえした。煙がもうもうと上がる。さらに、どす、がこ、と言う何かで殴っているような音が聞こえた。
煙が晴れる。そこに立っていたのはチボー少佐ではなく、金髪の小柄な美少女だった。
「大佐!」
少女はキトリを認めると彼女に抱き着く。キトリはよろめいたが、何とか少女を受け止めた。
「久しぶり、エリーズ。助かったわ」
「はい!」
きらきらと美しい顔を輝かせ、少女は言った。着ているのはスラックスにシャツと言うキトリと大差ない恰好であるが、キトリを「大佐」と呼ぶのなら軍人なのだろう。
「……誰ですか」
少女がいぶかしげにアレクシを眺める。ぶしつけに見過ぎただろうか。
「今の同僚のアレクシよ。アレク、元部下のエリーズ・フェーヘレン准尉」
「まだ部下のつもりなのですが」
エリーズが唇をとがらせて言った。ひとまず、「よろしく」とあいさつをする。
「それにしても、あなたは任務? 確かに監査官が来ているみたいだけれど」
「はい。任じられてきました。大佐の指揮下に入るように言われているのですが……?」
エリーズが不思議そうにキトリを見上げた。アレクシもキトリを見る。彼女の目がすっと細められた。
「私は何も聞いていないのだけど……そう。相変わらず、食えないお人だわ」
はあ、と彼女はため息をつき、頬に手を当てて首をかしげた。
「所長も一枚かんでるわねぇ……ねえ、エリーズ。今日は誰と来たの?」
「ポワレ隊長です」
「……二人なのね……」
女性軍人二人の会話に、アレクシはついて行けない。とりあえず、キトリが指揮を執るつもりがあることはわかった。
「ひとまず、セザールさんのところへ行きましょうか。アレクシも一緒に来る?」
「……ああ」
襲われるキトリと一緒にいたのだ。ここで別れても、アレクシが危険だ。
「……いいんですか? 大佐、民間人を巻き込むのは嫌がるのに」
「魔術師は準軍人よ。それに、一人にしておくほうが危ないわ」
「大佐よりは無事にいられると思います」
「……」
キトリがすねたようにエリーズを睨んだ。まあ、確かにアレクシもキトリよりは無事でいられるだろうなと思う。この子はキトリの護衛でもあるようだ。
三人でセザールの屋敷に向かう。港の方は騒がしいが、街中は至って平穏だった。
「おや、こんにちは、大佐」
自ら出迎えてくれたセザールは、「大変だったようですねぇ」と何を指しているかわからないことをねぎらった。
「ひとまず中へどうぞ?」
と、屋敷の中へ招き入れられる。それから、セザールはエリーズを見た。
「彼女が有名な少女兵か。大佐と言い、彼女と言い、美しい女性が軍人をしているなんて、世も末だなあ」
しみじみと言うセザールに、エリーズが顔をしかめた。
「大佐。この失礼な方はどなたです」
「セザール・ボーマルシェさん。軍の監査方のお偉いさんだから、失礼のないようにね」
本当か? と不振感丸出しだが、エリーズはひとまずキトリの言うことをきいた。失礼しました、と小さな声で言う。
「……気づいているとは思ったが、本当に気づいていたとは。参考までに、どのあたりで気づいたか聞いても?」
セザールがキトリに尋ねた。キトリはいつも通り小首をかしげて微笑む。
「というか、初めから正体を隠す気なんてありませんでしたよね? 私を『大佐』と呼ぶのは、たいてい軍事関係者です。それに、一年ほど前からこの街で暮らしていて、よそ者だけどなじんでいる。商人っていうのは情報を得るのによい肩書きですよね。物事をよく知っているけれど、自分のことを話したがらない。それに、あなたは私が海戦指揮を執ったことがあると知っていました。あれを知っているのは、当事者と私が話した人、それかそれを『知る必要がある人』だけに限られます」
応接間にたどり着くまでに、キトリはそれだけの推察を述べた。
「なので、ほぼあてずっぽうに近いですね。けれど、軍事関係者だろうなぁというのは確実に思っていました。それと、私より階級が高いですよね?」
「一応、少将待遇だ。おおむねあなたの言うとおりだな。この街へは、監査官として着任した」
「エドメはその時に拾ったんですか?」
アレクシが思わず尋ねると、セザールは「まあな」と笑った。
「家族に知られたくないってことで、私のところに来たそうだ。街のことを教えてくれるんで、重宝した。気も効くしな」
「……」
軍人と言うのは、合理主義者ばかりなのだろうか。いや、情がないとは言わないが。
「さて、大佐。海軍に狙われているようだな」
「御耳が早いですね。首謀者は誰でしょう。私を消そうなんて、短絡的な……」
わかっていたが、キトリ、結構いうことがきつい。
「彼らはあなたを始末した後、この街も襲うつもりだ。海賊にでもやられたことにするんだろう」
「……確かな情報でしょうか」
「監査官の情報網を甘く見るな」
「失礼しました……では、私は死ぬわけにはいきませんね」
「ああ、その通りだ」
「セザールさんが指揮をとられますか?」
「いやあ、私はただの監査官だ。やってやれないこともないが、本分ではない」
にやっとわらい、セザールは意味ありげにキトリを見た。キトリはその視線をはねかえすようにセザールを見つめ返した。
「……では、私に少将の兵をお貸しください。私が指揮を執りますので」
きっぱりと、キトリはそう言い切った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これってこんな話だっただろうか……。