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辻堂家三代の罪、千代の恵

憐みのゆくえ2 母子像

掲載日:2017/10/17

 一九四五年三月十日、東京は、空からの鉄と油の大雨に打たれた。向島区南の押上から深川木場の一帯が全て焼き尽くされた。無論、東京大空襲の話である。


 私たち陸士六十期生は、三月下旬には朝霞の修武台に入学する予定だった。数週間ののちには、通称赤トンボと呼ばれた練習機による訓練のため、満州へ順次出発する。予定では、先発隊が東京駅から敦賀を経由して朝鮮へ海防艦で渡る。その後、続々と同じように朝鮮半島を経由して満州へいくことになる。

 しかし、三月十日の夜、早めに参集していた私達数人には、突然の事態が目の前に起きた。


 東京方面の上空に、周囲の星々を反射しながら、戦略爆撃機の大軍が押し寄せた。不敵にも低空で侵入して来たそれらは、銀色の機体を朝霞の空で翻しつつ、硫黄島まで戻って行く。

 この時、宿舎からみた南の上空は漆黒の闇。そのはるか下の方に、赤黒く周りを照らしながら蠢くものが見えた。妖しく上下左右に踊り回る姿。ときおり空に向かって立ち昇っては、その赤黒い巨体を散らす。その紅龍は、破壊をし尽くしては別の場所に降り立ち、破壊を繰り返した。いや、ちがう。それは、悪魔が鎌槍で犠牲者の命を刈り上げては上へ放り投げる姿。

 遠くから見つめる私達航空隊員にはまだ翼はなく、なすすべがなかった。


 次の日、志願した私たちは、徒歩で東京市内にむかった。私たちは、市内に着くと直ちに数班に分かれ、死体片付け作業に取り掛かる。

 私の班は、数人の友人達から構成された。担当は、両国や押上から深川木場方面にかけての死体取り片付け作業。みんな無言のまま、ひたすら作業をこなす。三日目ともなると、私たちは無数の遺体にもう慣れた。

 全ての遺体は、倒壊物の下敷きになったり、うつ伏せか、横かがみ、仰向きのままの格好。私たちは、もう、充満する異臭にも焼けただれめくれ上がった皮膚の無惨さにも、さして驚かない。しかし、この無差別爆撃をした米軍への憎しみは、遺体を片付けるたびに積み重なった。


「無力であってもこの身をもって一矢報いてやる。」

 そんな決意をした日であった。愚かしいほどに、この思いを胸に持ち続ける。犠牲者に対しては、それしか報いてあげられることはなかった。


 その後も作業が続けられ、作業の終わりが見えて来た時、私達は最後に母と子の姿を見出す。おそらく、そこは路地裏だったところ。焼け残った向島区の玉ノ井辺りには今でも路地裏が残るが、その路地裏と同じように深川区にも路地裏があった....

_____________________________


 深川区に住む辻堂祐子が毎日待っていたのは、出征していった夫泰造からの手紙である。陸士五十七期出身の陸士通信兵だった泰造は、百式偵察機に乗り込む通信士として、第五飛行師団のあるカンボジアへ派遣された。おそらくその辺りの町々を転戦しているとのことで、サイゴン辺りからそろそろ手紙を送ってくるはずである。

 三月、生後六ヶ月となった息子の武史は、いつも大きな声で泣いて乳をほしがる。この夜も、祐子はその武史を寝かしつけるのに苦労しながら、ようやく床の用意を終えた。やっと眠った武史を横に置きながら、祐子は布団に入って明日の早起きに備える。


 その夜遅く、ウームーと空襲警報が響きわたった。いつもの訓練通り明かりを消す。窓から外をうかがうと、すでに、上空のあちらこちらからゴーという低いエンジン音。祐子は防空頭巾をまとい、武史を負ぶって外に飛び出した。既に周りは火の手が上がり、そこらここらで大声が飛び交う。逃げ惑う人々の波の中に、彼女たちは消えた。


 迫る火の手。それに重ねて武史が火のように泣き叫ぶ。彼を抱えた祐子は、もう逃げる場所がなかった。祐子は追い詰められるように逃げ惑う。彼女の目に写ったのは、まだ火の手の回っていない家並みの奥まった路地裏。もうそこに逃げ込むしかなかった。

 しかし、それもつかの間、周りの家々に火が回る。座り込んだ祐子は覚悟した。迫る熱風から武史を守るには、踏み固められた地面を彼女のか細い手で穴を掘るしかなかった。

 祐子は地面を掘り起こし、石をどかし、さらに掘り起こす。既に手の爪は剥がれた。周りの家々は既に火に包まれ、その火が背中を焦がす。他方、指の先は痛みの感覚もなかった。


「ごめんね、これしか掘れなかったの」

 そう言いつつ、祐子は泣き叫ぶ武史に自らの乳を含ませた。

「よしよし、いい子ね」

 武史はまだ手で抱えながら乳をのむ。祐子は、幼子を冷たい穴の中へ隠し、迫りくる炎から守るように、その上に屈み込んだ。

「あとは自分の体で蓋をすれば、この子の骨は砕かれない……」

___________________


 私達が発見した遺体は、顔は煤で覆われ、頭髪が焼けこげていた。背中側の着物が焼けて火傷の肌があらわだった。

「若い娘だな……。いやちがう。うっ、おい、下に赤ん坊がいるぞ。」


 男の乳児の頭には、ささくれだった荊のような枝が食い込む。加えて、彼の腹部には槍のような木材が突き刺さり、少しばかりの血が流れる。それでも、乳児の骨は砕かれておらず、乳児の着物はすこしも焼けていなかった。よく見ると、乳児の小さなかわいい両手が、少しでも母との絆を保とうとしてか、母の乳房の一つにしがみついていた。 

 目の前の母子の姿に、私たちは立ち尽くした。我に返った私は、少し離れたところに水溜りを見つけ、その水に手拭いを浸して、血を流す乳児と煤けた母親の顔を拭う。それでも、彼らは目覚めるはずはなかった。


 どこまでも焼け野原が広がる。既にほとんどの遺体は片付けられていた。最後に私たちが目にした母子は白く見えた。その白さは死に至るまで無抵抗な姿。その姿が、私に米軍への憎しみに加えて、戸惑い、いや苦悩に似た戸惑いをもたらす。

 彼らのために私たちが相手を憎むのか。私たちが復讐するのか。誰がこの原因を作ったのか。米軍か。敵は確かに米軍。しかし、誰が、誰が一方的に負けるとわかっている戦いを始めたのか。誰がそれを支持したのか。軍人が悪いのか。いや違う、ある指導者とそれに雷同した私たち国民ではなかったか。

 まだ年端もないあの若い母子は、そんな国民の雷同には遠い若い世代。その彼らが、この戦争を支持した私たち国民たちの身代わりとなって受難した。

 目の前の母子の姿は……まるであのお御堂の聖母子像に似ていた。苦しかったはずなのに、その母の穏やかな表情とそこに無邪気に抱えられた乳児の姿は、今でも私たちの目の前に焼き付いたまま。


 この苦悩は、のちに彼等が私を裏切り者と呼ぶきっかけとなる。偕行社の良き友人たちとは対立し、友人たちが崇めていた靖國や偕行社とは、行動や思考がことごとく考えが反対になった。それでも、それらは単に友人たちの間の中での小さなつまらない対立に過ぎず、魂を縛り付ける苦悩はそのままに晴れるものでもない。

___________________


 五年後、深川あたりは再開発も進み、碁盤の目のように道が付け変えられた。

 その地に復員兵姿の男が駅に降り立つ。辻堂泰造だった。駅前から四方に行く都電の線路は、見覚えがあるはずなのに、どの線を使えば良いのか。

 彼はなんとか深川不動にたどり着く。しかし、そこから先は見覚えのない場所ばかり………。しばらくして、あの母子のことを聞いた彼が偕行社の名簿を頼りに、裏切り者の後輩、つまり私を訪ねて来た。

 そして、やはりあの母子は彼の家族だった。


「そうでしたか。」

 泰造はそう言ったきり黙す。彼の手にあったのは、守護天使からわたされた哀歌と呼ばれた古い文。

 それは、あの母子たちの最期の姿、そして私たちの今をよくも表していた。


道行く人よ、心して目を留めよ。

これほどの痛みがあったろうか。私たちを責めるこの痛み

それは主がついに怒って私たちを懲らしめるこの痛みほどのもの。

主は高い天から火を送る…

背いた私たちの罪は御手に束ねられて軛とされ、私たちを圧する……

それゆえ私は泣く。私の目よ、私の目よ、涙を流すが良い…

主は正しい。私たちが主の口に背いたのだ。

聞け、諸国の民よ。見よ、私たちの痛みを。

ご覧ください、主よ、この苦しみを。

私たちは背きに背いたのです。

幼子は母に求める、ちょうだい、ちょうだい、と。

しかし、この子は首都の路地で傷つき衰えて、母の懐に抱かれ息絶えてゆく。

指導者はこの国に託宣を与えたが、それは虚しい偽りの言葉ばかりであった。

今、私たちは主の怒りの杖に打たれてやっと苦しみを知った者。

ここに至って私は言う。私の生きる力は絶えた、ただ主を待ち望もうと。

それでも

主の慈しみは決して絶えない。

主の憐れみは決して尽きない。

それは朝ごとに新たになる。あなたの信実はそれほど深い。

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― 新着の感想 ―
[一言] とても切なく辛いです。 ウクライナや他の紛争地域では同じような思いをされている人がいるのでしょうね……。
2023/04/23 22:01 退会済み
管理
[良い点] 生々しく描かれる戦時中の悲惨な出来事の数々に胸の詰まる思いがしました。 戦略爆撃機の襲来や人々の遺体を片付ける作業に従事し、感覚が麻痺していく主人公とまるで自分がその場にいるかのように感じ…
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