【15】
アレクの言葉を聞いたキトリは、一秒ほど考えるそぶりを見せた後、さらに人ごみをかき分けて空間が開いた中心部へ出る。アレクシはあわてて彼女の後を追った。
「お、お客様?」
キトリはヴィルパンの側に膝をついていた。せっかくのドレスが汚れることもいとわず、ヴィルパンの脈と呼吸、瞳孔を確認し、それから手の爪や口の中などを調べ始めた。
「な、何してるんですか?」
ホテルの従業員が不思議そうにキトリに尋ねる。彼女は眉をひそめた。
「毒物ではなさそうね……」
ほかにも彼女はあれこれと調べていくが、声をかけていいのかわからなかった。彼が飲んでいたグラスを確認し、中身を確かめている。
アレクシはどうすればいいのかわからず、とりあえず状況を記憶することにした。その時、アレクシは強い力で押しのけられた。思わずよろめく。
「お前、何をしている!」
アレクシを押しのけた物体がキトリの腕をつかんで放り出した。アレクシはあわててキトリを受け止める。一応軍人だから受け身を取れたかもしれないが、キトリの反射神経の鈍さを考えると、無理だったかもしれない。
「現場を荒らすな!」
海軍の軍人だった。これ見よがしに軍服を着ている。面が割れている可能性があるキトリは、アレクシに抱きしめられたまま人々に紛れようと彼を押す。そんな彼女に、アレクシは囁いた。
「あの軍人、親子に乱暴をしていたやつだ」
途端にキトリの雰囲気が変わった。可愛らしく言えばむっとした、正当に評価するなら周囲の気温が数度下がった。
「ふん、毒を飲んで自殺か。彼の遺体は海軍で預かる」
「え、いや、しかし……町の規定では、ご遺体は一度教会へ預けることに……」
ホテルの支配人らしき男性が、至極まっとうな主張をした。この国ではほとんどの街で彼の言うような方法を取っている。だが、軍人は逆ギレした。
「海軍中佐たる私の言うことが聞けないというのか!」
怒鳴り声に、客も従業員もすくみ上る。腹が立ったアレクシはキトリから手を放して乗り込もうとしたのだが、キトリに腕をつかまれて止められた。代わりに彼女がホテルの支配人にアイコンタクトを取ろうとしている。彼女に精神干渉系魔法は無いはずだが。
「……」
支配人が気づいた。キトリが小さく首を左右に振ると、この支配人は聡いようでこの海軍中佐の言葉を呑むことにした。
「わかり、ました」
「はじめからそう言っておけばいいものを」
ふん、とばかりに海軍中佐が鼻を鳴らす。部下を呼ぶとヴィルパンの遺体をホテルから運び出した。軍警察なら必ずやるであろう、関係者への聞き取りもなかった。どうやら、毒を飲んでの自殺で片づけるらしい。
「誰が海軍を呼んだのですか?」
キトリが支配人に尋ねている。従業員も、客たちも誰もわからないようだった。キトリが口元に拳を当てて考える仕草を取る。というか、アレクシの隣からいなくなっていることに気付かなかった。あわてて彼女に近寄る。
支配人の指示によってお客さんたちが部屋に戻っていく。ごねる客もいたが、おおむね理解を得られたようだ。そんな中キトリとアレクシは、支配人に連れられて奥のスタッフルームに入る。
「お客様にこういうことを尋ねるのはどうかとは思うのですが、お二人は何者ですか。魔法研究所の魔術師だとはうかがっていますが」
アレクシの身分としてはそれ以上のことは無い。しかし、キトリは違う。彼女はドレスの上に羽織ったボレロから身分証を取り出した。
「一応……陸軍に所属しています」
「……」
身分証は階級が上がるたびに更新される。キトリの写真と、その階級を見て支配人が本人と見比べた。まあ、気持ちはわかる。キトリのほんわかした雰囲気と陸軍大佐、という身分が釣り合って見えないのだ。
「……私は長年このホテルに勤めておりますが、陸軍の軍人の方にお会いしたのは初めてです」
「そうだと思います。海の近くは、どうしても海軍の勢力が強くなりますから」
別に区間を分けられているわけではないが、海の近くは海軍がのさばるし、内陸では陸軍が活躍する。
同じ軍人であるが、陸軍は海軍と仲が悪いことを知っているのだろう。支配人はキトリに尋ねた。
「もしかして、海軍の不正を暴きに?」
「あ、いえ。それとは別件で。今は魔法研究所に出向中ですので」
正直に答えるキトリである。おっとりと微笑むキトリに、支配人は「あ、無理だな」と思ったことだろう。彼女がヴィルパンの死に真っ先に動いたのは見ていただろうが、その姿と今ののんびりとした姿が一致しないのだ。
一応軍人と言うことで、口を挟んだことはおとがめなしで解放された。アレクシはキトリに尋ねる。
「海軍は何をしたいんだ? ヴィルパンを殺したのは海軍か?」
「さすがに鋭いわね」
キトリは目を細めて微笑むと顔を正面に向けた。
「海軍が何をしたいのかは、正直、良くわからないわ。けれど、ヴィルパン博士が何かしらつかんでいたのは事……実……」
「どうした?」
だんだん声が消え行ったキトリに、アレクシは首をかしげた。
「ねえ、アレク。どうして今まで、フィヨンには誰も手出ししなかったのかしら」
「……海軍がのさばってるのに、誰もテコ入れしなかったということか?」
「そんな俗な言葉、どこで覚えてくるのかしらね……」
魔法研究所にいれば、自然と聞こえてくる。キトリの場合は軍にいたので、もっとひどい罵詈雑言を知っていそうだ。
「でもまあ、そう言うことね。貿易港があるから、人の出入りは多いけど、長期間居座る人がいなかったから気づかなかったのかしら」
「……いや。認識阻害だ。俺たちは精神干渉魔法が効かないから気づかなかったが……」
「街を出入りする人に魔法をかけて回っているということ? 確かに、それなら現状の説明もつくけど、現実的ではないわ」
キトリの冷静な指摘に、アレクシは首を左右に振った。
「違う。認識阻害の魔法をかけているのは海軍の軍人たちにだ。軍人たちを知っている街の人たちは彼らを認識できるが、外から来た人たちはうまく認識できないんじゃないか?」
「……そうね。確かに、その方が確実で、手間が少ない」
出入りする人間は不特定多数だ。それなら、きっちり身元が分かり、人数も申告されている軍人に魔法をかけたほうが早い。キトリも納得し、アレクシを見上げてにっこりする。
「やっぱり頭がいいわね、アレク」
視点が違うわ、と感心するキトリだが、アレクシは肩をすくめた。
「キトリに言われてもな……あなたの方が聡明だろう」
「うーん……私のは、どうなのかしらねぇ」
アレクシも自分の頭脳に懐疑的だが、キトリも同様だった。学べば学ぶほど、知識が偏っているような気がしてくるのだ。
「うーん……ちょっと外に出てみようか。巻き込まれるならホテル内より外の方がいいわ」
「巻き込まれる前提なんだな……」
まあ、アレクシも騒動があるなら巻き込まれるだろうな、とは思う。何しろ、キトリが堂々と検死をしていたし、彼女の素性がばれるのも時間の問題だ。何度も言うが、海軍と陸軍は仲が悪いのである。
特にキトリがドレス姿なので、いったん着替えに行く。アレクシも普段着に着替えてリアーヌに持たされた銃を装備した。念のため。護身用だ。
部屋の外でドアに寄りかかって待っていると、それほど待たずにキトリが出てきた。ベージュのコートを羽織っており、できる女風であるが彼女のおっとりした雰囲気と乖離している。似合わないわけではないのだが。
「お待たせ。行きましょう」
にっこりと笑って言われ、アレクシはうなずいた。
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