恋愛祈願
2014/8/29投稿
「先輩! 受け取ってください!」
ずっと待っていたのに。
練習が終わって部室に帰る彼に、彼女は私の目前で、そう叫んだ。
快活そうな可愛い女の子だった。戸惑いながらも差し出されたチョコレートを見つめる彼の姿をみて、私、青田さおりは逃げるようにその場を去った。
渡せなかった、チョコレート。
泣きながら自分で食べたその味は、ほろ苦かった。
「恋を叶えてくれる神様なのよ」と、誰が言い出したのだろうか。
学校の近くにある、宮司もいない祠のような神社は、クラスメイトの女子の間で大ブームが起きていた。どんな神様を祀っているかは誰もよく知らないけれど、『思いが叶った』と数人の女子が証言しているのだ。
ちょうどバレンタインの頃からだと思う。『告白』する前に、この神社にお参りしたら両想いになれたらしい。
そんなにご利益があるなら、もっと早く教えて欲しかった。
玉砕してふられたわけじゃないけれど。
そう。ふられたわけじゃないからこそ、諦めきれずにいる。
彼――梅野誠は、高校一年のときのクラスメイトだ。現在は隣のクラスで、めったに話すことは出来なくなってしまったけれど、私は一年の頃から、ずっと彼に惹かれている。
陸上部で、スポーツマン。社交的で、二枚目な彼は、女子の間でも人気が高い。
彼女ができたという噂こそ、まだ聞かないものの。
あの日のことが忘れられない。
私と違って、華やかな女の子だった。彼女は一年生の中では一番の美少女だと聞く。
何の取り柄もない地味な私では、どうしようもないと思う。ただ一度、同じクラスになっただけで、取り立てて親しかったわけでもない。彼は優しかったけれど、それは私にだけ、というわけではなかった。私と彼をつなぐものは何もないことは私が一番よく知っている。
だから、早くこの想いを断ち切って、楽になりたがっている自分もいた。
それでも。
せめて、来年は同じクラスになれたらいいな。
そんなささやかな願いから、私は鳥居をくぐった。
狭い境内に、甘い梅の香りが漂う。短い石畳の参道の横に、大輪の梅が咲き誇っていた。
――梅野君と来年は同じクラスになれますように……。
賽銭を入れて、真剣に、それだけをひたすらに祈る。
大きな願いをかけるのは怖かった。
みんなの願いを叶えてくれる神様が、自分だけ置き去りにしてしまいそうな気がしていた。
「あれ? 青田じゃないか」
参拝をすませ、なんとなく咲き誇る梅の木を見上げていた私は不意に声をかけられて、逃げ出したくなるくらいびっくりした。
「う、梅野くん…」
学生服をラフに着くずしている。日に焼けた笑顔が眩しかった。
「何してるの?」
不意に、そう言われてどきりとする。
「あ、あの梅…の花が咲いていたの」
とっさに、そう答える。
「へぇー、こんなところに梅の花が咲いてたのかあ」
「そ、そうなの。き、きれいよね」
なんとなくどもりながら、私は答えた。
胸から心臓が飛び出しそうだった。彼が、私に声をかけてくれたことはもちろん、私の名前を覚えていてくれただけでもうれしかった。
「青田って、花が好きなんだ?」
どうやら彼は、私が梅の花に惹かれてここにいたと思ったらしい。
「う、うん」
否定することも変なので、私は頷いた。
「部活の時間、校舎から外見ているじゃん。あれ、花壇を見てるの?」
「――え?」
私は顔が真っ赤になるのを感じて、思わず下を向いた。
放課後。手芸部に所属している私は、たまに手を休めながらグランドを走る彼を見ていた。部活仲間の友人のほかは誰も知らないと思っていたのに……。
「皆で言ってたんだ。青田、何を見ているんだろうって」
のぞきこむように彼と目が合い、私は泣きたくなった。心に秘めていた秘密を暴かれた気持ちになる。
「ご、ごめんなさい……」かすれそうな声で、私は呟く。
「な、何で謝るんだ?」
彼はびっくりしたようだった。
「ごめんなさい」私は、もう一度そう言った。
「別に、見て悪いなんて言ってないぞ。何を見ていたのか興味があっただけで」
彼は怒ったようだった。それでも私は、何も言えず、体が震えた。
「なんだ。やっぱり、誰かを見ていたのか……」
がっかりしたような口調だった。
「花見じゃなくて、恋愛祈願、か。」彼は祠のほうに目をやった。クラスの女子があれだけ噂しているのだ。彼がこの神社のことを知っていてもおかしくはなかった。
「誰なんだよ、相手は」
どこか挑戦的な口調にびっくりして、顔を上げると、真剣な眼差しにぶつかった。
「オレじゃ、ダメか?」
「――え?」
私は何を言われたのか、わからなかった。話がどこかで間違っているのではないかと思った。
「だって。梅野君、付き合っているひとがいるでしょ」
「なんだよ、それ」
「私、見たもの……。告白されてたでしょ」
あの日、一歩踏み出すことをためらっている間に、目の前で起こった出来事。思い出しただけで、胸が苦しくなる。
「なんだ。あの時、あそこにいたの、やっぱり青田だったんだ」
彼は首を振った。
「告白されたからって、必ず付き合うとは限らないだろう?」
いらついたように彼は私から背を向けた。
「バレンタインに、一番好きな女の子と目が合ったと思ったのに、その子は気がついたらどこか行ってしまうし。変な誤解もされてるみたいだし、最悪だ」
「それって……?」
信じられない気持ちだった。
「嘘でしょ? 私のことなんて、名前も覚えてないと思ってた……。」
甘い梅の香りが私を包む。まるで魔法にかかったようだった。
「そんな訳ないだろ。オレ、ずっと好きだったんだから」
やけくそ気味に、彼は呟く。
「入学してからずっと、君だけを見ていた」
大きな彼の瞳の中に、震える私が映っていた。
涙が止まらなかった。
その涙に戸惑いながら彼は私をみつめている。答えを、待っているのだ。
「私は、私の片思いだと思っていたから……。」
こみあげる暖かな想いをどう伝えてよいかわからず、私は口を開いた。
「最後にせめて、来年は大好きな梅野君と一緒のクラスになれたらいいな、って。お祈りしたの」
その言葉に彼は微笑した。
「なんだよ、ずいぶん控えめだな。オレとしてはもっとガンガンきてほしいのに。」
ちょっぴり呆れたように、彼は社のほうを見た。
「この神社、サービス精神旺盛でよかったな。」
夢のような梅の香りに包まれて、私たちは笑った。