【11】
二人が目を見合わせたのは一瞬だった。キトリは普段からは考えられない視線の鋭さで周囲を見渡し、アレクシは騒ぎの方へ向かっていった。注目を浴びているのは、キトリと同年代ほどの女性と、アレクシと同年代ほどの少女だった。
女性はまなじりを吊り上げて少女の首元を指さしている。少女のしているダイヤのネックレスだ。アレクシは少女のネックレスを見て、偽物だな、と判じた。よくできているが、ダイヤではなくガラスだ。
「あなた、私のものを取ったでしょう! 返しなさい!」
「い、いえ、わたしはそんなこと……」
少女が泣き出しそうな顔をしている。アレクシは顔をしかめて間に入ろうかとしたが、その前に肩をつかまれた。振り返るとキトリだった。彼女はそっと首を左右に振る。面倒だから口をはさむな、と言うことはないはずだ。少女がいたぶられているのを、放っておけるような彼女ではないはずだ。基本的にキトリは、年下に甘い。
ついに少女が泣きだした。アレクシはキトリを不自然でない程度に引き寄せ、ささやいた。
「どういうことだ?」
「すぐにわかるわ」
キトリはそう言って微笑む。何となく空気が白くなったところで、ぱん、と手をたたかれた。主催のヴィルパンだった。
「いや、空気を悪くしてしまって申し訳ない。しかし、気づいたのは三人だけでしたなぁ」
客たちはぽかんとしている。アレクシの隣でキトリが、「趣味が悪い」とつぶやいた。彼女はヴィルパンの言う『気づいた』うちの一人なのだろう。
「これは余興と言うか、パーティーと言えばお約束と言うか。このお二人は女優さんで、今旧貴族を題材とした舞台をしているんですよ。良ければ見に行ってください」
さらっと宣伝を混ぜて、ヴィルパンはまた引っ込んで言った。女優だと言う女性二人もニコリと笑って一礼。人々が散っていく。アレクシはキトリに尋ねた。
「……結局?」
「……あの二人に修羅場を演じさせて、参加者たちの様子をうかがっていたのよ。うかつだったわ……私も要注意人物に入っちゃったかしら」
キトリがおっとりと首をかしげる。おっとりしているが、やはりよく先が見えている人だと思う。ヴィルパンが食えない人物だとアレクシも思うが、彼女も食えない人だ。
「失礼。少しよろしいかな、お嬢さん」
話しかけてきたのは三十代前半ほどの男性だった。話しかけられたキトリは目をしばたたかせる。
「私ですか?」
「ええ、あなただ」
栗毛のその男性はキトリとアレクシに微笑みかけた。
「私はセザール・ボーマルシェと言う。鑑定士のようなことをしている。どうぞお見知りおきを」
「キトリ・シャルロワです。彼はアレクシ・リエーヴル。レオミュール魔法研究所から来ました」
キトリが簡単に自己紹介する。アレクシも紹介に合わせて一礼する。セザール氏は「ほお」と面白そうな表情をする。
「リエーヴル議員の息子さんに、フィリドール女公爵の再来シャルロワ大佐か。これは、なるほど。納得だ」
キトリとアレクシは顔を見合わせた。セザール氏は近づいてきた給仕から酒を受け取ると、ニヤッと笑った。
「先ほどのヴィルパン博士の言っていた『気づいた』うちの一人だろう、あなたは?」
「……」
アレクシは思わずキトリを見た。彼女は真顔だった。いつもふわふわ微笑んでいる彼女の鋭い表情と言うものを、今日はよく見る。
「……と言うことは、あなたも『気づいた』んでしょうか?」
「まあ、明らかに不自然だったからな。それに、一方の女性に見覚えがあったし」
セザール氏はこともなげに言った。つまり、彼は彼女らが女優だと気付いていたのだ。カンニングもいいところである。
「参考までに、大佐はどうして気づかれたのかな」
「……騒いでいるのに、警備が動きませんでしたから」
「ふうん……それで芝居だろうと?」
「細かく言えばまだありますが、聞きますか」
キトリはおっとりと言った。顔は真剣だが。ネックレスが偽物であったこと、年かさの方の女優が、役に入りすぎているがゆえに魔術師や名士ではありえないと気付いたこと、などがキトリが芝居に気付いた原因らしい。つまりは詰めが甘いと言うことだ。
「それに、あの少女ははじめはあのネックレスをしていませんでしたし、この場にいるのは不自然な若さでした。と言うか、あのネックレス、時のファルギエール王が王妃に送ったネックレスを元にしています。本物ではありえない」
キトリが穏やかな口調で語る。アレクシにも何となく納得できたが、小さな情報を積み重ねて答えを得るあたり、見事だ。
「で、アレクシ君はどうだった?」
セザール氏に話を振られて、アレクシはむっとしながら言った。
「……キトリに説明されるまで、気づきませんでした」
「そうか」
馬鹿にしている調子ではなかったが、アレクシは何となく面白くない。キトリに頭脳でかなうと思っていないが、人に言われると何となく腹が立つのだ。
「気に病むことはないわ。私は人を疑ってかかるのが仕事みたいなものだから。アレクのまっすぐな気性、私は好ましく思っているわ」
おっとりと微笑んでキトリは言った。アレクシは少し頬が熱くなるのを感じた。
「あ、ありがとう。俺も、キトリの穏やかな気性が好きだ」
「まあ。ありがとう」
思わずまくしたてた言葉に、キトリは思いのほか嬉しそうな返事をした。しかし、照れた様子はなくアレクシは自分だけか、と少しがっかりする。
「ほーぉ。少年、いい趣味してるな」
セザール氏がアレクシと肩を組んで言った。彼はそれを振り払いながら言う。
「アレクシです。何の話ですか」
「いやいや、見る目があると思うぜ。いい女だからな、彼女」
にやっと笑いながらセザール氏が言った。黙り込むアレクシに、キトリが「あら」と声を上げる。
「アレク、好きな人でもいるの?」
察しがいいのに微妙に鈍感なのはやめてほしい。そう言われて、アレクシははっきりと自分がキトリを意識していることに気付いた。セザール氏に言われるまでもなく、キトリは『いい女』だろう。美人だとか、そう言うことではなく、その在り方が。
「……まあ、いると言えばいる」
「そうなのね……弟を取られるみたいで、ちょっとショックだわ」
その言葉の方が、アレクシにはショックだ。落ち込んだのを察したセザール氏がアレクシの肩をたたいた。
「先生」
キトリの言うところの、『この場には似つかわしくない』若い声が聞こえた。似つかわしくない、と言っても、あの少女は装いが派手でいかにも参加者、と言う感じなのに若かったから違和感があっただけで、今の声の少年は従者の恰好をしているので、それほど不自然ではない。
十代半ばと見える一般的な茶髪の少年だ。そんな少年を、キトリが真顔で眺めている。いつもほんわりと微笑んでいるキトリがこのような表情になるのは、何か考えている時だ。
「何か気になるのか?」
少年がセザール氏に話しかけている間に、アレクシはキトリに尋ねた。ささやかれたキトリは、アレクシを見上げて微笑む。
「ちょっとね。彼、アンヌの弟じゃないかしら」
そう言われて、アレクシは少年を凝視した。彼も写真を見たが、良くわからなかった。
「……どの辺がそう思うんだ?」
「……骨格かしら」
骨格。それはさすがにアレクシにはわからない。キトリがそう思うに至った理由も、それだけではなさそうであるが。
洗脳が効かない、と言う点でアレクシとキトリが送り込まれた時点でこの学会で何かがあるのだろうと思うが、すでにいろいろと巻き込まれていてどこに注意すべきかよくわからないアレクシであった。
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