【14】
エドガール・ド・ヴィルパンの研究発表を聞いた。なかなか有意義だった。魔法式を無機物ではなく有機物に組み込むための研究だった。これが成功すれば、不治の病と言われる病気すら治るかもしれない。
期待に沸いた会場で、アレクシももれなくその一人だったが、キトリは浮かない表情だったので、理由を聞いてみた。
「軍事転用ができるからよ。あなたの魔法式複合運用なんかもそうだけどね」
簡潔な答えだった。どう転用できるのかがよくわからないので、尋ねてみた。
「たとえば、魔法で強化した人間とかね。今でも肉体強化の魔法を使う魔術師はいるけれど、そうではなくて、無理やり力を引き出して、動けなくなっても体を動かし続ける。そんな類のものね」
「麻薬、のようなものか」
「そうね。もちろん、失った腕を再生できるかもしれないとか、利点も多いわ。けれど、そう言った技術も軍事に転用してしまうのが人間だものねぇ」
キトリがため息をついた。さらっと出てくる言葉は恐ろしかったりするが、彼女の人格の底にあるのは、やはり善良なものなのだろう。ただ、彼女はそれを無視した考え方ができ、それを口にすることができるから、『いまだに一度も負けたことがない』のだ。
父辺りが喜んで研究しそうだ、とアレクシもため息をつく。自分の研究が軍事転用できるのは、何となく理解できる。人間、キトリの言うとおりなんでも軍事転用するようだ。
キトリに至ってはそもそも、書いている論文が魔法戦術論である。完全に軍事用だった。
外に食事に出ようと、キトリとアレクシは連れだってホテルのロビーに降りてきていた。レオミュール魔法研究所から来たのが二人だけなので、必然的に一緒にいることが多い。そのことが、ちょっと珍しくてアレクシにはうれしい。
何を食べようか、などと話をしていると、突然、アレクシの目に父の姿が写りこんだ。
「あら。あなたのお父様ね」
のんびりとキトリはつぶやいた。その声に気付いたわけではないだろうに、兄のエヴラールがこちらに気付いた。
「アレク、キトリさん。お会いできてよかった」
エヴラールが微笑む。キトリが一緒なので、よそ行きの口調である。アレクシは一瞬で目が死んだ自覚があった。
「こんばんは、エヴラールさん。どこかへ行くんですか?」
「行くというか……首都へ帰るんです」
おっとりと首を傾げたキトリは、「それは残念です」とやはりおっとりと言った。
「忙しいんですね」
「え、ええ……それほどでも、ないですが」
ひょっとしたら秘書的立場のエヴラールは父よりも忙しいかもしれないが、顔がゆるんでいる。見た目おっとり癒し系なキトリにかなり気があるようだった。兄弟そろってとか、いたたまれない。
「これはシャルロワ大佐。こんばんは。倅と仲良くしていただいているようで、感謝いたします」
父セルジュも寄ってきた。まあ、エヴラールもいるし、キトリもいるから来るとは思ったが。
「こんばんは。首都へ帰られるそうですね。残念です」
「ええ。急な案件が入りまして。アレク、大佐に迷惑をかけるなよ」
「……わかってる」
アレクシは顔をしかめて言った。キトリは「私がかけるかもしれないわね?」と笑っている。
「それでは大佐。失礼する」
「ええ。道中お気をつけて」
軍服ではないのでキトリはスカートをつまんで礼を取った。父の鞄を持ったエヴラールが一瞬見惚れるが、呼ばれてあわてて父について行った。
「……まさか遭遇するとは」
「気恥ずかしいのかしら?」
ふふっと笑ってキトリが言った。並んでホテルを出たアレクシは、顔をしかめる。
「反抗期ねぇ」
「……少し、面倒くさいだけだ」
政治家の父に、それに倣う兄。家の中は、どうにも息がしづらかった。
「家族と言うのも面倒くさいわよね。私も、時々ロジェがうっとおしいこと、あるもの」
「そうなのか!?」
ロジェが知ったら憤死しそうだ。彼は否定できないレベルでシスコンなのである。
「でもやっぱり、可愛いと思うのよね。家族だもの」
「……」
あのロジェを可愛いと言えるあたり、キトリはさすがである。端正な顔をゆがませたアレクシに、キトリは微笑む。
「喧嘩ができるのも、生きているからこそよ」
「……」
キトリの言葉の重みに、アレクシは黙り込んだ。重苦しい空気を醸し出すアレクシだが、キトリはいつも通りにおっとりと笑って彼の手を引いた。
「急にこんなことを言ってごめんなさい。老婆心よ……おなかがすいたわね。どこに入りましょうか」
しれっと何事もなかったように言うキトリが恨めしい。こんな態度なのに、何故自分は彼女が好きなのだろうと少し戸惑うアレクシだった。
△
今度は昼間、ホテルの中庭でガーデンパーティーが開かれた。これはヴィルパンの主催ではなく、ホテル側のイベントである。キトリは、前日に入手した昼用のドレスを着ている。念のため、夜会用と二着買ったのだ。店員に言われなければ、アレクシもキトリも気づかなかっただろうが。
濃い青のドレスが良く似合っている。落ち着いたシンプルなデザインのドレスだが、実際に着たキトリは「衣装に負けてるわね」と真顔で言っていた。いつもすっぴんの彼女も、さすがに化粧をしていた。
「結構参加者がいるんだな」
「そうね。みんなノリがいいわねぇ」
おっとりとキトリが言う。昼間なので、彼女はジュースを飲んでいた。と言うか、この出張では彼女は酒が苦手なアレクシに合わせてジュースやお茶を飲んでいることが多かった。
全員が知り合い、と言うこともないだろうに、集まれば楽しげに会話をするお客さんたちである。たまにホテルの従業員も巻き込まれている。その中にエドガール・ド・ヴィルパンの姿を見つけて、アレクシはつぶやく。
「明日の討論会で最後か」
「そう思うと、ちょっとさみしい気もするわね」
そんなことを言うキトリを、思わず見つめてしまった。目の合った彼女は、アレクシを見上げて微笑む。アレクシもつられて笑った。料理を取りに行こうと足を踏み出した二人だが、二歩もあるかないうちにキトリが足を止めた。
「どうした?」
「え、いや……今、何か感じた気がして……」
「殺気か?」
「私、殺気はわからないのだけど、魔法……?」
キトリさん、アレクシのボケに普通に返してくれた。すべってしまったアレクシだが、それをおくびにも出さずに言った。
「精神干渉魔法か?」
「それもわからないけど」
「……」
まあ、たとえ精神干渉魔法でも、アレクシやキトリには効かないので、いいだろう。そう思うことにした。
「精神干渉魔法と言えば、セザール様は暗示魔法を持っているみたいね」
「……そうなのか?」
アレクシに暗示魔法を含む精神干渉魔法は効かないが、代わりに彼もそれらの魔法を知覚できない。一方のキトリも精神干渉魔法が効かない。彼女の場合は少し特殊で、敵意にさらされた時『絶対防御』と呼ばれる魔法式が自動展開されるのだ。欠点も多いが、精神干渉魔法などははねかえしてくれる。
キトリも、魔法が知覚できるわけではない。彼女の場合は複数の状況から、セザールは暗示魔法を使っていると結論づけたわけだ。
「たぶん、初対面の時に私たちにもかけようとしたけれど、できなかったのね」
さらっとそんなことを言ってのけた。おそらく、身元を不審がらせないように認識阻害をかけているのだろう、と言うのがキトリの意見だ。それが効かないため、アレクシやキトリはセザールを不思議に思ったりすることができるわけだ。
「だから方針転換で、俺達に接触を試みたのか?」
アレクシが首をかしげると、キトリも「そうかもしれないわね」と微笑んだ。
不意に悲鳴が上がった。その騒ぎはどんどんと広まっていき、パーティー会場は混乱のるつぼと化した。アレクシはキトリと顔を見合わせる。
「キトリ……」
「……そうね。行ってみましょう」
慎重な行動を旨とするキトリに同意をもらい、アレクシは彼女とはぐれないように手をつなぎ、騒ぎの中心へ向かった。ホテルの従業員が「わかりますか!」と叫んでいるのが聞こえる。
「何?」
相変わらず人に埋もれているキトリに、アレクシが答えた。
「ヴィルパン博士が、倒れている。たぶん……」
仰向けに、心臓のあたりを押さえて……おそらく、すでに亡くなっていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
長いフィヨン編もそろそろ佳境。まだ続きますが。